シンガー『ナターシャ』のブログ

関西・東京・名古屋・広島、そして台湾もグローバルに歌うシンガーソングライター、jazzシンガーナターシャのブログです

ギャル体験

2008-07-28 | 
今日もまた面白い体験をしました。

今日の洪水、関西地方もすごかった。ちょっとした夕立かとたかをくくっていたらえらいこっちゃでした。

姪が学校からの帰り、傘を持ってなかったことが判明しバス停まで大雨洪水の中、ダッシュで迎えにいきました。ちょうど彼女がバスを降りた瞬間に私もバス停に到着しほっと一息・・の間もなく、二人で「プールみたい」と言いながら洪水の中を歩いていました。私はその後、大阪に出なければいけなかったので、そのまま駅に行くつもりでいたのですが、大雨雷洪水の中を歩いたものだから、傘をさしていたのにもかかわらず水泳した後のよう。服がずぶ濡れ、水着状態になってる。このままでは大阪行けないなあ、でも着替えないしどうしよう・・と私が困っていたら、姪が「服も靴もかしてあげるよ。大人用のサイズの服あるよ。」と言うのです。

姪は小6。ちょっとおませなので、お洒落が大好きで私服はいわゆる「ギャル」というか中学生か高校生が着てそうな服を着て、ヒールのあるミュールがお気に入り。

しかし、いくらなんでも私には入らんだろう・・と思いつつ、ご厚意に甘えて着替えてみるとウエストのところがゴムになっていたのではいったのでした。「ぶさぶさにしたら弁償してね」と脅迫されましたが他にチョイスもないので彼女の短パンというより、ホットパンツとTシャツ、そしてヒールのミュールで大阪に行きました。

だいたい、夏でも冷えるのが嫌なのでスカートさえはかない私。それが、今日は鼠蹊部(ソケイブ)から下、つまり太ももは裸。なおかつ彼女のミュールは私にはぶさぶさで雨の中走ったら脱げるし。年齢不詳といわれる私でも、さすがにこのホットパンツで電車に乗るのはちょっと恥ずかしい・・

さて、大阪では友達と待ち合わせをしていたのですが、いきなりこれで登場したら目とびでるだろう・・と前もって「すごい格好しているけど、びびらんといてね」とメールしたにも関わらず、待ち合わせ場所でなかなか見つけてもらえず、私を見つけたときはかなり驚きもよう。そりゃそうです。突然ギャルのいでたちをした、リゾート女がでてきた~てところでしょうか。

しかし、いつまでも恥ずかしがってはみっともないので、気持ちは「いつもこんな感じよ」と思い込もうとしつつ、「今日は偶然誰か知っている人に会いませんように」と唱えながら大阪を歩いていました。

ちょうど今朝、母に「もっと足だす格好したら」と言われたので、つかさず「冷えるもん、イヤ」と答えたところでした。言霊か母の念力か・・その日のうちに「足出す格好」が実現してしまいました。しかし、こんなことなければギャルの格好で街に出ることもないので、ちょっとした「ギャル体験」で面白かった。

しかし、雨の中のホットパンツはかなり冷えました。全然ホットでなくコールドパンツでした。暖かいお風呂に入らなくっちゃ。




注意報

2008-07-25 | カラダとこころ
でたあ、注意報!

今朝、ごはんを食べたら胃が痛い。食道から胃につながるところが痛い。ホメオパシーの本の消化器系のところをぺらぺらめくりながら横になりました。

でも、今日は月1回診てもらうカイロ(カイロプラクティック)の日。京都まで行くので、せっかくだから最近仲良しの京都のお友達と会う約束までしたし、キャンセルはしたくない・・でもしんどい・・とレメディを口にいれながら悩む。

痛みの理由はいくつでも浮かぶ。
この1週間私の頭の中はアイスとビールのことばかりでした。何をしていても浮かぶのはそればかり。冷たいものの摂り過ぎ注意報だわ、きっと。

半時間も横になっていたらだいぶ楽になったので、がんばってでかけることに。いつもの通りカイロの先生に「どうですか?」ときかれ、この2,3日右肩の周り方に違和感がでてきてギッコギッコ言うのが気になったのと、胃痛のことを言うと、「関係あるのかなあ」と色々チェックしてくれた結果、胃はレッコウヘルニアでした。

