シンガー『ナターシャ』のブログ

関西・東京・名古屋・広島、そして台湾もグローバルに歌うシンガーソングライター、jazzシンガーナターシャのブログです

履歴書その2

2007-07-31 | おもうこと
前回の「履歴書その1」の続きです。

日本に帰って、変な、今なら一日でやめるような仕事をいくつかしました。その当時私は自分自身のセンターに全く居れなかった時代なので当たり前の結果ですが・・。そのうちやっぱり教える仕事がしたいと思うようになりました。

あるとき、本屋で「七田式バイリンガル教育」という本に出合います。本当に興奮したのを覚えています。私たちが大学院で学んだこともたくさん出ていますが、脳のこと・・それは、私には全く未知の世界・・を知り、今まではこれをカバーしてなかったな・・と思ったのでした。それから七田式の本部に電話して、英語を教えたい旨伝えると紹介してくれたので、初めて本当に小さい子供たちと触れることになりました。

昼は子供、夜は大人を教えていましたが、何年かしてから昼間に調理師学校に行くことにしたので、夜の大人一本にしぼり、その後も料亭で板さんのお手伝いの仕事をするようになり、昼は板さん、夜は英会話の先生の二足のわらじ状態を経験し、最後には体がついてこなかったので、また英会話の先生に。

ということで、私は2歳から、幼稚園、小学生、中高、大学生、大人・・と全ての世代に接したことになります。

幼稚園、がんばっても小学生低学年までには、私は絶大な人気をほこります。「僕先生とずっとここに居たい」「せんせいの怒った顔も好き(この時は照れた自分もちょっと情けなかったが・・)」など、口説かれまくりでした。「ああ、これがあと20年してから、あるいは君がせめて20歳プラスだったら私はどれだけ嬉しいだろうか・・。」と何度思ったことでしょう。マジに年の差を計算しました。

これが中学生になると私はどうやって彼らと接していいのかわからないのでした。小さい子らにはちゃんと褒めてあげられるし、ハグもいっぱいしてあげれるし、だ~いすきって言ってあげられるし・・。しかし、あるとき私は気がついたのです。自分の中学生の時代を許せないものを彼らに投影しているんではないかと。

私はすごくいやな中学生でした。女子高という自分に馴染まない環境だったこともありましたが、自分より英語のできない先生を馬鹿にするような、人を傷つけてもその人の痛みなんてこれっぽっちも分からない中学生でした。

その許せない時代の自分を目の前に居る中学生に投影しているから、彼らを認め、愛を与えることができないというのを、2ヶ月の入院中に思い出したのです。全ては鏡なのです。少しずつ中学生時代の自分を許すようになって、彼らとの距離も近づいてきたような気がします。

しかし、何度言っても授業中机に足をのせて、私の話を聞かない生徒を前に「自分で蒔いた種は自分で刈る」という言葉を何度も思い出しました。ここまで態度は悪くなかったけど、先生の話している間によくおしゃべりして怒られていました・・私。

さて、私があらゆる世代を通して一番学んだことはなんだったでしょう。それは、「人間は人に認められたいんだ」ということでした。

先生というのは特殊な存在です。私も自分が生徒の立場に立つとよく分かるのですが、先生に名前を覚えてもらえないと結構ショックだったりします。外国でクラスを取ると語学力だけでなくアピール力というか、「私が私が・・」という文化の中で育っていない日本人はややもすれば影が薄くなるような気がするのです。

実際自分が教えているときは、アピール力があろうがなかろうが存在感にはあまり関係ないのですが、とにかく先生に名前や顔を覚えてもらえないと、いい年してもガックリくることを考えても、先生には認めて欲しいのです。

子供は素直だから、「せんせい、せんせい」「こっちむいて」と必死になって注意をひこうとします。それが素直だからこっちも「かわいいなあ~」と思えるのですが、これが年をとってくると反抗して、反発して先生の気を引こうとするわけです。傍から見てたらかわいいな~とも思えますが、実際自分がその場に居ると私も許容範囲の小さい人間なんで「き~っ」となってました。

大人になるともっと複雑です。きっと褒められたら嬉しいだろうけど、それを顔に出すことすら禁じている人もいます。もっと愛を注いだら殻がはずれて心と心からのキャッチボールができたのでしょうが、そのときの私は自分がカラカラだったから人に流す愛の持ち合わせがなかったのです。

