シンガー『ナターシャ』のブログ

関西・東京・名古屋・広島、そして台湾もグローバルに歌うシンガーソングライター、jazzシンガーナターシャのブログです

ただいま

2007-11-26 | 
ペルーから帰って今日で10日ほど。

今日で私はやっとペルーから、時空を越えた旅から、今ここに帰ってきました。なんだか個人的なことだから、書くのもなあ・・と思ったのですが、すごく大事なことも含まれるからシェアーしたいなと思い書くことにしました。

実は帰ってからものすごい頭痛に悩まされていました。左側の頭、首、肩にかけて普段なら「ここには来ないな」という場所にひどい痛みがあり、自分なりにシータヒーリングを行ったり、ホメオパシーのレメディ飲んだり、オイルをつけたりとするのですが一向によくなりません。

これは完璧に骨ずれてるわ・・と思い、物理的な治療法が必要だと感じ土曜日にはカイロの先生の所に行きました。「こりゃひどい」とすぐに治療してくれて、次の日には治るはずなんですが、少しマシになったけどまだ完治しない・・一体どういうこと?

今日はヒーリングをやっているお友達に相談しました。

すごいリーディング力を持つ彼女から次々にいろんなことがでてきました。
私一人で探っているときは、自分の問題としか思っていないので「偉大なパワーを受けたけれど、まだ自分に制限を加えているからエネルギーが滞っている」というものしか分からなかったのですが・・・

サクサイワマンの要塞というところがクスコ周辺にあります。そこはスペイン人に反逆を企てた2万人の兵士が陣取ったのですが、夜は戦わないインカ兵はスキをつかれ作戦も失敗し円塔の大部分が壊されてしまったという場所です。

ガイドブックによると宗教的なものか、要塞なのかはっきりしないが、クスコは町全体がピューマの形をしていてこのサクサイワマンはピューマの頭に当たるのでクスコの管理事務所的役割もあったと思われる・・と書いてあります。

この話を添乗員さんとこの場所でしたのを覚えています。要塞っていうのはスペイン人の考え方で、本来は神への祀りごとのためだったのじゃないかな、結局は意識の問題だよね・・という話をしたときに、「結局は意識の問題」というフレーズがぴかっと光ったんですよね。だから覚えているのです。私も絶対ここは元々神様とコミュニケートする場所だったに違いないって確信したし。

話はもどって私の頭痛の原因をリーディングしてもらったら、「そこで殺された」というではありませんか。私もリーディングされている間、頭蓋骨のイメージ、要するにガイコツの頭ばっかり見えるのです。そして、旅の間「『かわいそう』と思ったりしなかった?」言われ、確かにスペイン人にやられてインカの人達かわいそう・・て思ったわと思い出しました。

どうやら私はそこの戦いで死んだスペインの若き将校だったようです。国のために一生懸命戦ったのでしょうが、そこで平和に過ごしていた人達を殺してしまったことに罪悪感や苦しさを覚えて死んでいったようです。

では除霊して終わり・・だったら、その辺のスピリチャルという名のもとに適当なことをしている人達になってしまうので、ここからが大切なことです。そして、ここからがシェアーしたいこと。

一般的にはまだまだ知られていないことですが、宇宙次元で考えたら「善悪」というものはありません。全ては私達が魂の進化をとげるために必然的に起こること。そこに「いい、わるい」はないし、「これはいいこと、これは悪いこと」とジャッジする必要も全くないのです。

私はできるだけテレビを見ないようにしています。新聞を読むのもやめました。なぜなら、マスコミというお化けは善悪というレッテルを貼ることだけに夢中になっているからです。だいたいは「善」ではなく「悪」ばっかりですけど。

何か事件が起こったときにマスコミと同じように犯人=悪と責めることは簡単です。でも、私達は全て繋がっている・・つまり、犯人と同じようなものを私達だって持っているのです。その事件から学ぶべきことは、絶対に自分はそんな生き方をしないでおこう~と誓うことだけです。

だから何が起こってもそこに入りこまないで、もっと高い創造主の観点から見るように心がけているので、普段聞く事件にはエネルギー的に巻き込まれないようになってきました。

しかし、戦争とか殺戮とかそうなると私は「インカの人かわいそう」「ひどいスペイン人」とか、きっちり「善悪レッテル」をはっていました。争いをすることによって私達は「争いっていうのは無意味だ」と学ぶわけです。争いをしてはいけないんだ・・と。

だから、スペインの若き将校の私?にもそこで戦うことは、魂が進化するために、学ぶために起きたことなんです。だから罪悪感をずっと持ち続ける必要はなく、そして今回その罪悪感を癒すためにサクサイワマンに行ったという見方もできると思うと、人生はほんと不思議に満ち溢れている。

なかなか難しい題材なのでうまく説明できませんが、これからは歴史を聞くときも、悲しい過去の歴史であろうと「善悪レッテル」を貼ること、「ひどい」「かわいそう」とその歴史の中に入るのではなく、もっと高い視点から慈悲をもって「そこから何を学ばないといけないのか」を問いかけていきたいと思います。

