タイトルを 「自分に『カエル』の日記」にまたまた変更しました。カエルネタでいただいたコメントに「本当の自分にカエル・・」という素晴らしい表現があったので、「いただき~」ました。ありがとうございます。
カエルカエルと言っていると、最近ゲコゲコ鳴いているカエルもなんだか身近に感じます。私がもう一つ似ていると言われているのは「金魚」。小学校の頃は男の子に「でめき~ん」と呼ばれていました。今なら「なんやそれ、おちょくっとんかい。それって気引きたいってこと?」くらいの突っ込みは入れられますが、その当時は「ヤダヤダ! デメキンなんか嫌い、嫌い、大嫌い!!」と思っていましたが、今では金魚掬いをする度にデメキンを愛おしく眺めてしまいます。掬ったら紙破れますからチャレンジしませんけどね。
体調もばっちり回復し、暴れたいほど元気になりました。しかし、今回の真夜中の胃痛はどう考えても疲労だけではないな~と気になりだし「うっうっ・・また自分の見たくないところが出てくる・・でも今逃げてもまたすぐ出てくるもんな・・」と観念し、他人をゆるす、自分をゆるす「フォーギブネス」というオイルを使って瞑想してみました。
私が最近思い切って捨てたアメリカ時代の本やノートの思い出には、「頑張る」だけではない想いがありました。勉強や仕事をがんばってしていたことに対しては否定的な思いはなく、実際の生活の中で小さい英語のできない日本人の私が巨大なアメリカ人の中に入って馬鹿にされないように、認められるように「頑張って」いた、無理をしていたときの「しんどかった」感情がでてきました。
それまで日本で声を上げて怒ったこともないのに、自分が怒っていることを見せるために無理してアグレッシブな態度を取ったり・・でも本当は私そんなことしたくなかったんですよね。今はそんなこともないですが、ちょっと前まで英語を話すと戦闘モードになっていました・・私。
自己アピールしないと認められない、馬鹿にされる・・・本当の自分でなくなっても認められたい、馬鹿にされたくない・・それって、他人軸、他人志向。他人が認めてくれるから自分を認めるって、他人にイニシアティブを譲っている。誰も認めてくれなくても、みんなが馬鹿にしても、自分が自分を認め、自分が自分を馬鹿にしなければいい・・。
しかし、本当に玉ねぎの皮むきです。一つ解放したらまた一つ・・でも、それが「本当の自分にカエル」プロセスですね。
カエルカエルと言っていると、最近ゲコゲコ鳴いているカエルもなんだか身近に感じます。私がもう一つ似ていると言われているのは「金魚」。小学校の頃は男の子に「でめき~ん」と呼ばれていました。今なら「なんやそれ、おちょくっとんかい。それって気引きたいってこと?」くらいの突っ込みは入れられますが、その当時は「ヤダヤダ! デメキンなんか嫌い、嫌い、大嫌い!!」と思っていましたが、今では金魚掬いをする度にデメキンを愛おしく眺めてしまいます。掬ったら紙破れますからチャレンジしませんけどね。
体調もばっちり回復し、暴れたいほど元気になりました。しかし、今回の真夜中の胃痛はどう考えても疲労だけではないな~と気になりだし「うっうっ・・また自分の見たくないところが出てくる・・でも今逃げてもまたすぐ出てくるもんな・・」と観念し、他人をゆるす、自分をゆるす「フォーギブネス」というオイルを使って瞑想してみました。
私が最近思い切って捨てたアメリカ時代の本やノートの思い出には、「頑張る」だけではない想いがありました。勉強や仕事をがんばってしていたことに対しては否定的な思いはなく、実際の生活の中で小さい英語のできない日本人の私が巨大なアメリカ人の中に入って馬鹿にされないように、認められるように「頑張って」いた、無理をしていたときの「しんどかった」感情がでてきました。
それまで日本で声を上げて怒ったこともないのに、自分が怒っていることを見せるために無理してアグレッシブな態度を取ったり・・でも本当は私そんなことしたくなかったんですよね。今はそんなこともないですが、ちょっと前まで英語を話すと戦闘モードになっていました・・私。
自己アピールしないと認められない、馬鹿にされる・・・本当の自分でなくなっても認められたい、馬鹿にされたくない・・それって、他人軸、他人志向。他人が認めてくれるから自分を認めるって、他人にイニシアティブを譲っている。誰も認めてくれなくても、みんなが馬鹿にしても、自分が自分を認め、自分が自分を馬鹿にしなければいい・・。
しかし、本当に玉ねぎの皮むきです。一つ解放したらまた一つ・・でも、それが「本当の自分にカエル」プロセスですね。