映画関連の話題ばかりですが・・
昨日は残りの字幕入れの日。そして、読売新聞と映像部の人の取材も受けました。初めての体験だったから、す~ごく面白かった。
新聞社の方には、カフェでインタビューをされました。翻訳チーム3人それぞれに「どういう経緯で翻訳をすることになったのか」「障害者についてどう思うか」など。自分の思うところを話すってすごくいい経験ですね。
昔だったら私もっとアセアセしていたなって思います。「うまくまとめなきゃ」とか考えたり。でも、今って落ち着いて自分の思うことを言葉にすることができて、とても嬉しかったし、もっと表現したいって思いました。
新聞社の方は私達が答えている間、速記のようにノートを取るのでプレッシャー少なかったけど、映像部の取材は、カメラの前に座らされて「翻訳をする上で大変だったことは?」とかいきなり聞かれるので、即座に答えるのがまた気持ちいいプレッシャーでした。
「障害者の人たちに対してどう思いますか?」という質問・・自分の考えていることをクリヤーにするのにとても役立ったと思います。
私はこの翻訳を通じて、まずは彼らが身近に感じるようになりました。そしてたくさんの今まで知らなかったことを知るようになりました。
映画のタイトルでもある「4分の1の奇跡」・・これは、私達が健康で居られるのは、今までの歴史において病気だった人、障害を持った人たちが居たからだということ。現在、病気や障害を持って生まれている人は、未来の健康な人のためにその役割を担った人だということ・・それが、科学的に証明されているということ。(詳しいことは映画を見てね~)
そして、養護学校の教師、かっこちゃんが教員になった頃(20~30年前くらい?)は、学校の子ども達がどんなに素晴らしい絵を描いても、詩を書いても発表されるときは、イニシャルだったり、「石川県 A子」だったという事実。
学校のみんなでレストランに行こうと思っても、他のお客様の迷惑になるからと言われ断られること・・。映画を見た方たちのメーリングリストでも色々教えてもらいました。障害者の作業所を作ろうとすると近所の人から気持ち悪いと言われ、反対運動を起こされたことなども、ちょっと信じがたいことですが実際に起こったことだと知りました。
この間乗り合わせた電車におそらく知的障害を持った子ども達のグループがボランティアさんたちと一緒に乗ってきました。そのときに私は彼らが以前より身近な存在になっているなって気づきました。
考えれば私はいろんな人が居るところが一番心地のいい所です。アメリカから日本に帰ってきたときに、日本人しか居ないこと、同じような考え方の人ばっかりだったことが一番自分にとってしんどくって、それで色んな人種が居るシンガポールに飛んじゃいました。
それと同じように、見た目がいろんな人がいても、どっかに病気を持った人がいても別にいいことだよな~と彼らを見て思ったりもしました。だいたいある年齢になったら腰が痛いだの、膝が痛いだの、肝臓が悪いだの・・てみんな障害もっていますもんね。
そして、そのインタビューで私が言ったもう一つのこと。
英語字幕を作るときに障害者という言葉をどの英単語にするか、討議に討議を重ねました。このときのプロセスで色々な気づきを得ました。
私は自分の訳にはhandicappedという言葉を使いました。それは、ゴルフでもハンデとか言うように一番中立な言葉だと思ったからです。でも、私が通訳をするヒーラーたちにこの映画の話を説明すると 「あ、disabledのことね」といいなおされるし、実際ネイティブチェックをしてくれたアメリカ人も私のhandicappedをdisabledに変えていました。
討論を重ねた結果、監督の意向でhandicapped/disabledという言葉は一切使わず、全てchallenged/gifted/impairedに置き換えました。ただ私の考えではchallenged/giftedと言う言葉を使うことには、なんだか違和感がありました。それは・・・