そうでないと争いのないところなんて無いんだから、旅行いくのも怖くなっちゃいますもん。ま、ちょっとしばらくいいかな・・と思っていますが。なにはともあれ頭痛がひいてきてハッピーで、やっと「今・ここ」に帰ってこれた気がします。

ホーミー

2007-11-26 | 近況・イベント
今日もまた面白いイベントに行ってきました。

モンゴル民族音楽コンサート。
そして、初めて生ホーミーを見て聞いてきましたよ。

ホーミーとは声帯を振動させ気管や口の中を使って倍音を共鳴させて二つの音を同時に出す方法なのですが生はやっぱりすごい。

楽団は馬頭琴2、チェロ、ヨーチン(弦が100本くらいあるらしくこれが西に行きピアノになったらしい)リンベ(横笛)で、このリンベを吹く青年がホーミーをするのです。

どうやってこれを文章にしようか困るのですが、マイクも無いのにホール全体に響くムニャムニャモワモワウニャウニャ・・いろんな音が聞こえるのです。以前CDでホーミーを聞いたときに一体どうやってこんな声が出るのかしら?と不思議でしょうがなかったですが、実際見るとほんまに人間がやっていました。

ちなみにこの青年は一曲リンベを吹くのに息継ぎをしなかった・・人体の不思議展みたいな人です。

でも、私たちには人体の不思議に思えることも、お父さんもお母さんもホーミーを歌っていたら子供はホーミーができて当たり前だと思うのでしょうね。「できて当たり前に思う」といのが可能性を広げる大きな鍵ですねえ。毎日これを感じます。

ペルーでだたっぴろい所に行く度、私のイメージでは「モンゴルってこんなとこ?」と思ったのですが、モンゴルをよく知っている添乗員さんによると「もっと見えるものが低い」そうです。なるほど。

その頃から「馬頭琴」という言葉がよぎり、ホーメーとか馬頭琴とか生で演奏聴いてみたい~と思っていたら、1週間前ふと立ち寄った旅行関係の資料を置いているところでコンサートのチラシを見つけたのでした。

馬頭琴は本当に楽器の頭に馬がついていました。(当たり前だけど)音色本当に美しく、私は物悲しい曲が一番すきでした。話の筋は忘れたけどイメージ的には子供の頃の読んだ絵本「スーホの白い馬」。

馬頭琴に関してどこかで読んだ話ですが・・

モンゴルの遊牧民で飼われているラクダが子供を生んだのですが難産だった為か育児拒否をしてしまいます。子供ラクダを無視し、乳を飲もうとしても子供を蹴飛ばす・・そして子ラクダは衰弱していきます。

家族が相談して「こうなったらアレしかない・・」と街から連れてきたのは獣医さんでもなく「馬頭琴の奏者」でした。お母さんがラクダをさすりながら歌い、馬頭琴の音色が響くと母ラクダの目から大粒の涙が・・。そして次第に子ラクダへの態度が柔らかくなり、ついに恐る恐る近づく子ラクダを受け容れるようになりました。

馬頭琴の音によりラクダは心を癒したのでした。動物も音楽によって涙を流すのですねえ。

今日聞いた曲では最後の「見上げてごらん夜の星を」が一番よかったなあ。CDがあれば買うのに~と思いつつ会場を出たのですが、主催のモンゴル伝統芸術協会もまだできたばかりみたいで、そこまで手が回らないようです。

今回はチャリティーコンサートで貧富の差が激しくなったモンゴルでの、治療費が払えないために命を落とす赤ちゃんやお母さんたちへのチャリーティーだったようです。馬頭琴の音色は日本人の心にも染みるだろうし(モンゴロイドつながり?)もっと日本に広まればいいな~と思いました。

ナスカの地上絵

2007-11-25 | 
ペルー旅行記もこれが最後。

シルスタニ遺跡を後にした私たちは次なる地点、ナスカの地上絵を見るためにリマ空港まで飛行機で2時間半、そしてそこから4時間半バスに乗りイカという街に着いたのは午前1時ごろ。しかし、次の日は5時起床、6時食事、7時出発。このホテルは砂漠の中のオアシスに作られたようで、パティオがあり素晴らしいホテルだったのでゆっくりできないのが惜しかった。

2時間ほどイカからバスで走りナスカの空港へ。ここでセスナに乗って上空から地上絵を見るわけです。セスナは5人乗りなので順番を待っている間、小さい空港のお土産物屋さんで物色。ナスカの模様のアクセサリーがとっても可愛いのです。私はモンキーの指輪とコンドル模様のペンダントピンを買いました。

それでも時間があるのでロビーで流してくれている緒方直人が説明している「世界遺産ナスカ」のテレビ番組のビデオを見て予習した後やっと順番がやってきました。地図で大体の場所、あるいは地上絵の模様のアクセサリーを必死に見ていたお陰で模様はしっかり頭に入っています。

