シンガー『ナターシャ』のブログ

関西・東京・名古屋・広島、そして台湾もグローバルに歌うシンガーソングライター、jazzシンガーナターシャのブログです

取材

2008-01-30 | 4分の1の奇跡
映画関連の話題ばかりですが・・

昨日は残りの字幕入れの日。そして、読売新聞と映像部の人の取材も受けました。初めての体験だったから、す~ごく面白かった。

新聞社の方には、カフェでインタビューをされました。翻訳チーム3人それぞれに「どういう経緯で翻訳をすることになったのか」「障害者についてどう思うか」など。自分の思うところを話すってすごくいい経験ですね。

昔だったら私もっとアセアセしていたなって思います。「うまくまとめなきゃ」とか考えたり。でも、今って落ち着いて自分の思うことを言葉にすることができて、とても嬉しかったし、もっと表現したいって思いました。

新聞社の方は私達が答えている間、速記のようにノートを取るのでプレッシャー少なかったけど、映像部の取材は、カメラの前に座らされて「翻訳をする上で大変だったことは?」とかいきなり聞かれるので、即座に答えるのがまた気持ちいいプレッシャーでした。

「障害者の人たちに対してどう思いますか?」という質問・・自分の考えていることをクリヤーにするのにとても役立ったと思います。

私はこの翻訳を通じて、まずは彼らが身近に感じるようになりました。そしてたくさんの今まで知らなかったことを知るようになりました。

映画のタイトルでもある「4分の1の奇跡」・・これは、私達が健康で居られるのは、今までの歴史において病気だった人、障害を持った人たちが居たからだということ。現在、病気や障害を持って生まれている人は、未来の健康な人のためにその役割を担った人だということ・・それが、科学的に証明されているということ。(詳しいことは映画を見てね~)

そして、養護学校の教師、かっこちゃんが教員になった頃(20~30年前くらい?)は、学校の子ども達がどんなに素晴らしい絵を描いても、詩を書いても発表されるときは、イニシャルだったり、「石川県 A子」だったという事実。

学校のみんなでレストランに行こうと思っても、他のお客様の迷惑になるからと言われ断られること・・。映画を見た方たちのメーリングリストでも色々教えてもらいました。障害者の作業所を作ろうとすると近所の人から気持ち悪いと言われ、反対運動を起こされたことなども、ちょっと信じがたいことですが実際に起こったことだと知りました。

この間乗り合わせた電車におそらく知的障害を持った子ども達のグループがボランティアさんたちと一緒に乗ってきました。そのときに私は彼らが以前より身近な存在になっているなって気づきました。

考えれば私はいろんな人が居るところが一番心地のいい所です。アメリカから日本に帰ってきたときに、日本人しか居ないこと、同じような考え方の人ばっかりだったことが一番自分にとってしんどくって、それで色んな人種が居るシンガポールに飛んじゃいました。

それと同じように、見た目がいろんな人がいても、どっかに病気を持った人がいても別にいいことだよな~と彼らを見て思ったりもしました。だいたいある年齢になったら腰が痛いだの、膝が痛いだの、肝臓が悪いだの・・てみんな障害もっていますもんね。

そして、そのインタビューで私が言ったもう一つのこと。

英語字幕を作るときに障害者という言葉をどの英単語にするか、討議に討議を重ねました。このときのプロセスで色々な気づきを得ました。

私は自分の訳にはhandicappedという言葉を使いました。それは、ゴルフでもハンデとか言うように一番中立な言葉だと思ったからです。でも、私が通訳をするヒーラーたちにこの映画の話を説明すると 「あ、disabledのことね」といいなおされるし、実際ネイティブチェックをしてくれたアメリカ人も私のhandicappedをdisabledに変えていました。

討論を重ねた結果、監督の意向でhandicapped/disabledという言葉は一切使わず、全てchallenged/gifted/impairedに置き換えました。ただ私の考えではchallenged/giftedと言う言葉を使うことには、なんだか違和感がありました。それは・・・

人は生まれてくるときに、「この人生ではこの課題(チャレンジ)をしよう」と決めてくるわけです。だから生まれながらに病気を持った人というのは、そのチャレンジ度がものすごい高いわけです。でも健康な人でも家族の問題、心の問題、外国では男女の差別、貧富の差別が私達の信じられないレベルであります。たくさんのチャレンジがあるわけで、「この人のチャレンジとあの人のチャレンジどっちがすごい?」て比べることはできない・・だってそれは人それぞれだから。そう考えると、全ての人が challenged だと思うのです。

