シンガー『ナターシャ』のブログ

関西・東京・名古屋・広島、そして台湾もグローバルに歌うシンガーソングライター、jazzシンガーナターシャのブログです

インナーチャイルド

2009-06-29 | カラダとこころ
昨日の京都でのとらこ先生の講演会「愛じゃ。人生をかけて人を愛するのじゃ」は200名以上の方がいらっしゃる大きなイベントでした。私も誘導係でお手伝いしましたが、ラッキーなことに日陰で立っていたので肌がぴりぴりすることもなく、雨でもなかったので濡れることもなく、そして色々な人とお知り合いになれてとてもいい機会でした。

途中からは講演も聞けましたが、すごかったですよ。

とらこ先生はご自分の経験をとってもオープンに話されます。どのような人生を歩んできたのか、どんなに苦しかったのか、そしてホメオパシーと出会ってどれだけ自分が変わってきたのか、どれだけ自分を好きになれるようになったのか。

隠すことがないから私たちのハートにすごくストレートに入ってきます。私はそういうところが好き。そして、人生とは楽しいことも、苦しいことも、悲しいことも、嬉しいこともいっぱいあるけれど、それが人生なんだと言われるところも。

私たちは愛と光でできています・・・ていうだけの人よりも私は好き。確かにそうです。私たちは愛と光とでできているはず・・でも、それだけでは苦しいことの解決にはならない。

苦しいのは自分のインナーチャイルド、子供のときの自分が満たされなかったことを繰り返してるから。

昨日でてきた先生の話のひとつ。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
ホテルのロビーで後ろからおっさんが、人が多いわけでもないのに自分からが~んとぶつかってきた。先生はおっさんからぶつかって来たのにかかわらず「あ、すみません」と縮こまって言ってしまった(ちょっと驚き)。でも、怒りが湧いてきた。「私日本人ですからスミマセンと言ってくれたら分かるんですよ。ぶつからないでくださいよ。」と言うたらよかったのに、なんで縮こまって謝ってしまったんだろう。

そう思うと怒りがこみあげてきて、トイレに入ったおっさんに言うたろうと思って待っとったんや。(ここからとらこ先生調)そしたら、そのおっさん全然でてこ~へんのや。でも、ここで「怒ったときは深呼吸」を思い出して、深呼吸したんや。そしたら、私が小さいとき、いつでもかあちゃんは、ば~んってぶってたんや。それを思い出したんや。悪いのはおっさんやないって分かって、もうトイレの前で待つんやめたんや。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

「あの人嫌い・苦手」と思うのも、だいたい小さい時にできなかったこと、禁じたことをしている人だったりする。子供の頃、我儘言いたかったのに言えなかったから、大人になっても我儘言う人を許せなかったり。

夕方くたくたになって家に帰り、さっさと寝ようと思っていたのに、私自身のすごいインナーチャイルドがでてきました。その時に感じた怒りがどんどんでてきました。でもそれは、今ある私のすべての問題が全部解決できるものだったのです。

なぜあの人が嫌いなのか、なぜ異常なまでに自由に固執するのか、なぜ大人にならないって決めたのか、親にならないって決めたのか、なぜ自分らしく生きることが怖いのか、なぜ自分を表現することが怖いのか・・・すべてこれが原因だったと分かりました。

だから、昨日は自分の人生の中でも忘れられない日になりました。

富士山行ってセラピストとしてこれからやっていくことを決め、その決意の元来月アメリカに行きます。どうもその準備として自分自身のクリアランス、必要でないことをどんどん出していくこと・・が急ピッチで進みだしたようです。


明日は京都

2009-06-27 | 近況・イベント
今夜は大学時代の先輩ピアニスト、杉本亨さんのライブに行ってきました。20歳の頃、同じバンドでやっていたのですが、ピアノと歌だけの曲になるとライブの度に鳥肌が立っていました。

私がフランスから里帰りしていた2006年のライブで弾いていただき、来ていたお客さんも、そのときの録画したDVDを見た友達も「あのピアノの先輩すごい」と評判でしたので今日もお友達を連れて行きましたが、皆「来てよかった~」と大満足で帰って行きました。

今日もメロウな曲も激しい曲もあまりにも素敵で「家でも聞きたいからCD作ってください」とお願いしてきました。「売り込みもしますから・・」とかなりプッシュしてきましたが、ご本人はあまり気が乗らない様子でした。ぜひ作っていただきたいものです。

