訪韓報告
今回の訪韓で面談相手は次の通りです。
(1)崔相龍ソウル大学教授(元駐日大使)
(2)文正仁・大統領顧問
(3)金グンテ・与党ウリ党議長ほか与党議員団
(4)元喜龍・最大野党ハンナラ党議員ほか同党若手国会議員
(5)呉世勲ソウル市長(前ハンナラ党国会議員)
(6)宋永吉・ウリ党議員ほか同党若手国会議員
(7)韓国若手研究者(国際関係・安全保障)
(8)李大淳元通信部長官(郵政大臣)
(9)李相得・韓国国会副議長(ハンナラ党次期大統領候補の最右翼・李明博氏の実兄)
(10)朴振・ハンナラ党国会議員(朴クネ前ハンナラ党総裁の最側近)
今回の訪韓の特徴は、野党のハンナラ党との交流を厚めにしたことと、私の旧知である保守系の若手外交専門家との懇談を入れたこと、そして、最後の朴振議員とは(他の同行議員には失礼してしまったが)差しで懇談したこと。なぜなら、ノ・ムヒョン大統領はじめ与党ウリ党の議員たちでは、外交問題でまったく話が噛み合わず、しかも、残り任期1年半もありながらすでに現政権は完全なレイムダック状態に陥っていることが明らかであるからです。
これまでの我が党の交流相手はウリ党関係者が多かったため(これまでは、自民党を日本軍国主義の残滓と見るウリ党は最大野党の民主党に物凄く期待(苦笑)してきた経緯があり、わが民主党の中でも軍事政権の流れを汲むハンナラ党に対するアレルギーが残っていたようです)、派遣議員団長の仙谷代議士(民主党日韓交流委員会委員長)に強く要望し、今回はハンナラ党や保守系の関係者との交流を重視してもらうことにしました。
その甲斐あって、韓国が抱える重要な問題のいくつかを再確認することができました。第一に、米韓同盟の深刻な危機です。第二に、北朝鮮の崩壊の可能性、第三に、ノ大統領支持基盤の崩壊です。(大事な問題なので、詳細は次回エントリーで! 明日朝早いので失礼します。)
また、ウリ党議員との間では、竹島の領有権や靖国問題、北朝鮮の脅威をめぐってかなり厳しい議論をしました。議論は、予想通りまったくの平行線(中でも韓国による独島の領有については取り付く島なし)でしたが、(1)ミサイル発射の直後だけに、以前より北朝鮮擁護はトーンダウン、(2)靖国問題についても、「日本の国内問題」との主張を受け入れ、以前のように声高に靖国参拝非難を繰り返す姿勢は抑えられていた。
私からは、1998年の金大中大統領(当時)来日時の国会演説における「3つの原則」(過去の歴史から目を背けない、戦後日本の平和主義・民主主義を評価、未来志向の日韓関係の構築)を引いて、日韓両国の現指導者が、自国のナショナリズムを管理できずに迎合してしまって険悪化した二国間関係を、なんとか次世代の政治家による努力で「小渕・金大中時代」まで立ち返らせよう、と呼びかけました。相手議員の何人かは、ハッとして聞いてくれていたように感じました。
最後に朝食を共にした朴振議員(彼は、中国銀行も対北朝鮮金融制裁に着手していたことを米国情報を基に最近公表したことで脚光を浴びました)とは、日韓関係再構築のきっかけとなる「共同プロジェクト」について打ち合わせをしました。お互いに超党派精神で成功させよう、と誓い合いました。早速、自民党で日韓関係を頑張っている山本一太議員や河野太郎代議士(総裁選が終わってからですね、彼は!)らに声をかけよう。我が党でも、前原さんや野田さんや細野くんなどエース級に声をかけようと思います。何がテーマかって?それは、クイズでお答えしましょう。
「来年400周年を迎える日韓間の壮大な事業は何ですか?」
(ヒント:司馬遼太郎さんの名著『明治という国家』の冒頭に出てきます。)
2005年という日韓両国にとっての重大な節目の年(日露戦争から100年、大東亜戦争終結から60年、日韓国交正常化から40年)を「竹島問題」で逸機してしまったので、来年こそは大事に行かねばならないと思っています。中国との長く熾烈な戦略競争を勝ち抜くためにも、我が国にとって朝鮮半島との関係は重要な意味をもっていると思います。あの半島が中国の影響下に陥るのか、日米との協調を維持できるのか、は我が国の外交力にかかっているといっても過言ではないと思います。
追記:今朝の読売新聞特集は画期的でした!1994年に独自の憲法改正草案を発表して以来の快挙です。この間、私自身理解を深めてきた我が国近現代史をめぐる歴史観と軌を一にするところが多く、とくに、満州事変以降の日本の戦争を「昭和戦争」と命名したことに得心が行きました。これまで「大東亜戦争」(対中侵略戦争+対米英自衛戦争)と呼んできた私も、今後は、満州事変・日中戦争、(対米英)太平洋戦争を一括して「昭和戦争」と呼ぶことにします。
(1)崔相龍ソウル大学教授(元駐日大使)
(2)文正仁・大統領顧問
(3)金グンテ・与党ウリ党議長ほか与党議員団
(4)元喜龍・最大野党ハンナラ党議員ほか同党若手国会議員
(5)呉世勲ソウル市長(前ハンナラ党国会議員)
(6)宋永吉・ウリ党議員ほか同党若手国会議員
(7)韓国若手研究者(国際関係・安全保障)
(8)李大淳元通信部長官(郵政大臣)
(9)李相得・韓国国会副議長(ハンナラ党次期大統領候補の最右翼・李明博氏の実兄)
(10)朴振・ハンナラ党国会議員(朴クネ前ハンナラ党総裁の最側近)