これ、以前にもなって治療してもらったことあるのですが、体のゆがみから胃の位置が横隔膜のところに入り込んでしまってるらしい。「こりゃ、痛いわ」とのこと。肩が変になったことから胸椎にきて、そのゆがみから胃にきたようでした。

この治療がまた痛いのですが治してもらって数時間後にはしっかり食欲もでてきました。でも!今日の夕食は温かいおうどん。今も温かい紅茶を飲んでおります。直接原因ではなかったにせよ、やっぱり冷たいものはひかえましょう。

こういうのって、一般的には「胃が痛い」→「胃薬」となるのでしょう。しかし、その場で痛みが治まっても根本的な治療になっていないから薬が手放せなくなる・・悪循環に陥りがち。実際私も体に興味を持つ前までは、こういった悪循環のまっただなかに居ました。しかし、原因がわかってよかったあ。

一時期、居酒屋に入ったらまずは「熱いお茶」をたのんで、それをすすりながらオーダーをするという習慣があったのですが、今年の夏はすっかりそんな習慣もぶっとんでました。最近は優秀な魔法瓶が出ているから熱いお茶を持ち歩くのもいいかもしれない。

注意報をしっかり受け止めて警報に至らないように生活改善いたします。しかし、今日の京都も暑かった。天気予報で37度だから40度は絶対あったな。

はかなきもの

2008-07-22 | いいこと
もりあがってますなあ、セミさんたち。

私は動物は怖いけれど、昆虫類は怖くないのでよく網もってセミは捕りました。なんだか100年くらい前の話のよう。

さて、このセミ。南仏では幸福のシンボルで土産物屋さんでは、セミのクリップだの、セミ柄の布などセミグッズがたくさん売っています。

なんで幸福のシンボルなのでしょう?

答えは、夏の間しか生きられないセミ。その生きている間じゅう、ずっと歌っていられるから。生きている間ずっと歌ってられるなんてなんて幸せな生き物なんでしょう・・ということで幸福のシンボルなのでした。


日本では、夏の間しか生きられないセミ。ここまでは一緒。たった短い夏しか生きられないのに、その間ずっと鳴いていて(泣いていて)、鳴くことしかしなくて、夏が終わったら死んでしまう・・なんて儚いのでしょう・・となるわけです。「鳴く」という単語が「泣く」と同じ音だというのもあって、なんだか切なくなります。

「儚さ」「もののあはれ」から「わび・さび」に繋がるんだろうから、これが日本のバックボーン。考えれば桜もたった一週間だからこそ花見も盛り上がり、桜が散るころになると、なんだか儚い感じがするし。

しかし、ところ変わればセミの解釈もここまで変わる。

セミの声をききながら、私にはう~ん、どっちだろ? やっぱり儚さかな。うるさい!と思うけど、「がんばれ!」とも思うなあ。あんまり楽しそうに歌っているようには思えないなあ。しっかり日本人のDNAです、私。

真夏じゃん

2008-07-20 | 近況・イベント
いつのまにか真夏になってる。

帰りにコンビニでビールを買うのが日課になりつつありおっさんみたいだ。私はビールが好きではないと思ってたし、フランスから帰った頃など私は一生ビールは飲まないかも・・と思っていたのに。毎日ビール飲みたいなんて思ったこと今までの夏には起こらなかったのに・・この暑さのせいだ、きっと。湿気のある日本ではやっぱり「とりあえず」ビールなのだった。今日はぐっとこらえてコンビニで炭酸水にしておいた。夏はまだ始まったばかりなのに、この調子ではビール腹になってしまう。

シンガポールでときどき現地の人が持っていた日傘を思い出していた。私の持っている日傘では太陽はどんどん通過し、百会(頭のてっぺん)がピリピリむずむずするからだ。道を歩いていて、くすぐったくて笑いそうになるときがある。それはさすがにまだする勇気がないからこらえてる。もうちょっと歳をとったときの楽しみにとっておく。

