シンガー『ナターシャ』のブログ

関西・東京・名古屋・広島、そして台湾もグローバルに歌うシンガーソングライター、jazzシンガーナターシャのブログです

Spice of life

2008-02-29 | Weblog
4年に1回のうるう日です。

そういえば「うるう年」って英語でleap yearですよね。leap て跳ぶ、跳躍・・ということは、「今年は跳躍年」ってことですね。嬉しいな。厄年も「躍年」だと斉藤一人さんは言ってたけど。

ちょうど来週はお誕生日がやってくる。今日は「ちょっと早いけど・・」と甥と姪、弟ファミリーから祝福を受けました・・ほんと幸せだなあ。

タローデパリ(綺麗なタロットですよ~)のサイクルで言えばお誕生日でサイクルが今の「2」から「3」に移ります。

聞いてびっくりしましたが、「2」は女性性やスピリチュアリティの年。この一年はまさしくその二つが私のテーマでした。そして、「3」は変化・・そう、今からは大きく変化するのです、ふふふ。

この前まで「なんでこんなにビビリなのに、チャレンジするんだろう」と自分の事を思っていましたが答えは「奥底に眠っている不安や恐れを浮上させクリヤーにしたいから」でした。

自分の知っている世界。慣れしんでいる安全圏にいると不安も恐れもそうそうでてきません。でも未知の世界に飛び込むと、飛び込もうと決めると「なにこれ?」と驚くくらい恐れが出てきます。それをクリヤーにして、もっと宇宙や地球のパワーが通っていくようになりたいんだな、私って分かりました。

ビビリの自分を責めることをせずに、認めてあげる。「そりゃビビルわな。初めてのことばっかりだもん」と認め、「なんでそんなに怖いの?」と自分に問いかけることをしていくと、必ず原因が分かります。そしてそれを手放すとハラが決まるというか、深いところで「ストン」と落ちてくるのが分かります。

きっと一歩一歩そうやって進んでいくのが面白いんだろうな。

以前私は弱い私は嫌いで強い自分だけ見るようにしていたから、ビビる自分を鞭打ってた。もっと強くなりたいっていつも思っていたけれど、今は強いとか弱いなんてどうでもいい。大体人間なんて弱いものだもん、みんな。だから、人間って愛しいんだと思う。弱い弱い人間が一生懸命生きている・・だから、生きているだけで素晴らしいんだもん。

そして、その恐れから逃げなかったら、副産物としてたくさんのギフトがやってきます。私は「お金を流すことに関する恐れ」を見ていたのに、昨夜ふと素晴らしい気づきがやってきました。

今までの人生で「辛かった」と思っていたいくつかの経験、何人かとの人間関係、その「辛い」とレッテルを貼っていた人間関係が「確かに辛かったけど、でも退屈な人生よりはいいかな」と思い始め、それって「人生のスパイスだよな」と思えるようになったのです。

すると、その関係、一人ずつの楽しかったことが思い出されたのでした。今までは辛かったこと、嫌だったことばっかり思い出していたのに・・そして、私の人生をエキサイティングなものにしてくれてありがとう・・と感謝さえするようになったのです。

今までは「辛い」ところにフォーカスを当ててただけで、楽しいこともあったんじゃん。私は今までなにやってたんだろう?て笑いもでてきました。

今までは「辛い体験」だったからこそ、自分を見つめたり探求したりするきっかけになったけれど、もうそれは卒業なのかもしれない。もうしっかり学んだからもういいよ~っていうサインのような気もします。

何が起こっても所詮"spice of life".

しかし、私がこんなことを思えるようになる日が来るとは・・今まで「辛かった」とレッテルを貼っていた、ぎゅ~っと執着していたエネルギーが放たれたんだよな・・これできっともっと宇宙のエネルギーが入ってくるぞう。

いろんなことが楽しみです。


抱きしめること

2008-02-25 | おもうこと
今日は左手のピアニスト智内威雄さんのコンサートに行きました。彼は右手にジストニアが発症し、左手のピアニストになったのですが、聞いていたら片手とはとても思えない演奏でした。しかし、それよりも何よりも彼からピアノを通して出てくる音色が本当に優しくそして強く、私の細胞の中に光が染み渡るような感覚でした。楽器の音ってその人の人生が全てでてきますよね。素晴らしい演奏ですのでお勧めです。http://www.tchinai.com/index.html