今回の訪韓の特徴は、野党のハンナラ党との交流を厚めにしたことと、私の旧知である保守系の若手外交専門家との懇談を入れたこと、そして、最後の朴振議員とは(他の同行議員には失礼してしまったが)差しで懇談したこと。なぜなら、ノ・ムヒョン大統領はじめ与党ウリ党の議員たちでは、外交問題でまったく話が噛み合わず、しかも、残り任期1年半もありながらすでに現政権は完全なレイムダック状態に陥っていることが明らかであるからです。
これまでの我が党の交流相手はウリ党関係者が多かったため(これまでは、自民党を日本軍国主義の残滓と見るウリ党は最大野党の民主党に物凄く期待(苦笑)してきた経緯があり、わが民主党の中でも軍事政権の流れを汲むハンナラ党に対するアレルギーが残っていたようです)、派遣議員団長の仙谷代議士(民主党日韓交流委員会委員長)に強く要望し、今回はハンナラ党や保守系の関係者との交流を重視してもらうことにしました。
その甲斐あって、韓国が抱える重要な問題のいくつかを再確認することができました。第一に、米韓同盟の深刻な危機です。第二に、北朝鮮の崩壊の可能性、第三に、ノ大統領支持基盤の崩壊です。(大事な問題なので、詳細は次回エントリーで! 明日朝早いので失礼します。)
また、ウリ党議員との間では、竹島の領有権や靖国問題、北朝鮮の脅威をめぐってかなり厳しい議論をしました。議論は、予想通りまったくの平行線(中でも韓国による独島の領有については取り付く島なし)でしたが、(1)ミサイル発射の直後だけに、以前より北朝鮮擁護はトーンダウン、(2)靖国問題についても、「日本の国内問題」との主張を受け入れ、以前のように声高に靖国参拝非難を繰り返す姿勢は抑えられていた。
私からは、1998年の金大中大統領(当時)来日時の国会演説における「3つの原則」(過去の歴史から目を背けない、戦後日本の平和主義・民主主義を評価、未来志向の日韓関係の構築)を引いて、日韓両国の現指導者が、自国のナショナリズムを管理できずに迎合してしまって険悪化した二国間関係を、なんとか次世代の政治家による努力で「小渕・金大中時代」まで立ち返らせよう、と呼びかけました。相手議員の何人かは、ハッとして聞いてくれていたように感じました。
最後に朝食を共にした朴振議員(彼は、中国銀行も対北朝鮮金融制裁に着手していたことを米国情報を基に最近公表したことで脚光を浴びました)とは、日韓関係再構築のきっかけとなる「共同プロジェクト」について打ち合わせをしました。お互いに超党派精神で成功させよう、と誓い合いました。早速、自民党で日韓関係を頑張っている山本一太議員や河野太郎代議士(総裁選が終わってからですね、彼は!)らに声をかけよう。我が党でも、前原さんや野田さんや細野くんなどエース級に声をかけようと思います。何がテーマかって?それは、クイズでお答えしましょう。
「来年400周年を迎える日韓間の壮大な事業は何ですか?」
(ヒント:司馬遼太郎さんの名著『明治という国家』の冒頭に出てきます。)
2005年という日韓両国にとっての重大な節目の年(日露戦争から100年、大東亜戦争終結から60年、日韓国交正常化から40年)を「竹島問題」で逸機してしまったので、来年こそは大事に行かねばならないと思っています。中国との長く熾烈な戦略競争を勝ち抜くためにも、我が国にとって朝鮮半島との関係は重要な意味をもっていると思います。あの半島が中国の影響下に陥るのか、日米との協調を維持できるのか、は我が国の外交力にかかっているといっても過言ではないと思います。
追記:今朝の読売新聞特集は画期的でした!1994年に独自の憲法改正草案を発表して以来の快挙です。この間、私自身理解を深めてきた我が国近現代史をめぐる歴史観と軌を一にするところが多く、とくに、満州事変以降の日本の戦争を「昭和戦争」と命名したことに得心が行きました。これまで「大東亜戦争」(対中侵略戦争+対米英自衛戦争)と呼んできた私も、今後は、満州事変・日中戦争、(対米英)太平洋戦争を一括して「昭和戦争」と呼ぶことにします。
東京では2005年に「241年ぶり東京で再現へ」と朝鮮日報にありました。また、「日韓友好の象徴として政治利用しようという動きが、日本の左派や在日コリアンの中にある。」とWikipediaにありました。ご感想は。
徳川幕府は幕威高揚のために利用したようです。民主党さんも政権交代実現のために、ぜひ頑張って利用してください。
また、日韓併合も、日韓相互の合意の下、国際法上合法的に行われましたので、その点も韓国でお話し合いをお願いします。
司馬遼太郎さんの『明治という国家』も名著ですが、当時の外交・社会を知るには、山本七平さんの『徳川家康』『危機の日本人』も名著であると思います。
クイズダービーで有名な篠沢秀夫教授『日本国家論』これも名著です。
早坂隆さんの『世界の日本人ジョーク集』最近かなり売れているようですがやはり名著です。読んでいなければお奨めです。核心をついてかなり笑えます。
最近のネット右翼どもは、国益も考えず中韓といえば非難轟々で、長島さんのブログにもきっと口汚いコメントが並ぶことでしょうが、決してひるまず堂々と信ずるところを主張してください。まともな人たちもたくさん見ていますので、心配要りません。
>第一に、米韓同盟の深刻な危機です。第二に、北朝鮮の崩壊の可能性、第三に、ノ大統領支持基盤の崩壊です。
こちらの詳報も楽しみにしています!
