アジア外交

TVタックルの収録を終えた帰り道。
外交をテーマに、ハマコーさん、三宅さん、自民党の山本一太さん、自民党を追われた前代議士の城内実さん(以前から同志として親しくさせていただいていたが、久々の再会!お元気そうで安堵した。険しい道だと思うけれど、再起を期して頑張って欲しい。)らと激論。

先日の日米首脳会談や、中国、韓国との関係改善、そして靖国問題も議論した。
いろいろ発言したが、今日は最初から、小泉首相が口癖にしている「日米関係が緊密ならアジアとの関係も良好になる」という外交理念(?)を口撃対象にしようと決めていた。

予想通り、一太さんから猛烈な反論が返ってきた。ハマコー先生も、あの形相で襲いかかってきた。でも、この小泉外交には二つの落とし穴があることをきちっと指摘しておきたいと思った(この部分、オンエアされるといいんだけど・・・)。第一に、それは、アジア外交をサボるエクスキューズに使われていること。現に、小泉外交の4年間は、アジアでは0点に近い。第二に、対米関係依存は、却って対米外交を窮屈にしてしまうことだ。この点は前回のブログにも書いた。

番組収録後、一太さんが「とてもオンエアでは言えなかったけれど、自分自身も小泉さんのアジア外交にはとても満足できないよ。」と本音を語ってくれた。自分としては、自民がどうの、民主がどうのといった党派的な利害を超えて、国益のため、いまこそ戦略的なアジア外交を構想し、行動して行かねばならないと思っている。

そのために、わが国に残された時間はそれほど長くないと思う。中国は、2020年までに、2000年時のGDPの4倍化を目標に国力の増進を図っている。それだけではなく、着々と戦略的な近隣諸国外交を進めている。日本は、完全に出遅れているのだ。

この番組に出ることに関しては、後援者の中でも正直言って賛否両論ある。しかし、何も準備せずに、裸でああいう番組に飛び込んで、(議論があっちこっち跳びまくるけれど)思い切り持論をぶつけて、思考と言語の反射神経を養うことは、自分にとっていい訓練になると思っている。判定するのは、視聴者、いや有権者の皆さまだ。
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日米首脳会談

韓国・釜山で行われるAPEC首脳会議に向かう途中で日本に立ち寄ったブッシュ大統領が、東京ではなく、ひときわ紅葉の美しい秋の京都を訪れたことは意義深い。限られた日程ではあったが、日米首脳が高らかに同盟強化を世界に向かって(とくに中国に)宣言したことは喜ばしい。

しかし、小泉首相が記者会見で、「日米関係の緊密化を通じて中国やアジア諸国との良好な関係をつくることができる」と発言したことを見過ごすわけには行かない。同じようなことを首相は、先日、前原代表との党首討論でも言っていた。恐らく、これは彼の信念なのであろう。

倒錯した現状認識だ。日米同盟に過度に依存することによって、小泉外交は、米国との関係をかえって窮屈にしてしまっていることに気づいていない。近隣諸国との関係を疎かにしたまま、米国との同盟関係に全てを託すから、BSEにしろ、イラクにしろ、米軍再編にしろ、米国からの要求に片っ端から屈していかざるを得ない。しかも、アジアに確固とした外交的な足場を持たない今の日本は、米国にとって、決して戦略的に価値のある(つまり、魅力ある)同盟国とは映っていない事実をそろそろ認識すべきだ。

年末にかけての、前原代表の米国、韓国、中国歴訪による「現実的」野党外交をぜひ注目していただきたい。
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日米地位協定

今日も、在日米軍基地の再編をめぐるキーパーソンの一人と会談。

同盟を強化するため(だったはず)の一連の日米交渉の過程で、日本政府がおかした致命的な誤りの本質が見えてきた。それは、先日の日米安保戦略会議で私が最も強調した点でもあるが、「日本側の意思」というものが見えない、感じられないことに、日米双方の関係者が強く苛立っているのである。

戦略レベルから省庁間や自治体との根回しのレベルにいたるまで。
相変わらず、アメリカ側の要請を日本側が受身の姿勢で「値切る」という構図なのだ。

日本にとって、なぜいま同盟強化(日米当局者は、これを米軍のトランスフォーメーションになぞって「同盟変革(transformation of the alliance)」と呼ぶ)が必要なのか?この絶好の機会に、日本としてどのような目的(国益)を達成しようとしているのか?その結果、アメリカ側にどのような条件を突きつけ、受け入れを迫るのか?日本を取り巻く戦略環境や、米軍をめぐる技術革新や兵力構成の変化のトレンドを冷静に読んで、丁々発止の対米交渉を進めなければならない。(もちろん、言うは易しに違いない。)