人は生まれてくるときに、「この人生ではこの課題(チャレンジ)をしよう」と決めてくるわけです。だから生まれながらに病気を持った人というのは、そのチャレンジ度がものすごい高いわけです。でも健康な人でも家族の問題、心の問題、外国では男女の差別、貧富の差別が私達の信じられないレベルであります。たくさんのチャレンジがあるわけで、「この人のチャレンジとあの人のチャレンジどっちがすごい?」て比べることはできない・・だってそれは人それぞれだから。そう考えると、全ての人が challenged だと思うのです。
そして、彼らだけが gifted なのではなくって、全ての人が 神、宇宙、天からのギフト(すばらしい才能)を与えられているのだと私は思うのです。だから、彼らだけがchallenged/giftedというのは、結局はこっちとあっちで線を引いている・・という気がしたのです。
線を引くってことが本当は必要ないんです。人と人の間に線を引くこと、分けること、グループを作ることって全く意味がないと思うのです。でも、まだ時代がそこまで行ってないんだなって改めて思いました。
かっこちゃんは、人を区別しない人です。ホームレスのおじさんと仲よくなったり、やくざのおじさんを抱きしめちゃったり・・。この「区別しない」という言葉も心に来る言葉でした。そして、色々考えた結果discriminate という英語にしました。日本語では「差別する」とよく訳されますが、その時に「あ、差別って線を引くことなんだな」て気づきました。
線を引く、区別するのは、違いをみつけて「あいつらが劣っている」と自分が優位に立つため・・なんで優位に立ちたいかっていうと、本当のところで満たされていないから。
しかし、そんなことにエネルギー使うってエネルギーの無駄使いですよね。ある意味ひまじん(時間的な意味でなく)ですよね。もっと時代がくれば、障害者=challenged/giftedではなくって、どこにも線を引かない 全ての人=challenged/giftedになっているはず・・そう早くなってほしいな。
ま、こんなことをか~んたんに新聞社の方に言ったわけですが、ここまで全部いえなかったので、あ~すっきりした。読んでくれてありがとうございます。
そうそう、掲載日はまだ決まってないので(でも11日までには載るらしい)決まったらまたここでお知らせいたしま~す。
昨日は残りの字幕入れの日。そして、読売新聞と映像部の人の取材も受けました。初めての体験だったから、す~ごく面白かった。
新聞社の方には、カフェでインタビューをされました。翻訳チーム3人それぞれに「どういう経緯で翻訳をすることになったのか」「障害者についてどう思うか」など。自分の思うところを話すってすごくいい経験ですね。
昔だったら私もっとアセアセしていたなって思います。「うまくまとめなきゃ」とか考えたり。でも、今って落ち着いて自分の思うことを言葉にすることができて、とても嬉しかったし、もっと表現したいって思いました。
新聞社の方は私達が答えている間、速記のようにノートを取るのでプレッシャー少なかったけど、映像部の取材は、カメラの前に座らされて「翻訳をする上で大変だったことは?」とかいきなり聞かれるので、即座に答えるのがまた気持ちいいプレッシャーでした。
「障害者の人たちに対してどう思いますか?」という質問・・自分の考えていることをクリヤーにするのにとても役立ったと思います。
私はこの翻訳を通じて、まずは彼らが身近に感じるようになりました。そしてたくさんの今まで知らなかったことを知るようになりました。
映画のタイトルでもある「4分の1の奇跡」・・これは、私達が健康で居られるのは、今までの歴史において病気だった人、障害を持った人たちが居たからだということ。現在、病気や障害を持って生まれている人は、未来の健康な人のためにその役割を担った人だということ・・それが、科学的に証明されているということ。(詳しいことは映画を見てね~)
そして、養護学校の教師、かっこちゃんが教員になった頃(20~30年前くらい?)は、学校の子ども達がどんなに素晴らしい絵を描いても、詩を書いても発表されるときは、イニシャルだったり、「石川県 A子」だったという事実。
学校のみんなでレストランに行こうと思っても、他のお客様の迷惑になるからと言われ断られること・・。映画を見た方たちのメーリングリストでも色々教えてもらいました。障害者の作業所を作ろうとすると近所の人から気持ち悪いと言われ、反対運動を起こされたことなども、ちょっと信じがたいことですが実際に起こったことだと知りました。