韓国の「日本に~してやった」史観による朝鮮通信士を押し付けられそうでウザいんですが。
ていうかイベントは、もういいっての。普通に、地道に、淡々とやってください。
反日国家以外に行く予定は無いんですか?親日の国こそ大事にしてください。
それと
>日韓両国の現指導者が、自国のナショナリズムを管理できずに迎合してしまって険悪化した
二国間関係を<
韓国についてはナショナリズムを管理どころか大統領自ら煽ってるんですが
日本の指導者がナショナリズムに迎合ってどういうことでしょう?
具体的に例を挙げてもらえますか?
# 相手の言いなりになると言う意味じゃないことは
#当然です。念のため。
交流は、
1)野党ハンナラ重視 2)有力個人重視
であった点が良いと思いました。与党内でノムヒョンに距離を置きつつある政治家と交流出来れば、なお良かったのですが。
ご存知の通り、韓国の政局は、政党ではなく個人ベースで動きますから。有力政治家が動く時、政党などあってなきがごとし。韓国の政党再編が激しいのは、そのせいもある。なので、対韓国では、有力政治家との個人的パイプがとても大切。
また、民主内のハンナラ党アレルギー?を乗り越えて下さったのも良かったと思います。
> 第一に、米韓同盟の深刻な危機です。第二に、北朝鮮の
> 崩壊の可能性、第三に、ノ大統領支持基盤の崩壊
戦時統制権の返還問題をはじめ、ノムヒョン政権の軍事音痴には困ったものですよね。日本の安全にとっても大問題。前線が、38度線から玄界灘に移動したら... ちょっと想像したくない事態。
北の崩壊も大問題で、ソフトブレークダウンをいかに実現するか。難しい。中国による北の準属国化(もしくは完全属国化)を容認するか、なんてことも日本側の検討範囲に含めないとイケナイ気がします。韓国は嫌がっていますが(アタリマエ)、中国はその色気があるような...
支持基盤の崩壊は... 全教連や女性連合など?ノムヒョンが自棄を起こさなければ良いのですが。個人的には、「戸籍の個籍化」という実験が、今後どうなるのか興味がありますね。実施されれば、日本にとっても参考になるのですが。
> 壮大な事業
アレをネタにするのですか。まぁ時期的に当然かしら。アレは表面的には美しく、内実は双方の政治事情が交錯するものだったので、ある意味現代的かもしれませんね(^_^;)。ただ、あちらはまだノムヒョンですよね。どうなることやら...
> 今朝の読売新聞特集は画期的
面白い特集でしたね。私は、昭和戦争というネーミングよりも、戦争責任者を太字で名指しした勇気に感心しました。
これまでの分と併せ、早く文庫にならないかしら。単行本にはきっとなるでしょうが、なにせ私、貧乏なので...
各論点については、私よりはるかに知識も経験も豊富な方々が問題にしてくれると思いますので、二点だけ。
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長島昭久衆議院議員がそうだという訳ではないのですが、当時の事象を現在の物差しで測り、現在の価値判断に基づいて結論づけている方が多いのが何とも。
私は「満州事変(~満州国建国)は侵略行為」であったと考えていますが、当時は西欧列強各国も中国(清)に利権を求めていたことをお忘れにならないようお願いしたいところです。
韓国(北朝鮮)の方には、韓国併合をした(当時の)日本を恨むなら、併合される道を選ばざるを得ないほど国力を弱体化させる事大主義を貫いた(当時の)大韓帝国(李氏朝鮮)も同時に恨んでくれと言いたいですね。
ま、身内ならば「どんなに極悪非道な犯罪者でも擁護する」文化の韓国・北朝鮮の方には無駄としか思えないのですが…orz
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朝鮮通信使を単なるイベントとして取扱うなら何も問題はないと思いますが、当時の日本(人)と李氏朝鮮(人)との意識の相違、「現在の」日本(人)と韓国(人)との意識の相違を考慮に入れると、政治的に利用するにはリスクが高いと見た方がよろしいかと。
●特集1 アジア往来「「御馳走一番」のおもてなし/朝鮮通信使資料館・蒲刈町」
http://www.pref.hiroshima.jp/sukoburu/vo45/gochisou.html
●朝鮮通信使?朝貢団?
http://photo.jijisama.org/Ttsusin.html
●家政婦は見た |・∀・):ビバ日韓友好!朝鮮通信使が残した記録
http://blog.goo.ne.jp/yoonjoon/e/ee7f770d1f514db4b003f33274478971
”通信使”は互いの国が対等の立場にあるとの前提で使われていた名称で、現在の盧武鉉・韓国大統領が日本を対等の立場にあると見ているとはどうしても思えません。韓国の野党「ハンナラ党」に韓国内で火傷を負わせる意図がないのでしたら、朝鮮通信使に関しては過剰なくらい慎重にコトを運ばれるよう期待しております。
逆に幕府は千代田城まで使節を迎え入れた。
このように朝鮮通信使というのは非常に朝鮮の小中華意識の強い交流だった。
それにも拘らず幕府は三代家光が将軍の時に朝鮮の大飢饉に際して穀物を援助している。
佐高信は「司馬遼太郎ファンは軽い」と書いてたけど司馬史観を鵜呑みにしてる人もいるんだな?