セスナがブルンブルンと音を立ててしゅっぱ~つ。わ~久しぶりだ・・とか思っていると、「一番くじら」とパイロットが日本語で説明します。「ミギ」と言うや否や「あああああ、さかさま~落ちる~」と思うほど90度近くまで右に回転。右側の人に見て貰うためです。やっと普通の位置に戻ったかと思うと今度は「ヒダリ」と左側の人に見て貰うためにまた左に回転・・「ちょっとマジデ・・」内臓がひっくりかえりそうです。

「4番ウチュウジン」くらいまでは、興奮して喜んでみていたのですが、5番サル、6番犬くらいからほんまに気持ち悪くなってきました。内蔵っちゅう内臓がでてきそう・・備えつけの吐袋に吐いて少し楽になりましたが、それでも「はよ帰らして~」ばかり考えていて模様がどうだらこうだら言ってられません・・。空を見ると気分がよくなるかと思って、下の「蜘蛛」の模様でなく「雲」を見ていました。

最後のトカゲ・・は、右旋回をした後普段なら左旋回するはずですが、私の念力が通じたのか左旋回はなしで帰ってくれました。あとで左の席に座っていた母が「トカゲは左みせてくれなかった」と怒っていましたがそれは私の念です。

セスナから降りて皆パイロットにチップをあげたり(でも運転が下手だったからどうしうようかと相談もしていたそうですが)していましたが、私はそれどころでなく日陰で腰を下ろしていました。体がまだクルクル回っていて胃が回ってる・・。

皆さん行くなら酔い止めを飲んで行った方がいいですね。私は薬を一切飲まないので考えもしなかったのですが、それならホメオパシーの乗り物酔いのレメディでも飲んでおくべきでした。写真は展望台から撮ったものです。セスナの中からは私には不可能でした。

その後の昼食はさすがにスープとジュースのみしか食べられずじまいでした。そして、その後7時間かけてリマに戻り、空路約30時間かけて日本に帰ってきたわけです。

ハードな旅でした。

しかし、ペルーに居るときも帰ってからもたくさんの夢を見て、素晴らしい気づきを与えられ、ある意味これはちょっと大げさだけれどイニシエーションだったのかもしれないと思い始めています。

自分の中の無限の可能性、勿論どんな人でももっているのですけれど・・それを100%信じる・・というよりは、「人間なんでもできるのが当たり前」です。マインドコントロールされて「そんなことできない」って思わされていると人生勿体無いです。自分にリミットをつける人生はもう絶対いや。

だから自分の夢もちょっと前からは考えられないほどでっかくでっかくなりました。一般の人は腰抜かすくらいですよ、私の夢。

これからの人生、お役目が終わる日まで、楽しくてしょうがない人生を送ります。こんな私にしてくれたペルーに愛と感謝を。

シルスタニ遺跡

2007-11-25 | 
私にとっての旅のクライマックスはこのシルスタニ遺跡でした。

楽しかった学校を後にし、少し淋しい気持ちで遺跡に行きました。ここは標高4000メートル。歩いているうちにまたしてもあくびのようなものが絶え間なくでてきます。素晴らしいエネルギーが入ると要らなくなったものを出そうとする私の体の機能ですが、そこで「あれ?なにここ?もしかして凄い所なん?」と思いつつ、ガイドさんが「あれは大地に繋がる石です。」と言う説明が聞こえてきました。近づいていくと「ひえええ。」ほんとに大地にアッと言う間に繋がるではないですか。ああ、この石の前でゆっくりしたい~と思いつつ、一同は歩いていくのでついていかなくっちゃ。

次に止まったところは、太陽の神殿跡。横は月の神殿跡。ここで皆で手をつないで手を上にあげると、地面には影が・・そう、太陽の形をした影ができていたのでした。昔、ここでそういうことをやっていたそうです。

よく分からないけどここも「何これ?」というくらいエネルギーが強い。この遺跡はプレインカからインカ時代にかけて造られた石塔の墓郡。不思議な塔や丸石を積み上げたものやら色々なデザイン。蛇の形が見えるものも。統一されているのは東側に窓があり冬至(南半球だから冬至が一番日が長い日)になる窓から太陽が差し込むように造られていること。

一番高いところに行くと向こう側には無人島が鏡のような湖に浮かんでいる。なんとうい世界。そしてそこから降りていくとある不思議な石があるらしい。歩きながらぶつぶつと「すごい」とか「げええ、パワフル」と言っていた私の言葉を聞いた添乗員さんは、その石のところで石の側にいらっしゃいといってくれました。

わくわくしながら近づくと今までの石の側のようにピリピリとも何にもしない。あれ?と思っていたらムショウに声を出したくなりました。変な人かと思われるかも・・と思いつつももう我慢できない!「あ~」とか「う~」とか声を出すとすごい倍音。

