長田家の明石便り

皆様、お元気ですか。私たちは、明石市(大久保町大窪)で、神様の守りを頂きながら元気にしております。

『悪霊』(ドストエフスキー)

2020-09-15 21:07:21 | 

ドストエフスキー、『カラマーゾフの兄弟』に続いて『悪霊』を読みました(新潮文庫)。こちらも青年時代、教会の先輩が読んでたと思い、安心して読み進めましたが、「こんな恐ろしい本だったのか」とびっくりしました。

色々謎に満ちた小説で、読んだ後、ぐるぐると色々な思いや考えが渦巻きましたが、それらは三つの謎に集約されました。

1.『悪霊』は本来、どんな小説だったのか

これは、新潮文庫版で最後に付いている「スタヴローギンの告白-チホンのもとにて」という章にまつわる謎です。

以下は、この章に付けられた解説です。

「この章は、最初第二部第八章の『イワン皇子』のすぐあとにつづく章として書かれ、『悪霊』が連載されていた『ロシア報知』のために組みあげられたが、編集長カトコフが雑誌掲載を断ったため、当時、陽の目を見なかった。(略)結局、彼の生存中には、『悪霊』の単行本上梓に際しても、この章が復活されることはなく、その原稿の所在も知られぬままに終っていた。ようやく一九二一年になって、(略)この原稿が(略)発見され(略)」

カトコフが雑誌掲載を断ったのは、「家庭向きの雑誌だから」ということだったそうですが、内容を読めば至極ごもっともと思われます。それ程に、陰惨、残酷、醜悪、不気味な出来事がつづられます。発行された『悪霊』の内容も相当陰湿で、不気味ではありますが、この一章は、それらの陰湿さをはるかに越えています。

ここで生じる疑問は、「ドストエフスキーは、本来、この章を第二部八章につづく章として書き、連載掲載を願っていたのだとすれば、雑誌掲載が断られなかったらどんな内容となるよう構想していたのか」というもの。「スタヴローギンの告白」の掲載が断られた結果、連載は10ヶ月中断。その間にドストエフスキーは作品全体の校正を大幅に変えなければならなかっと言いますから、逆に言えば、掲載が断られなかったら、今の『悪霊』とはかなり違うものになっていたと思われます。

ドストエフスキー研究は世界的に相当進められているようですので、この点の謎はある程度解明されているのかもしれません。機会があったら、このあたり、調べてみたいと思いました。

2.「悪霊」とは何か

巻頭及び、第三部第七章「ステパン氏の最後の放浪」、さらに「スタヴローギンの告白」にも、ルカ8章、悪霊つきが主イエスに癒され、霊が豚の大群に入り込み、豚が海に駆け下り溺れ死ぬ記事が引用されます。タイトルにも『悪霊』と掲げられるのですから、福音書のこの記事が本作品にとって重要なテーマとなっていることは確実です。

しかし、この作品の中で、悪霊に当たるのは何でしょうか。翻訳者の江川卓氏は、巻末の解説で、一つの事件がこの作品の構想に影響したことを指摘しています。ネチャーエフ事件と呼ばれるこの事件は、革命思想グループの中で組織の結束を図るために転向者を殺害した事件で、ドストエフスキーはこの事件を題材として作品の構想を練ったと言い、江川氏は次のように記しています。「つまり、西欧から移入された無神論革命思想を、聖書に言われている『悪霊』に見立て、それに憑かれたネチャーエフその他は湖に溺れ死に、悪霊がはなれて病癒えた男、すなわちロシアは、イエスの足もとに座しているというのである。これはドストエフスキーが親友アポロン・マイコフにあてた手紙で明言しているところであり(略)」。このような指摘をもとに、文庫版上巻の裏表紙には、こう記されます。「本書は、無神論的革命思想を悪霊に見立て、それに憑かれた人々とその破滅を、実在の事件をもとに描いたものである。」江川氏自身は先のような指摘をしつつも、悪霊を巡る理解の幅についてある程度触れていますが、裏表紙のような言葉だけを読めば「それ以外の理解はない」という印象を持たざるを得ません。