そして、彼らだけが gifted なのではなくって、全ての人が 神、宇宙、天からのギフト(すばらしい才能)を与えられているのだと私は思うのです。だから、彼らだけがchallenged/giftedというのは、結局はこっちとあっちで線を引いている・・という気がしたのです。

線を引くってことが本当は必要ないんです。人と人の間に線を引くこと、分けること、グループを作ることって全く意味がないと思うのです。でも、まだ時代がそこまで行ってないんだなって改めて思いました。

かっこちゃんは、人を区別しない人です。ホームレスのおじさんと仲よくなったり、やくざのおじさんを抱きしめちゃったり・・。この「区別しない」という言葉も心に来る言葉でした。そして、色々考えた結果discriminate という英語にしました。日本語では「差別する」とよく訳されますが、その時に「あ、差別って線を引くことなんだな」て気づきました。

線を引く、区別するのは、違いをみつけて「あいつらが劣っている」と自分が優位に立つため・・なんで優位に立ちたいかっていうと、本当のところで満たされていないから。

しかし、そんなことにエネルギー使うってエネルギーの無駄使いですよね。ある意味ひまじん(時間的な意味でなく)ですよね。もっと時代がくれば、障害者=challenged/giftedではなくって、どこにも線を引かない 全ての人=challenged/giftedになっているはず・・そう早くなってほしいな。

ま、こんなことをか~んたんに新聞社の方に言ったわけですが、ここまで全部いえなかったので、あ~すっきりした。読んでくれてありがとうございます。

そうそう、掲載日はまだ決まってないので(でも11日までには載るらしい)決まったらまたここでお知らせいたしま~す。


お金ワーク2

2008-01-25 | おもうこと
続きです・・

私は「何かをしないと愛されない。価値が無い。」という思考パターンを発見しました。私たちは小さいころから「何かをしたら親に、先生に、社会に褒めて、認めてもらえる」という生活を送っているので普通の社会生活をしていたら、このパターンをもつのは当たり前だし、ある意味向上心にも繋がるともいえるでしょう(本当の健全な向上心とは違うだろうけど)。私が今まで色々がんばってきたことにも、深い部分でこの「人から認められたい、褒められたい」という欲求が多く関連していたことも分かっています。

でももう私は違う世界に行きたい。

それは、「4分の1の奇跡」の映画にでてくる大ちゃんや雪絵ちゃんに映画を通じて出会えたから。

大ちゃんの詩でこういうのがあります。

「葉っぱだって 石ころだって
そこにあるだけで
人を動かす力がある
それが”ある”ということなんかな」


「僕だってそこに”ある”
”ある”ものはみんな大切なんや」

この詩を思い出すたび「存在する」「ある」「いる」ていうことだけで、本当は素晴らしいことなのに、それをすぐ忘れてしまう・・自分に気づきます。


雪絵ちゃんは、膠原病の一種の多発性硬化症 別名MSと呼ばれる病気でした。 脳の一部が堅くなり 脳の中の目の部分だと目が、足の部分だと足が動かなくなる・・だんだん見えなくなったり 動かなくなったり、見えないまま 動かないままになることもある病気です。彼女はあるときお母さんにききます。

「私いなくなったら楽かな?」
自分の世話は大変だし、役に立たないし・・ときいた質問に、お母さんは

「楽かもしれない。でもそれは分からない。いなかったら、雪絵がいなかったらいない生活があるし、いればいる生活だし。でもお母さんと雪絵が逆だったらどうする?いなくなればいいと思う?」
といいました。

雪絵ちゃんは「馬鹿なことを聞いてしまった。もし逆だったら毎日お母さんが寝ていても、泣いていても、わがままばかり言っていても、役に立たなくてもきっと、絶対だれよりも愛すると思う。大切にすると思う。大好きでいると思う。こんな私でいいみたい。」と思ったのです。そして「人は愛するために生まれてきて、愛されるために生まれてきたんじゃないかな」って思いました。