そのコンサートへ行く途中、電車から降りたところで塾帰りの小学生の殴り合いを見てしまいました。じゃれているのかと思ったけど、一人の子が思い切りグーで頬を殴り、やられた子が殴り返そうとしていたので間に入りました。

4人の子が居て、殴り合いをしていない2人は殴った子に「お前なにすんねん」とびっくりしながらも笑いながら階段を下りつつあったのですが、殴った子は怒りが冷めないようで私を睨んでいました。「暴力はあかんよ」って言って、殴られた子に「顔みせてごらん。傷見るから」と言うとその眼鏡をかけた子は殴られた頬にかすり傷を負っていたけど、でもまあ大した傷じゃなかったので「傷はそんなないし、大丈夫。」と言うとぽろぽろ涙が出ていました。痛みや怖さや怒りが混じっていたようでした。

殴り合いした二人には「ちゃんと話しーよ」と言ったけど、他の乗客が私たちには目もくれずみんな階段を下りてしまい、私達だけになっていたので4人の子供たちは走って階段を降りていきました。

駅を出たらそれぞれに分かれて家に帰っていったけど、私が歩く少し前に殴られた眼鏡の子が涙をふきふき歩いていました。そして、かっこいい外車に乗ったパパが駅前にお迎えに来てくれていたようで、彼はパパには涙を見せず笑顔で車に乗り込みました。

5年生ぐらいだろうし、もう親に泣きつく年でもないけれど、心にも体にも痛手を負った彼がお父さんの前で笑顔を見せていた姿がなんだか心につきささりました。きっと親が頬の傷に気がついても「転んだ」とか言うんだろうな。

殴った子も殴られた子も心に傷を負ったなってその場で感じました。暴力ってふるう方もふるわれる方も傷つくというのを目の前で見せられました。

私は自分の対応がとても中途半端な気がして、一体私は何をしたかったのだろう?と一日中考えていました。

かっこちゃんの事を思い出しました。電車の中で学生を殴ったやくざを抱きしめて「怖くないよ。大丈夫だよ」と言ったらやくざさんがぽろぽろ涙を流し、そこからお友達になった話。学校で不安になると自分を傷つけたり他人や物を傷つけたりする生徒さんが居て、暴力をふるうたびに走って彼女を抱きしめていたかっこちゃんは、相手がやくざだろうが瞬間的に体が動いたのでした。

私もあの子達を抱きしめたかったのかもしれない・・でも、できなかった。

昨日の夜、「人を抱きしめる」ってことをちょうど考えていたのでした。かっこちゃんのやくざの話やアンマのことも思い出したりして。だから、こういう状況を引き寄せたのかもしれません。

昔、私は身も心もぼろぼろになって離婚し実家に帰りました。その頃「大人になるとどうしてこんなに辛いことばかり起こるのだろう・・弟や妹と楽しく遊んでいた子供のころに帰りたい」とずっと思っていました。

ある夜、母と話していて私がいつものように「子供のころに戻りたいわ」と言うと母が「これからいっぱいいいことあるから。子供のころよりももっと楽しいことがいっぱいあるから」と涙をたくさん流しながら私を抱きしめてくれました。私はぎゅっと抱きしめられながら溢れる涙を止めることができませんでした。

今から考えると私はあれで起き上がれたんだと思います。人間、ちゃんと受け止めてもらって抱きしめられると立ち上がって歩いていけるのでしょう。

一昨年いきなりお医者さんに手術するように言われ、今まで何十年にも渡って避けてきた自分の女性性を見ないといけない恐れと手術への恐怖におびえる日々を過ごしていました。もうこのまま私の存在が消えてなくなったらどれだけ楽だろう・・とまで思っていたし、その辺の人、誰でもいいから私を抱きしめて・・て思いました。

もし、今それだけの恐怖を感じることがあれば、周りの友達に「抱きしめて欲しい」と素直に頼むことができると思います。家族にもちょっと恥ずかしいけれど頼むことができると思います。

特にスキンシップの少ない日本人にとっては、抱きしめられることというのは、思っている以上に力を与えられるものだと思うし、それを体験したから、私は知っている人でも知らない人でも傷ついた人を抱きしめることのできる人になりたいな・・それが目標だな・・・そんなことを昨晩寝る前に考えていたら、殴り合いして傷つけあった子供たちが目の前にやってきました。

