那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

一休宗純師の歌

2013年02月27日 | 風狂考察
20代から30代「よく学びよく遊べ」の精神で生きていた頃、笑いや風狂に興味を持ち資料を集めていた時期がある。
 映画映像研究は非常に間口が広く、機材論、技術論、映画映像理論、理論史、映画史、記号論、心理学、などは勿論、歴史や世相などなど、総合芸術だけあって研究も自ずから総合的になってくる。古本屋巡りをしていると片っ端から買わないといけない状態になり、そういう生活の中で何かのきっかけで「風狂論」を書きたい気持ちが生まれたのだろう。
 現在は必要最低限のもの以外は処分しているが、一休禅師のことを最近書いたついでにここで彼のエピソードと歌をネットから引用して紹介することにする。

一見ニヒリズムやナンセンスのようでも、一休さんの風狂の世界には現代を生き抜くヒントが豊富に詰まっていると思える。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%BC%91%E5%AE%97%E7%B4%94

応永22年(1415年)に京都の大徳寺の高僧、華叟宗曇(かそうそうどん)の弟子となる。「洞山三頓の棒」という公案に対し、「有ろじより 無ろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」と答えたことから華叟より一休の道号を授かる。なお「有ろじ(有漏路)」とは迷い(煩悩)の世界、「無ろじ(無漏路)」とは悟り(仏)の世界を指す。

1481年、88歳で酬恩庵においてマラリアにより没した。臨終に際し、「死にとうない」と述べたと伝わる。(那田注:山本玄峰師は臨終のとき「旅に出る、支度をせい」と述べた。両極端の言葉で興味深い)

http://i.prodr.com/zen/z-19.html

 親当は一休に尋ねる 邪正一如とは何か?
(邪と正とは別々ではなくて、一つの心から
 出たものだから、もとは同一という事)とは?

一休は歌で答える。
 「生まれては 死ぬるなるけり
  おしなべて 釈迦も達磨も猫も杓子も」


 親当は 空即是色とは何か?

一休は歌で
 「白露の おのが姿は 其のままに
  もみじにおける くれないの露」


 親当  色即是空は如何に?

一休は
 「花を見よ 色香も共に 散り果てて
  心無くても 春は来にけり」


 親当  仏法とは一口に言えば?

一休「仏法は なべのさかやき 石のひげ
   絵にかく竹の ともずれの音」

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『道歌問答』

一休・・門松は めいどのたびの一里塚
   馬かごもなく とまりやもなし・・

 親当・・年越は めいどの旅の問屋場か
   月日の飛脚 あしをとどめず・・・

一休・・光陰は 矢ばせを渡る舟よりも
   はやいとしらばすえを三井寺・・

 親当・・分限に 粟津にゼゼをつかうなよ
   こころ堅田に しまつからさき・・

一休・・金銀は 慈悲と情けと義理と恥じ
   身の一代に つかうためなり・・・

 親当・・世の中に 負者有徳者苦者楽者
   なん者か者とて末はむしゃくしゃ・

一休・・今日ほめて 明日わるく言う人の口
   泣くも笑うも 嘘の世の中・・・・

 親当・・世の中に 乗合舟のかりすまい
   よしあしともに 名所旧跡・・・

   一休も やぶれ衣で出る時は
   乞食坊主と人はいうらむ・・・

一休・・袈裟衣 有り難そうに見ゆるども
   これも俗家の他力本願・・・
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この問答はまだまだ続いていく。興味のある方はurlをご覧下さい。