だから後に明治政府が樹立した時に樹立を通告する日本の国書を「皇上」や「奉勅」の文字が使われている事を理由に李朝政府は受け取りを拒否。
その後もたびたび釜山に使節を送って交渉を一年余り続けたが李朝政府は国書の受け取りを拒否し続けた。
これに対して明治政府は明治四年に対馬藩に委ねられていた朝鮮外交権を接収して外務省に移管、釜山の倭館を外務省の管轄下に移して日本公館と改称した。
そこで日本は倭館接収の為に外務丞花房義質と歩兵二個大隊を釜山に着港させたが李朝政府は強硬に退去を要請し対馬藩との倭館での交易中止を宣告、一切の交渉を拒絶した。
この事が後に「征韓論」に繋がっていく。
このように江戸時代に日本と李朝が友好的な交隣外交を行なってたなどというのは大嘘で日本の国会議員がその様な認識を持っているのは「不見識」としか言い様が無いと思われる。
2000年に及ぶ彼等の関係をそう簡単に解消出来るなど有り得ない。
しかも朝鮮半島は中国と陸続きで中国の王朝が交替するたびに国土を蹂躙され服従を強いられてるから中国の怖さは骨の髄まで分かっているだろう?
要するに朝鮮半島は日韓併合以前の中国とロシアの権益が交錯する地域に戻ったという事で、日本が朝鮮半島に介入するという事は日清、日露戦争のやり直しみたいなもので現在の日本がとるべき道ではない。
ここがかなり引っかかります。
対中において侵略戦争であって、対米英において自衛戦争だという根拠がわかりません。
日本においては対中は日米開戦と同時に戦争を開始したと記憶しています。ABCD包囲網で日本に対して共同で経済制裁をしていた国に対する戦争において、一方が自衛であればもう一方も自衛と考えるのが普通の考え方ですよね。
またシナ事変を含めて戦争とみなすのであれば、その当時も米英などによる対中援助があったためこれも双方自衛もしくは侵略となります。
満州事変は局地紛争なので侵略行為であったとしても侵略戦争ではない。
よって対中侵略「戦争」でありかつ対米英自衛戦争というのはありえないのではないですか?
また満州事変までを含めてひとつの戦争とみなす考え方は東京裁判史観ですかね?
つまりいわれる15年間の戦争行為が日本の侵略であったと肯定しているのでしょうか。
昭和戦争と呼ぶのは別にかまいませんが、一括りにすることに何の意味があるのかわかりません。
また一般的な問題として、あの戦争が実質的に侵略戦争であったとしても、侵略かどうかは当時の常識で自国が判断するべきものだというのが国際法の常識であったはずです。これを踏まえて、あえて日本のとった行動を「侵略戦争」という行為を国会議員がすることが適当であるとは残念ながら思えません。
ソ連が日本への「侵略」を侵略戦争だと言っています?。
米英が日本に対する戦争を侵略戦争だといってます?
歴史学者が侵略うんぬんの発言をするのは一向に構いません。個人的にはある程度の侵略行為があったとも思います。
しかしながら一国会議員が、「先の戦争は日本による侵略戦争」と発言する行為は理解できません。
歴史に背を向けるあなたのような若者(?)が、この国を滅ぼすのでしょうか。居直りともとれるあなたの書き込みを読んで背筋が寒くなる思いがしました。
長島議員さんが対中侵略戦争と呼んでいるのは、明らかに満州事変以降の中国大陸への派兵を指すのでしょう。当時、大日本帝国は中国大陸であからさまに戦争を起こし米英を敵に回すのを避け、宣戦布告せずに対中侵略行為を続けたというのが歴史的事実です。
「侵略かどうかは当時の常識で自国が判断する」というのは、余りにも情けない知的敗北主義です。なぜ謙虚に歴史に学ぼうとしないのでしょうか。あなたのような若者が、やがてその時代の「常識」とやらを振りかざして、過去に対する無反省な態度で戦争をし始めやしないかと心配します。
朝鮮通信使は、秀吉の朝鮮出兵で両国関係が最悪に陥った直後に、日本側(徳川幕府)から提案された関係改善のイニシアチブです。来年が400周年とは知りませんでしたが、ぜひ近くて遠い2つの国の関係改善に役立ててください。
日韓関係の重要性については、kappe@錦さんに同感です。
なぜ、日本の野党は海外に行って自国の指導者の非難をするのでしょう?韓国で政党結成でもするのでしょうか?