神様はさっそくお試しの機会をくれたのかなあ。

今はできないけど、いつかできるようになりたいな。

そして、今度同じような場面に遭遇したら私はどうしたらいいんだろう?と考えていたら、数日前友達に聞いた言葉を思い出しました。彼は自分の子供たちにただ一つ言ってきた事は「魂をけがすことをするな」のみ。私の「暴力はあかんよ」ていうよりよっぽどいいと思う。

大好きな子供たちの心の傷が一つでも少なくなりますように。

2008-02-24 | カラダとこころ
最近、面白いことがあります。

「夢」が色々なことを教えてくれます。

今まで「あ、夢みた」と思って夢辞典を開けるのは「ときどき」でした。でも、夢からのメッセージを意識しだすと、起きた瞬間に「あれ?どんな夢みたっけ?」と考えるわけです。そうすると普段なら忘れ去っていただろう夢を思いだすことができるのです。

私にとって今は人生の大きな転換期で、初めてのことにトライするわけですから、いろんな不安や恐れが浮上してきます。いいなと思う物件は予算より高いのでどうしても二の足を踏むのですが、それが冷静な判断なのか、単に恐れからきているのか・・頭の中はいつも数字でぐるぐる。街を歩けば数え切れないほどあるお店があり、その前を通る度どんな業種であれ開いているというだけで「尊敬します」と拝みたくなります。

神様や愛の話だけして生きていけばどんなに楽だろう・・て思うけど、でも三次元で生きているってことはしっかり地に足つけて、目に見える世界で生きていくってことだしなあ。

自分で「なんでこんなにビビリのくせにチャレンジだけはしたがるのか?」不思議でなりません。昨日会った友達には、「でも、人間関係だったらもうそんなに恐れや問題でてこないんちゃう?」と言われ、「うん、確かに」と。

勿論、色々あります。泣くこともあるし、怒りがでてくることもあるし・・でも、「全て起こることは深いところで自分で選んでいること」とゆるぎのないものがあるから、何が起こっても自分の心の中を見ていけば起こった意味が分かるから、昔ほど苦しくないのです。

そんな感じで数字で頭がぐるぐるしていると、一昨日はこんな夢を見ました。

それは、アラブかイスラエルかどこか分からないけれど中東を旅しています。ペルーツアーの仲間も何人かいます。夢の中で「あああ、未知の世界だ」と感じています。初めて体験する世界。

目が覚めて「旅行」を調べると・・
人生とは旅です。旅には目的があります。目的は目的地かもしれないし自分が獲得したい状態かもしれない。あなたの旅の目的は何ですか?旅には思いがけないことが起こるでしょうが、目的がはっきりしていたらそれがあなたを助けてくれるでしょう。そして、目的を達せられたらあなたは別次元の家へ帰ります。(「夢のメッセージ」坂内慶子著、PHP)

寝ぼけ眼に入ってきた「あなたの旅の目的は何ですか?」という文にどきっとしました。

つまり、人生の目的・・・

私にとって人生の目的は「魂の成長」。目的地は無条件の愛。そこへ行くには、今持っている恐れを手放す必要があるのです。だって無条件の愛という場所には恐れというものがないから。

数字ばっかり見て頭がぐるぐるしているとその目的を忘れてしまいます。なんのために新しいことにチャレンジするのか。全ては魂の成長のため。学校の時間割のように「次の授業はビジネスです」というだけのこと。

そして、未知の国イスラエル。
今から私が旅する、チャレンジすることは自分にとって全く初めてのこと。だから、未知の国イスラエルに行くのだ・・と納得したのでした。ペルーがでてきたのは、きっとペルーも行くまでは未知の国だったし、今まで知っている北アメリカ、アジア、ヨーロッパとは全く違ったところだったからでしょう。確かに、北アメリカ、アジア、ヨーロッパはその中に行ったことのない国はあるけれど、もう想像つくかな・・て思うので、それよりは自分の想像つかないところを旅したいって思います。

人生の旅と本当の旅行が「未知の世界」としてパラレルになっているところが面白いですね。それに気づかせてくれたのは夢です。昨日も今日の夢も面白いメッセージがありました。