いいものを聞いた後は家でぼ~っと余韻に浸りたいのですが、今日は早く寝なくっちゃいけない。明日はここでもご紹介した京都でのホメオパシーのイベントにボランティアで参加です。

http://www.homoeopathy.co.jp/event/2009_6_28_yui_aisare_kyoto.html#b

係は誘導係。おそらく駅からホールまでの間、つまり外に立つと思われるのでUVストールを今日は買いました。一年坊主だから(上下関係があるとかでなく)システムがまだ分かっていないから、誰でもできる誘導係なのだろうな。

でも何年か前には自分たちでセミナーやったりイベントやったりしていたので、今回のたくさんの人と一緒にイベントを作り上げることってちょっと懐かしい。ボランティアって自分の使ったエネルギー分、戻ってくるんですよね。いいエネルギーが。一生懸命関われば関わった分だけ。そういうところが面白いなって思います。お金というエネルギーではないというだけ。明日はとらこ先生のお話する「人生を勇気を持って歩む力」が私にも入ってくるぞ~!!

230名のホールで数日前で210名ほど予約が入っていたので、もし行こうと思われる方はご予約をお勧めします。

夜型の私には早朝集合はきついけど、がんばろうっと。

アメリカンチェリー

2009-06-25 | おもうこと
去年から「ナチュラルハイジーン」http://natural-hygiene.org/default.aspx
という食事の摂り方を始めました。色々な食事療法(という言葉はかなり硬いので違和感ありますが)がありますが、結局自分に合うものというのは自分でスタイルを作り上げるしかないということが分かり適当にしていますが、ナチュラルハイジーンの考え方で私がやっていることは朝食を果物にしていること。

それまでの私は果物を食べると体が冷えるような気がして、タルトなどの火の通った果物は大好きでしたが、生の果物はほとんど食べませんでした。しかし、果物を食べるようになったお陰で、果物の旬というものを知りました。

旬がないと言われる昨今ですが、それでも旬のお陰で果物に飽きることがないのです。

イチゴが終わるころからアメリカンチェリーが出てきましたねえ。私は日本の「さくらんぼ」よりこのアメリカンチェリーが好き。味が濃厚なこともあるのですが、私にとっては懐かしい思いでとリンクしているから。

カリフォルニアのモントレーの大学院に行っている頃住んでいたアパートの大家さんは日系2世のご夫婦。オーナーも親戚の方で皆さんほんとにほんとに良い方たちでした。サンクスギビングのパーティーに呼んでくれたり、カリフォルニア米をはじめ色んなものをくださったりと。昔のよき日本というものを異国で感じていました。そして一番私の印象に残っているのは、彼らの畑でとれたアメリカンチェリーを大量にくださったこと。この時期毎日毎日食べていました。

だからこの季節アメリカンチェリーを見ると大家さん達を、彼らのあたたかい心を思い出すのです。

しょっちゅう大家さん夫妻の部屋に遊びに行かせてもらってたのですが、その中で特に印象に残っている出来事。

彼らは日本語は何となく分かるけれど話すのは英語。でも演歌が大好きだったおばちゃんは五木ひろしの大ファンでした。Hiroshiグッズやサイン色紙などがリビングに飾られていました。ロス公演もよく行ってました。

ある日、「ロサンジェルスで放映していた紅白歌合戦のビデオをもらったから一緒に見ないか?」と誘ってくれました。モントレーは田舎で日本情報もあまりないところなので、楽しく一緒に見ていました。

紅白歌合戦って歌詞がでますよね。その歌詞を見ながら、必ず少しは入っている英語の歌詞をはじめは皆笑っていました。でも、そのうち怪訝な顔をしだし、皆が「英語国民をばかにしているのか。」と言い出しました。

何気なく日本人はカッコイイと思って使っているかもしれませんが、意味をなさないのは勿論ですが、その言葉にたいして敬意がまったくないのが分かったんでしょうね。

アメリカに居るときには分かりませんでしたが、アジアの国に住むと確かに変な日本語によく遭遇しました。私は彼らがどれだけ発音がおかしくて、文法が無茶苦茶で、何を言っているのかさっぱり分からなくても、でも一生懸命理解しようとします。それは日本語を教えていたことも関係するかもしれませんが、外国語を話そうと、私の国の言葉を話そうと一生懸命になっている人の心を感じるからです。だから理解しょうとすることに対してギブアップはしない。