実際雪絵ちゃんは役に立たないどころか、亡くなった今でさえ、私の心をこんなに揺さぶります。そして、私達の本質、本当のことを気づかせてくれるのです。

目に見えて動けないと、何かをしないと価値が無い・・そんなことは絶対になくって、存在するだけで意味がある、価値がある・・皆がそれを当たり前のように思える世の中が早く実現するように。まずは、自分からですね。

お金のワークがこんなところまで来るとはねえ。素晴らしいです。

お金ワーク1

2008-01-24 | おもうこと
久しぶりにゆっくり時間が持てて幸せです。そこで、ずっとやろうと「お金ワーク」をすることにしました。今年になってドリームボード(夢地図)を作り直そうと思って写真など集めていたのですが、お金についてのことがピンとこない。本に載っている例などでは、「年収1億円」という文字を貼っているわけですが、私の場合お金に関してはぼ~っとしたままなので、これはクリヤーにした方がいいな・・と見つめることにしました。

今まで読んでいても「いいこと言ってはるなあ。でも体に入ってこないな」と思っていた「大富豪シリーズ」「幸せな小金持ち」の本田健さんの本なども「お、ついに私にこれが必要なタイミングが来たな」という感じです~っと体に入っていきます。

書かれている通り、お金って本来はとても中立なもの。それに「お金とは・・」と意味をつけているのは人間。特に育った環境で親のお金に対する感情を子どもはそのまま引き継いでしまいますからね。

私も今までの人生でお金に対する自分の感情、執着など、お金に関する問題、課題、チャレンジが出てきたときは見つめてきたし、それによって自分も変わってきたとは思うのですが、それでも体系だってフォーカスしてやってみることは初めてでした。

とりあえず、「ユダヤ人大富豪2」にあったものをアレンジして、
両親、祖父母(私の場合はお金に関するエピソードを聞いたことのある人は全部書いたので、祖祖父母、親戚の人など多数)の家系図を描いて、その人達の性格、生い立ち、お金に関することについて書き込む。

その後、自分の人生でお金に関する思い、感じたこと、「パートナーとお金」「仕事とお金」などその時々を思い出し書いていきました。

これは本当に素晴らしいワークだと思いました。

まずは、普段覚えていないようなことも思い出します。
例えば、何歳か分かりませんが小学生くらいのとき、お正月に家族で朝集まって親が新年の挨拶を述べるときに(そんなちゃんとした事やっていたということも驚きでした)、父が「会社の経営が赤字からなんとかなんとか・・・」ということを言ったのですが、私にとって初めてきく言葉「赤字」。

社会の授業ででは「赤字って、お金もうかってないってことって習ったけど。え~うちってお金なくなるの?」と勝手に怖くなっていたことも思い出しました。


私の場合、「お金=安心」であり、お金が無くなることへの異常なる不安があるのですが、それも母からのお金の厳しい教育の影響だとは今までも分かっていました。ただ、この家系図を眺めていると、全てのバランスを取るためには母はこれくらい厳しく言うのも当然だし、私が必要以上にそれを受けてしまうのも、バランスの法則から言えば自然なことだったのだなと納得しました。

でも「お金を使うことへの罪悪感」という思考パターンはまだON(持っている)だし、それを深めていくと「無駄遣いをしてはいけない」、無駄遣いをする自分を責めるパターンもあります。

しかし、人生で何一つ無駄な体験がないのであれば、無駄遣いということも存在しないはずです。私はお金を使う時点、一万円の買い物をする時「これには1万円払ってもいい」とOKを出しているはずで、後から隣の店で3000円で売っていても、その時点でOKを出していたなら、自分を「無駄遣いした」と責めるのはおかしなことなのです。考えれば日本の社会全体が「同じものなら一円でも安くかわなければならない。高くかったらあほや~」という集合意識を持っていますよね。別にいくらで買っても人の勝手なんですけど。


お金の使い道でいえば、私の場合、自分のところに来たお金を例えば「地球の豊かさが足りないところに流す」というのはしっかりON,自分を向上させるために使うもON,でも目に見えるものを買うのにお金を使うにはOFF,特に自分を着飾る洋服にお金を使うのはどうも無駄遣いだと私は思っているようです。

また別の面白いことを発見しました。「私は年収xxx円の価値があります」というのをオーリングでやってみるとある一定の金額だけがONになるのです。「え、なんで?」自分では全然気づいていませんでしたけど、今の自分自身をお金の対価としてxxx円だとみているというのも分かりました。

