高校生からの激励メール
毎日様々なメールを受ける。
政権交代してから、その量は激増した。
お叱りや批判メールもたくさん頂戴するが、中には心温まる激励メールも多い。
今日は、その中から高校3年生からのメールを紹介したい。
なかなか鋭い視点に感心するとともに、高3当時の自分を思い出し嬉しくなって、思わず長文の返信を認めてしまった。それにしても、高校生にまで心配をかけてしまっていること、反省せねばなるまい。以下、そのやりとりの一部を紹介させていただく。
【A君から長島へ】
新年明けましておめでとうございます。
これで二度目の送信になります。このメールも長島議員に届けばよいなと思って送らせていただきます。
(中略)
ブログが更新されたので、また一言伝えたいなと思いました。海兵隊の基地の件や
外国人参政権に関しての議員の文章を読んですこし安心しました。僕が議員のことを知ったのは政権発足当初のNHKの放送を見たときです。あの時も議員の話を聞いて、安心したことを、議員に頑張ってほしいと思ったことをいまでも覚えています。
民主党政権が始まって、100日と何日かが過ぎました。テレビの情報は様々で知識のない自分には本当の所がなんなのか。鳩山政権の外交・安全保障政策がうまくいっているのかどうかは判断できませんが、いまだに何も決まっていないという事実と鳩山首相を筆頭に政府の中で意見の統一ができていないという事に漠然とした不安を覚えています。
外国人参政権のことについては、何が正しいのか判断ができないことでは外交の事と同じですが、日本の国籍を持っていない人に参政権を与えることに違和感を感じていました。参政権を望むのであれば何故日本の国籍をとらないのだろうと。
二つの問題に関して、長島議員の文章を読ませてもらって改めて議員にエールを送りたいと思いました。難しい立場に置かれているとは思いますが、頑張ってください! 米軍基地の問題にかんしても、参政権の問題に関しても長島議員の考えに賛同している国民は多いはずです。少なくとも僕はその一人です!わからないなりに議員のおっしゃることはただしいと思います。
自分の話になってしまって恐縮ですが、僕は受験の真っ最中です。今後の進路としては国際政治学を学んでいきたいと思っています。選挙権もなく、知識もない自分は、日本の今後にとってもっとも重要なこの時期に何もできないことをとても悔しく思っています。
ただ、遠くない将来自分も日本の未来に貢献できるよう、努力したいと思っています。
僕も頑張りますので、長島議員も頑張ってください!
【長島からA君へ】
メール拝受。二度目とのこと、感謝申し上げますとともに、前回のメールに返信できていなかったことをお詫びします。
私が政治家を志したのが高校3年のちょうど今頃だったので、貴兄のメールを読みながら懐かしく当時のことを思い出しました。時は1980年。今からちょうど30年前のことです。前年の12月24日にソ連軍がアフガニスタンへ突如侵攻し、のちに「新冷戦」といわれるものが勃発しました。その前にはイランの米大使館人質事件が勃発しており、国際情勢は混沌とし、第二次オイルショックで日本経済も大きな打撃を受けておりました。それなのに、国政は「大平vs福田」で泥沼の40日抗争を繰り広げておりました。
その有様を目の当たりにして、「国際社会に通用する政治家をめざそう」と志したのです。それから、実際に国会議員になるまでに23年の歳月を要しましたが・・・。それでも、高校生の私が現職の国会議員に直接コンタクトを取ろうなどとは到底考えも及びませんでした。その意味では、メールなどという便利なツールが普及したことは、政治家と国民の距離を確実に縮める事になりましたね。
それはともかくも、貴兄の抱く不安と同じものを多くの国民が共有していると感じます。鳩山政権のめざす外交安保政策がまだはっきりしていないことがその原因だと自覚しております。半世紀ぶりの政権交代で新たな政官関係が構築されていないこともさることながら、連立政権という制約もかなりあります。
ただ、せっかくの機会なので、私が描く新政権の外交安保戦略の核心について、貴兄が今後勉強される上で多少役立つようなヒントをお伝えしておきましょう。
鳩山政権の外交政策の基軸ももちろん日米同盟です。東アジア共同体というのは遠い将来の理想の旗です。しかし、現実の国際情勢の中で、我が国の生存と繁栄を維持していくためには、日米同盟の強化以外に選択肢はありません。そこで、私たちは、「緊密で対等な日米同盟を築く」とマニフェストで約束しました。
