ただいま
2007-11-26 | 旅
ペルーから帰って今日で10日ほど。
今日で私はやっとペルーから、時空を越えた旅から、今ここに帰ってきました。なんだか個人的なことだから、書くのもなあ・・と思ったのですが、すごく大事なことも含まれるからシェアーしたいなと思い書くことにしました。
実は帰ってからものすごい頭痛に悩まされていました。左側の頭、首、肩にかけて普段なら「ここには来ないな」という場所にひどい痛みがあり、自分なりにシータヒーリングを行ったり、ホメオパシーのレメディ飲んだり、オイルをつけたりとするのですが一向によくなりません。
これは完璧に骨ずれてるわ・・と思い、物理的な治療法が必要だと感じ土曜日にはカイロの先生の所に行きました。「こりゃひどい」とすぐに治療してくれて、次の日には治るはずなんですが、少しマシになったけどまだ完治しない・・一体どういうこと?
今日はヒーリングをやっているお友達に相談しました。
すごいリーディング力を持つ彼女から次々にいろんなことがでてきました。
私一人で探っているときは、自分の問題としか思っていないので「偉大なパワーを受けたけれど、まだ自分に制限を加えているからエネルギーが滞っている」というものしか分からなかったのですが・・・
サクサイワマンの要塞というところがクスコ周辺にあります。そこはスペイン人に反逆を企てた2万人の兵士が陣取ったのですが、夜は戦わないインカ兵はスキをつかれ作戦も失敗し円塔の大部分が壊されてしまったという場所です。
ガイドブックによると宗教的なものか、要塞なのかはっきりしないが、クスコは町全体がピューマの形をしていてこのサクサイワマンはピューマの頭に当たるのでクスコの管理事務所的役割もあったと思われる・・と書いてあります。
この話を添乗員さんとこの場所でしたのを覚えています。要塞っていうのはスペイン人の考え方で、本来は神への祀りごとのためだったのじゃないかな、結局は意識の問題だよね・・という話をしたときに、「結局は意識の問題」というフレーズがぴかっと光ったんですよね。だから覚えているのです。私も絶対ここは元々神様とコミュニケートする場所だったに違いないって確信したし。
話はもどって私の頭痛の原因をリーディングしてもらったら、「そこで殺された」というではありませんか。私もリーディングされている間、頭蓋骨のイメージ、要するにガイコツの頭ばっかり見えるのです。そして、旅の間「『かわいそう』と思ったりしなかった?」言われ、確かにスペイン人にやられてインカの人達かわいそう・・て思ったわと思い出しました。
どうやら私はそこの戦いで死んだスペインの若き将校だったようです。国のために一生懸命戦ったのでしょうが、そこで平和に過ごしていた人達を殺してしまったことに罪悪感や苦しさを覚えて死んでいったようです。
では除霊して終わり・・だったら、その辺のスピリチャルという名のもとに適当なことをしている人達になってしまうので、ここからが大切なことです。そして、ここからがシェアーしたいこと。
一般的にはまだまだ知られていないことですが、宇宙次元で考えたら「善悪」というものはありません。全ては私達が魂の進化をとげるために必然的に起こること。そこに「いい、わるい」はないし、「これはいいこと、これは悪いこと」とジャッジする必要も全くないのです。
私はできるだけテレビを見ないようにしています。新聞を読むのもやめました。なぜなら、マスコミというお化けは善悪というレッテルを貼ることだけに夢中になっているからです。だいたいは「善」ではなく「悪」ばっかりですけど。
何か事件が起こったときにマスコミと同じように犯人=悪と責めることは簡単です。でも、私達は全て繋がっている・・つまり、犯人と同じようなものを私達だって持っているのです。その事件から学ぶべきことは、絶対に自分はそんな生き方をしないでおこう~と誓うことだけです。
だから何が起こってもそこに入りこまないで、もっと高い創造主の観点から見るように心がけているので、普段聞く事件にはエネルギー的に巻き込まれないようになってきました。
しかし、戦争とか殺戮とかそうなると私は「インカの人かわいそう」「ひどいスペイン人」とか、きっちり「善悪レッテル」をはっていました。争いをすることによって私達は「争いっていうのは無意味だ」と学ぶわけです。争いをしてはいけないんだ・・と。
だから、スペインの若き将校の私?にもそこで戦うことは、魂が進化するために、学ぶために起きたことなんです。だから罪悪感をずっと持ち続ける必要はなく、そして今回その罪悪感を癒すためにサクサイワマンに行ったという見方もできると思うと、人生はほんと不思議に満ち溢れている。
なかなか難しい題材なのでうまく説明できませんが、これからは歴史を聞くときも、悲しい過去の歴史であろうと「善悪レッテル」を貼ること、「ひどい」「かわいそう」とその歴史の中に入るのではなく、もっと高い視点から慈悲をもって「そこから何を学ばないといけないのか」を問いかけていきたいと思います。
そうでないと争いのないところなんて無いんだから、旅行いくのも怖くなっちゃいますもん。ま、ちょっとしばらくいいかな・・と思っていますが。なにはともあれ頭痛がひいてきてハッピーで、やっと「今・ここ」に帰ってこれた気がします。
今日で私はやっとペルーから、時空を越えた旅から、今ここに帰ってきました。なんだか個人的なことだから、書くのもなあ・・と思ったのですが、すごく大事なことも含まれるからシェアーしたいなと思い書くことにしました。
実は帰ってからものすごい頭痛に悩まされていました。左側の頭、首、肩にかけて普段なら「ここには来ないな」という場所にひどい痛みがあり、自分なりにシータヒーリングを行ったり、ホメオパシーのレメディ飲んだり、オイルをつけたりとするのですが一向によくなりません。
これは完璧に骨ずれてるわ・・と思い、物理的な治療法が必要だと感じ土曜日にはカイロの先生の所に行きました。「こりゃひどい」とすぐに治療してくれて、次の日には治るはずなんですが、少しマシになったけどまだ完治しない・・一体どういうこと?