ここ何ヶ月かで自分の持っている「仕事とは・・」という概念を変えようと色々やってきました。私は好きな仕事を選んできましたが(ときどき例外もありましたが)、それでも「仕事というのは、嫌なこともある。それが仕事だ。」というパターンがこびりついていました。

それを、「自分が楽しみ、周りの人を楽しませ、それで豊かさが入ってくるのが仕事」という思考パターンに置き換えました。・・といっても、結構これには時間かかりました。どれだけ古いパターンがこびりついていたか・・。

それを一歩進めて、「自分が楽しみ、周りの人を楽しませる仕事をしたら、無限の豊かさが入ってくる」というのを自分に入れようとするのですが、これもまたなかなか・・。ということで、自分に「なんで?なんで?なんで?」とひつこくきいていくと深いところでは「私には受け取る価値がない」というのにぶつかりました。

長くなったので続く・・。


字幕チェック

2008-01-17 | 4分の1の奇跡
昨夜は字幕を入れてくれた業者さんのところでチェックを行いました。入れてくれた字幕を時間内に読めるか、映像とマッチしていないところはないか、などなど。

字幕は約25字が二行でます。例えば10字+15字ならさっさと読めますが、25字+25字の2行ならそれなりの時間がかかるので、読めないうちに次の字幕へ移ってしまってないか、その場合は次の字幕が入るのを心持遅らせてもらう・・そういった作業でした。

業者さんのオフィスに到着し、たくさんの機材を見て「わお~。プロや」と感動し、実際自分の作った字幕を見て「わあ~ほんまに字幕入ってる~」と大声ではしゃいでしまいました。しかし、結構時間と集中力が要る作業だったので、お子様の私は2時間半くらいで集中力が切れ始め動きたくなるのですが、「みんながんばってるねんからがんばれ」と自分を励まし、なんとか私の訳したパート1が終了しました。

次回は新聞社の取材も入っているのですが、現時点の話では映像担当の人も一緒に来るかも・・つまり、どっかの番組で放映されるとかいう噂も。わ~いわ~い、よかった。昨日だったら私のアゴのニキビも映ってしまうところでした。来週になってよかった~。

毎日この翻訳チームと制作チームと何十通とういメールのやりとりをしていますが、そんなに頻繁に会っているわけではないのです。でも最近会う度にメンバーそれぞれに「愛しさ」という感情がでてきました。よくわからないけど、一人ひとりをぼ~っと見ては「愛しいなあ」と暖かい気持ちが流れてきます。

そんな気持ちの続きか、家に帰って監督であるふ~ちゃんが出版した本
「1/4の奇跡~もう一つの本当のこと~」入江富美子著 三五館
今まで少しずつ読んでいたのですが、いっきに最後まで読みました。

本の中にたくさん好きなところがありますが、私が書きとめた言葉。

自分をうじうじ責めようとするとき
「まだ自分のことばっかりやってくつもりか。もう充分やろ。自分を責める暇あったらその力で人のために動け!」

かっこいいな。私もそうしよ。

営業報告

2008-01-14 | 4分の1の奇跡
昨日の営業はなかなか勉強になりました。翻訳チームの仲間と二人で乗り込んだ営業。

しかし、穴倉みたいなバーに外人いるわいるわ・・こんなところに溜まっているんですね、みなさん。

まずは、席が一番近くのえらい話が盛り上がっているグループへ。「すみません~ん・・」と映画のチラシを渡し、

「すごいいい映画なんですよ。海外でも上映したいっていう人が増えてきたので英語の字幕作ったんです。」
「どんな映画?」

とまずは、映画の説明をしなければなりません。

私はチラシを配ったら、あとは勝手に読んでくれるかと思ったのですが、よく考えるとこのチラシ、もらった日本語を私が訳したのだけれど、たっくさん文字が並んでいてストーリーにスペースがあまり割けてない。

そういう目で見ると、色々見えてくることがありました。

日本人で映画を見に来てくれる人はほとんどが口コミ。だから、どういった映画か、どういう人が作っているのか、な~んとなく分かっているからこのチラシでもOKだけど、外国人でチラシをもらう人たちは全く誰が、どんな映画をつくったのか知らない。

