篆刻の合刻(合作)

2024-03-18 20:07:44 | 篆刻

ご紹介の作品は著名な書家、篆刻家の合刻(合作)で、めったに見かけません。

昭和の三筆と言われる西川寧氏(1902~1989)は書家で中國文学者

篆刻家で有名な松丸東魚氏(1901~1975)

書道家で大東文化大学書道研究所初代所長で現代書道20人展でもご存知の 今井凌雪氏(1922~2011)

西川氏51歳、松丸氏52歳、今井氏31歳の時(昭和28年)の制作です。

場所は高野山 遍照光院と記録されています。

合刻とは珍しく、どういうご関係か、またその経緯で高野山の遍照光院で制作されたのか

興味がありますが詳しくは分かりません。

「草堂静」という作品ですが作風のバランスも絶妙です。

般若湯でも口にされながら制作されたのでしょうか。

遍照光院は堂々たる唐門を構え格式を感じます(写真は引用)

制作風景を想像しますと映像のワンシーンのようです。

 

小生はこうした機会は訪れず残念!

 

 


千円での楽しみ方

2024-03-17 15:49:40 | 篆刻

わが身の「気持ち・気力」と「体力の減退」の乖離を自覚せざるを得なくなりますと、

楽しみ方も年ごとに変化しつつあります。

ドライブも長距離はムリ、外食も焼肉などこってり系は縁遠く、登山も諦め、読書も分厚い本は

視力、集中力で敬遠というボヤキ節です。

 

偶々、篆刻の「市島春城ー垂涎のコレクション」があることを知り、それを辿っていきますと

早稲田大学會津八一記念博物館・発行の

「旧富岡美術館所蔵 市島春城印章コレクション総目録」という図録を

知りました。

「垂涎」という言葉に引き寄せられた感じです。

総頁数195ページ、上質本が千円!(郵送代別)

図録というのは、どこから開いても自由、気楽に見ることができます。

篆刻作品を制作することはめっきり減り、鑑賞の方が主になってきました。

 雑誌「墨」でかなり以前の紹介です

 内容の一部です

図録が自宅に届き、パラパラとページを捲りながら眺めているときは至福のひと時です。

至福の時というのは様々なシーンであると思いますが、本との出会いもそのひとつですね。

 

市島春城についての紹介文には大隈重信とともに早稲田大学の創設に関わった人だそうです。

コレクションには池大雅ほか江戸時代から昭和初期に至る著名な画家,書家、政治家などの

使用印や蔵書印が含まれている、と記載されています。

実際の印材を見てみたいものですが、田舎暮らしの小生には到底ムリです。

体力は劣化しても本を開く楽しみはあり、上記の記念館より取り寄せできました。

千円で心豊かな気持に何度も浸れる、贅沢な気分です。

 

 


翠軒流・書道展

2024-03-16 12:51:28 | 日記

仮名作品の書道展の案内ハガキを頂き、知人の女性おふたりと共に拝見しました。

翠軒流という故・鈴木翠軒氏(1889~1976)の流れを汲む書道展です。

展示場の中心には翠軒氏の小品作品が掲示されていました。

翠軒氏は生誕135年ですが現在も脈々として書道界に影響を与えている書家といえると思います。

書道で〇〇流というのは鈴木翠軒氏しか小生は聞いたことがありません。

 鈴木翠軒氏は昭和戦前の国定教科書書方手本の作者として有名です

 愛知県田原市出身で、写真は引用です                                  

こうした書道作品展会場に参りますと同業の方の来場が多く、数年振りに何人かの方と再会しました。

「いやあ、久しぶりですね、すっかりご無沙汰ですがお元気そうですね!」

というような会話が交わされます。

かっての篆刻の仲間にも数人の方にお会いし旧交を温める感じです。

交流の場って、いろいろありますね。

 


歯のメンテナンス

2024-03-13 18:29:06 | 日記

歯のメンテナスは予防医療の目的で定期的に歯科医院に通っています。

現時点で自分の歯は16本、何とかこの本数を維持したいと考えながら、ですが。

 

某日、ご近所の方との雑談で歯科医院の話題となり(試しに歯医者を変えてみよう)と早速に行動しました。

従来の医院は開院数年後で小ぎれいな雰囲気で受付に2名、スタッフは院長含め7~8人の構成のようですです。

予約は「定期的なメンテです」と伝えていて、メンテ以外の処置はありません。

 

変更後の医院は小さな病院で昭和的な雰囲気、院長さんと看護婦さん2人だけ計3人です。

常駐の受付の人はおられません。

「この箇所がちょっと気になりますのでクリーニングとは別にレントゲンを撮りますね」

「予想以上にこの前歯の下がヤラレテいて、このままですとちょっとマズイですね」

「根本的な治療は難しく、噛むという機能を残す方法は2通りありますが」

そこで小生は

「残り人生考えますと、まあ耐用年数5~6年程度で良いですから歯として機能できるようにお願いします!

 抜くことは止めてください!」

先生は笑いながら

「分かりました!

 それでは・・・」

と1時間10分に及ぶ治療時間でした。

「先生の治療方針は完璧を目指されるんですね!」

笑っておられましたが。

治療も一般的と根本的と2通りあるような気持ちになりました。

 

 

 

 

 

 


棟方志功と「手紙の書き方」

2024-03-11 18:57:25 | 日記

愛知県「一宮市博物館」で「版画芸術」開催中でしたので見学しました。

この展覧会の趣旨は棟方志功と一宮市出身の詩人、佐藤一英の詩「大和し美し」との関係がメインのようです。

佐藤一英(1899~1979)は1933年に「大和し美し」の詩を発表。

棟方志功(1903~1975)は1936年にその「大和し美し」を版画絵巻として国画会に連作20枚からなる作品を発表。

版画の上で絵巻物を作ろう、と思い立って制作したのが「大和し美し」とされています。

この頃、棟方志功は貧乏のどん底だったと語っています。

 

 これは日本郵便から引用。

作品とは別に棟方志功の手紙(封書)も展示されていました。

撮影禁止ですので引用写真になります。

「○○先生 侍史」と書かれています。

棟方志功の出した手紙の宛先には「様」「先生」「侍史」などあり細やかや心配りを感じます。

小生はかなり以前ですが近くの病院から大病院への紹介状に「〇〇先生 御侍史」と記載されていた時に

そうした尊敬語を覚えた記憶があります。

 

棟方志功の自叙伝「板極道」を読みましてもひたむきで純粋な心が偉大な画業に繋がったように感じます。