「距離を置いて対等をめざす」わけでも、「対等関係を確立したうえで緊密化させる」わけでもありません。緊密化→対等へという順番でことを進めるのです。この順番をいささか間違えてしまったのが新政権つまづきの原因です。じつは、同様の間違いを首相のお祖父様である鳩山一郎政権も犯してしまっているのは興味深い歴史の綾といえます。(この辺をもう少し深く研究すると面白いでしょう。)
そして、自民党政権との違いは、その目標を達成するためのアプローチにあります。自民党政権のアプローチは、端的に言うと「吉田路線」です。麻生太郎前首相のお祖父様の吉田茂が戦後外交の柱に据えた「軽武装、経済優先、対米依存」のアプローチです。
当時保守陣営には、これに対抗する勢力がありました。
重光・改進党と芦田・民主党と追放解除組の鳩山、岸、まだ新人議員だった中曽根らです。彼らは、吉田路線に対抗し、「自主防衛、憲法改正、対米自立(駐留軍の漸次撤退)」というアプローチを主張しました。(この辺の政治史もぜひ勉強してみてください。)
鳩山首相のお祖父様たちが唱えた「吉田路線からの脱却」を半世紀ぶりに成し遂げようとするのが本来の鳩山政権の使命だと思うのです。じっさい、私は新人議員の時、鳩山さんを囲む憲法改正の勉強会に参加させてもらい、その成果は鳩山由紀夫著『新憲法試案』という形で本にもなりました。
少々長くなりましたが、政治というのは時に妥協したり、足踏みや後退を余儀なくされることがあります。しかし、目標さえ見失わなければ、目標が明確であればあるほど、目標達成に向けた信念が強ければ強いほど、物事を少しづつでもその方向へ動かすことができるはずです。少なくとも私自身はそう信じています。政治は、また「可能性の芸術」ともいわれます。あらゆる可能性を探りながら、脱吉田路線の自立外交をこの国に確立するため、全力を傾けて参ります。今後とも、応援してください。
末筆ながら、A君のますますのご活躍と初志貫徹を心よりお祈りします。
長島昭久拝
政権交代してから、その量は激増した。
お叱りや批判メールもたくさん頂戴するが、中には心温まる激励メールも多い。
今日は、その中から高校3年生からのメールを紹介したい。
なかなか鋭い視点に感心するとともに、高3当時の自分を思い出し嬉しくなって、思わず長文の返信を認めてしまった。それにしても、高校生にまで心配をかけてしまっていること、反省せねばなるまい。以下、そのやりとりの一部を紹介させていただく。
【A君から長島へ】
新年明けましておめでとうございます。
これで二度目の送信になります。このメールも長島議員に届けばよいなと思って送らせていただきます。
(中略)
ブログが更新されたので、また一言伝えたいなと思いました。海兵隊の基地の件や
外国人参政権に関しての議員の文章を読んですこし安心しました。僕が議員のことを知ったのは政権発足当初のNHKの放送を見たときです。あの時も議員の話を聞いて、安心したことを、議員に頑張ってほしいと思ったことをいまでも覚えています。
民主党政権が始まって、100日と何日かが過ぎました。テレビの情報は様々で知識のない自分には本当の所がなんなのか。鳩山政権の外交・安全保障政策がうまくいっているのかどうかは判断できませんが、いまだに何も決まっていないという事実と鳩山首相を筆頭に政府の中で意見の統一ができていないという事に漠然とした不安を覚えています。
外国人参政権のことについては、何が正しいのか判断ができないことでは外交の事と同じですが、日本の国籍を持っていない人に参政権を与えることに違和感を感じていました。参政権を望むのであれば何故日本の国籍をとらないのだろうと。
二つの問題に関して、長島議員の文章を読ませてもらって改めて議員にエールを送りたいと思いました。難しい立場に置かれているとは思いますが、頑張ってください! 米軍基地の問題にかんしても、参政権の問題に関しても長島議員の考えに賛同している国民は多いはずです。少なくとも僕はその一人です!わからないなりに議員のおっしゃることはただしいと思います。
自分の話になってしまって恐縮ですが、僕は受験の真っ最中です。今後の進路としては国際政治学を学んでいきたいと思っています。選挙権もなく、知識もない自分は、日本の今後にとってもっとも重要なこの時期に何もできないことをとても悔しく思っています。
ただ、遠くない将来自分も日本の未来に貢献できるよう、努力したいと思っています。
僕も頑張りますので、長島議員も頑張ってください!