太陽エネルギーが百会から体に入ってくれているのは有り難いけれど、私の日傘はあまり役にたっていないようなので、シンガポールのシルバー色の日傘を思い出したのだった。全然お洒落でもないただの銀色の傘。でも見るからに太陽を反射させている感じがするし、あれ欲しいなあ・・・と思ってたら今日シルバーの傘をみっけた。

さすが日本。お洒落な裏地がついていて、UV95%カットらしい。研究に研究を重ねたんだろうなあ。値段もシンガポールのなんてきっと300円くらいだろうけど、日本のは3000円近くもした。

今日は誘われたイベントに行ってきた。一人で行くには場所が分かりにくいところだったので駅でピックアップしてもらったのだが、車に乗っていた人がみんな着物と浴衣でびっくりした。「き・き・きょうは着物着用ですか?」と聞きたいほどだったけど、そんな訳はなく皆さん着物のプロだった。さっすがに綺麗に着ていた。美しいものを見せてもらった。

私も一瞬浴衣で行こうかなと思ったけれど、浴衣みたいなカジュアルなものを着てはいけないところかもしれないし、着物はさすがに暑くて手がでなかった。先週浴衣を着たときでさえ、着るときに汗だくでドロドロになったし。着物のプロたちは「着るときは暑いけど、着ちゃったら結構涼しいですよ」と言っていた。確かになあ。そういえばそうだ。

そのイベントは9月にオープンするカフェを借りて行われたのだが、そこのオーナーは20歳くらいの可愛らしい女の子だった。砂糖は全く使わない野菜のお菓子をメインにフランスでパティシエと薬学を学んだ人とやっていくらしい。私と同じようなことを考えているなあと面白かった。

その彼女の本業は映画監督。作品が京都映画祭に選ばれたとかで宣伝していたけど、その題名が「今日が最後の日だったら」(若干違うかもしれないけど、そんな感じのタイトル)。ちょっと前にその詩をブログに書いたので、これも面白かった。

20歳くらいで映画監督ってどんな感じなんだろう。私の教え子20歳もこの間、映画監督になりたいって言ってた。そんなことを考えてたらカナダに移住した映画監督の友達を思い出した。どうしているのかなあ。先月も現在映画を撮影しているイギリス人に出会った。私が映画の字幕に携わった話をすると興味深々だった。翻訳が必要になったら連絡するね・・と言ってたけど、本当にするなら今度は映像翻訳を勉強しないといけないな。まあ、お互いが必要だったら繋がるからそのとき考えればいいや。しかし、映像で表現するってどんな感じなんだろう。今の私には想像がつかないな。

炭酸水がなくなった。暑いなあ・・ビール飲みたいなあ・・アイス食べたいなあ・・無いから寝るしかないか。


西の魔女が死んだ

2008-07-18 | 映画、本、劇など
周りからの絶賛の声をききながら、なかなか時間がとれなくてや~っと念願かなって観てきました、映画「西の魔女が死んだ」。

ほんとに素晴らしい映画でした。

まずこの映画宣伝を見たときにびっくりしたのが、主人公があのシャーリーマクレーンの娘サチパーカーということ。ああ、あのシャーリーの本に出てくる娘さんね・・と、もうそれだけでストーリーも全く知らないうちから「絶対みるぞ!」と決めました。

「アウトオンアリム」を初め、シャーリーマックレーンの本で人生が変わった人、精神世界への扉となった人は大勢いますが、私も初めて読んだときの驚きと感動は忘れられません。考えれば私が初めてペルーに興味を持ったのも、あの本の中にでてくるペルーの温泉でシャーリーが幽体離脱みたいな体験(だったっけ? ボキャブラリーが貧困ですみません)をしたという話がきっかけだったような気がします。

実は、あの温泉、マチュピチュのふもとのアグアスカリエンタスという私も見た温泉だということが、最近になって分かったのでした。前回は衛生面でよくないという情報しかなかったから入らなかったけど、次回行ったら足だけでも絶対つかるぞ!!