しかしどの世代も欲求は一緒。「認められたい。」

これを深く深く見てみると、誰に一体認められたいのか・・行き着くところは「親」じゃないかなって思います。私たちが一番最初に出会う人。

子供は大好きな大好きなお母さんやお父さんから認めてもらうために、愛されるために、どんなことだってするのです。でも、それが認めてもらえなかった、愛されなかった・・と子供の頭で勘違いしている場合が多いですが、その分を周りの人から認めてもらえることで埋め合わせしようとします。

こんなことは心理学の本に山ほど書いていることだろうけど、全ての世代と接することができたお陰で「人間の認められたい欲求」がどの世代でもあることを実際学ばせてもらいました。

実際自分の心の玉ねぎの皮むきをしていると、出てくる不安や恐れに「なぜそう思うの?」「誰がそれ言ったの?」と自問自答していくと深~い深~いところで「親がそう言ってた」というのがでてきます。子供の親への愛ってすごいですよね。親に認められたいために勝手にプログラム組んじゃうんですから。

人から認められたい~という欲求をなくすことは超人技でなかなかできないし、なくす必要もないんだろうけど、でも自分で自分を認める・・こんな私でいいんだよ~と認めることができたら、不必要に人から認めてもらわないでもよくなりますよね。そして不必要に頑張ることも、必死になることも(必ず死ぬっていやや・・)。

それが語学を教えることを通して私がいただいた最大のギフトです。

履歴書その1

2007-07-30 | おもうこと
今日は満月ですねえ。天気がよかったからか、すごくはっきりくっきりの美しいお月様です。

昨日のブログのコメントを読ませていただいたり、書いたりしていて色々思い出しました。私が今まで英語や日本語を教える仕事をしてきて、ラッキーだったと思うことは色々ありますが、全ての世代と接したというのは大きなギフトでした。

アメリカで修士を終え、勉強したことをこれから実践でいかすぞ~と張り切っていた私が初めて教える仕事をしたのは、ミネソタのキャンプで日本語を教える仕事でした。6才から18才の子供たちと生活を共にし日本語を教えるのですが、教えるためのちゃんとした資格を持っているということで、若干ペイのいい高校生担当になりました。

クラス(といっても外ですけどね)で教えるのは別にいいのですが、困ったのは高校生と共に寝泊りする暮らし。アメリカの女子高生・・今なら日本の女子高生も負けてないでしょうが、朝、私の目を覚まさせるのは彼女たちの香水やヘアスプレーの混じった臭い。

洗面所はすね毛をそる子らや髪をとかす女子高生で占領されっぱなし。ちなみにワキ毛は気にしないのにすね毛は気にする・・文化の違いは面白いです。私は日本語を教える以前の生活態度やしつけの先生の仕事に疲れ果て、これから教えるのは絶対大人!と誓ったのでした。

必死の履歴書送付の功が奏し、UCLAのExtensionというところで日本語を教えることができました。生徒さんは年齢もばらばら。単位も出るので高校生や大学生は勿論、社会人、上はリタイアーした人、(退役軍人も結構いたなあ。昔、日本に駐留していた人たち)など色んな人が居て楽しく(ハリウッドが近かったので映画関係者も多数)自分の学んだことを活かせる仕事だったので、夜な夜な教材を作っていました。

自分の生まれ育った国のことをこんなにも熱心に学ぼうとしている人に「魔法をかけて日本語ぺらぺらにしてあげたい」といつも思っていました。今から考えてもあの情熱はすごかった。あそこまでする先生いないわな~というくらい・・。

最初UCLAの面接で「Evaluation(生徒からの評価)が半分以下なら即クビです」と言われ、最初は「ひええ。やっとつかんだ仕事絶対放したくない」という一心と自分の英語力に自信がなかったので面白いジョークも言えないし(アメリカでは必須です)、それなら一生懸命さで勝負!でしたが本当に魂から情熱を注いだ仕事でした。その後、あのときのようなエネルギー、情熱を注げるような仕事を追い求めて何年も色々なことにチャレンジしましたが何一つなかった・・くらいです。

シンガポールでは、最初企業で働いていましたが、その後、二つある大学で日本語を教えました。アメリカでバンバン質問してくる生徒さんたちに鍛えられていた私としては、日本みたいな感じだな~という印象を受けました。アメリカでは退屈な授業をしたら本能に近い彼らはほんと退屈そうにするので、いかに間をもたすか・・が重要でしたので、たくさんの絵を使いゲームを使い、いかにcreativeであるかが勝負でしたが、シンガポールでは教科書とプリント以外、例えば絵を使ったりすると「遊び」だと思われそれまでおとなしかった生徒が私語だらけになったり・・。

