那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

那田塾の思い出(その6)

2016年04月29日 | 思い出の記

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(あと一カ月ほどで決定版が出ます。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます。いまのうちに増補改訂版を購入すると非常にお得です。決定版は3千円ですから。相当の資料があるために決定版の作成が遅れていることをお詫びいたします)http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

増補改訂版を購入された被害者の方から次のようなメールが届きました。

こんにちは那田先生、〇〇です。お忙しい所すみません。まだ毎日嫌がらせされてますが、那田先生のPDFを読んで本当に助かりました。一度きりの人生を創価の外道達に台無しにされないように頑張ります。本当に有り難う御座いました.

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp

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私は那田塾を経営していた時にも親友が出版している『Fs』という雑誌に「戦前個人映画の歴史」(それまでは誰一人として手掛けていなかった研究です)を毎年掲載したり、「世界映画大事典」というこれまでで出版された映画関係の事典の中で最も大がかりな事典に執筆したり、フィルムアート社の「ファーストカット」というハリウッド映画の編集者が書いた本の翻訳を請け負っていた。しかしフィルムアート社は原稿料が幾らになるのかを教えないので私は月収80万以上を那田塾で稼いでいたために翻訳が遅れ遅れになってした。そこでフィルムアート社は他の翻訳者を選んだために結局「ファーストカット」の七割ほどを私が翻訳することになった。(これまでに私が執筆した論文や批評は今年中に出版される予定になっています)

ところで那田塾の塾生の中に2人、ワキガの強烈な人間がいた。一人は学校をサボってゲームばかりやっている男子。もう一人は町議(当時は東宇和郡野村町だったが、現在は西予市野村町になっているので町議はおらず市議になっている)の娘で成績も良く結構美人なのだが、彼女のワキガは相当に強烈で宇和島に塾生が映画を見に行った時に彼女が入ると映画館の中がワキガの匂いで満ち溢れたらしい。そこで那田塾の男子塾生たちは男の塾生のワキガはグレープフルーツの匂いがするが女子塾生のワキガは腐った靴下のような匂いがすると言ってからかったために町議の娘は那田塾を辞めてしまった。私はワキガには敏感では無かったのでその可愛い町議の娘が那田塾を辞めたことは残念だった。

私は塾生を中央大学や法政大学に合格させた。愛媛から私立大学を受ける場合は立命館大学や同志社大学や所謂関大が一般だったので、中央大学や法政大学に合格することは非常にマレなことで那田塾の名声は益々高くなって行った。法政大学に入った塾生はとてもナイーブな性格で、自分が嫌われていると思っているのに好かれていると分かった時は泣きながら握手を求めていたことも思い出す。彼は大のプロレスファンで大学を卒業した後にはプロレス関係の仕事に就きたいと言っていたがその後の消息は分からない。中央大学に合格した女子の塾生は大の読書家で図書館の司書になりたいと言っていたがどうやらIT関係の会社に就職したようである。彼女の父親は写真館を経営している人で私も一緒に飲んだことがあるが非常に親切な人だった。彼の兄は現役で東大に合格し写真館は弟の方が後を継いだとのことだった。

特に愛媛大学医学部に合格したワルの弟の方は、ホワイトボードに数学の回答を書かせると、顔を赤くして恥ずかしそうな顔をしながら完璧な回答を書くので(私の長男と全く同じ性格です)、私は彼に「もう那田塾に来る必要はない。親孝行をするために愛媛大学医学部を受けるように。君なら絶対に合格するから」とアドバイスした。

左が赤ちゃんの時の長男 右は長女(私にそっくりです)

私が上京した後で私の母親が自宅の屋根瓦を新しくするときに愛媛大学医学部に合格した塾生の父親が軽トラでやって来て、私の母親に最敬礼をして感謝されたと聞く。また彼だけでなく那田塾の塾生の親たちからは何度も感謝されたらしい。

この時に映画関係資料では日本一と言われる牧野コレクションを所有する牧野守先生から「牧野コレクションは部分売りはしないが君の情熱に免じて小型映画関係の書物は君に譲ることにする」と言われて125万円分の蔵書をローンで買うことになり、小型映画関係の蔵書は私が今でも日本一所有している。

私と妻子が非常勤講師になって上京するときには塾生の親たちが集まってみんなが泣きじゃくっていたことを思い出す。私の元の妻も泣いていた。非常勤講師は週にヒトコマ(90分のこと)を教えて3万円前後なので地方出身者にとっては過酷な条件だが、田舎にいて小銭を稼ぐよりも情報の多い東京に出ることのほうが私には価値のある事と思えたし、子供たちが大きくなって大学に入った時のことを考えると上京するのがベストかもしれないと思った。幸い那田塾を経営したおかげで第一那田ビルを購入するほどの頭金が出来たので、家族もそのマンションに住みながら家賃収入を得ればどうにか食べて行けるだろうと思った(保護措置として母親を換金した高齢者福祉課は、この那田塾が成功したのでマンションを購入する頭金が出来た、という部分を(「牧野さんの家の方」にという小冊子に書いた文章http://w01.tp1.jp/~a920031141/makino.html )を絶対に認めようとしない。数量的客観的なものしか事実と認めない、という理由だが、これは総務省通達に真っ向から対立している。

私に非常勤講師を勧めた指導教授はその時に「経済的な能力は私よりも君のほうがある。君が非常勤講師になって上京したら出来る限り教授にするように努力する」あるいは「絶対に教授にするから上京して早稲田大学の非常勤講師になりなさい」と言ったか、どちらだったかは忘れてしまったが、要するに教授にするというお墨付きをもらったわけである。そこで東京工芸大学で教えていた頃の話に書いたように、この指導教授には不思議な性格があり、嫌われている人間から順番に正教員にさせて行った(特に日大芸術学部からの学歴ロンダリング組の世渡りの上手さには逆に尊敬したくなるほど驚かされた)。理由はそれだけではないが、私はアカデミズムの世界は実力だけで決まるものと思っていたので、その指導教授に絶縁状を出して自分の全能力を事業に注ぎ込むと決心してノンバンクから大きな借金をしその利息の返済に追われていた時に妻子が突然失踪したわけである。

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この話と全く関係の無い話をしますが、yahoo無料占いを見ると身近なところに将来の結婚相手がいる、と必ず書いてあります。私が結婚したかった鈴木茂美さん(旧姓)は江戸川区なので身近ではありません。心当たりのある方は私にメールを下さい。但し私は思い切りストライクゾーンが狭いです。つまり相当の美人でないと相手にしませんw