話を戻すと、この映画、大自然の映像の中で淡々と流れるのですが、そこにちりばめられたメッセージが一つ一つ、ものすごく大切なことばかり。涙がぽろぽろこぼれます。会場で鼻をすする音があちこちで・・。

サチさん演じるおばあちゃんが、孫のまいちゃんに深い愛情をもって色々なことを教えるのですが、全ての教えが素晴らしくて「なんていいことを言うんだ」といちいち感動するのですが、その中で私が一番好きだったところは・・。

まいちゃんが、「死んだら人間はどうなるのか?」という問いに対して、おばあちゃんが「私の信じていることをお話しましょうか」とお話します。おばあちゃんは、人間は魂と体でできていて、死ぬと魂が抜けるのだと話します。魂はなくならないの・・魂は成長するの・・と言うと、まいちゃんは「私、別に成長なんてしたくない」といいます。

そのとき、おばあちゃんは、

「それはね、草が光の方に向いて伸びていくのと同じ。魂は成長したがっているのですよ。」

とまいちゃんの頭を撫ぜながら優しく言います。



私は「なぜ人間は生まれるのだと思う?」「なぜこの世に生きているのだと思う?」と聞かれたときには、いつも「魂の成長のため」だと答えます。

先月かっこちゃんこと山元加津子さんの講演会でゆきえちゃんが生前「なんのために人間が生まれるのか、生きるのか?」という問いに対して「愛して愛されるため」と答えていた話をしてくれました。何度か聞いた話なのに、その時の私にその言葉が残りました。

私は自分のことをよく「ああ、まだまだだなあ」と思います。魂が成長しきっていたら人間として重たい体をもって体験する必要もなく、そうなればここに居るはずもないから『まだまだ』なのは当たり前なんだけど、よく周りの人から「自分のことを『まだまだ』ばっかりじゃなくって、すごいって思うことも大切だよ」と言われます。

そのゆきえちゃんの話を聞いたとき、私は「まだまだだ」と思うのは、「人生の目的=魂の成長」と思っているからかなあ・・終わりのないゴールだから「まだまだ」て思うのかなあ・・なんて思ったりしました。

本質は一緒なんですけどね。魂の成長は「愛」を知るため、体験するためだから。でも、なんだか「魂の成長」という言葉が少しひっかかっているのは確かでした。

だから、今日映画の中でおばあさんが「魂は草が光の方に伸びるように成長したいと思うものなの。それは自然のことなの。」と言ったことばがとても嬉しかった。別に無理してがんばって成長したい!って思うのでなくって、私の魂は自然に光の方に伸びるように成長したがっているんだって分かって嬉しかったのです。

柔らかい優しい映画です。そして、その中には全ての本質がメッセージとして伝えられている・・本当に素晴らしい映画です。まだの人は是非みてみてください。

ここちよさ

2008-07-15 | 近況・イベント
昨夜、関学OBフルバンドのライブに行ってきました。またまたスーパー楽しい夜でした。

演奏開始から私はすごく楽しくってノリノリでイエーイって感じだったのですが、途中でかばんの中の携帯にプルルとメールが入りました。それまで何回かプルルと振動を感じても放っておいたのですが、なぜだかその時はメールを開かなくっちゃと感じあけました。

そのメールは胸が痛くなるような内容でした。その人の気持ちがどうして私は分かってあげられなかったんだろう・・という罪悪感まででてきて、それまでの楽しい気分が一気にダウン。読まなかったらよかった・・と思うものの、読んでしまったものはしょうがない。

「私もったいないことしてる。せっかく楽しい音楽聴いてるのに・・今のこの楽しい瞬間を感じないともったいない・・」と思いつつ、そう簡単に切り替えられるわけではありません。

でも、心に重いものを感じつつも、しばらくしたら自分が心地よい音の中に居ることが分かってきました。最後の曲です・・て紹介されたとき、「えっ、最後?もっとやってて。この音の中に居たい。」って思ったからです。

言葉で説明するのは難しいけれど、辛いことを忘れさせてくれる・・というのとちょっと違って、重いものを心に持っていても心地のいい空間、それをつくる音、素敵だなって思いました。その音を作っていた人達が素敵だったからだろうなって思います。

終わって楽しい宴会でビールと餃子いただいていたら、すっかり上機嫌になってました。家帰ってもう一度そのメール読んだら、全然違う印象受けました。送られた内容に「う~ん、そうか~?」と思うほど。さっきの自分を責める気持ちなんて全然なくなっていて、こんなに受け方って変わるわけ?と呆れました。