でも、明らかに日本語に敬意を払っていない人はこちらも分かります。観光地にいけばオチャラケで日本語で話しかける商売人はいっぱいいるけれど、それでもも人によるんですよね・・オチャラケながらも日本語、日本文化、日本に対してどんな風に思っているのかは感じることができます。それは誰でもわかることじゃないかな。

そんな体験をしているから、たとえ知らない外国語であってもいい加減には扱いたくない。例えば外国語で歌を歌っている人を聞いていても、たとえ発音がおかしくても、意味が分かってなくても、それを大事にしているかどうかはすぐ分かる。

要はどんなものにでも「敬意を払う」「心をこめる」ということ大事なことなんじゃないかな・・ということになるのかな。

アメリカンチェリーを見るとそんなことも思い出すのです。








農鳥

2009-06-24 | 
この間、一緒に富士山旅行したお友達からまたまた嬉しい話が。私が撮った写真の中に「農鳥」が見えるらしい。地元では「農鳥」が出た~と騒ぐらしいです。
見えます?真ん中にある雲の上あたり。新聞に載っていた写真と少し違うけれど日にちは同じ。

http://www.sannichi.co.jp/local/news/2009/06/08/13.html

そして、この写真より私の写真の方が鳥が羽ばたいているように見える~と言われまたまた嬉しくなっちゃいました。

あの旅は三人三様「はばたく」ことを決めた旅だった感じもするし、とっても嬉しいご報告でした。

硬い殻も薄い膜のような殻もどんどん破って、みんなで羽ばたくのです。


she

2009-06-21 | 外国語・文化
昨日は英語で歌おう♪の日でした。毎回アメリカやイギリスの年代を越えて知られている曲を取り上げて英語の耳をつくるトレーニングをしながら、楽しく歌って遊んでいます。

毎回何を選ぼうかなあと楽しく迷うのですが、今回は映画特集いうことにして映画「ノッティングヒルの恋人」の She を選びました。ちなみにジュリアロバーツの英語はとても聞き取りやすいので、この映画は英語教材にお勧めです。

このshe、最近は結婚式によく使われる曲だそうですが、今までも大好きな曲でしたが、下調べで歌詞を真面目に勉強してますます好きになりました。

映画ではオープニングではこの曲の作曲者でもあるアズナブールが、エンディングではエルヴィスコステロが歌っているのでこれを比べるのも楽しいけれど、曲がヒットした後、アズナブールがフランス語でも歌っていてこれを比べるのも面白い。

いつもクラスではディクテーションをした後、詩を配ります。普段はすぐ歌いましょ~になるんだけど、今日はあまりの詩の美しさに「読みましょ」と思わず言ってしまった。

今までこのクラスでやったどの曲の詩よりも品格があり、美しい。韻を踏むってこういう美しさがあるのかと初めて分かったし、対比が数式のような美しさもある。朗読したくなる詩なのです。

ちなみに日本語訳はネットで色々ご自由に訳されているのを見ましたが、映画DVDに字幕で出てくる訳が私は一番いいと思いました。やっぱりうまい。

詩の意味だけでなく、詩そのものの美しさに感動することってあまり体験したことないので、いい体験でした。最近美しさとは強さなのではないか・・とよく思うのですが、この詩にもそれを感じました。

エンディング
http://www.youtube.com/watch?v=rVaa2N-tywA

アズナブールのフランス語バージョン
なぜかこのカップルの画像。でも二人とも美しいからいいわあ。
http://www.youtube.com/watch?v=tFJZQLcy7JA


She

She/ May be the face I can't forget
The trace of pleasure or regret
May be my treasure or the price I have to pay

She/ May be the song that summer sings
May be the chill that autumn brings
May be a hundred different things
Within the measure of a day

She/ May be the beauty or the beast
May be the phantom or the feast
May turn each day into a heaven or a hell

She may be the mirror of my dreams
The smile reflected in a stream
She may not be what she may seem
Inside her shell

She/ Who always seems so happy in a crowd
Whose eyes can be so private and so proud
No one's allowed to see them when they cry

She/ May be the love that cannot hope to last
May come to me from shadows of the past
That I'll remember till the day I die

She/ May be the reason I survive
The why and wherefore I'm alive
The one I'll care for through the rough in ready years

Me / I'll take her laughter and her tears
And make them all my souvenirs
For where she goes I've got to be
The meaning of my life is
She / She, oh she



