那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

那田塾の思い出

2016年04月23日 | 思い出の記

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(あと一カ月ほどで決定版が出ます。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます。いまのうちに増補改訂版を購入すると非常にお得です。決定版は3千円ですから)http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

増補改訂版を購入された被害者の方から次のようなメールが届きました。

こんにちは那田先生、〇〇です。お忙しい所すみません。まだ毎日嫌がらせされてますが、那田先生のPDFを読んで本当に助かりました。一度きりの人生を創価の外道達に台無しにされないように頑張ります。本当に有り難う御座いました.

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp

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私が大学院の修士論文を書く時に指導教授から「私の研究は広範囲だが、君の研究はオンリーワンの上に深く調べ上げているので私は君を尊敬している。ぜひ博士課程に入って欲しいので200枚以上の修士論文を書くように」と言われましたが精神的葛藤とワープロの操作ミスのために失敗してしまいました。その詳細はhttp://w01.tp1.jp/~a920031141/makino.html をクリックして読んでください。この修士論文が完成していたら私は6年ぶりの早稲田大学演劇映像専修の博士課程に入り、今頃はどこかの教授になっていたでしょう。

そこで2年ほどは論文を書くために郷里と西早稲田を往復していましたが、仕送りも不可能になり妻子を連れて郷里愛媛に戻ることになりました。長女は東京で生まれ3~4歳だったと思います。長男は郷里で生まれたばかりの赤ちゃんでした。この写真は手作りの本棚にギッシリと詰まった映画関係の書籍の中にいる長男の姿です。

最初の3年間は母親に食べさせてもらいながら、脊椎競作と腎臓病とアルコール性肝炎の治療のために静養していました。1年半は禁酒を続けγーGTPが1500から150ほどになったことを覚えています。この間に車の免許を取り、堤防釣りや山菜採集や薬草の採集に打ち込みました。3年ほどたった時のことです。母の知人が、自分の孫が英語の過去形になったとたんに成績が悪くなったので教えてほしいと言ったので、私の書斎に来る、という条件で引き受けることにしました。彼は非常な努力家でしたが成績が悪いためにバカの〇〇と呼ばれて虐められていました。そこで私がたった2か月英語と数学を教えたところ150人の中で100番ほどの成績だったにも係わらず次の定期試験で一気に90人を抜いてトップ点に入りました。

そこで彼を虐めていた連中が焦りはじめ8人ぐらいが私の書斎に集まるようになり自然発生的に那田塾が出来たわけです。最終的には中高生合わせて80人ほどが那田塾の生徒となって年収が1000万ほどになりました。左官屋さんの子供を愛媛大学の医学部に入れたこともあります。例の中傷ブログではそれならその本人の証言を那田塾に書いたらどうだ、と書かれているそうですが(公訴時効があるので私は中傷ブログの一部しか読んでいません)、当然私も彼の証言を得ようと思い郷里の同級生に聞いたところ、医者になって豪邸を立てたために引っ越してしまい住所が分からなくなっていたのです。まさに成功しすぎたために逆に証言が得られないというわけです。

今思えばこの頃が一番楽しい時期でした。子育ては本当に楽しかったし、人間は月収が50万を超えると精神的にも楽になることを知ったからです。

那田塾の思い出はまだまだありますので明日から何回かに分けて書いていくことにします。中には相当にヤバイ話も出て来るので皆さん期待してください。