何がどう変わったかは分からないけど、あの音の空間が有り難かったことは確かです。音を出す人、受ける人、全てのエネルギーでなりたっていた空間。きっと一人で家であのメール読んでいたら、必要以上に自分を責めていた気がします。

なんか面白い体験でした。だから、あのときメール開けたんだろうな。

コミュニケーション

2008-07-12 | 近況・イベント
今週もまた面白い体験しました。

お友達の所属するグループがペルーからの留学生フリオくんを1ヶ月間受け入れました。19歳の彼は書類上は英語もできるし、フランス語もちょっとできるとのことだったのですが、蓋をあけてみたらオーマイゴ!!えいごわかりませ~ん。

どうやら、書類申請の英作文はお友達に書いてもらったらしく、英語はう~ん中1程度の単語が分かるくらいかなあ。フランス語もちょっと・・と書いてあったのは、どうやらお母さんがフランス語の先生もしていたらしく、ただそれだけのこと。つまり、曜日とか数字を知っていたくらいでした。

お友達にヘルプを求められ、「私でいいんですか・・・」てな感じでのこのこ行ったのですが、大変は大変だけど面白かった。

私のスペイン語は、今年の春「よし、スペイン語するぞ!」とラジオ講座の4月号を丸暗記した程度。その後ストップしたもんだから、ほとんど挨拶程度どまり。でも、フランス語と似ているから英語だけ知っている人よりは理解力はあるかな。それと、メキシコ人だらけのロサンジェルスに住んでいたから、なんとな~く単語も見覚えがあるものもある。

なんせ英語ースペイン語・スペイン語ー英語の辞書を行ったりきたりさせながら、絵とジェスチャーを交え、私のお友達とフリオくんと私、3人はコミュニケーションを取るのでした。

これ、ビデオで録ってたら笑えるやろうなあと思いつつ。

なんせ、英語を文で言うと向こうは分からないので、単語で言ってみる。できるだけRを巻き舌でスペイン語風に。文で言うのはフランス語の方がいいかとフランス語を言うんだけどこれまたRは巻き舌。

1回目に会ったときは、面白いけど大変だわあと思ったけれど、2回目に会った時はスペイン語は相変わらず分からないけど、それなりに「こんなん言っているんちゃうかな」と勝手に推測できるようになりました。そして、当たる確立も段々上がってきました。ほとんど博打の世界です。

そして、この感覚で一人のおっちゃんを思い出しました。

私はいろんなところでいろんな仕事をしてきたのですが、シンガポールである日系企業に勤めていたことがあります。皆さんは海外勤務ときくと、駐在員は英語ができるのが当たり前だと思うかもしれませんが、ま~ったくもってそんなことはないのです。その会社には日本人駐在員10人くらいが居た中、英語が話せる人は2人でした。

しかし、ほとんどの人は英語で知っている言葉は一言くらいなら英語で言おうとする努力はしていました。例えば「鍵」といわず「キー」と言うとか。単語レベルですが。

しかし、唯一その中で絶対に英語を使わない人がいました。彼が横文字を言うのを聞いたことありませんでした。

このおっちゃん、経理の主任としてやってきたのですが、私達日本人に話すように現地スタッフにふつうに日本語を話すのです。しかし、その課の現地スタッフは日本語を勉強したわけでも話すわけでもないのです。私は通訳も仕事の一つだったので時々呼ばれることもあるのですが、普段はまったくもって英単語一つも言わず日本語で通すのです。

例えばあるとき、私がその辺りを歩いていると「今度xx会社のxxさんが退職されるんだって。だから後釜のxxさんが・・」とおっちゃんがナチュラルスピードで話しているので、てっきりそこに居た唯一の日本人の私に話しているのかと思えば、実は現地スタッフに話していたのでした。