愛を読むひと

2009-06-20 | 映画、本、劇など
今日は夕ご飯を食べた後、どうしても映画を見たい!と思い、徒歩圏内にできた映画館のお陰でレイトショーを見てきました。特に何がみたいという訳ではなかったけれど、ターミネーターはNo thank youって感じだったので軽い気持ちで「愛を読むひと」を選びました。

宣伝で見ただけだったので、年上の女性とのロマンスものかなと思っていたのですが、ところがどっこい重い映画でした。でも見てよかったなと思います。

「人間って何なんだろう」って思いながら帰ってきました。

あらすじはこれから見る人もいるだろうからHPをどうぞ。

http://www.aiyomu.com/

イスラエルの旅で最後に行ったホロコースト博物館を思い出しました。その頃のブログを少し読み返したのですが、それまでに力尽きてその博物館のことはほとんど書いていませんでした。

博物館にはユダヤ人を殺した道具や、ユダヤ人をみつけるために使った道具、例えば鉤鼻=ユダヤ人ということで鉤鼻かどうかを測る道具など・・も展示されていて、覚悟して行かないとなかなかきついところでした。覚悟して行ってもきついけれど。

あの博物館で私が思ったことは、今殺戮した人たちを責めることは簡単。でも自分が例えばヒトラーに雇われていて洗脳されている状態で「収容所の人間を殺せ」と言われてNOと言えるだろうか。それがおかしいことをしていると認識できるだろうか。そして、そう思ったならば自分の命にかけて嫌だということができるだろうか・・ということでした。

今日の映画は私が博物館で思った全く同じ問いかけだったように思います。

今の時代、そんな洗脳される時代でなくってよかったって思っている人が多いのではないかと思いますが、果たしてそうかしら?

今日もちょうど英語の会の後、話題になったのは今回のインフルエンザ騒ぎ。数年前に作りすぎた薬をはけたかったから便乗して民衆を恐れで煽ったとか、古い武器をはけるために戦争を起こすとか・・そんな話はほんとよく聞く話です。

噂は本当かどうか分からないけれど、でもこの社会は悲しいかなまだまだ利権、利害で動いている社会なのです。そして、本当に人間によいものを広めようとすると利権にしがみついている人たちからバッシング・嫌がらせを受ける・・これは一般的に常識(おかみから与えられるもの)対して疑問を持つようになり、色々調べていると必ず出てくる話です。

ある意味、国としてコントロールしようとするとどうしても人々を洗脳する必要があるのだと思います。もちろん、地球の人たちの意識がどんどん変化すれば、皆が本当の意味で自由になり、うまく回っていくのだとは思いますが、まだまだ恐れや罪悪感を利用し人をコントロールするしか方法を知らない。

一夫一妻制にし、戸籍をちゃんと作ることによってしっかり税金を取って国を運営することができるわけです。そうしなければ罪悪感を与えるようにしているわけでしょ。宗教を使ったりして。これって洗脳とちがうの?

働かないと罪悪感感じるっておかしくない? そして、皆がニートになっちゃったら誰が困るの? 

どんなことでも「罪悪感感じる」っていうのは、絶対誰かあるいは何かに操られている証拠。

そんなことを言い出すと善悪って何なん?ってなる。

私はおかみから示される善悪はもう要らんわ。二極限の世界はもういいわ。本当は善も悪もないんだろうし、何をやってもいいんだよ。ただ、自分のしたことは必ず返ってくる。それが分かってたらいいんじゃないのかな、これが善だ、これが悪だなんて示してもらわないでも。

なんか最近は今までだまっていたことを言う時期みたいで、こんなことばかり書いているなあ、私。

しかし、この映画のケイト・ウインスレットは素晴らしかった。あのタイタニックと同一人物とは思えないほど、女優として成熟した味をみせていました。ケラケラ笑う映画じゃないけど、たまにはこういう映画もいいのではないかと思います。










内?外?

2009-06-19 | カラダとこころ
全ては自分の内にある・・という言葉、私は本質・真理だと思っています。本質っていうのは、何にでも当てはまるということ。

昨日書いたことは、周りの人や状況が自分が幸せかを決めるのではないってこと。つまり外ではなく、自分の中が大事ってこと。

こういう考え方は少しずつ広まりつつあるるような気がする。目に見えないことなのに。

では、目に見える(顕微鏡が必要ですが)菌やウイルスはどうなんでしょう。
インフルエンザが流行ったらウイルスを悪者にして殺せばいいわけ?

