長田家の明石便り

皆様、お元気ですか。私たちは、明石市(大久保町大窪)で、神様の守りを頂きながら元気にしております。

ケヴィン・J・ヴァンフーザー『聖書の物語とリクール哲学』(新教出版社)

2015-02-14 11:28:28 | 

「物語の神学」について調べる中で、日本語に訳されている関連書籍としてこの書に目が留まりました。

著者は、現在、トリニティー神学校の組織神学の教授のようです(http://divinity.tiu.edu/academics/faculty/kevin-vanhoozer/)。
ですから、福音主義に立つ神学者であると予想されますが、実際に読み進めてみると、しばらくは「本当に福音主義?」と疑わしく思えるほど「哲学者としてのリクール」に迫っています。大学院レベルのリクール哲学の入門書としても用いられるほどの内容を持っており、実際、この本の翻訳は、立教大学大学院でテキストとして学ばれる中から作業が始められたとのことです。

第一部は、哲学者としてのリクールについて検討しており、その前半では、ハイデッガーやカントとの比較対照の中で、リクール哲学の内容を吟味しています。後半、リクール哲学におけるメタファー、詩、物語の位置づけが取り上げられます。

第二部は、リクール哲学を現代神学の文脈の中で検討しようとします。まずは、ブルトマンとの比較対象の中で、リクール哲学の神学的位置を明確にしようとします。次に、エール学派からのリクール批判を取り上げます。この部分を読むと、ようやく著者が福音主義的な立場に立っていることが把握されてきます。更に、福音書における時間の問題、福音書とケリュグマとの関わりを検証します。特にケリュグマとの関わりでは、ルカ―使徒言行録において中心的な役割を果たす聖霊論がリクールの哲学の中に適切に取り込まれていないことを指摘しているのが興味深く思われました。

リクールの哲学自体がかなり難解なもののようで、その哲学に対する解釈も左派から右派まであるようです。実際には左派的解釈が優勢なようで、著者は右派的解釈をとりたいという願いを持ちつつも、その解釈を正しいと立証することはできないだろうと認めています(377頁)。従って、本来、福音主義神学からはかなり遠い所にあるはずのリクール哲学ですが、哲学においてだけでなく、キリスト教神学においてもかなりの意義を持つものとして、その内容を紹介することがこの本のねらいであるようです。

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