長くなってしまったので・・つづく。

キッズキネシ

2007-07-29 | Weblog
昨日は姪(10歳)と甥(6歳)と「ドルフィンブルー」というイルカの映画を見にいきました。彼らと映画に行く楽しみは、一生懸命に画面を見ているキラキラした瞳をチロチロ盗み見すること。

彼らは大人に比べると頭に入っているサンプルが少ないので、大人なら「この展開なら次はこうだろうな~」というのが予想つくのですが、彼らは「えっ、なんで、なんでそうなるの」とびっくりしています。それを見るのはとても新鮮だし、彼らの見方が私とは全く違う見方なのですごく勉強になります。

例えばAの場面がBの場面に続くのは大人なら自然に思えるのですが、その自然だと思っているのは「だいたいこうなる」という自分の人生の経験や見た映画やドラマ、小説から来ています。しかし、それが大人が「人生の展開ってこんなもの」と決め付けてしまっているような気もするんですよね。

映画の後は我が家にやってきて遊んだのですが、私は子供を教えていたから教材のおもちゃや人形や100円ショップで買ったゲームがたっくさ~んあるので、いつ子供が遊びに来てもウエルカムなのです。

色々な遊びをしたのですが、10歳の姪は早くもタロットカードに興味を持っているので、私は高校生の頃に買ったタロットカードを久しぶりに出してきました。私も詳しくないので、一枚だけ引いてみることにしました。私も調子に乗ってきて「キネシで一枚自分に必要なカードを選んでみよう!」とキネシで選ぶと「勤勉とか集中」のカード。

「勉強するときに集中とかできなかったり、イライラするの?」ときくと素直に「そうなんだよね~」と答えるので、何かヘルプになることあるかな~と考えていたら、「なにこれ?」とアロマオイルの箱を見つけてきたので「自分に必要なオイル選んでみる?」とまたもやキネシで選ぶと面白い結果が・・Peace & calmingというブレンドオイル。集中するペパーミントとかかな~と思っていたのですが、イライラするのを和らげるオイルが出てくるとは・・さすがキネシ。そして彼女はその香りを「いいかおり」と気にいってたようでした。

そうすると、甥(6歳)も「ぼくもやって~」と言うので、今度はフラワー&シーエッセンスのカードをキネシで選んでみました。彼のカードは「くらげ」。くらげは透明だからどんなものでも見える。ゆらゆらどこにでも泳いでいけるからどこへでも行ける・・つまり無限の可能性のカードでした。「いい? ど~んなことでもできるんだよ。自分でできないって思ったらできないけど、できるって思ったらできるからね」と補足説明。

ちなみにこのカード英語で書かれているのですが、英語を読むと二人から「すっご~い、かっこいい~」と言われるので調子にのってリピートしてしまいました。子供の歓声ほど私を調子に乗らせるものはない・・。

うちに遊びに来る大人に対してする遊びを初めて子供にやってみましたが、むちゃくちゃ盛り上がりました。キネシの筋反射テストも子供は素直だからかすごく分かりやすいし。

姪の不得意な「算数」という言葉でキネシでチェックするとOFFになっていたので、もう体に苦手意識が入っているんだろうな~この心のブロックを何でとったらいいかな~と色々考えています、私。

自分を見つめだすと誰でも分かることですが、子供時代のインプットはその後の人生に本当に大きい影響を与えます。だから、子供達にこそ無限の可能性があることをどうしても伝えたい。

私は人生の中でどうしてもやりたいことの一つに、子供のことがあります。自分の子供、自分の甥や姪だけでなく、全ての子供に伝えたいメッセージがあります。今はまだどんな形になるか分かりませんが、最近周りで子供の活動をし始める人たちがでてきたので、私もその時期が近くになってきたのかもしれません。

人生で一番好きなこと何? 一番楽しいこと何?って聞かれたら、やっぱり子供と遊ぶことかな。きっと彼らと居ると何も取り繕わないでいいし、ハートをオープンにできるからでしょう。

エルム

2007-07-27 | Weblog
昨日から一泊で有馬温泉に行ってきました。今回は旅館が持っている森の中のロッジに泊まったので、緑の中で「ホ~ホケキョ」と鳴く鳥やチロチロ鳴く虫に囲まれ、温泉につかり「ぼ~」っとした素晴らしい時間を仲間と過ごしました。

