安倍官邸、大丈夫か?!
今朝、内閣官房、外務省、防衛庁から、北朝鮮「核」実験への対応措置について、ブリーフィングを受けました。
今回の官邸の初動は、そうとう深刻です・・・。
以下、すでに公開された情報に基づいて、時系列で官邸を中心にした関係省庁の初日の対応を示し、問題点を指摘したいと思います。「深刻だ」と言った理由が一目瞭然だと思います。
最初にお断りしますが、野党根性で安倍政権の足を引っ張ろうとの意図は毛頭ありません。安倍政権が、筋肉質の政府をめざし、国家安全保障担当首相補佐官まで登用して官邸強化を謳っていることに鑑み、最初の試練である今回の「核」実験事案をどう処理したかを検証し、課題を浮き彫りにしておくことは、将来のさらに深刻な事態への適時・適切な対処のために大事なことだと思っています。
『北朝鮮による核実験実施情報にかかる政府の対応』(2006年10月9日)
1030 中国より事前通告
1035 我が国気象庁が通常の波形とは異なる地震波観測(M4.9)
1040頃 外務省より官邸に第一報⇒総理に報告
1120 内閣官房から防衛庁に第一報「北朝鮮が核実験実施の可能性」
1130 官邸対策室設置
(ほぼ同時刻に防衛庁長官が選挙応援のため大阪向けフライトに搭乗)
1140 防衛庁長官秘書官に情報伝達
1150 朝鮮中央通信「核実験実施」を発表
1230 大阪に到着した防衛庁長官に情報伝達
1245 ●日米韓外相電話会談
1300 防衛庁内で関係幹部会議
1305 ●官房長官記者会見
1345 ●シーファー米国大使、官邸訪問
1400 放射能対策連絡会議非公式幹事会招集
1410 防衛庁長官指示
1500 ●日韓首脳会談@ソウル
1600 安全保障会議
1721 防衛庁対策本部設置
1800 ●総理内外記者会見@ソウル
1830 ●官房長官記者会見
1900 放射能対策連絡会議代表幹事会開催⇒防衛庁に特別調査要請
2010 ●日米首脳電話会談
2040 ●日米韓中ロ外相電話会談
2115 ●日中外相電話会談
2130 ●日・EU外相電話会談
2143 放射能に関する特別調査のための自衛隊練習機T-4一番機出動
2305 ●日英外相電話会談
以上が、第一日の主な動きです。
かなり重症であると言わざるを得ません。
ポイントは、二つあります。
ところで、改めて断っておきますが、私はこの分析で特定の人物に責めを負わせるつもりはありません。衆参の委員会質疑では、久間防衛庁長官が大阪へ選挙応援に行っていたことによる危機感の欠如などを問題にしていましたが、それは本質的な批判とはいえないと思います。実際、麻生外相・久間防衛長官ラインは、いま我が国で考えうる安全保障閣僚としては最強です(個人的には、麻生・石破コンビの方が好きですが・・・)。
問題は、大臣の資質とか個人の能力などではなく、国家情報システムそのものです。上記の時系列をもう一度見てください。ポイントは、二つあると思います。
第一は、1040に外務省からの第一報を受け(直ちに総理に伝え)た官邸から、防衛庁への第一報が40分後の1120だった点です。
第二は、1120に官邸からの第一報を受けた防衛庁が、みすみす長官を乗せたフライトを羽田から見送ってしまったことです。(たとえ飛行機に乗り込んで、離陸してしまったとしても、機内で重大情報を受信できるシステムすらないのか、という素朴な疑問はこの際呑み込んでおきましょう。)
まず、第一点目については、この空白の40分に何が起こったのかは依然謎のままです。官邸サイドの答弁では、1120に行なったのは、10分後に開かれる官邸対策会議への関係省庁に対する招集のための連絡だったとのことですが、防衛庁側の説明は、あくまで「核実験実施の可能性」を伝える官邸からの第一報であると。この食い違いは重要ですから、今後調査を進め、外務委員会で追及することになります。官邸答弁が正確であれば、1040に外務省より第一報を受けてから関係省庁への情報伝達をいつやったかが問われることになりますし、防衛庁答弁が正確であれば、気象庁が異常を観測した1035から「第一報」を受けた1120までの間、防衛庁は一切独自情報を持ち合わせていなかったのか、が問われることになります。