しかし、私の内には、ドストエフスキーが最終的にこの作品において、「悪霊=無神論革命思想」という図式を主張しているのだろうか、という疑問が湧きます。そのような見方故、ソ連時代には、「革命運動への誹謗書」という評価がなされたようです。しかし、たとえば、次々に死んでいく人々の中には、革命思想とは無関係な人々も含まれます。また、「スタヴローギンの告白」では、スタヴローギンがチホンに対して「時おり自分のそばに何か悪意に充ちた、嘲笑的な、しかも『理性をもった』存在を見たり、感じたりすることがある」と告白しています。これは、聖書が「悪霊」について教える通り、悪霊を霊的実在とする見方に沿っています。

ただ、この作品に登場する人々が、単に悪霊の影響で悪しき行動を取るのだという単純な図式が浮かび上がってくるわけでもありません。むしろ、人間の中には悪霊を引き込むような邪悪さというものが潜んでいるということのように思えます。

確かに、ドストエフスキー自身、革命思想家ペトラシェフスキーのサークルに接近し、逮捕され、死刑の直前までいったのですから、ドストエフスキーにとってネチャーエフ事件は作品構想の素材として採用されたということ以上のものだったことでしょう。しかし、それでも「悪霊=無神論革命思想」という見方は皮相に過ぎると感じます。

3.この作品に救いはあるのか

『カラマーゾフの兄弟』も悲惨な出来事続出ですが、アリョーシャやゾシマ長老の存在が、作品全体に明るみをもたらしています。むしろ、周りが暗ければ暗い程、その明るさが浮かび上がってくるというところもあります。しかし、『悪霊』はひたすら暗い事件が続くのに対して、明るさが見えてこないイメージがあります。

あえて言えば、ステパン氏が放浪の中で示した回心らしきものがありますが、あくまでも「らしきもの」であって、本当に回心と言えるのか、かなりあやふやなものです。死を前にしてステパン氏は、愛や神の存在について口にします。しかし、作品全体の暗さを打ち破るほどのエネルギーは感じられません。この作品に限って言えば、ドストエフスキーは「救いの光」を描く意図はなく、むしろ、人間の内側に潜む暗さをひたすら描き切りたいということだったのかと思います。

『悪霊』自体の暗さ、さらには、「スタヴローギンの告白」で描かれた闇の深刻さに直面させられると、人間の闇の深さを思わずにはいられません。特にスタヴローギンの闇の深さは、世界の文学界の中でも際立っているのではないかと思います。異常であり、病的とさえ思われます。しかし、それがどこか遠い所にある「異常な世界」で終わらず、目をそむけたくなるような邪悪さでありながら、自分自身の中にどこかで接点があるのではないか、ないとは言い切れない、そんな思いが起こってきます。おそらくは、ドストエフスキー自身、自分の中に隠れ潜んでいるのかもしれない邪悪さを覗き込むようにしてスタヴローギンを描いたのかもしれない、そんな考えも生まれる位です。そこで描かれている邪悪さが、人間が普遍的に抱えているのかもしれない問題としてクローズアップされてくる…そこにこの作品の価値があるのかもしれません。

ただ、それでも、信仰者としてはこの作品に救いが示されていてほしかった、という思いは残ります。これだけ見事に人間の残酷さ、邪悪さ、醜悪さ、底知れなさを描き切ったのであれば、暗示的ではあってもそこからの救いをもっとはっきり示してほしかったと思います。

聖書の中には、この作品の暗さに匹敵するような邪悪な出来事というものがいくつかあります。旧約聖書であれば、王なき時代に起こった死体ばらばら事件や、ダビデ王によるバテシバとその夫ウリヤにまつわる事件。しかし、新約聖書のイエス・キリストの十字架の死程、人間の残酷さ、邪悪さを描いている事件はないでしょう。キリストを巡る多くの人々が、その死に関わっておりながら、誰もが「私のせいではない」と言いかねない状況がそこには描かれています。それは、空恐ろしい罪を犯していながら、スタヴローギンが社会は自分を罪に問えないだろうと考えた状況に似ています。しかし、それ程に邪悪な人々の罪の中で死んでいかれたイエス・キリストが、その死によって人々に救いの道を確立し、世界に差し出された…この点を少しの暗示でもよいから触れてくれていたならば…。読後、色々と思いめぐらす中で最後に思い至ったのは、そのことでした。

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