色々な打ち合わせを含め、ゆっくりみんなで話す合宿でしたが、パワーでいっぱいになり、そしてまた穏やかな気持ちになりました。

しかし、不思議なものです。
私にこんな仲間ができるとは夢にも思っていませんでした。

何度もここにも書いていますが、「自分の病気は自分で治す」と決めたときから人生の流れが変わりました。そして、「私は今までの人生で夢を全部叶えた。もう自分の事はやりきったから、何か人のお役にたてることがしたい」と宇宙に言った日から流れは加速していきました。

同じ方向を向いている人達に出逢い、たくさんの浄化がおこりました。大きなトラウマが出てきては捨て・・を繰り返しているうちに、色々な仕事、お役目をいただくようになりました。

今までは自分の夢を実現する為に一生懸命でした。でも、今は進む方向は決まっているけど、「何」がやってくるかは全くわかりません。宇宙にお任せ状態です。例えば通訳のお仕事も私の成長に必要だから来るのであって、もし他の形がベストな成長の機会になるなら他のものが来るわけだから、来たら来たで嬉しいし来ないなら来ないで意味のあることだなって思うので、無理に営業がんばらないと~なんて全くないので、そういう意味ではとても楽な状態です。

が、正直最近は不安も浮上していました。色々な方面からどんどんやってくるお役目に対して「私に本当にそんなことできるのだろうか?」と。ちっぽけな自分が顔を覗かせてくるのです。

昔の私なら「何甘えたこと言うの。チャンスはつかまなくっちゃ。頑張れ!」と自分の不安に向き合うことをせず、弱音を言う自分に鞭打つ・・つまり、自分の不安をごまかしていたでしょう。

しかし、出てきた感情には意味があるのです。今回はしっかり自分の不安を味わうことにしました。「人間だもん不安があって当然。初めてのこんなたくさんの大役にびびるのもしょうがない。泣きたかったら泣いたらいいし、逃げ出したかったら逃げ出してもいい。」と自分に言うと、面白いことが起こりました。

なぜか亀がでてきました。

私、亀でいいやって。行く方向だけ知っているから、どれだけゆっくりでもいいから歩いていこうって。

できないこともあるかもしれない・・それでもいいや。
そのことで誰かに迷惑かけるかもしれない・・それでも、う~ん・・(小声で)いいや。でも歩くことだけは決めようって・・穏やかな気持ちになってきました。

自分の力不足で人の迷惑になることを恐れていたのです・・って、そう言われて育ってきたから当たり前ですが。

それよりも大事なことは歩いていくこと。

「自分を愛で満たして、それを回りに広げていくこと」これは、全ての魂の目的地だと私は思っています。自分が満たされてないのに、人を満たそうとして何度も痛い目をしてきました。自分が愛に飢えているから人を満たすことなんてできるわけがなく、本当はからっぽの自分を満たそうと人から奪おうとしていたのでした。

同じ方向を向いている仲間と素晴らしい時間を過ごして、不安もどっかに行ってしまいました。みんなでいると「これもやりたい」「あれもやろう」とすごいパワーが生まれます。一人では腰が引けることも、仲間がいればできる気がするのです。

新しいことをやるときは絶対「不安」はでてくるはず。でてきたら「おう、でてきたでてきた」って可愛がってあげようと思います。

ちなみに、今回背中を押してもらったのは、バッチのフラワーエッセンス「エルム」~責任の重さに押しつぶされて自信がなくなっている状態に~。

自然の恵みに感謝です。



風水

2007-07-25 | 近況・イベント
この週末は風水の勉強に行ってきました。それもカナダ人による風水。

風水は知りたいと思いつつやり出したら深いだろうし、そこまで深く勉強しなくてもさらっと全体的に学べるところ無いかしら・・と思っていたらグッドタイミングでセミナー発見。カナダ人というのがまた面白そうでした。申し込んだ時にちょうど「セミナー後の10分間の個人コンサルテーション、今キャンセルが出たのですがどうですか?」と言われ即申し込み、見取り図やら部屋の写真やらを持参し参加したのでした。

まずは主催者さんのお話で「風水は家から要らない物がなくなって、片付いているというのが前提です」との事。「よかった~疲労困憊したけど6月中に私はかなり片付けたもんな~」と安心。

そして、先生登場で風水がなぜ生まれたのか、その歴史、中国古代の風水を忠実に守ろうとする派や先生のようにもっと実用的に風水を使う派などの背景など説明してもらうと、巷の風水本を読んだときに出る疑問なども「なるほどな」と解消されました。