この疑問は、第二点目と関連します。1120以降の防衛庁の動きは、たしかに官邸からの第一報が、文字通り防衛庁にとって「第一報」であったことを示唆しています。すなわち、(防衛庁が長官秘書官に情報伝達するまでに20分もかかっていることはこの際おくとしても)10分後に羽田を飛び立つ防衛庁長官をつかまえそこなったのですから・・・。結局、長官に情報が伝達されたのは、大阪に降り立った1230。事件発生から、じつに約2時間後のことでした。しかし、在日米軍との直接の情報ルートを持つ防衛庁が、1120の段階まで、すなわち事件発生から1時間近くも、まったくの無防備だったとは考えにくいのです。この点も、まったく不可解です。
この結果、防衛庁の対策本部が立ち上がったのは、事件発生から7時間近く経った後のことでした。これは、余りにもお粗末・・・。7月5日の北朝鮮ミサイル連射事案の際の官邸の初動と比べてみれば、今回の異常さが浮き彫りにされるでしょう。内閣官房の資料から、以下、2ヶ月前の「小泉官邸」(ちなみに、当時、小泉首相は外遊のため不在で、安倍官房長官(当時)が官邸を仕切っていました)を振り返っておきます。
『北朝鮮による飛翔体発射にかかる政府の対応』(2006年7月5日)
0352 早期警戒情報発令。直ちに、総理、外相、防衛長官、官房長官に連絡(秘書官経由)
0400 官邸対策室設置
0430 官房長官、官邸到着
0435 防衛長官、官邸到着
0450 外相、官邸到着
0500 分析会議開始(外相、防衛長官、官房長官)
0618 ●官房長官記者会見1
0640 シーファー米国大使官邸訪問
0727 安全保障会議1
1145 安全保障会議2
1213 ●官房長官記者会見2
このミサイル発射については、約2ヶ月にわたる厳戒態勢の下で勃発したため、比較的初動が速やかだったとされました。しかし、今回も、週末に核実験が行われる蓋然性がきわめて高いとされていました。だからこそ、立法府の私たちでさえ、連休の土曜から日曜にかけて、もし核実験が行われたら衆議院で直ちに非難決議をやろうということで、野党側の決議案文作りに取り掛かっていたのです。したがって、官邸や防衛庁の鈍い動きは、際立って不可解なのです。
しかし、政権交代間もないことを差し引いても、2ヶ月前にできたことが、同じような条件下でできないというのは、深刻なシステム不全といわざるを得ません。現時点では、まだ調査や分析が完了していないので、敢えて「不可解」ということにしておきましょう。与野党筆頭理事間の協議により、いよいよ来週火曜日から外務委員会審議が始まることになりそうです。この点も含め、政府を厳しく質すつもりです。
今回の官邸の初動は、そうとう深刻です・・・。
以下、すでに公開された情報に基づいて、時系列で官邸を中心にした関係省庁の初日の対応を示し、問題点を指摘したいと思います。「深刻だ」と言った理由が一目瞭然だと思います。
最初にお断りしますが、野党根性で安倍政権の足を引っ張ろうとの意図は毛頭ありません。安倍政権が、筋肉質の政府をめざし、国家安全保障担当首相補佐官まで登用して官邸強化を謳っていることに鑑み、最初の試練である今回の「核」実験事案をどう処理したかを検証し、課題を浮き彫りにしておくことは、将来のさらに深刻な事態への適時・適切な対処のために大事なことだと思っています。
『北朝鮮による核実験実施情報にかかる政府の対応』(2006年10月9日)
1030 中国より事前通告
1035 我が国気象庁が通常の波形とは異なる地震波観測(M4.9)
1040頃 外務省より官邸に第一報⇒総理に報告
1120 内閣官房から防衛庁に第一報「北朝鮮が核実験実施の可能性」
1130 官邸対策室設置
(ほぼ同時刻に防衛庁長官が選挙応援のため大阪向けフライトに搭乗)
1140 防衛庁長官秘書官に情報伝達
1150 朝鮮中央通信「核実験実施」を発表
1230 大阪に到着した防衛庁長官に情報伝達
1245 ●日米韓外相電話会談
1300 防衛庁内で関係幹部会議
1305 ●官房長官記者会見
1345 ●シーファー米国大使、官邸訪問
1400 放射能対策連絡会議非公式幹事会招集
1410 防衛庁長官指示
1500 ●日韓首脳会談@ソウル
1600 安全保障会議
1721 防衛庁対策本部設置
1800 ●総理内外記者会見@ソウル
1830 ●官房長官記者会見
1900 放射能対策連絡会議代表幹事会開催⇒防衛庁に特別調査要請
2010 ●日米首脳電話会談
2040 ●日米韓中ロ外相電話会談
2115 ●日中外相電話会談
2130 ●日・EU外相電話会談
2143 放射能に関する特別調査のための自衛隊練習機T-4一番機出動
2305 ●日英外相電話会談
以上が、第一日の主な動きです。
かなり重症であると言わざるを得ません。
ポイントは、二つあります。