先の戦争の総括より自らの行動と発言の総括をされたほうがよろしいのではないですか。
>仙谷議員はこれに対し、執権すれば神社参拝を中断するとの民主党の方針を説明した。
これは民主党の正式な方針ですか、だとすればなぜ日本国民に広く伝えず、韓国で発言するのでしょう。
1、中韓の首脳会談ができないのは小泉首相の責任だ。胡錦濤や盧武鉉には問題無い。
2.中韓が嫌うから政権を取ったら靖国参拝はしない。
こういうことですね。
何か引っかかりますな
もうちょっと表現に気を使って下さい
【ソウル14日共同】韓国で日本の植民地支配に協力したとされる「親日派」の
子孫の財産を没収し、国有化するための韓国政府の調査が18日から本格的に始まる。
韓国では植民地支配からの解放直後に反民族行為特別調査委員会が同様の調査を
実施したが、同委員会は1949年に解散。今回、57年ぶりに「親日派」の財産に対する
調査が再開される。
盧武鉉政権の「過去清算」政策の一環で昨年12月に成立した法律に基づく措置で
「親日反民族行為者財産調査委員会」が18日に正式に発足する。
同委員会は法務省、警察庁、財政経済省、山林庁、国税庁などから派遣された
公務員ら104人で構成。
http://www.tokyo-np.co.jp/flash/2006081401002333.html
盧武鉉大統領は対北・対米政策に関して、韓国の野党やマスコミから大批判されていますが、このような「親日派狩り」に関して批判する韓国の政治家・マスコミ人は一人もいません。
たくさんおりますよ。
とくに前ハンナラ党総裁朴クネ女史のご尊父は旧陸軍士官学校を出て日本軍として戦った経験がありますので、盧武鉉政権の親日派狩りの格好の標的となった経緯もありますから、猛烈に反発しましたよ。
あまり適当な嘘を撒き散らさないでいただきたいのですが。
民主党代表
小沢 一郎
本日、61年目の終戦記念日を迎えました。内外で犠牲となられた全ての人々に想いを馳せ、衷心より哀悼の誠を捧げます。
歳月は、ともすれば記憶を彼方に押しやりますが、あの戦争を決して忘れることはできません。わが国はかつて無謀な戦争への道を選び、被爆経験をはじめ国民に深刻な犠牲を強いたのみならず、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して植民地支配と侵略により大きな損害と苦痛を与えました。
私たちは歴史を謙虚に受け止め、戦争の悲惨な事実、率直な反省と謝罪の気持ち、その教訓を語り継いでいかねばなりません。そして21世紀の世界の平和構築のために力を尽くすことが、現代に生きる者に課せられた使命であり責任です。
わが国は今日まで、平和を貫き、世界の国々の経済発展と平和をめざす努力に貢献してきました。しかし、今この時も、中東をはじめ各地で暴力と報復の連鎖が絶えることがなく、北朝鮮のミサイル発射など大量破壊兵器による深刻な脅威が安寧を蝕んでいます。
ところが、残念ながら小泉政権は、米国に追従するのみで、東アジアや中東をはじめ世界で積み重ねてきた実績と信頼を損なう姿勢を示してきました。
世界の平和構築のためには国際社会が一致協力することが必要であり、各国との相互理解と信頼を培い、緊密な国際協調にもとづき、主体的な外交努力を行うべきであると考えます。
民主党は、戦争の事実を語り続け、未だ残る戦争の犠牲を直視し、過去の教訓と反省を未来に繋げる作業を今後も怠たらずに続けてまいります。この終戦の日にあたり、民主党は、国際社会の責任を全うしようとする日本をめざし、世界の協調の下で平和を創造する決意を新たにし、全力を尽くすことを誓います。
皆さんのコメントをお寄せください!
ついでに、民主党内反主流派の長島さんのコメントもうかがいたいところです。
>
> 盧武鉉大統領は対北・対米政策に関して、韓国の野党やマスコミから大批判されていますが、
> このような「親日派狩り」に関して批判する韓国の政治家・マスコミ人は一人もいません。
他の方からもコメントがついていますが、んなこたぁないですw
同じ内容のコメントをつけるのも何なので↓
●検察、親日地主の所有権回復訴訟の取下げを初めて拒否
http://www.donga.com/fbin/output?f=a__&n=200608140224
> 現在、法務省と検察が把握している親日財産関連訴訟は、李完用・宋ビョンジュン・
> ミンヤングフィなどの子孫たちが申し立てた33件。この内5件は国が勝訴した。
> 国の敗訴となった訴訟は9件(一部敗訴含む)で、既に取り下げられた訴訟は6件。
> 現在係争中の訴訟は13件。
(一部抜粋)
「親日だから子孫の財産を強制徴収」ってのはいわゆる”アカ狩り”と大差ないです。
米国のマッカーシズム全盛時代について盧武鉉大統領に教えてあげる側近がいなかったんだろうね。
石原莞爾や血盟団事件、2.26事件、5.15事件を語る際、国粋主義に繋がる危険思想にまでメスを入れなければ片手落ちだと私は考えています。タブーかどうかは知りませんが、こういう考え方もあるのだという程度にお読み頂ければ幸いです。
石原莞爾に強烈な精神的影響を与えたのは、いわゆる「日蓮主義」です。田中智学という人物は、石原が所属する「国柱会」の中心人物ですが、この人は強烈な日蓮至上主義者です。その著書「宗門之維新(しゅうもんのいしん)」によると、「日蓮を世界統一の大元帥とし、法華経を武器として侵略的折伏(しゃくぶく)を目的に進軍せよ」と述べております。
また、その影響を受けた石原も強烈な日蓮信奉主義者であり「一天四海皆帰妙法(末法の世において法華経により世界が統一される)」という思想に基づいて世界最終戦論を掲げ、満州国建国を強行したという経緯があります。