先生の風水は方位をあまり気にせず、家、部屋の中での「ここは財の場所」「ここはキャリアの場所」などを設定し、それと五行の元素(水、火、気、土、金)を加えるものでした。でも例えばトイレが水の場所だから「火」が必要だからといって「赤い火の形のものをトイレにぶらさげていては変だ」という観点で、もっと実用的に、クリエーティブに、そしてアーティステックに!という考えは共感できました。

たくさんのテクニック、情報を2日間通して学びましたが、「宇宙は全て気=エネルギーの流れだ」とか「自分の思う道筋じゃないかもしれないけれど、自分をオープンにしていたら宇宙が早く目的地まで連れて行ってくれる」とか素敵な言葉がちりばめられていました。

例えば自然界にはま~っすぐな線というのはほとんど無いわけです。目に見えない音だって波形、光も波形、命、心臓もモニターで見ると波形(直線だったら死んでいます)でも私たちは道路にせよ真っ直ぐなものに囲まれています。真っ直ぐだと目の前の目的地、ゴール、次のゴールにフォーカスしてしまい、曲がりくねった道を通ったときの景色の違いなど楽しむ余裕はありません。

でも人生は目的地でなく旅なのです~Life is a journey, not a destination~・・ということで、直線に囲まれた部屋に居るとそれなりの防御、工夫が必要であるということです。しかし「人生とはどれだけ楽しめるか」というのは、私が通訳するヒーラーが一斉に言う言葉です。確かにこれこそ宇宙の真理なんでしょうね。

そして、どれだけ自分の住む環境が大事かということ。企業は数秒のCMに莫大なお金をつぎ込んでいます。それは例え数秒でも人々にインパクトを与え商品購買に繋がるからです。数秒でも自分たちに影響を与える映像・・ということは家で見ている物の影響を受けているのは当たり前で、家に居る間、仕事場にいる間、その環境に身を置くというのは視界からの影響だけでなく、その場のエネルギーにマリネされているのと同じ・・もっともです。

本当に受けてよかったなあと思うセミナーでした。情報量もすごいけれど、話をきいていると 財、キャリア、愛や縁、誉、などの分野で自分の内側で何が流れをと滞らせているのかを気づくこともできました。

最近感じていながら押し込めていた仕事に対する不安・・がコンサルティングを受けている時「キャリア」のところで心がぴくってしたのをきっかけに浮上してきました。今はちょっとその不安を見つめて、そして手放し中です。

そして、外側からも家具の位置変えたり、アーティスティックに部屋をアレンジしたり・・楽しみです。次の週末は時間があるから、お裁縫しちゃおう!








江原さん

2007-07-20 | Weblog
今日はシャンカリさんというスピリチュアル・ジュエリーデザイナーの通訳でした。彼女のジュエリーは独特で石もきれいし、デザインも面白いから見ていたら欲しくなってしまいます。

彼女も豪快な女性で、特に笑い声が大きくて面白くて、そしてクライアントさんに対して耳障りのいい言葉だけでなく、正直な率直なコメントをするのに心打たれました。

しかし笑い声って大事ですよね。彼女自身も辛いことがあったら「にこっ」とはちきれんばかりの笑顔をするように心がけていると言っていましたが、口角を上げて顔の筋肉をアップすると脳にいい物質がでてくるとか・・確かに、にこってして暗い言葉言うのって難しいですもんね。

笑い声のお陰か、今日は1時から9時までほとんど休憩なしでしたが、今も全然疲れてなくて、ブログを書く余裕すらあります。

今週の月曜日の祝日はホリスティック医学協会のシンポジウムに行ってきました。1600人の会場が満員・・これだけの人がホリスティック医療に興味を持っているって「時代がやってきたな」という感じがしました。

今回の講演はホリスティック医学協会の会長さんである帯津良一先生、臨死体験で大きく人生を変えられた鈴木秀子さん、そしてテレビでおなじみの江原啓之さんでした。江原さんが医療のシンポジウムに・・と聞いたときは「おう、すごい。そんな時代がやってきたか。」と思いました。医療とは死と向かいあう分野であるし、体は心や魂と深く関わっていると思うからです。

感想は「行ってよかった」。江原さんは本当に話が上手で面白かったし、そしてテレビとは違ってすごくはっきりと自分の意見を言っていたのが印象的でした。ご自分でも「今日の私はオーラの泉のようにニコニコ笑っている私ではありませんよ。あれは黄色い髪の毛の方の番組ですからね」と。