外(菌、ウイルス)が悪いのではなく、自分の内(体)に老廃物や毒素が溜まっているから、そこが悪いからうつるのではないですかね。全く同じ仕組みだと思う。

勿論、病気の治療で免疫が下がっている人、手術後で気をつけないといけない人は分かる。でも、普通の人が自分の体にいっぱい毒素がたまっていることなどを棚にあげ、外のもの=菌を殺せばいいって言うのってどこかおかしくない?菌をはびこらせる体=土壌、自分の内のことは何もしないでいいの?

問題があるときに、自分ではなく外に敵を見つけそれを殺したらいいって考え方って結局戦争に結びつかないか?

全て同じことだと思うんだけど。

地球人はいつそれに気付くんだろうなあ。
と宇宙人目線で偉そうに言ってしまったが、本当の調和=ハーモニー、平和ってそういうことだと思うんだけど。

10年ひと昔

2009-06-17 | おもうこと
先日厚くもてなしてくれたレストランのご紹介。

尼崎武庫之荘駅から5分くらいのところにあるイタリアンレストラン
「ダヴィンチ」
http://davinci.ecoweb.jp/index.html

私はとっても久しぶりにそこにランチに行ったのですが、美味しかったあ。魚介類いっぱい食べました。そして、なんといっても昼間からスプマンテとキンキンに冷えた白ワインをいただき極楽。なぜか昼酒はすごく酔いが早い。あそこでストップして正解正解。美味しいワインをいただくときだけは、ああもうちょっとお酒に強くてもいいのになあって思ってしまう。

この日は父と久しぶりのランチ。私が店に入ったら常連客の父はお店のお姉さんに「デートやデート」と嬉しそうに説明してました。

ここに父とよく来てた頃ってもう10年くらい前になるんだなあと当時のことを思い出してしまいました。

今から考えると3つくらい前の過去世のような感じですが、その頃私は周りからなんて言われていたと思います?

私のあだ名は貧乏神。

それもそんな名前で呼ばれてたと知ったのは、貧乏神を脱却した何年もあとのこと。本当の貧乏神には正面きって「貧乏神」とは言えないそうです。あ、周りというのは家族です。貧乏神に友達はいませんから。

しかしなあ、あの頃の私がそこに居たら絶対寄り付きたくないなって思うから、そんな名前で裏で呼ばれていてもしょうがないのだ。

外見も悲惨だったけど、不幸のかたまりみたいな物体だったような気がする。今では大笑いできるけど、なんで自分が幸せを選んでいないのか訳がわからなかったなあ。

でもこの貧乏神の時代があったからこそ、それまで逃げに逃げていた「自分」を見つめる覚悟ができた。自分がなぜこの現実を選んでいるのか本当に知りたいって思ったから。

そう思うとなんて今は幸せなんだろうって思う。
あれから10年、自分の中に溜めこんでいた悲しみ、罪悪感どんどん出していって本当に楽になった。

勿論人生には色んなことがあるけれど、どんなことでも乗り越えて行ける自信があるし、たとえ苦しいことがあっても絶対不幸ではないし、貧乏神にはもうならない。

自分が幸せになるって選択する、決めるだけのことだったんだけどね。

他人は何にも関係ない。自分の中の問題。

ちょっと前までは貧乏神時代のゆかりの地に行くと、辛くておなか痛くなったりしていたけど、今は笑い飛ばせるようになってよかったよかった。









不思議な一日

2009-06-16 | おもうこと
不思議な一日だったような気がする。

朝は面白い夢を見ていたので起きた時はぼ~っとしていて、この世に戻るのに時間がかかりました。まあこれはいつものこと。

午前中、以前スピリチュアル通訳をした人から電話。来日して今大阪に来ているから会えないかと。彼のエネルギーワークも素晴らしかったけれど、彼自身の人間性、いつも周りの人に愛を与える姿に私は感動したし、会った人はみんな彼のファンになっちゃうくらい優しい人。スゥイートという言葉がぴったり。でも、かれこれ2年近く会っていないので、電話をもらってびっくりし、そしてすごい嬉しかった。