自分の声とは思えないほどの響き。自分の体、頭蓋骨から全ての骨に響く音・・自分の体にキラキラとする音を出す楽器が入っているようでした。あんまり石の説明も聞こえませんでしたが、誰かが磁石を持っていてその石の側に置くとクルクルと回ってました。磁石を狂わすほどパワフルな石なのです。

行きますよ~と一行が動き出しても私は「もうちょっと・・」とひつこく声を出していましたが泣く泣くここも去ることに。世の中にこんな石があるとは・・そして、そんな石に出会えたとは・・。

この遺跡は見晴らしがいいので地元の人はピクニックによく来るそうです。こんなとこにしょっちゅう来る人達って・・・それもピクニック。信じられへん。こういうところって居るだけで宇宙と大地と繋がれる場所です。地球上でもそうそう無い場所でしょう。そこでピクニックとは・・。私も1週間くらいあそこに居たい。せめて一日でもいいから。

一行に追いつき添乗員さんと話しをしていたら、ここはUFOやら宇宙人がよくやってくる場所だそうで私は本当に無知でな~んにも知らなかったのです。そして、「あ、だから友達がチチカカ湖行くって言ったら『いいな~』と言ってたんだあ。そりゃここは来るわ、宇宙人も。そんなん全然知らなかった・・」と私が言うと添乗員さんは「そんなん知っといてくださいよ」と言った瞬間、私これ知ってる・・デジャヴでした。

宇宙から見るとここが標高も高いし地球の一番光っている場所に見えるそうで日本に帰って来てから友達に聞くとチチカカ湖は第8のチャクラと言われている場所だそう。なるほど。先日ペルーの写真を見た人がチチカカ湖のボリビア側にある滝に行ったことのある人でで、その滝の奥には地球底国(シャンバラヤ?とかアガーサ?とか呼ばれているもの?)があるとか・・そんな話になりました。

私あんまり宇宙人もアガーサも興味ないのですが、チチカカ湖に行ってなければ「ほんんまかいな」と一笑に付したこともあの場所のエネルギーを思い出すとあっても何にもおかしくないなとは思います。

ここでも泣く泣くシルスタニ遺跡を後にしましたが、私はここにやってくる為にペルーに来たんだと確信しました。この旅の目的~大地に繋がる、宇宙に繋がる~は旅するうちにどんどん簡単になってきましたがこの遺跡で瞬時にできる感覚を体験したのだと思います。そしてバスの中で気づいたのです。「あれ?そいうえば前まであった不安がない」と。私の人生ぜ~ったい大丈夫。何を今まで不安に思っていたのだろう・・と笑いがこみあげてきたくらいです。

なんかふっきれたのでしょうかね。偉大なパワーに触れるというのはこういうことなんですね。ありがとうございますです。

写真は磁石の狂う石。

ペルーの子供達

2007-11-24 | 
今日は楽しい月1のシークレットの会でした。来てくれる人達はいつも私の自慢です。今日もたくさん笑って楽しい時間を過ごしました。

連休はまあ大忙し。昨日もイベント二つあったし、明日もダブルヘッダー。来週からは通訳がまたずっと入るから(といってもこれも私にとっては遊びのように楽しいもの)なかなか時間がないなあ・・実はウロス島で出会った子供達に一緒に撮った写真を送ろうと思っているのですが、同封する手紙をがんばってスペイン語で書こうと決心したまんま、なんにも進んでない。といってもスペイン語は習ったことないので、本を見ながらフランス語の文法のノリで書こうとしているだけですが。カードだけは、クリスマスの音の出るカードを買ったのですがねえ。

ペルーで一番感動したことの一つは子供たち。なんでこんなに可愛いんだろう~と子供と出会う度、心をつかまれる感じがしました。彼らはそれだけ純粋なんだろうかとか色々考えるのだけど、それも皆さんに一度ペルーに行って見てと思う理由のひとつです。

モンゴロイド繋がりだからどこか繋がりを感じるのか、なんせ「私ってこんなに子供好きだった?」と自分で思うくらい子供達とず~っと遊んでいたいと毎回思いました。ま、子供好きではあるのですが、でもハートの底から彼らに対するたまらない感情が出てくるのが不思議でした。

ということで、私がペルー旅行で一番楽しかったのがこの学校を訪れた日。葦の島を訪れた話は前回書きましたが、最初に上陸した島から葦の船でぷらぷらとゆられながら30分ほどかけて別の島に上陸。ここには学校があります。勿論葦の上に。

フジモリ大統領時代、彼は地方も活性化させるために全国にフジモリスクールなるものをたくさん建てこのウロス島にもあるのですがそれは高学年からの学校。低学年用の学校がないそうで、私たちが訪れたのは私立の低学年用の学校。

少女達が一人でボートを漕ぎながら登校。自転車のノリです。先生が9時に来る予定ですが陸に住んでいる先生「ペルー時間」なのか9時きっちりに来るはずもなく、しばらく待っている私たちに村長さんの奥さんがやってきて子供達に号令をかけました。

