那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

私が東京工芸大学で教えていた時の話(補筆)

2016年04月18日 | 思い出の記

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(あと一カ月ほどで決定版が出ます。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます。いまのうちに増補改訂版を購入すると非常にお得です。決定版は3千円ですから)http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp

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私が東京工芸大学で教える前に早稲田大学専門学校(現在は芸術学校となって理工学部のキャンパスの中にある)で教えていた時の話である。そこの上司はY野と言って画家であると同時に都市文化論などを書いていた人物だった。早稲田大学専門学校は学生に何をやらせたいのかサッパリ分からないところで「空間芸術」という名前を付けていたが、文学にしろ絵画にしろ映画にしろ空間が無い限りは成立しないのだから不思議な名前を付けたものだと思うし、今でもそう思う。また、私が教授会のような席で、学生たちに作品をコンテストに出させ受賞させるのが早稲田大学専門学校のネームバリューを高める最善の策だ、と提言したところ、他の教授全員が「ここはそういうことをする場所では無い」と言って反対した。本当に何を考えているのか分からない教授たちだった。早稲田大学専門学校を辞職した時、川口に分校があるからそこに行かないかと言われたが遠いので断った。後日調べて見ると案の定川口の分校は潰れていた。また私は当時中央義士会の会員だったので理事長から依頼を受け、オープンキャンパスでもいいから義士会の運営資金にするために講義させてほしいと言われたので、私がY野にその旨を伝えたところ、完全に無視されたことも思い出す。

これとは何の関係もない話だが、元日本映像学会の会長で実験映画の理論的支柱であった松本俊夫先生からも東北芸術工科大学に教授になって赴任するように言われたときも家族と一緒に住めないという理由と寒さが苦手なので返事を出さなかった(もったいないと思われるかもしれないが、私はそのような性格なのだから仕方ない)。

授業を始める前に学生を喜ばせるネタを毎回考えていたが幾つかを披露したいと思う。

八王子の自宅から元厚木にある東京工芸大学に車で通うには八王子バイパスを抜けて片側二車線の国道を通らなければならない。普通の車は左側車線だけを走っているが右車線に車がいない時は安全に運転するならどれだけスピードを出しても構わないと教えたものだった。ネズミ捕りをするには相模川に掛かる橋を通り抜けた左側に小さな小道があり、そこにパトカーがいれば危険だがいない時はどれほど飛ばしても覆面パトカーに捕まらない限りは安全なのである。覆面パトカーの見破り方はみなさんもご存じだと思うが、必ずセダンで助手席にもう一人乗っているから非常に分かりやすい。つまりトラックや軽自動車やバンなどが後ろにいるときはあくまでも安全運転という条件の下でいくらスピードを出しても構わないのである。

またスーパーやコンビニから車を出そうとしている人を見つけた場合はブレーキをポンピングさせて後ろの車に知らせてその車を先に行かせるようにとも教えた。特に若くて奇麗な女性の場合は、ニッコリ笑って手でも振っておくといい。人生には何が起こるか分からないのだから、たまたまスナックなどで隣に居合わせた人がその時の女性だった可能性もある。その時、あの時助けてくれたのはあなたでしたのね、と言われて恋に落ちる可能性もあるからだ。

また思春期の男が付き合って欲しいと言う意味は、早い話ヤラセて欲しいと言うことだ、というと男子学生が喝采の拍手をしただけでなく女子学生にも大いに受けた(猥談に喜ぶのは大抵女性の方である)。

また彼女が欲しければ片っ端から声をかけることとも教えた。要するに「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」という諺の通りである。

それから後日創価の工作員が私の母を脅迫しに来た原因になった授業中の言葉について解説する。松山に住む工作員(名前は織田、共犯)が母に向かって息子さんは大学で創価学会の悪口を言った、これを私がマスコミに売ったら息子さんは大学をクビになりますよ、と言ったが実際は全く違っている。当時、創価学会批判のバイブルと呼ばれた「創価学会批判の要諦」(阿修羅など様々なサイトで引用されている)のことを学生に教え、この中に創価学会員がいるのであれば「創価学会批判の要諦」を幹部に見せて反論を持って来るようにと言ったに過ぎない。

最終授業は稲垣浩の「無法松の一生」(三船敏郎版)だった。それまで実験映像論を教えていたので最後ぐらいは泣ける映画を見せて上げたいと思ったからだ。三船敏郎版はバンツマ版で検閲によりカットされた部分を忠実に補ったものである。既にこの作品において稲垣浩は「パンフォーカス」の技術を使っており、前景では無法松が泣いているボンボンをあやし、後景では人力車に取り残された田舎紳士が怒っている、という場面がある。パンフォーカスと言えば普通の学者は「市民ケーン」を引き合いに出すだけだが、戦前の日本映画は既に前衛映画の研究を徹底的に行っていた証拠のような映画が「無法松の一生」なのだ。そこで私は東京工芸大が私の改革案を受け入れたなら稲垣浩論だけで一年間の授業を行うつもりだったが、東京工芸大学は私の改革案を受け入れないばかりが退職金すら払わなかった。

学生のレポートには「なぜ那田先生が非常勤講師でなぜ〇〇先生が教授なのか分からない」というものや「那田先生が辞めたら東京工芸大学はタダのバカ校になるので絶対に辞めないで下さい」というものなど引き留める声が書かれたレポートが一杯あった。今でもそれらのレポートは段ボール一箱分に残っている。この話を以前ブログでしたところヤレヤレと名乗る創価の工作員がコメントを入れて「禅をやっているのなら執着しない筈。そんなことを書いているのは本当の禅ではない」と書いて来たが、本当の禅の精神とは「無執着にも執着しない」ということがヤレヤレ君には全く分かっていないのだろう。そういえば最近ヤレヤレ君の姿を見ることが無くなってしまった。寂しいからたまには現れて欲しいものだと思う。

以上で「私が東京工芸大学で教えていた時の話」を終えることにする。