彼は「医療におけるスピリチュアルケア」について話されました。そして自分が一番したいことというのは、死を目前にした人達のケアだということ。死後の世界を感じれる自分だからこそ、死は誰にでもやってくるもので怖いものではないということを知ってほしい・・そして、死をみつめることによって生きている今を充実させて欲しい・・と。

ということで、「緩和ケア」という本の連載を喜んで引き受けたのだけれど、トップの人達、偉い先生方?から「わけのわからんものに書かすな」という圧力がかかり3回でストップしてしまったことも悔しそうに話されていましたが、メッセージが必要な人達に届かないのは私も悲しいなと思います。

彼の話の中で「目に見える物質世界」と「目に見えない世界」があり、「長生きが一番」というのも「物やお金を得ることが全て」という物質世界の話であり、目に見えない世界では「病や死は災いではない、病からどう成長するのか」ということが重要なんだとありました。

私もまさしくそう思います。私も手術の為に日本に帰ってきたと説明したときに、人々の反応の中で違和感を覚えたのが「病=敵」とみなしているものでした。特に健康や体に興味がある人にそういったリアクションが多くて、「なんでそんなんなったんだろうねえ。体にいいことしているのに・・」と言われる度に「健康=善、病気=悪」という公式にハテナマークが頭をよぎりました。

だって私は自分が今まで抑えていたもの、見つめるのが怖くて逃げてたものが表面にでてきた・・「もう逃げられない」と観念する時期がやってきたのだと分かっていたし、怖いけどこれを越えたら自分がとても大きくなるのもなんとなく分かっていたから。

などなど、ふむふむと面白いお話をたくさん聞きました。江原さんのお話を聞いて「人は会ってみないとわからないな」と思いました。テレビだけで判断してはいけないな・・とも。当たり前ですけど番組を作っている人の意図が入っていますからね。守護霊さまのお話がメインなのではなく、自分のもっている才能を使って人々の役に立つお役目を全うしたい・・という彼の意図が感じられてよかったです。

そして、人はどんな人でも自分の才能や経験から人の役に立つお役目というものがあるんだろうな~と思ったりした一日でした。



Fire the grid

2007-07-17 | Weblog
7月17日20時11分(日本時間)、地球と人類の為の世界各地からの祈りFire the gridの集いから帰ってました。1時間の祈りって正直ながそう~と思っていたのですが、あっという間の1時間でした。同じ時間に世界中の人が祈るってやっぱりすごいです。終わってもただただ ぼ~っとしていましたが、家に帰る途中くらいから妙にエネルギーがチャージされている自分に気づきました。やっぱりすごいエネルギーだったのですね。

1時間の祈りが終わって最後にみんなとハグをしてお別れをしたのですが、なんだかよく分からないけど、涙がぽろぽろでてきました。みんなのハートが全開で愛がいっぱい流れてきたのでしょうね。こういうときいつも思います。「人間に生まれてきてよかった」って。

今日のお祈りの前に各自で「感謝リスト」を作りました。

今日、一番上に、一番最初に書いたのは「私の命にありがとう」でした。

今まで感謝リストを作ってもおそらく「命」が出てきたことは無かったように思います。映画「4分の1の奇跡」を見て、そして英訳に携わることになり、今まで当たり前のように思っていた「命」というものが、本当は奇跡の奇跡の奇跡の連続でできたものだということを私はやっと学び始めているのかもしれません。

そしてリストは続き五番目くらいに「私の強さにありがとう」「私の弱さにありがとう」が出てきました。これも初めて。きっと以前は自分の強さにしか「ありがとう」が言えなかった気がします。

弱くて、すぐ傷ついて、すぐ怖がって、人のことばっかり気にして、何でも思い通りにしようとして、頭でばっかりぐるぐる考えて・・、そんな私だけど、そんな私だから愛おしいのかもしれません。

そんな事を気づかせてくれた、お祈りの副産物にも感謝です。

映画です。

2007-07-11 | 4分の1の奇跡
久しぶりにブログを書く時間ができました。なんだか目まぐるしく動いています・・というより大きな力で動かされています・・動かしていただいています・・(かな?)