そして旅行会社から電話。
来月アメリカに行くことになったので色々航空券を調べていたのですが、昨日少し高いけれど乗り継ぎが少ない便に決め予約したところでした。1回目にそこに電話をしたときは女性、2回目購入決定の電話をしたときに出たのは男性。ただ、今までの経験で旅行会社で男性担当になったときにミスが目立ったことも多く、男性が出てきたときは一瞬「え~」と思ったのですが、でも偏見持たないようにしよう~としたら、この人、とても親切で誠実な対応をしてくれたので、1回目と2回目に聞いた値段が違って高くなったけれど「この人がいいや」と決めたわけです。

そして今日その彼から電話があり、ノースウエスト航空が昨日の夜、燃料サーチャージの廃止を決めお客様は該当するので16000円お安くなります・・とのこと。とても嬉しそうに電話してきてくれました。

きゃああ、嬉しい。
値段より人で選んで正解だったなあって、なんとなく感じた瞬間でした。偏見捨ててよかったなあとか。


そして、今日妹が「プレゼントあるよ」とくれたのは、なんと昨日探していた大きさのカバン。貴重品とお化粧品が入るくらいの大きさのバックを昨日入ったお店で探していたのですが、テーストが合わず買わずじまい。妹は「アメリカ行くって言ってたからちょうどいい大きさで使えるんちゃうかなあと思って」と言ってました。昨日私が見た物よりもずっといい感じ。

きゃああ、嬉しい・・と私がジャンプしたら2歳の甥も一緒になってジャンプしてました。不思議だなあ。言葉にしなくても通じていて、求めたものがやってきた。


昨日も実は長い間、消息が分からなくなっていた人の消息がつかめて本当に嬉しかったのです。その人のHPが消えていたりして、メールも繋がらないし「何かあったのかなあ」と心配していました。

20代で出会い、大事なことをたくさん教えてもらいました。その時は分からなかったことが、今になって分かることがいっぱいあって、会いたいなあって思ってたのです。

その昔、「実際離れていたって僕に会いたいって思ったら分かるんだよ」てなことを聞いて、若かりし私は「ふううん、かっこいいこというなあ」くらいしか思ってなかったのですが、今なら勿論その意味が分かります。

でも、だからこそ「私が会いたいって思っているのにどうして会えないんだろう、繋がれないんだろう?」と疑問に思いつつ、きっとお互いにとって一番いいタイミングでまた会えるってことだろうなとも思っていました。そして、今までいろいろ検索しても出てこなかったのに、昨日検索したらすぐに出てきたのです。


まだ他にも嬉しいことあるんだけど、この一連の出来事、言葉にするのは難しいけど単にラッキーハッピーっていうよりは、もっと深いものを感じます。私が決めたこと、それによってでてきた恐れを手放そうって決めたことで、今から歩いて行く私の背中を押してくれている・・そんな気がするのです。そして、この一連に出てきた人の共通点は自分に自信がある人という気もする。旅行会社の電話の男性もそういう感じするし。


今朝見た夢の中に出てきたシーンの一つが、私の大好きなピンク色のチューリップ。根元にたっくさんのつぼみがありました。夢のストーリー自体は「へ?」ってよく分からないけど、それはとてもうれしいシンボルです。

夢は北欧が舞台だったので、北欧の特集のフィガロ買おうっと。



2009-06-15 | おもうこと
今日はあまりにもつかれたので、夕暮れ時、日が沈むまで少しの間だったけど緑いっぱいの公園でぼ~っとしていました。

ふと見上げると面白い形の雲。

「雲の形がどんどん変わっていく姿は恋に似ている・・」

そんな感じの歌詞のユーミンの歌あったよなあと思いながら雲を見ていたら、あっという間にどっかへ行っちゃった。

私には天女にも見えたし、カエルの足にも見えた。

子供のころ、雲のじゅうたんに乗るのが夢だったよなあ・・て思いだした。子供の心は自由だな。毎日たくさんのお話作っていたんだろな。

雲は水蒸気みたいなもんだから絨毯ではないと理科で習ったとき、夢が壊されてとてもショックだった。


気になったので「雲」だけを頼りに歌詞を調べたらちゃんと出てきた。
「心のままに」という曲だった。

『私の見た雲は 馬のかたち あなた何に見えた
言葉にしてる間にちぎれてゆく それは愛に似てる』


『許して 今まで傷つけた 今では会えないあの人に 届かせて 潮の香り』

『許して 今まで傷つけた 今では会えないあの人へ 旅をする心のまま』


こんな深い歌詞を中学生の私は口ずさんでいたのかと思うと笑っちゃう。