この間乗り合わせた電車におそらく知的障害を持った子ども達のグループがボランティアさんたちと一緒に乗ってきました。そのときに私は彼らが以前より身近な存在になっているなって気づきました。
考えれば私はいろんな人が居るところが一番心地のいい所です。アメリカから日本に帰ってきたときに、日本人しか居ないこと、同じような考え方の人ばっかりだったことが一番自分にとってしんどくって、それで色んな人種が居るシンガポールに飛んじゃいました。
それと同じように、見た目がいろんな人がいても、どっかに病気を持った人がいても別にいいことだよな~と彼らを見て思ったりもしました。だいたいある年齢になったら腰が痛いだの、膝が痛いだの、肝臓が悪いだの・・てみんな障害もっていますもんね。
そして、そのインタビューで私が言ったもう一つのこと。
英語字幕を作るときに障害者という言葉をどの英単語にするか、討議に討議を重ねました。このときのプロセスで色々な気づきを得ました。
私は自分の訳にはhandicappedという言葉を使いました。それは、ゴルフでもハンデとか言うように一番中立な言葉だと思ったからです。でも、私が通訳をするヒーラーたちにこの映画の話を説明すると 「あ、disabledのことね」といいなおされるし、実際ネイティブチェックをしてくれたアメリカ人も私のhandicappedをdisabledに変えていました。
討論を重ねた結果、監督の意向でhandicapped/disabledという言葉は一切使わず、全てchallenged/gifted/impairedに置き換えました。ただ私の考えではchallenged/giftedと言う言葉を使うことには、なんだか違和感がありました。それは・・・
人は生まれてくるときに、「この人生ではこの課題(チャレンジ)をしよう」と決めてくるわけです。だから生まれながらに病気を持った人というのは、そのチャレンジ度がものすごい高いわけです。でも健康な人でも家族の問題、心の問題、外国では男女の差別、貧富の差別が私達の信じられないレベルであります。たくさんのチャレンジがあるわけで、「この人のチャレンジとあの人のチャレンジどっちがすごい?」て比べることはできない・・だってそれは人それぞれだから。そう考えると、全ての人が challenged だと思うのです。
そして、彼らだけが gifted なのではなくって、全ての人が 神、宇宙、天からのギフト(すばらしい才能)を与えられているのだと私は思うのです。だから、彼らだけがchallenged/giftedというのは、結局はこっちとあっちで線を引いている・・という気がしたのです。
線を引くってことが本当は必要ないんです。人と人の間に線を引くこと、分けること、グループを作ることって全く意味がないと思うのです。でも、まだ時代がそこまで行ってないんだなって改めて思いました。
かっこちゃんは、人を区別しない人です。ホームレスのおじさんと仲よくなったり、やくざのおじさんを抱きしめちゃったり・・。この「区別しない」という言葉も心に来る言葉でした。そして、色々考えた結果discriminate という英語にしました。日本語では「差別する」とよく訳されますが、その時に「あ、差別って線を引くことなんだな」て気づきました。
線を引く、区別するのは、違いをみつけて「あいつらが劣っている」と自分が優位に立つため・・なんで優位に立ちたいかっていうと、本当のところで満たされていないから。
しかし、そんなことにエネルギー使うってエネルギーの無駄使いですよね。ある意味ひまじん(時間的な意味でなく)ですよね。もっと時代がくれば、障害者=challenged/giftedではなくって、どこにも線を引かない 全ての人=challenged/giftedになっているはず・・そう早くなってほしいな。
ま、こんなことをか~んたんに新聞社の方に言ったわけですが、ここまで全部いえなかったので、あ~すっきりした。読んでくれてありがとうございます。
そうそう、掲載日はまだ決まってないので(でも11日までには載るらしい)決まったらまたここでお知らせいたしま~す。