今日はアロマ講習会第二回目を無事終えました。参加者の皆様ありがとうございました。みなさんのお陰で楽しい時間を過ごしました。

日曜日のキネシオロジーのセミナーにご参加いただいた方々にもお礼申し上げます。この日もとても楽しかったです。皆さんが「へえええ~」とか感嘆の声をあげながら腕を押している姿が印象的でした。

先日、タロットデパリと言うとても綺麗なタロットを勉強した方に見てもらう機会がありましたが、特に聞くこともないなかったのでこの一連のプロジェクトに関してカードを引いたのですが、そのときのアドバイスはとっても心にきました。

頭を使うカードが何枚も続きました。確かに知性という意味もあり悪いカードでは決してないのですが、私の場合は「考えすぎになると自分の本来の姿から外れる」という解釈を聞いて納得。

私の生年月日を足したナンバーは愛のド変人33で、足すと6であり「愛情とか調和」がテーマ。こういった講習会をするときも、頭で「あれしなくっちゃ。これしなくっちゃ」ばっかり考えるとその場にいる人たちの「調和」「みんなだいすき~」という本来の6の持つ本質から外れてしまう・・。

なので、最近は準備だけは一生懸命やって、あせりそうになると「ふわああ」とするように、あるいは「みんな楽しいかな~」とかをフォーカスするようにしています。考えればこれも「本来の自分にカエル」ですね。

こうやって色々なことを学ばせていただいています。そして、色々な人に出会えることにとても感謝しています。

さて、大きなプロジェクトが始まりました。
「4分の1の奇跡~本当のことだから~」という映画があります。以前見たときに書いたブログはこちら。http://blog.goo.ne.jp/myrtille33/e/2408c3a2a878156f4b2c3d3ecb00d442

ここで私は「これが世界中に広まるお手伝いがしたい」と3月に書いていますが、実現しちゃいました~。海外での上映が決まってきたので「英訳」が必要になり、仲間のご推薦をいただいて私が関わらせていただくことになりました。

私を含めて3人で担当しますが、制作側と打ち合わせをしていくうちに「字幕」と「吹き替え版」両方作ることになり、吹き替えも担当することになり・・「私でいいんかしらん」と思いつつ「わ~い英語で声優デビューだ~」とワクワクしています。勿論練習は必要です、はい。

是非まだ見ていない方はこちらのHPをチェックしてみて、是非この映画ご覧になってください。海外もスイスが決定。アメリカでもたくさんの場所で上映計画中です。http://www.ee-pro.net/event/index.html

殺人の映画だったら1億円もらってもお手伝いしたいとは思わないけど、自分が本当に素晴らしい~世界に広めたい~と思うものをお手伝いできるって本当に幸せなことです。「世界といわず宇宙に発信!」は、監督さんのお言葉。

他にも色々プロジェクトが回り始め「あれ、この前まで私えらい暇やってんけど・・」というくらい忙しくなってきました。来週も来月も東京に行くし、9月はオーストラリアにも行くし・・なんだか面白い展開になってきました。

去年の今頃は私は引越しで郵便局になくされた16個の荷物をパリ中探し回るという、涙と怒りの日々でした。1年後に世界に広める映画の英訳をするなんて、誰が想像できたでしょう。しかし、家財道具を全てなくされるという異常事態も「自分のするべきことがあるところへ行きなさい(つまり日本に帰りなさい)。ここにはあんたのすることないだろ」と言うメッセージでもあったのだな~と思います。

一年後、私はどこで何をしているんでしょうね。楽しみ楽しみ。




自分にカエル

2007-07-05 | おもうこと
タイトルを 「自分に『カエル』の日記」にまたまた変更しました。カエルネタでいただいたコメントに「本当の自分にカエル・・」という素晴らしい表現があったので、「いただき~」ました。ありがとうございます。

カエルカエルと言っていると、最近ゲコゲコ鳴いているカエルもなんだか身近に感じます。私がもう一つ似ていると言われているのは「金魚」。小学校の頃は男の子に「でめき~ん」と呼ばれていました。今なら「なんやそれ、おちょくっとんかい。それって気引きたいってこと?」くらいの突っ込みは入れられますが、その当時は「ヤダヤダ! デメキンなんか嫌い、嫌い、大嫌い!!」と思っていましたが、今では金魚掬いをする度にデメキンを愛おしく眺めてしまいます。掬ったら紙破れますからチャレンジしませんけどね。

体調もばっちり回復し、暴れたいほど元気になりました。しかし、今回の真夜中の胃痛はどう考えても疲労だけではないな~と気になりだし「うっうっ・・また自分の見たくないところが出てくる・・でも今逃げてもまたすぐ出てくるもんな・・」と観念し、他人をゆるす、自分をゆるす「フォーギブネス」というオイルを使って瞑想してみました。