全員が一列に並び何が始まるのかたお思えば、次から次へと日本の童謡を歌うのです。「アメアメフレフレカアサンガ・・」「春よ来い」「しょ・しょ・しょじょじ・・」彼らが楽しそうに体を動かしながら一生懸命歌う姿に涙が出そうになりました。人が楽しそうに歌うっていうだけで心を動かすのだなって。たくさん歌った後、最後の曲を歌いながら私たちのところに「アイシテマス」と一人ずつハグをしに来ました。それも、すごく楽しそうに。

そしてショーが終わり私達は学校に寄付をしてきました。確かに国が貧しいペルーの私立の学校ってどうやって運営しているんだろう?と思ってたのですが、すばらしいアイディアです。彼らはイギリス人観光客には英語の歌、フランス人にはフランスの歌を歌うそうです。日本人は私のように感動する人が多いのか、壁には日本から送られた絵葉書やら習字やらがたくさん貼ってありました。ということで、わたしも是非送ろうと思っているのでした。

その後、私は子供達とスペイン語のカタコトで話したり遊んだり学校を去るのが悲しいくらいもっと子供達と遊んでいたかった・・帰りの船でも青年協力隊でこのへんの小学校で教える仕事ないかしらん・・と考えたほどでした。

なんであんなに「たまらん。可愛いすぎる。」と思うのですかねえ。ハートに彼らの純粋さが届くのでしょうかねえ。他の国でこれだけ思ったことないんですよ。

写真は歌を歌う前。スカートの下に綺麗な毛糸のペチコートをはいているのを一人の女の子がみせてくれました。私達が「わあ、きれい」と言ったもんだから、スカートめくりを始めたのでした。




チチカカ湖

2007-11-20 | 
丸1日爆睡し、なんとか日常生活に復帰したものの頭の蓋がパカ~ッと空いたまんまでした。今日くらいから徐々に目が覚めてきたようです。注意力が散漫になっている為か、2日連続でガラス製品を割り、昨日は写真の現像したものをカメラ屋にそのまま忘れてきて、今日は取りに行ってきました・・何をしているやら。

ツアーでご一緒した人たちは、ちゃんと日常生活に復帰しているのか調査したいところです。ちなみに今回の私の旅のパートナーの母は、帰るや否や学生時代のコーラス仲間との前から決まっていた旅行に参加し「だいじょうぶかい?」と思っていたらみんなでコーラスしている間、立ったまま寝ていたとのこと。今日も疲れた顔をしていました。そういえば、今回の旅の添乗員さんはこの週末からまた南米に行くと言っていました。超人です。

旅の余韻も薄れてきたので、早く旅の私にとってのクライマックス、チチカカ湖の話を書かなくっちゃ・・。

6日目、クスコからチチカカ湖まで約500キロかけてバスでやってきました。ここは標高3800m。バスを降りると夕日のチチカカ湖。ひやあ~美しい~と感動したのもつかの間、頭が痛い。一生懸命腹式呼吸で酸素を送り込んでも、眉間の辺りがきゅ~っと絞られている感じ。ホテルでチェックインの準備をしている間、ロビーにおかれているコカ茶(コカインの原料のお茶。高山病対策として糖分をたっぷり取るためにこれに砂糖を入れてこの辺りでよく飲まれている)を取りに行きたいのだけれど動くのも辛いので、元気そうな母に何度もお茶を持って来てもらいました。面白いのは、他の人は「甘~っ」と叫んでいるお茶が私にはあまくな~い。よっぽど体が糖分を必要としていたのでしょう。

クスコでは高山病の症状が肩こりくらいだったのに、ここではお茶を飲んでも眉間が痛い私にガイドさんが「酸素ボンベ行ってきたら」と言ってくれました。「たいそうやしなあ」と尻込みしていたのだけど、「楽になるよ」と言われ体験として一回いってみよか~とフロントに「オキシジーナ」(スペイン語の酸素)と言うと、ハイハイと隣の小さな医務室に連れて行かれ、簡単に酸素マスクをつけて「ファイブミニッツOK?」とボーイさんはでていきました。

ファイブミニッツ経ったらボーイさんがやってきて、「はい、おわり。」なんだ、こんなにあっさりしたもんだったら尻込みする必要なかったわ。で、劇的に回復したかというとそうでもなかったけど、でも普通にしゃべれるようになっていたので少し安心してホテルの部屋までノソノソと歩いていけました。牛歩牛歩。早く行動すると疲れますからね、高山では。

晩御飯にレストランに行くと添乗員さんが全員そろっている私たちを見て、「すごいなあ。だいたいいつもここではバタバタ倒れるから半数くらいしか夕食に来ないんですよ。」で、私たちはなんでこんなに普通なの?というと、おそらくず~っと天気がいいから酸素量が多い為だそうです。雨や曇りの日は酸素が少ないから、体内に入る酸素量も少なくなるそう。

隣でビールを飲んでいたおじさんは、「あ、味が違う。あ、酔う。」と。高山ではビール一本が二本分計算です。不思議と私も食欲が全く半分になり、きっちり半分しか食べられませんでした。内臓が膨張するのですね。