しかし、先日も書いたが、日本側に、冷徹な目的を達成するための周到な準備や関係者に対する熱心な働きかけがあったとは到底思えない。だから、国民の間に広がる「不安」と「不満」を解消できないでいるのだ。何か日本がアメリカから不必要な負担やリスクを背負わされているのではないかという不満。そして、すべてはアメリカ側のシナリオに乗せられているのではないかという不安。

この深刻な事態を挽回するのは確かに困難であるが、「最終報告」を取りまとめる来年3月までにやっておかねばならない今後のポイントは、二つあると思う。それは、上述の「不安」と「不満」を解消しうる対応策だ。不安に対しては、自己の国益を踏まえた我が国独自の地域戦略を鮮明にすること。不満に対しては、日米地位協定を改定すること。これができるかどうか、が今後4ヶ月余の勝負となる。野党とはいえ、できることから始めよう。すでに、仕込みを始めている。
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歴史とはなにか

ある方に薦められて、岡田英弘『歴史とはなにか』(文春新書)を読んでいる。
じつに面白い。目から鱗がいくつも落ちる。

歴史とは「過去にあった事実」と定義することができる。
しかし、その「事実」の正体とはなんだろうか。
それは、人によって受け取り方が違うので簡単には定まらない。
・・・と考察を進めてきて、著者は、こう結論づける。
「つまり、なにが歴史かということは、なにを歴史として認識するかということなのだ」と。

したがって、「時間と空間の両方にまたがって、人間の世界を説明する歴史というものも、自然界にはじめから存在するものではなくて、文化の領域に属するものである。歴史は文化であり、人間の集団によって文化は違うから、集団ごとに、それぞれ「これが歴史だ」というものができ、他の集団が「これが歴史だ」と主張するものと違うことも起こりうる。」

「だから、単に、それぞれの文明の代表者の言い分を持ち寄って、それを足して二で割ったり、三で割ったりするということで、共通の歴史認識というものは、いつまでたっても実現不可能だ」と。

そして歴史認識における二つの系譜、すなわち、「中国文明」の流れと「地中海文明」の流れを詳しく解説した上で、中国の侵略に対して自衛するという建国時の国際情勢から生まれた日本文明の起源を概観し、さらりと、じつにさらりと次のようなぎょっとする分析を披露する。
曰く、「反中国が日本のアイデンティティ」なのだと。

刺激的にすぎる表現のような気もするが、昨今の中国や韓国の歴史認識に擦り寄ったり、無批判に受け入れたりする風潮に対する著者の苛立ちが伝わってこよう。日本人のDNAに刻み込まれた中国観というものを、ある意味で民族の「宿命」のようなかたちで認識しておく必要がありそうだ。

決して、中国に対する日本人の悪感情を煽るつもりはない。成長する中国、そして影響力を拡大する中華圏とは、わが国としてこの先何世代にもわたって、共通の利益を模索しながら協調・協働して行かねばならないことは言うまでもない。そのような外交を展開するバックボーンとして、確固とした歴史観を持っていなければならないということ。それを改めて強く認識させてくれる良書に出会った。紹介してくださった平さんに心から感謝。
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在日米軍基地の再編

今朝、在日米軍再編において鍵を握る人物の一人と話をして暗澹たる気持ちになった。やはり、日本政府は完全にやり方を誤った。敢えて言わせてもらえば、とんだ「ヘボ将棋」ということになる。今日、「(中間報告の)迅速実施方針を閣議決定」との報道に接したが、差し手を間違えた上に強引に事を進めようとすれば、神奈川で、沖縄で、山口で、猛然と反対の火の手が上がるだろう・・・。

私がこの問題に関心を持ち始めてから約7年。米政府はじめ軍関係者と何度も議論を重ね、アジアにおける米軍の将来像について、研究成果を著書として初めて世に問うたのが、4年前。昨年夏には改訂版を上梓した。自分の考えがすべて正しいと言うつもりはないが、この問題については黙っていられない。

米軍の抱いてきた問題意識の核心は、一貫して、「有事の際に展開する米軍が時間と距離の壁(tyranny of distance)をいかに克服するか」であった。宇宙空間から地上におけるマンパワーを駆使して、いかに早く危機を感知、察知するか。そして、高速輸送手段などを発達させて、いかに迅速にその危機に対処するか。技術革新の進展によってこの時間と距離の壁を克服できれば、兵力の前方展開の必要性は低減することになる。

そういう変化のトレンドを見据えて、4年前に初めて米軍再編がアメリカ政府から発表された時から着々と準備していれば、今回の日米交渉や基地を抱える地方自治体との折衝などももう少し違った結果になっていたのではないか、と悔やまれる。私自身、国会議員として十分に対処することができていないことを反省するとともに、政府の作業をサイドラインから見つめることしかできなかったことを悔しく思う。

いろいろな意味で、もっともっと力をつけなければならない。
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