那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

「思い出の記」でも書いていこうか?

2013年02月04日 | 思い出の記

このところプライベートが多忙なので昨日はコメントに答えるだけで終わった。

この3日で訪問者が二人あり、ともに新鮮な空気を吹き込んでくれた。

その内の一人は信仰の関係者。この人は霊感が強く人生の曲がり角やトラブルの真っ最中に突然洗われる

今回も介護倒れの最中、色々な決断をしなければならないときに実に的確にアドバイスして頂いた。「必ずいい方向へ向かう。文筆活動で新しい道が開ける」との言葉だった。

これは以前から言われていた。私は器用貧乏の典型的な性格で、一点集中ではなく、多点同時進行のタイプだから、若く健康なときはそれが可能だったが、家庭のトラブルや、大病など、歯車が一つ欠けると、連鎖的に共倒れになる傾向がある。

私の父は明治生まれの教育家だけあって人を見る目が凄かった。「お前は弁護士が一番合っている」、また「九仭の功を一簣に虧くタイプだから注意せよ」など、資質を見抜いていた。

父の言いつけに従っていれば良かったが、芸術という一番お金にならない分野を選んだ。早大一文と滑り止めの教育学部に両方合格したとき、母親は教育学部を勧めたが父親は「本人がやりたいようにやらせたらいい」と言って、入学後は文学全集を送る、と言ってくれたが「大抵のものは読み終えているからいい」と断った。

文章能力があるというのは子供の頃から言われ、今でも知り合いの多くがそう言ってくれる。「半分の力で書け」とよく言われるけれど、私は2割の力で書いている。微笑禅の会を作ったころからは、美文に拘らず、意味だけ伝わればいい、という究極の手抜きで書いているが、他人がそう言うのなら、信じていいのかもしれない。

しかしこの大不況、出版業界も大抵が自費出版でどうにか切り抜けている状態だから、文筆で身を立てるのは非常に難しい。来訪者は冗談交じりに「直木賞をとりますよ」と言われた。けれど私は以前書いたように、こういうものは談合で決まっていると思うし、私のような危険人物(噂ではそうらしいw)がマスメディアで活躍できるとは思っていない。

が、一人で正しい答えを出そうとするよりは、こういう第三者の言葉に耳を傾け素直に言うとおりにしてみようかな、とも考えている。

以前予告したように、特別な話題がないときは物心が付いたころからの思い出を少しずつ書いていくのもいいかなと考えている。
 勝小吉が「俺がどんなバカだったか子孫の戒めになるように」と書いた『夢酔独言』を読んだときからこの構想があった。

そういうわけで、閑話休題的に長編小説をポツリポツリ書いて行くので、乞うご期待。