今日はヒーリングをやっているお友達に相談しました。
すごいリーディング力を持つ彼女から次々にいろんなことがでてきました。
私一人で探っているときは、自分の問題としか思っていないので「偉大なパワーを受けたけれど、まだ自分に制限を加えているからエネルギーが滞っている」というものしか分からなかったのですが・・・
サクサイワマンの要塞というところがクスコ周辺にあります。そこはスペイン人に反逆を企てた2万人の兵士が陣取ったのですが、夜は戦わないインカ兵はスキをつかれ作戦も失敗し円塔の大部分が壊されてしまったという場所です。
ガイドブックによると宗教的なものか、要塞なのかはっきりしないが、クスコは町全体がピューマの形をしていてこのサクサイワマンはピューマの頭に当たるのでクスコの管理事務所的役割もあったと思われる・・と書いてあります。
この話を添乗員さんとこの場所でしたのを覚えています。要塞っていうのはスペイン人の考え方で、本来は神への祀りごとのためだったのじゃないかな、結局は意識の問題だよね・・という話をしたときに、「結局は意識の問題」というフレーズがぴかっと光ったんですよね。だから覚えているのです。私も絶対ここは元々神様とコミュニケートする場所だったに違いないって確信したし。
話はもどって私の頭痛の原因をリーディングしてもらったら、「そこで殺された」というではありませんか。私もリーディングされている間、頭蓋骨のイメージ、要するにガイコツの頭ばっかり見えるのです。そして、旅の間「『かわいそう』と思ったりしなかった?」言われ、確かにスペイン人にやられてインカの人達かわいそう・・て思ったわと思い出しました。
どうやら私はそこの戦いで死んだスペインの若き将校だったようです。国のために一生懸命戦ったのでしょうが、そこで平和に過ごしていた人達を殺してしまったことに罪悪感や苦しさを覚えて死んでいったようです。
では除霊して終わり・・だったら、その辺のスピリチャルという名のもとに適当なことをしている人達になってしまうので、ここからが大切なことです。そして、ここからがシェアーしたいこと。
一般的にはまだまだ知られていないことですが、宇宙次元で考えたら「善悪」というものはありません。全ては私達が魂の進化をとげるために必然的に起こること。そこに「いい、わるい」はないし、「これはいいこと、これは悪いこと」とジャッジする必要も全くないのです。
私はできるだけテレビを見ないようにしています。新聞を読むのもやめました。なぜなら、マスコミというお化けは善悪というレッテルを貼ることだけに夢中になっているからです。だいたいは「善」ではなく「悪」ばっかりですけど。
何か事件が起こったときにマスコミと同じように犯人=悪と責めることは簡単です。でも、私達は全て繋がっている・・つまり、犯人と同じようなものを私達だって持っているのです。その事件から学ぶべきことは、絶対に自分はそんな生き方をしないでおこう~と誓うことだけです。
だから何が起こってもそこに入りこまないで、もっと高い創造主の観点から見るように心がけているので、普段聞く事件にはエネルギー的に巻き込まれないようになってきました。
しかし、戦争とか殺戮とかそうなると私は「インカの人かわいそう」「ひどいスペイン人」とか、きっちり「善悪レッテル」をはっていました。争いをすることによって私達は「争いっていうのは無意味だ」と学ぶわけです。争いをしてはいけないんだ・・と。
だから、スペインの若き将校の私?にもそこで戦うことは、魂が進化するために、学ぶために起きたことなんです。だから罪悪感をずっと持ち続ける必要はなく、そして今回その罪悪感を癒すためにサクサイワマンに行ったという見方もできると思うと、人生はほんと不思議に満ち溢れている。
なかなか難しい題材なのでうまく説明できませんが、これからは歴史を聞くときも、悲しい過去の歴史であろうと「善悪レッテル」を貼ること、「ひどい」「かわいそう」とその歴史の中に入るのではなく、もっと高い視点から慈悲をもって「そこから何を学ばないといけないのか」を問いかけていきたいと思います。
そうでないと争いのないところなんて無いんだから、旅行いくのも怖くなっちゃいますもん。ま、ちょっとしばらくいいかな・・と思っていますが。なにはともあれ頭痛がひいてきてハッピーで、やっと「今・ここ」に帰ってこれた気がします。