この日のホテルは湖畔のゴージャスホテルでバスタブがあったにもかかわらず血行がよくなっては高山病はひどくなるので、チョロチョロとシャワーを浴びるだけ。ちなみにゴージャスホテルでもトイレには紙を流せませんでしたが・・。

湖のうつくし~い夕日、朝日もしっかり見て、翌日はウロス島へ。高山にすっかり慣れた私は元気に出発。眉間が締め付けられている間、私は「敏感だからこうなっているけど、でも私は適応力があるからすぐに慣れるのだ・・」をアファメーションを使っていた甲斐がありました。ホテル下の桟橋からモーターボートで30分ほど行くとたくさんの島が浮いています。その島々はトトラという葦を積み上げただけの島。そんな島が大小40ほどあり、その上に家を作って人々が生活しているのです。6畳くらいの大きさから何百人も生活している島まで。喧嘩したら島分かれもしちゃうらしい。

よく沈まないものです。「世界不思議発見」を見ているかのようでした。テレビの世界が今ここに。

私たちが島に上陸した時間は朝ごはんタイムだったようで、それが終わると民芸品の屋台が出てきました。湖にはたっくさんの葦が生えているので、朝お父さんたちはこの葦を取りにいき、切ってきて島の上に乗せます。なぜなら下の方から少しずつ腐ってくるから。そして、この葦でうちを作って葦の島の上にのせちゃうのです。

生活は湖の魚や水鳥をとって食べているそうですが、畑もどきも作っちゃって野菜も食べるし、家畜なんかも飼っちゃっている。そして、島同士の移動には手漕ぎボートかあるいは、この葦で作った船で移動。なんでも葦です。オヤツがわりに子供が食べていたのを少しもらうとフキを真っ白にした感じの新鮮な何も味もない繊維質食べ物でした。

実際上陸したときは島の端の部分に足をのっけるわけですから、ひええ・・おちそう・・とビビリましたが中心に歩くにつれ足元もしっかりとしているので問題なしでした。

家の移動は、4人が「せえの」って持ち上げて移動するらしいです。ほんとにシンプルな生活です。夜は今でも(一応今は夏)零下になり寒いみたいですが電気がないのでたくさん着込んで寝るらしいです。

人間ってすごいです。葦で島作ってその上に家まで作っちゃって生活できるんですもん。想像を超える生活をしている人達を見ることで世界が広がりました。写真はウロス島。

不思議感覚

2007-11-18 | 
ちょっと昼寝のつもりが、12時間ほど寝てしまいました。その間、大量の夢を見ました。なんだかとっても不思議な感覚なのです。今までに体験したことのないような・・。

夢ばっかり見てぼ~っとしている時って、大体グランディングができていないのですが、今はしっかり大地に繋がっている感覚もあります。お風呂でお腹から線が下に延びているのも見えたりして、何かついているのかと思ってゴシゴシすると別に皮膚についているわけでもなく。

帰って来て大量のメールを開け読んでいたら、MLなどの投稿で生きるということとか、愛とか、宇宙がどうやらこうやら・・というのがたくさん来ていました。いつもなら、読んで「なるほどなあ」とか「いいこと書いてるな」とか思うのですが、なんだかディスカッションする必要もないこと・・の様に感じたんですよね。すごくシンプルなこと、当たり前のことをとっても難しくしているような気がして。

うまく言葉で表現できないのですが、世界は本当にシンプルにできていて、難しくしているのは人間。何をみんな難しくしているのだろう・・と思うのですが。ペルーで大きなパワーに抱かれて体でそういうことが分かってしまったのかもしれません。だから、頭、マインドで理屈をこねることが必要なくなった気もするのですが、でもそれをどうやって愛ある言葉で説明したらいいんだろう?

ペルーに居る間もメッセージ性の強いストーリーを持った夢をたくさん見ました。そこから気づきがたくさん起こり、次のステップに進むことへの細々とした不安が一気になくなりました。次に書こうと思っていたシルスタニの遺跡を後にしたときには、「私の人生ぜ~ったい大丈夫!今まで何を不安に思っていたんだろう・・ばっかみたい~」て感じで笑いさえこみあげてきました。

ただ、この意識から現実を創りだすにはまだ2、3日ほど時間が必要な気がします。

しかし、いいかげん日本時間に戻りたいんですけど・・。

写真はクスコ郊外のサクサイワマンというところにある11角の石。手をかざすとビリビリきます。

マチュピチュ

2007-11-17 | 
リマ観光の翌日、いよいよマチュピチュへ。クスコまで飛行機で行くのですが、ストがあるという情報が入った為、予定より早めて始発の飛行機で・・ということで、午前3時出発となりました。アンデス山脈は午後から気流が激しくなるので、大量の飛行機が朝飛ぶようです。実際空港の電光掲示板には15分に1本飛行機が出ていました。まさにラッシュアワー。