それも相手のことを考えて、簡単に言おうとか、わかりやすく言おうとか言った努力は一切なし。そしてよっぽどの事が無い限り通訳の私を呼ぶこともありません。

今考えてもこの会社「日本の会社はしっかりしている」という常識をすっかり覆してくれるくらいすごい会社でした。

でも、この経理課、時々通訳に入ると、現地スタッフはこのおっちゃんの日本語の意味がなんとな~くつかめているんです。すごいでしょう。おそらく、必要なことと必要でないことの区別がついていて、必要なことは一生懸命聞くからなんとなく分かっていたのだと思います。勿論、勘だけの世界ですが。誤解があったとしてもそれに気づく機会はないとも言えますが。

私達とフリオ君はもうちょっと相手が分かる言葉で表現しようという努力は見られるものの、勘だけが頼りというのはこの経理課に似ているなあと懐かしいことを思い出したのでした。

言葉は全てではないけれど、できたら楽しい。ま、ビジネスの世界ではある程度クリヤーにした方がいいですな。よく考えたら世界中の皆が勘だけでコミュニケーション取り出したら、通訳という仕事は無くなってしまうのですね。

それはともかく、自分の持てるものを総動員させてコミュニケーションを取るというのはなかなか面白い体験でした。誘ってくれたお友達に感謝!

そして、来年はペルーにまた行きたいからスペイン語ももうちょっとできるようになりたいな。でも旅ならこれくらいでいいか・・いやいやあかん。キューバやメキシコも行きたいし!!


進化

2008-07-09 | おもうこと
先日、小6の姪と歩いていたら、「自分をほめる」という言葉を独り言のように言ってました。

私はちょっとびっくりしました。

あとで考えたら流行りの歌かなんかにあるフレーズなのかもしれませんが、でも私が小学校の頃は「自分をほめる」なんて言葉きいたことありませんでした。

「まだまだ」ってすぐ思う私にはとても苦手項目ですが、こういう言葉を当たり前のように小学生が口にするっていう世界って、いいなって思いました。

世間では世界や地球がどんどん悪い方向にむかっているようにも言われるけど、でも子供がこんな言葉をいうなんて、確実に進化しているよなって思いました。

お神楽のとき・・

2008-07-07 | いいこと
今日は七夕でしたね。
♪ささのはさらさら~♪

この音楽は小学校の頃「ささ」と呼ばれていた私をからかう為に男の子によく歌われた歌なので、なんとなくマイテーマミュージックのような気が・・。

昨日初上映された映画「光彩の奇跡」では「主人公の寺田のりこさんは余命を宣告される・・」のですが、

「余命」ってなんなんでしょうね。

6月18日、ここにも書きましたが、伊勢神宮の正式参拝をイスラエルの旅の仲間達とさせていただきました。その時、お神楽も見せていただいたのですが、お神楽を見ているときすごいメッセージ、気づき? 文? 名称は何でもいいのですが、やってきました。

それは、
「あなたは明日死んでもいいって思える生き方してる?」
っていうものでした。

すごくびっくりしたと同時に、ああなるほど・・とも思いました。

その頃、お祈り、瞑想、これまた名称はなんでもいいのですが、その最中「死」ということと向き合うこと、考えること・・いつもそんなことがでてきました。でも、私は嫌だったので逃げていました。

伊勢参拝の前日、旅の団長であった赤塚さんのログハウスで楽しい前夜祭がありました。今回の一連の同窓会はイスラエルツアーで私達のガイドをしてくれた「バラさん」がお嬢さんと一緒に日本に来ていたからこの時期に集まったのです。そして、その時バラさんが皆に話をしてくれました。

バラさんは、数年前家のすぐ近所であった自爆テロに、忘れ物を気づき家に帰ったおかげで逃れられたのでした。

そして、お嬢さんは3年ほど前に世界的ニュースにもなったイスラエルでの結婚式場の床が抜け多数の死傷者が出たその場に居合わせてたと。ダンサーだった彼女はアルバイトでその結婚式に出演していたのです。お嬢さんはなんとか救出されたけれど、植物人間になるのは免れないと宣告されました。それが、奇跡を呼び8日で退院できるほどに・・そして、今はNYでダンサーとして踊っているのです。