私が最近思い切って捨てたアメリカ時代の本やノートの思い出には、「頑張る」だけではない想いがありました。勉強や仕事をがんばってしていたことに対しては否定的な思いはなく、実際の生活の中で小さい英語のできない日本人の私が巨大なアメリカ人の中に入って馬鹿にされないように、認められるように「頑張って」いた、無理をしていたときの「しんどかった」感情がでてきました。

それまで日本で声を上げて怒ったこともないのに、自分が怒っていることを見せるために無理してアグレッシブな態度を取ったり・・でも本当は私そんなことしたくなかったんですよね。今はそんなこともないですが、ちょっと前まで英語を話すと戦闘モードになっていました・・私。

自己アピールしないと認められない、馬鹿にされる・・・本当の自分でなくなっても認められたい、馬鹿にされたくない・・それって、他人軸、他人志向。他人が認めてくれるから自分を認めるって、他人にイニシアティブを譲っている。誰も認めてくれなくても、みんなが馬鹿にしても、自分が自分を認め、自分が自分を馬鹿にしなければいい・・。

しかし、本当に玉ねぎの皮むきです。一つ解放したらまた一つ・・でも、それが「本当の自分にカエル」プロセスですね。

大片づけ

2007-07-03 | Weblog
初アロマの会が無事終了しました。参加者の皆様ありがとうございました。

しかし、その後私はグロッキー・・やっと復活してきてブログを書くエネルギーもでてきたところです。

なぜグロッキーかと申しますと、勿論この会のための準備などや突然行かなくてはならなくなったイベントが続いたりしたこともあるのですが、一番大きかったのは大片づけ。7月から人が自宅に来てくださるイベントが増えるので、この際一気に6月末までには片付けるぞ~!と6月初めから意気込んでいたものの、本当に片付けが終了したのは6月30日の12時近くでした。そこまできっちり有言実行しなくても、もっと前からやり始めてたらよかったんですけど・・。

普段の掃除は水周りを中心にちゃんとやっていますが、掃除と片付けとは違うものですね。片付けるには今の自分に不必要なものを捨てないといけないので、きっと抵抗があるのでしょう。それで延び延びになってしまったのだと思います。

今回は倉庫の中や押入れ、物置部屋となっていた部屋まで全部やっちゃいました。私の場合、日本語や英語の教材の量がすごくて、「どうしよ~」と思っていたのですが、本気に片付けようと決めると「教えることはやめた訳ではない。でも今すぐ使わないから奥にしまっておこう」とか「今やっていることが落ち着いたら子供も教えはじめよう。ただ今度は私が教えることにかかりきりになれないので、人を育ててヘルプしてもらおう」とか色々アイディアが出てきました。

そして、自分にとって今回「頑張って」捨てたものは、アメリカで勉強していたときの本やノート。これは、万が一私が今から大学院などに戻ったとしても、古くて使えないような情報だし要らないことが分かり捨てることにしました。でも私にとっては自分の原点とも言うべき大事な時代だっただけに、捨てるのはちょっと苦しかった。

1日の夜、疲れから胃腸がぼろぼろになっていて「なんで私はここまで頑張りすぎるのかしらん」とぼ~っと考えてました。この1週間それまではバッチフラワーエッセンスの「オリーブ」(心身の疲労にいい)や、ヤングリビングのアロマオイル「バラー」(バランスを整える)を足の裏に塗ったりしていましたが、疲れがピークの一昨日は、いつもの瞑想もせず何にも摂らずバタンキューで寝てしまいましたが、結果的には夜中に胃痛で起きることに。

こういうときこそ、いくら疲れていても瞑想する時間をとったり、バランスを整えるものを摂らないといけないのだと学びました。その日は結構色々な感情が起こった日だったから、「感情のお掃除はその日のうちに」は大切だと改めて知りました。

そしてふと思いついたのは、あの倉庫に私が大事にしまっていた本たち・・15年近く開けることもないのに大切にしていた本。なぜ捨てられなかったかと言うと、私にとって生まれて初めて頑張って頑張って手にした知識、学位だったからです。今でもあの頑張っていた自分が愛おしく思うし、今私が色々な仕事に恵まれるのはあの時代に頑張ったから。

でも、もう私は頑張らなくても、必死にならなくてもいいのです。宇宙の流れに任せるって決めたし。必死とは「必ず死ぬ」と書きます。必ず死なんでいいわ~もう。

自分の頭で決めたことに対して「これをやらないといけない」と頑張りすぎることをほんとに手放す時期なんだな~とつくづく思いました。6月末までに片付けるといってもできなかったらできなかったでいいのです。体と相談しながらすれば。う~ん、でもこれって私にとってはチャレンジだなあ。