クスコは標高3400m。酸素の薄い土地に急に移動するわけですから、行動はゆっくりゆっくりとアドバイスを受けます。飛行機を降りた瞬間、くらっと一瞬目まいがしたのですが、すぐに治ったのでほっとしていたところ、空港から外に出るとあくびがとまりません。眠たくなる人も居ると聞いていたので、これも高山病かしらん?と思っていたのですが、どうもエネルギーの濃いところへ来た時の私の症状(あくびとは少し違ったもので眠くはならない)と全く同じ事から、クスコがよっぽどエネルギーの高いところなんだと分かったわけです。実際、この日からずっと毎晩の瞑想では大地にすごく早く繋がれました。

この日はクスコに宿泊でなく、ここからマチュピチュへ。ストにも合わずラッキーだった私たちは余った時間でオリャンタイタンボの遺跡も見学できました。そして、オリャンタイタンボの街からマチュピチュのふもとの村、アグアスカリエンテスへ列車で移動。この列車、国鉄から数年前にオリエンタル急行の会社に売られたようで、中でオヤツや飲み物も出され、乗務員のアルパカ製品のファッションショーまでありびっくりしました。(アルパカ製品はショーの後、ワゴンで売られていました)

アグアスカリエンテスというふもとの町で一泊し、翌朝早くからバスで20分ほどのマチュピチュへ。山のお天気は変化が激しいといわれながら、私たちが居る間は全くの晴天・・参加者それぞれが「やっぱり私ハレ女だわ。ハレ男だ」と言ってました。言ったもん勝ちです。

今、ざっと地球の歩き方を読んでいると、私が聞いたガイドさんからの説明とかなり違います。本の方がもっとスペインからみた歴史観のような気がします。実際、文字を持たなかった為、解明のしようがないのが実際のところですが。

最大1万km2もあった巨大なインカ帝国時代、文字を持たない彼らの伝達手段はキープという縄にいくつかの結び目を作ったものをチャスキという飛脚がクスコと各都市間を運んでいたらしいのですが、途中6000mも越える山並みがある中、この飛脚たちは一体どれだけの速さで走ったのだろう?と誰もが思います。

インカ時代の石の組み方、石と石はぴったりとくっつきカミソリが入る隙間さえありません。現代の科学では不可能な技術といわれています。

でも、私たちの現在の技術が最高の物だっておこがましいのではないのかな?って思います。これって自分達が一番優れているっていうのが前提ですよね。

私は、反対に今の私たちはとても制限を受けていると思います。例えばオリンピックで一番早く走る人は何秒・・だから、それより早い人は居ないのだと。でも、そんな事知らなければもっと人間は早く走れるのではないでしょうか。

石垣も「できる、できない」で判断するのが私たちの現代社会ですが、「できない」という観念がない人達にとってはできるのが当たり前なのではないでしょうか。

制限をつけているのは私たち。「できる、できない」の二つがあるので、「できない」と思われているものをするのにはすごい勇気や頑張りが要るし必死にならないといけない。「どんなことも可能!」という世界に生きていれば、難なくできることかもしれません。

インカの人達は自分達が太陽の子孫だと思っていたようで、どの遺跡にも太陽を崇拝、繋がっていた石があります。他にも聖なる岩、コンドル神殿、日時計などを見学しましたが、面白かったのは写真のインカ橋。チャスキ(飛脚)たちが通ったインカ道。今では手前でストップですが、こんなところを全速力で走っていたんですねえ。



リマ

2007-11-16 | 
ペルーは広くて、見るべきスポットが広範囲に広がっているので、バス、飛行機を乗り継いでのハードな旅でしたが皆思ったより元気だったのは、訪れる場所がパワースポットだからではないかしらと私は密かに思っています。

今回は母に誘われツアー参加しましたが、今までにない最高の旅でした。添乗員さんは月2回は南米へ仕事へ行き、尚且つプライベートでも南米に遊びに行くという南米好きな方で、自分の好きなところだから皆にもよさを分かって欲しいという素晴らしいエネルギーに満たされたツアーだったし、現地のガイドさんも素敵でした。クスコやマチュピチュをガイドしてくださった方は、日本で20代の頃舞台女優を目指していた方で、彼女曰く「一回一回のガイドをステージだと思っている。」すごいプロ意識です。本当に好きなことを仕事にしている人、誇りにしている人は、周りを気持ちよくさせるものだと改めて思いました。これも新しいパラダイムですね。

最初に到着したのは、首都リマ。夜中に到着したのですが、ホテルまでのバスの中では電気を消されました。中が丸見えだと強盗にすぐ狙われちゃうらしいのですが、そうは言ってもフジモリ大統領時代以降リマはだいぶ治安がよくなったとのことでした。