バラさんは、寸でのところで死を免れた二人がこうして日本を旅しているというのが感慨深いとおっしゃっていました。

そういった話も前夜にあったから、お神楽の時に天から質問されたのですが、もうひとつ大事なことを受け取りました。

例えば私達は「余命xxx」と言われた人は、自分よりも死に近いところに居るように感じるし、自分が言われたら急に死が近いものだと思うでしょう。でもどの人間も明日のことなんて分からないのだよ。だから皆が「死」と隣あわせなんだよ。誰が近いか遠いかなんて分からないのだよ。そんなことにまぎらわされてはいけないよ・・と。

そして、続けて「明日死んでもいい生き方をします・・てここで決めちゃったら?神様の前だしちょうどいいんちゃう?」と。

ちなみに私は優秀な通訳なんで、自分に分かりやすいように訳しているので大阪弁になっています。おどろおどろしい言葉に訳すと怖くなってしまうから。

確かにここで「はい、そうします。コミットします」って言ったらすごいだろうなあと思ったけれど、さすがに言えませんでした。私まだそこまでの覚悟のある生き方はできない。

でも、その時、今私がここで死んだら何を後悔するだろう?と考えたら、大好きな人に大好きって言ってない、伝えてないことだなって思いました。例えばその一緒にお神楽を見ていた仲間たち、私はこの人たちが大好きだからもっともっと伝えたいって。

といいつつお神楽見ている最中だし急に叫ぶわけにもいかんし・・お神楽の後もひろ~い伊勢神宮をぞろぞろ歩きながら、そんなことを考えていました。そして、そういえばそんな詩があったなあって思い出しました。

NYの貿易センタービルのテロで、救助のために最初にビル内に突入した数百名のレスキュー隊のお一人で、行方不明になってしまった29歳の消防士、ローラホートンさん。この詩は彼が生前書いていたものだそうです。

2日続けて詩の紹介ですね。



■最後だとわかっていたなら■


ローラ ホートン




あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめてキスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

確かに いつも明日は やってくる
見過ごしたことも取り返せる
やりまちがったことも
やり直す機会が いつでも与えられている

「あなたを愛してる」と言うことはいつだってできるし
「何か手伝おうか?」と声をかけることもいつだってできる

でも もしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるとしたら
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして私達は 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だと言うことを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や
「気にしないで」を伝える時を持とう

そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

(訳:佐川 睦)


ありがとう

2008-07-06 | 4分の1の奇跡
今日は私が字幕英訳に携わった「4分の1の奇跡」の映画監督、ふ~ちゃんこと入江富美子監督の第二作目「光彩の奇跡」の初上映会でした。http://www.yonbunnoichi.net/hikari/

残念ながら映画の上映には間に合わず、講演だけ聞いてかえってきました。また次のどこかの上映会で見ようと思っています。この映画はカラーセラピストとして活躍していた寺田のりこさんのドキュメンタリーです。

彼女は病気で右目を失明し余命を宣告されますが、ゆきえちゃんの「ありがとう」という詩に出会い、見えなくなった目で光をつかみ絵を描きだすのです。

ゆきえちゃんとは、「4分の1の奇跡」にでてくる笹田雪絵ちゃん。彼女は MS、多発性硬化症という発病ごとに目がだんだんみえなくなり、手足が動きにくくなるという病気でした。

その彼女が書いた「ありがとう」という詩です。


:::::::::::::::::::::::::::

ありがとう

私決めていることがあるの

この目が 物をうつさなくなったら目に

そしてこの足が 動かなくなったら足に

「ありがとう」って言おうって 決めているの

今まで見えにくい目が 一生懸命見よう見ようとしてくれて 私を喜ばせてくれたんだもん

いっぱい いろんな物 素敵な物 見せてくれた

夜の道も暗いのに 頑張ってくれた

足もそう

私のために信じられない程 歩いてくれた

一緒にいろんな所に行った

私を1日でも 長く喜ばせようとして 手も足も頑張ってくれた

なのに、見えなくなって 歩けなくなったとき

「なんでよー」なんて言っては あんまりだと思う

今まで弱い弱い目、足が どれだけ私を強く強くしてくれたか

だから

ちゃんと「ありがとう」って言うの

大好きな目、足だから
こんなに弱いけど

大好き大好きだから
ありがとう

もういいよ 休もうねって
言ってあげるの

多分 誰よりも う~んと
疲れていると思うので…


:::::::::::::::::::::