だから、「監督がどういう想いで作ったか」「どんなメッセージを投げたいのか」なんてチラシに必要なくそれは映画を見て感じてもらったらいいわけで、何の予備知識も無い外国人向けなら「これはどんな映画か」「いかにこの映画がすごいか(数値化したもの:10ヶ月で100箇所、1万人がみてくれたなど)」ていうことだけでいいのだな・・って思いました。チラシに入っている情報が多すぎたんだなと。タイトルも実は小さかった・・。

でも、面白かったのは大統領選の話題で盛り上がっている人は「OK,この映画を自分の会社のMLで流して宣伝するから、アメリカ人にあったら民主党に入れるように言って。取引成立!」

なんて言う人もいたし、
「この映画で設けたお金はどっかに寄付しているの?」という質問もありました。
アメリカ人ならきくよな。

監督は水の乏しい国に井戸掘る活動にも寄付しているんだけど、でも詳しいことをきいてなかったな~と、勉強不足の私。

映画の説明をしていたら、後ろから「あんた英語うまいなあ」と声がきこえ、「大阪人のおっちゃんもここにいたんかいな」と後ろをふりむけば外人。どんだけ大阪弁のイントネーションうまいねん。目つぶっていたら、完璧大阪のおっちゃんでした。

「日本語上手だから日本語の方も渡しますね」と渡すと「読むんきらいやねん」と言うので、「あ、漢字いやなんや」と私が言うと「ばかにしとるやろ。読めんで、これくらい」と彼。「馬鹿にしてへんって」とコテコテの会話。

「でもあんたらすごいわ。僕、英語の映画を日本語になんてできへんわ。」て褒めてくれました。いやあ、勿論アメリカ人にチェックしてもろてんねんけどな。

そうかと思えば、チラシを配ろうとするなり「クリスチャン(キリスト教)の映画だろ。要らん」と言うおっちゃんもいて、「へ?これキリスト教も宗教も関係ないけど」と言うと「じゃあどんな映画や」と会話が流れたので「学校の先生のドキュメンタリーで」と始めるや否や「いらん」というおっちゃんもいました。

ま、その人くらいでほかは、話を聞いたら"Good" "Good job"とか楽しい反応をしてくれました。ま、それで来るかどうかは別問題ですけどね。

しかし、これも実際やってみないと分からないもんです。ほんといい勉強させてもろてます。




やっと入稿

2008-01-13 | 4分の1の奇跡
映画の字幕の原稿、最終チェックがや~っと終わりほっと一息です。といってもパート1だけですけど、とりあえず私の担当部分だったので。

しかし、ほんと何でもやってみないと分からないものです。

字幕用に翻訳したものを25字あるいは多くても27字にするという作業ですが、完璧なめてました・・私。

インデントをしても狂ったりするし、原始的に原稿に線を引いたり、そして結局はっきりしないところは自分の目で数えるしかなくって・・。プロはそういうフォーマットがちゃんとあるんでしょうけどね。

そして、この作業になって人の名称が気になったのです。スタート当初あ~でもないこ~でもない・・と話し合い、最終的に「かっこちゃん」という言い方になったのですが、結局-chanをつけるとすぐに25字になってしまい、-chanが邪魔になってきたので、相談して取り外すことに。

業者さんの出してくるサンプルの意味も私にはわからなくって、何度も仲間に電話で聞いたりしているうちに、「あ、みんなで合宿してたらすぐに分からないこときけるのに・・」と思ったくらいでした。

きっとプロはこの字入れの作業で、もう一度訳自体もこねくり返しベストな訳を出していくのだろうな・・て思いました。ほんとやってみないと分からないことばかりです。

これからパート2,3、そして業者さんが入れてくれたもののチェックの立会いが今週から始まります。新聞の取材も来るそうでちょっとワクワク。

制作チームも連日泊り込みで映像のチェックに入っていて、大変だけどなんとなく気分は文化祭にも近いかしらん。

今日の夜は、英語のチラシもできたことだし英語字幕を見てくれるお客さんをゲットする為、外人バーをはしごして営業に行ってきます。とりあえず街や電車で会った(というより発見された)外国人にはチラシを配るゲリラ営業もそろそろ開始しないと。

なんか面白そうです。

皆さん!
上映会は2月11日ですよ!! 是非きてくださいね~!!

またゆっくりお知らせ書きますが、とりあえずHPはこちらです。
http://www.yonbunnoichi.net/joueikai/yotei/001231.php