リマでは、映画「4分の1の奇跡」登場した天野博物館、黄金博物館を見学し、インカ帝国、その前のプレインカについての説明を受けました。

実を言うとヨーロッパなどで博物館や美術館に行くと結構退屈する私ですが、ペルーでは見るものが全て新鮮でした。天野博物館の土器や織物のコレクションはすごいです。特にチャンカイ文化という紀元前1000年ごろのプレインカの時代には、絞りの技術があったり、土器の模様に鵜飼があったりと日本人に馴染みのあるものがあり、とても興味深かったです。

実は私たちの祖先モンゴロイドはベーリング海峡がまだ地続きだった頃、アラスカに渡りその後南下しインディアンになった人達、あるいは先住のインディアンが居たためにメキシコ、マヤに残った人達、あるいはそこも経てもっと南下しアンデスまでやって人達も居たそうです。それがペルーのインディオらしく、インディオの子供たちには蒙古斑がある子も多いそうです。実際、田舎でバスから子供お尻が見えたのですが、本当にありました。

黄金博物館は、煌びやかな黄金の数々の品が・・。ほとんどの金製品がスペインに征服されたときに持っていかれたと説明を受けました。この時はスペインの征服ということがあまりよく分かっていませんでしたが、その後、訪れる場所全てでこの説明をきくことになります。

インカの人達は貨幣経済を持たなかった為、黄金はインカ帝国のものだったのです。それが、スペイン人がやってきて要するに自分達の欲の為にインカの金という金をヨーロッパに持ち出したのでした。その年ヨーロッパで大きなインフレが起こったと言いますから、相当な量の黄金を持ち出したと推測されます。

あるいは、その黄金で自分達の教会を建てたりもしました。クスコという街にあるカテドラル。この教会、内側はキンキラキラキラ輝く黄金のイエスやマリアの像や祭壇やら・・しかし、これ全部インカ帝国から奪った金です。

スペイン人、インカの時代のものをことごとく壊そうとしたけれど、あまりにも強固な建築で土台がくずれず、このカテドラルはインカの時代に作った土台の上にスペイン人が教会を建てたのですが、皮肉なことにスペイン人が建てた教会は地震で崩れましたがインカ時代の土台はびくともしなかったそうです。

リマの黄金博物館に話を戻すとインカ帝国時代の黄金の出土品、デザインなどが私には見たことのないものでしたが、スペイン統治後の金の製品は「あ、こんなん知ってるわ」と思う製品でした。ナポレオンみたいな顔や教会で見るキリストの姿が描かれた装飾品などです。

ペルーの旅で何度も考えさせられたのは、私たちが学んだ歴史というのは結局欧米、ペルーですとヨーロッパが作った歴史だなということです。コロンブスの新大陸発見・・たって、元々はインディアンの土地にヨーロッパ人が入ってきたのですから。

今、私が通訳をしている人達というのは、白人のアメリカ人といっても古代の文明、インディアンやマヤ文明やインカ文明などと繋がっている人達が多いので、その人達が言っている話をベースに今回私が感じたのは、今私たちが居る社会、文明は征服者スペイン人たちに代表されるように、人を傷つけてまで自分達の欲を満たそうとしたパラダイム。しかし今、その時代が終わりつつあるのだと思います。

私たちはこれからもっと古代文明に戻っていき、もっと自然や宇宙や繋がることを思い出していくのだと思います。便利な道具を持ちながら、古代人のようにもっと宇宙と繋がれたら本当に素晴らしい社会になるでしょうね。

写真はリマの貧民窟。田舎から仕事を求めてリマにやってくる人達、失業率の高いペルーでは仕事にすぐにつくこともできず、住むところがないために自分たちで勝手に空いている国の土地に家をつくり住み着いちゃうそうです。政府の出て行け攻撃といたちごっこを繰り返した後、5年か10年かかって政府が根負けしたら自分達の家になるそうです。

帰ってきました

2007-11-15 | 
先ほど、30時間かけて帰ってきました。前日は、午前1時ホテル到着、5時起き、2日間でバス走行1000キロなどなどハードなスケジュールでしたが、思ったより元気です。ただ、今でも飛行機に乗って揺れているような気がしますが・・。

でも、あまりにも素晴らしいペルー旅行だったので、何か書きたくなったのでした。

南米は私にとって初上陸。見るもの、聞くもの、感じるものが全て今まで行った国と異なっていました。

ある意味、異次元でした。
だから30時間かかってもしょうがないのかもしれません。

高山病もちらっとかかって酸素ボンベも少しお世話になりましたが、それでもすごいパワーのある土地、もうたまらん・・という感じです。宇宙と大地としっかり繋がりたい・・という旅の今回の目的はしっかり叶いました。帰りの飛行機の中で見た夢で「魂の目的を遂行するときに、人は本当の自由になる」というメッセージまで出てきて、ひえええと一人で感動していました。

チチカカ湖の近くのシルスタニ遺跡では、方位磁石も狂うという強い石があり、その側に寄って石に触れると自然に声が出てきて、倍音出してました。声の響きが変わりました。

また写真しっかり整理して、ペルーについて書きますね。
写真はおなじみのマチュピチュ遺跡。

アンデス万歳!!