また、この田中智学に大きく影響を受けた一人が、いわゆる「一人一殺」をモットーとするテロリスト集団「血盟団」の盟主、井上日召です。井上は団琢磨(三井財閥)を暗殺する際、その暗殺者のワイシャツに「南無妙法蓮華経」と書いて送り出した事は有名ですまた、元蔵相井上準之助も暗殺しました(血盟団事件、昭和7年)。
5.15事件については、その実行部隊である青年将校達が、井上日召の影響を極めて深く受けておりますし、2.26事件の黒幕は北一輝という、これもまた狂信的な日蓮至上主義者でありました。
こうして見てくると、日蓮の思想は偏狭的な信仰に偏れば偏るほど、テロリストの思想と結びつきやすい極めて危険な「カルト性」が包含されているように私には思えます。
最後に、この「邪魔者は殺せ」という狂信性によって、いかに日本の未来が捻じ曲げられる事になったかを鑑みるに、日本の中にも狂信的なグループが存在し、その影響が決して少ないものではなかった。ということを言っておきたくここに書き込ませていただきました。
尚、この私の考えは決して特定宗教を批判する目的のものではない事を申し添えておきたいと思います。
法華経は、釈迦没後数百年後の成立(一説には約500年後)と言われていますが、当時から教団への強引な勧誘と折伏活動で大変な社会問題を引き起こしていたようです。そのため各地で迫害運動が起き、自己正当化と信者説得のために「迫害されればされるほど、この教えの正しさが証明される」という教えが盛り込まれたのだといわれています。
その自己正当化の思想は日蓮に受け継がれ、日蓮は、自らが迫害されることをもって「法難」と称し、法華経が正法(釈迦の正しい教え)である証と考えました。日蓮は法華経を流布するためには他教の僧侶を暗殺しようとするなど、気性の激しい一面を持っており、その過激さからかなり迫害されたようです。
この思想の危うさは、例えばオウム真理教などの「ポア思想」に簡単に利用されるということからも分かると思います。当時のオウム信者達は「迫害を受けた」ことによって、この教えが正しいとさえ思っていた節があり、その法難と戦うためには何をしてもよいと、短絡的な考え方に至ったのだと思います。
前述の石原莞爾なども、自ら説く最終戦争を法華経の正法流布のための戦争と位置づけており、正法流布のために「手段を選ばない」方向へと移行していったといえるかも知れません。
ご指摘の団体についても、様々な「法難」と戦っておりますねwまあ特定宗教に対する批判ではないのでこの辺で。
ただね、自公連立はともかく、日本の政党としては自民党がまだしも正常な議員が多いと思いますし、ご指摘の団体と蜜月の仲なのは、何も自民党だけとは限らないですよね?
昔日で言えば、一一コンビと呼ばれた新進党時代の小沢一郎氏、市川雄一氏の関係や、パナマの麻薬ビジネス疑惑など、民主党党首様もかなりお盛んなご様子ですし・・・。
話はそれましたが、私としてはこうした思想的な面から戦争責任(指導者責任)を考えることも、一つ的を得ているように思うのです。特に青年将校達によるクーデターによって、政治家達が「死の恐怖」で足枷を付けられ、統帥権干犯問題によって組閣に一定の制限が付けられた事は、日本の未来に大変な影を落としたのではないかと、私はそう思います。
15日午後5時55分ごろ、山形県鶴岡市大東町、自民党の元幹事長加藤紘一氏(67)の実家から出火、木造2階建ての住宅と隣接する加藤氏の事務所計約340平方メートルが全焼した。鶴岡署は、現場に腹部を切って倒れていた男が放火した後、割腹自殺を図ったとみて調べている。男は意識がない状態だという。
加藤氏はこれまで、首相の靖国神社参拝をめぐり「参拝すべきではない」「個人の心の問題と考えること自体、大きな錯誤であり、外交問題だ」など批判的な発言を繰り返してきた。小泉首相が参拝した15日もテレビ各社に出演していた。県警は慎重に関連を調べている。
調べによると、男は50歳代とみられる。駆けつけた消防隊員が母屋のブロック塀の近くで倒れていたのを発見し、市内の病院に搬送した。
出火当時、母屋で暮らしている加藤氏の母の於信(おのぶ)さん(97)は、散歩に出かけており、近くの美容室で保護された。事務所には女性事務員1人が勤務していたが、逃げ出して無事だった。
近所の人の話によると、初め、母屋の1階付近から煙が上がり、ボーンという爆発音と共に炎が上がった。その後、約10分おきに爆発音が2回続いたという。
現場はJR鶴岡駅から約1.5キロ南の住宅街。県道沿いで、周囲には保育園やガソリンスタンドなどが点在している。
ふたたび右翼テロルの時代に逆戻りするのか・・・。
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さて「日本の指導者がナショナリズムに迎合」したということに関して、納得できる
具体例をあげていただけない場合、そういう言い方そのものが、長島さんの韓国人に
対する迎合なのだということは指摘したいと思います。
そういえば朝鮮通信士のイベント(400周年の壮大な事業ってやつが、これだと
決め付けてるわけですが)も見方によれば迎合っぽいなと。「日本人に先進文化を
伝えた朝鮮通信士を、日本人を犬(犬の糞?)とすら例えた朝鮮通信士を再現
してみました」って韓国人を喜ばせたいんでしょうか?
提案を。麻生外務大臣がアジアン・ウォール・ストリート・ジャーナル紙へ寄稿
(同寄稿文は、ウォール・ストリート・ジャーナル紙北米版及び欧州版にも転載)
しましたが、長島さんも韓国の新聞にオールジャパンの立場からの見解を載せて
もらったらどうですか?