【長島からA君へ】
メール拝受。二度目とのこと、感謝申し上げますとともに、前回のメールに返信できていなかったことをお詫びします。
私が政治家を志したのが高校3年のちょうど今頃だったので、貴兄のメールを読みながら懐かしく当時のことを思い出しました。時は1980年。今からちょうど30年前のことです。前年の12月24日にソ連軍がアフガニスタンへ突如侵攻し、のちに「新冷戦」といわれるものが勃発しました。その前にはイランの米大使館人質事件が勃発しており、国際情勢は混沌とし、第二次オイルショックで日本経済も大きな打撃を受けておりました。それなのに、国政は「大平vs福田」で泥沼の40日抗争を繰り広げておりました。
その有様を目の当たりにして、「国際社会に通用する政治家をめざそう」と志したのです。それから、実際に国会議員になるまでに23年の歳月を要しましたが・・・。それでも、高校生の私が現職の国会議員に直接コンタクトを取ろうなどとは到底考えも及びませんでした。その意味では、メールなどという便利なツールが普及したことは、政治家と国民の距離を確実に縮める事になりましたね。
それはともかくも、貴兄の抱く不安と同じものを多くの国民が共有していると感じます。鳩山政権のめざす外交安保政策がまだはっきりしていないことがその原因だと自覚しております。半世紀ぶりの政権交代で新たな政官関係が構築されていないこともさることながら、連立政権という制約もかなりあります。
ただ、せっかくの機会なので、私が描く新政権の外交安保戦略の核心について、貴兄が今後勉強される上で多少役立つようなヒントをお伝えしておきましょう。
鳩山政権の外交政策の基軸ももちろん日米同盟です。東アジア共同体というのは遠い将来の理想の旗です。しかし、現実の国際情勢の中で、我が国の生存と繁栄を維持していくためには、日米同盟の強化以外に選択肢はありません。そこで、私たちは、「緊密で対等な日米同盟を築く」とマニフェストで約束しました。
「距離を置いて対等をめざす」わけでも、「対等関係を確立したうえで緊密化させる」わけでもありません。緊密化→対等へという順番でことを進めるのです。この順番をいささか間違えてしまったのが新政権つまづきの原因です。じつは、同様の間違いを首相のお祖父様である鳩山一郎政権も犯してしまっているのは興味深い歴史の綾といえます。(この辺をもう少し深く研究すると面白いでしょう。)
そして、自民党政権との違いは、その目標を達成するためのアプローチにあります。自民党政権のアプローチは、端的に言うと「吉田路線」です。麻生太郎前首相のお祖父様の吉田茂が戦後外交の柱に据えた「軽武装、経済優先、対米依存」のアプローチです。
当時保守陣営には、これに対抗する勢力がありました。
重光・改進党と芦田・民主党と追放解除組の鳩山、岸、まだ新人議員だった中曽根らです。彼らは、吉田路線に対抗し、「自主防衛、憲法改正、対米自立(駐留軍の漸次撤退)」というアプローチを主張しました。(この辺の政治史もぜひ勉強してみてください。)
鳩山首相のお祖父様たちが唱えた「吉田路線からの脱却」を半世紀ぶりに成し遂げようとするのが本来の鳩山政権の使命だと思うのです。じっさい、私は新人議員の時、鳩山さんを囲む憲法改正の勉強会に参加させてもらい、その成果は鳩山由紀夫著『新憲法試案』という形で本にもなりました。
少々長くなりましたが、政治というのは時に妥協したり、足踏みや後退を余儀なくされることがあります。しかし、目標さえ見失わなければ、目標が明確であればあるほど、目標達成に向けた信念が強ければ強いほど、物事を少しづつでもその方向へ動かすことができるはずです。少なくとも私自身はそう信じています。政治は、また「可能性の芸術」ともいわれます。あらゆる可能性を探りながら、脱吉田路線の自立外交をこの国に確立するため、全力を傾けて参ります。今後とも、応援してください。
末筆ながら、A君のますますのご活躍と初志貫徹を心よりお祈りします。
長島昭久拝