ところで、改めて断っておきますが、私はこの分析で特定の人物に責めを負わせるつもりはありません。衆参の委員会質疑では、久間防衛庁長官が大阪へ選挙応援に行っていたことによる危機感の欠如などを問題にしていましたが、それは本質的な批判とはいえないと思います。実際、麻生外相・久間防衛長官ラインは、いま我が国で考えうる安全保障閣僚としては最強です(個人的には、麻生・石破コンビの方が好きですが・・・)。
問題は、大臣の資質とか個人の能力などではなく、国家情報システムそのものです。上記の時系列をもう一度見てください。ポイントは、二つあると思います。
第一は、1040に外務省からの第一報を受け(直ちに総理に伝え)た官邸から、防衛庁への第一報が40分後の1120だった点です。
第二は、1120に官邸からの第一報を受けた防衛庁が、みすみす長官を乗せたフライトを羽田から見送ってしまったことです。(たとえ飛行機に乗り込んで、離陸してしまったとしても、機内で重大情報を受信できるシステムすらないのか、という素朴な疑問はこの際呑み込んでおきましょう。)
まず、第一点目については、この空白の40分に何が起こったのかは依然謎のままです。官邸サイドの答弁では、1120に行なったのは、10分後に開かれる官邸対策会議への関係省庁に対する招集のための連絡だったとのことですが、防衛庁側の説明は、あくまで「核実験実施の可能性」を伝える官邸からの第一報であると。この食い違いは重要ですから、今後調査を進め、外務委員会で追及することになります。官邸答弁が正確であれば、1040に外務省より第一報を受けてから関係省庁への情報伝達をいつやったかが問われることになりますし、防衛庁答弁が正確であれば、気象庁が異常を観測した1035から「第一報」を受けた1120までの間、防衛庁は一切独自情報を持ち合わせていなかったのか、が問われることになります。
この疑問は、第二点目と関連します。1120以降の防衛庁の動きは、たしかに官邸からの第一報が、文字通り防衛庁にとって「第一報」であったことを示唆しています。すなわち、(防衛庁が長官秘書官に情報伝達するまでに20分もかかっていることはこの際おくとしても)10分後に羽田を飛び立つ防衛庁長官をつかまえそこなったのですから・・・。結局、長官に情報が伝達されたのは、大阪に降り立った1230。事件発生から、じつに約2時間後のことでした。しかし、在日米軍との直接の情報ルートを持つ防衛庁が、1120の段階まで、すなわち事件発生から1時間近くも、まったくの無防備だったとは考えにくいのです。この点も、まったく不可解です。
この結果、防衛庁の対策本部が立ち上がったのは、事件発生から7時間近く経った後のことでした。これは、余りにもお粗末・・・。7月5日の北朝鮮ミサイル連射事案の際の官邸の初動と比べてみれば、今回の異常さが浮き彫りにされるでしょう。内閣官房の資料から、以下、2ヶ月前の「小泉官邸」(ちなみに、当時、小泉首相は外遊のため不在で、安倍官房長官(当時)が官邸を仕切っていました)を振り返っておきます。
『北朝鮮による飛翔体発射にかかる政府の対応』(2006年7月5日)
0352 早期警戒情報発令。直ちに、総理、外相、防衛長官、官房長官に連絡(秘書官経由)
0400 官邸対策室設置
0430 官房長官、官邸到着
0435 防衛長官、官邸到着
0450 外相、官邸到着
0500 分析会議開始(外相、防衛長官、官房長官)
0618 ●官房長官記者会見1
0640 シーファー米国大使官邸訪問
0727 安全保障会議1
1145 安全保障会議2
1213 ●官房長官記者会見2
このミサイル発射については、約2ヶ月にわたる厳戒態勢の下で勃発したため、比較的初動が速やかだったとされました。しかし、今回も、週末に核実験が行われる蓋然性がきわめて高いとされていました。だからこそ、立法府の私たちでさえ、連休の土曜から日曜にかけて、もし核実験が行われたら衆議院で直ちに非難決議をやろうということで、野党側の決議案文作りに取り掛かっていたのです。したがって、官邸や防衛庁の鈍い動きは、際立って不可解なのです。
しかし、政権交代間もないことを差し引いても、2ヶ月前にできたことが、同じような条件下でできないというのは、深刻なシステム不全といわざるを得ません。現時点では、まだ調査や分析が完了していないので、敢えて「不可解」ということにしておきましょう。与野党筆頭理事間の協議により、いよいよ来週火曜日から外務委員会審議が始まることになりそうです。この点も含め、政府を厳しく質すつもりです。