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読売新聞は読んでないので「昭和戦争」とやらについて何も知らないのですが
私がよく行くブログではあまり評判は良くないですね
http://chinalifecost.seesaa.net/article/22303866.html#more
さて、本題。
>追記:今朝の読売新聞特集は画期的でした!
(中略)
>満州事変以降の日本の戦争を「昭和戦争」と命名したことに得心が行きました。これまで「大東亜戦争」(対中侵略戦争+対米英自衛戦争)と呼んできた私も、今後は、満州事変・日中戦争、(対米英)太平洋戦争を一括して「昭和戦争」と呼ぶことにします。
読売新聞は部数の多い大新聞ではありますが、
読んでない人もそれなりの数いますので、話が合わなくなるので勝手な呼び名で呼ばない方がいいんじゃないですか?
そもそも満州事変とシナ事変と大東亜戦争を一括して扱うことに何か意味が?少なくとも満州事変とシナ事変は連続体として扱うには相当無理があると受けとる人もそれなりにいるんじゃないかな?
昭和3年に起こった満州某重大事件の収拾を誤って―田中義一首相は昭和天皇に約束した厳正処罰ができませんでした―以来、関東軍による暴走を政府も軍中央も抑えられないようになり、その結果、満州事変、支那事変改め日支事変へと全面拡大していった歴史をつぶさに見れば、あなたのような「少なくとも満州事変とシナ事変は連続体として扱うには相当無理があると受けとる人もそれなりにいるんじゃないかな?」なんていう能天気なコメントは書けないですよ。
やっぱり、あなた若い方なんですね。威勢のいいコメント書く時は切れ味がありますが、歴史となるとてんでダメになっちゃう。もう少し歴史の勉強してらっしゃい。
>歴史となるとてんでダメになっちゃう
加藤鉱一議員とか、小沢一郎議員とか、長島議員とかよりはマシじゃないかなあ
>そもそも満州事変とシナ事変と大東亜戦争を一括して扱うことに何か意味が?
こんな訳の判らん事を書いて挑発するから反発を招く。
日中戦争は日華事変から。
それに到る原因は、少なくとも満州事変から既に始まっている。
もちろん満州国の建国も。
不幸な時代ですな。
たしかに!
安倍晋三なんて、「後世の歴史家にゆだねる」なんていって歴史観すらないみたいだしね。
でも、加藤や小沢と長島さんを一緒にするのはさすがに失礼な気がするが。
また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼に意を表します。
後略
>太平洋戦争を一括して「昭和戦争」と呼ぶ
>ことにします。
「大東亜」が嫌なら第二次世界大戦でいいじゃないですか?
一々跳び付かないで下さい 情けない
戦争の名前を変えてみたり。
表層的なことはどうでも良いと思うんですが。
分かりにくくなるだけで、なんのメリットもない。
国民のより良い生活のために活動なされていること。
頭の下がる思いです。
「靖国に弥栄あれ」のコメント欄にも
書かせていただいたのですが、
念のため、こちらにも書かせていただきます。
この度、あまりにもひどいブログを発見したので、
報告させていただきます。
http://d.hatena.ne.jp/kechack/20060810
長島議員のブログに対して、
真摯にコメントされてる方の意見を
許可なく無断に転載されています。
そして、コメントしてくださった方に対して
誹謗中傷に近いことも行われています。
どんなコメントであれ、
著作権は書いたユーザーに帰属するものですし、
プライバシー権の侵害、明確な不法行為じゃないでしょうか?
このような言論を許してしまえば、
長島議員の品性や民主党の質まで
疑われてしまうのではないのでしょうか?
長島議員のブログから、
警告、注意の喚起をしていただけると幸いです。
外交・戦略・戦術等の研究は重要ですが、個々の戦争をそれぞれ単純化して、「侵略」「自衛」と定義付けする事に意義があるのでしょうか?
不毛な宗教論争や非建設的な歴史論争には、一定の距離を置いて対応する方が賢明です。
「朝鮮通信使」も下手な発言をすれば、また批判されますよ。
それから、中継ぎで登場して即炎上する投手が「エース級」で民主党は大丈夫なのでしょうか?
アスナロにしか過ぎない若手議員も同様です。
党を客観視できていないのか、度を過ぎた美辞麗句なのか知りませんが、読んでいて恥ずかしくなります。
批判ばっかしてないで、「立場や時代で大きく異なる」捉え方を教えてチョーだいよ!
>歴史をつぶさに見るからこそ、満州事変までと盧溝橋事件、通州事件、第二次上海事変以降のシナ事変を連続体ととらえることができないってのは、そう珍しい説じゃないんですけどね。
結果には原因があり、その原因は見方を変えれば結果であり、その結果にも原因がある。
歴史をヒモトク場合に限りませんが、結果の連続性を捉えて考えないと歴史ではなくなります。
史実は紙面上で起こった訳でなく、現実に起こった事ですから、各事件、事変等を輪切りにして捉える事は、学問的に分類するには都合が良いかもしれませんが歴史の流れを捉えるのには意味が無いのです。
>満州事変までと盧溝橋事件、通州事件、第二次上海事変以降のシナ事変
指摘された史実は「時系列的に連続して」起こった事であり、それぞれがそれぞれの原因であり、結果であったのですから「以前以降」と分けるのは分類学上の定義であって歴史的には意味をなさないと思いますが如何でしょう。
あえて聞きます。
もし盧溝橋事件が起こらなかったら以後の歴史はどうなっていたのでしょう?
それと世界の先進国で侵略とか植民地化とか行なわなかった国などひとつも無い。
現に今でも多くの先進国はその戦利品を手放してはいない。
言っとくけど、昨日日本の漁船が銃撃された北方領土もロシアの侵略ですけど?
寝言は寝て言えってとこだな。
それと、日韓併合、台湾併合、琉球併合、中国大陸での権益確保、これらの事は全て明治時代に行なわれた。
要するに日本の敗戦に至る道筋は明治期に醸成された。
そういう日本の行為を批判してる民主党の議員が「明治という時代」なんてさも明治期の日本を誇るような見識は全く間違っている。
日本は明治以来敗戦まで一貫した軍国主義国家であり武力を背景にした外交を遂行している。
よって長島議員の歴史観は根本的に矛盾している。
>呼んできた私も、今後は、満州事変・日中戦争、(対米英)太平洋戦争
>を一括して「昭和戦争」と呼ぶことにします。
誰がなんて呼ぼうが勝手ですが
広めようとするのは止めてくださいね。
昭和戦争じゃ曖昧過ぎていつどこと戦ったか
分かりゃしない。
中国や韓国あたりでその話したら
「日本は侵略の歴史を美化しようとしている!」
とか言われるに3000点。
「自虐」史観と同じぐらい愚か。
言葉になりません・・・。
(中国も江沢民の発言録により靖国で譲歩しても日中間の懸案が解決できないのは明らか)
コレについても発言いただきたいものです
以下引用
【ソウル16日聯合】政府は靖国神社参拝問題に関連し、A級戦犯が分祀(ぶんし)されたとしても
日本の政治指導者による参拝は受け入れられず、
問題の根本的な解決は不可能とする見解をまとめたことが16日、明らかになった。
青瓦台関係者は聯合ニュースの電話インタビューに対し、
「靖国問題はA級戦犯の分祀では解決できない。理由は靖国神社内の戦争博物館『遊就館』からわかるように、
過去の軍国主義を美化し侵略戦争を正当化する歴史観に変わりはないため」と述べた。
政府は、A級戦犯を分祀しても根本的な解決ではないとの見解を内部的に堅持してきたが、
このほど内部での討議を経て、これを政府の公式方針として再確認したとされる。
A級戦犯の分祀が現実となっても、
▼過去の軍国主義を美化する歴史観の不変
▼韓国併合に関与した人物をあがめる現象
▼韓国人犠牲者の合祀(ごうし)状況――
などが変わらない限り、政府は日本の指導者の靖国神社参拝を容認できないという考えのようだ。
別の政府当局者も、靖国神社は単なる戦犯合祀というレベルを超えた、
日本の過去と結びつく歴史認識問題との点で見過ごすことはできないと話している。
ソース 聯合ニュース
http://japanese.yna.co.kr/service/article_view.asp?News_id=012006081613800
鳩山はたしか国立追悼施設建設の旗振りをしていたはずだし、社会党系の中には千鳥が淵拡張を叫んでいる連中もいたはずだが。
韓国のノムヒョン政権は、どうしようもない阿呆の集まりだから、分祀論を拒否したってそれは想定の範囲内ともいえるしな。この辺は、韓国で野党のハンナラ党と話してきた長島氏に韓国内の多数意見を聞いてみたいところ。
そもそも長城以北は、漢民族の正州ではありません。
「明」以前、満州も異民族領であり、「清」においても「満州封禁令」「移住禁止令」によって漢民族の移住は禁止されていました。
1911年、辛亥革命によって「清」が滅亡し中華民国が成立しましたが、藩部のチベットやモンゴルはこの時に独立しました。
この時点では満州には中華民国の支配権は及ばず何処にも帰属していません。
その後、無政府状態を経て満州国が建国され、日本と同盟を結びました。
「同盟している満州国及び在満日本軍が攻撃されたから中共・国民党軍に報復した」
「上海では邦人保護を目的として攻撃した」
「抵抗が止まないので抗中援満戦争を継続した」
このように述べれば、全く無意味ですが、日本にもそれらしい大義名分を作れます。
戦争に負けたから「侵略」や「傀儡」となっているだけです。
勝てば、中共によるチベット「解放」、ソ連によるモンゴル「独立支援」です。
長島先生が、一つ一つの戦争をわざわざ「侵略」「自衛」の定義付けして何か意義があるのでしょうか?
逆に私がお聞きしたい。
私には、この手の一面的で宗教のような善悪論による捉え方が、長島先生自身の今後の手枷足枷となる可能性・国家国民の利益を損ねる可能性があると考えたので、控えめに諫言したまでです。
歴史を都合よく解釈することを常としている隣国と、
政治家が関わって「共同プロジェクト」を行うことは
絶対に避けるべきではないでしょうか?
そもそも朝鮮通信士の位置づけ自体、
日韓両国でだいぶ異なるわけで、
重大な懸念を表明せざるを得ません。
そもそも、日本人を拉致し続け、
ミサイルを日本海に乱射した北朝鮮に
水害への人道支援を名目に、使途を制限しない
援助を行うような韓国との間で共同プロジェクトを
政治主導で行う必要性から見直すべきでは?
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