起きた瞬間に「何の夢見たかな?」と意識してみてください。面白いですよ。

今日も夢を楽しみに寝ようっと。


プロジェクト

2008-02-18 | 4分の1の奇跡
映画の英訳についての取材を受けた話は前に書きましたが、新聞は知らないうちに8日に出ていたそうです。そして、映像の方は先週火曜日にオンエアーされたようです。映像はこのサイトから見れます。左上にでてきます。

http://www.yomiuri.co.jp/stream/index/kansai.htm

私の名前、字違うじゃ~ん。ま、いいけど。それより、映像で見ると私はやっぱりカエルみたい。カエルの出番は少しですが、お暇なときにでもクリックして見てください。

上映会が終わって一週間。あのプロジェクトからたくさんの事を私は学ばせてもらいましたが、今振り返っても「感覚を言葉で表現すること」と「誰かと何かを創るとき、どこに意識をおくか」そして「仲間とは何か」を考えたことが一番大きい学びだったと思います。

先日、シンガポール時代の友人と同窓会をしました。10年ぶりくらいで集まったのだけれど、共通の体験をしている私達、そしてシンガポール以外の国でも暮らした経験を持っている私達、何を話しても「あ~この人達と話すのはな~んて楽チンなんだろう」としみじみ思いました。それは、同じような経験をしているからベースのところが共通なので、その部分、感覚を説明しなくていいからです。

でも今回のプロジェクト、翻訳チームの3人とも全く違った英語のバックグラウンドでした。言葉を感覚で捉えている私には「それよりこっちの言葉がいい」と思ってもそれを相手に説明するというのがとっても難しかったし、面倒くさかった。

きっと私と同じようなバックグラウンドをもった人、アメリカに数年間暮らしたことのある人と組めば(イギリスとかならまた違うでしょう)そういう説明は必要ないのでその点ではもっと楽だったと思います。

でも、あるとき友人に言われました。このプロジェクトの翻訳に3人が選ばれたってことが意味のあることだよって。なんせ宇宙がサポートするメッセージを訳しているんだからって。

よく考えれば全然違うバックグラウンドの3人というのは「素晴らしい作品を作る」という観点から言えばすごくバランスが取れているわけです。それを思えば、「私の言うこと、感覚をわかって欲しい。分かってよ~。」という低いレベルの意識を「いい作品を作る」というところにいつも意識を置くことができました。

私の言うことわかって欲しい・・がモチベーションなら、「どうせわかってもらえないもん」といじけるところも、「いいものを作る」という高いところに意識をおくと、私が選ばれたのには意味がある。難しくても面倒でも私の感覚を説明することが作品に必要だから・・と「私が感じることは言わなければならない」・・と自分自身の態度も変わってきました。

それは、制作グループとで、もっと明らかにでてきました。私は彼らとの意識、感覚の違いを何度も感じたことがあります。みんなが盛り上がっているところにそれを言うと士気を下げたり、盛り上がりに水をさすのではないか・・と思い「も、ええか」と思ったときもあるのですが、でも感じたことを言うことが私が選ばれた責任でもあるのかも・・と思い直し表現してきました。

でもこれって結構チャレンジで、言った後、後悔する気持ちや「本当の自分を表現すると仲間から嫌われる」という思考パターンも奥の方から出てきました。今までも表現する恐怖というのはよく出てきたし、その度に取っているのですが、久しぶりに大きくでてきました。実際に皆が嫌わないのは分かっているのですが、そういうレベルでなく「わあ、仲間に嫌われてる」という妄想におびえたりもしました。

それも浮上させ大きなトラウマを取ることも意味のあることだったのでしょう。(これは過去世で修道院で自分の思うことを言ったらきつい仲間はずれにされ、それは神からの罰だと言われたことに起因していました。神との契約だと思い込んでいるので異常なる恐れがあったのでしょう。)

言っても分かってもらえないかもしれない・・と思いながらも表現するって結構エネルギーの要ることです。でもあるときふと思ったのです。私の仕事は左の人と右の人を言葉で(英語と日本語)で結びつけること。言葉だけでなく、左の人の文化的背景、感覚と右の人の文化的背景、感覚、それぞれ違うけれどそれを結びつけること。

違う者同士だから私が必要となるわけです。私と同じような経験をしてきた人、私の言うことをしっかり理解してくれる人に私は必要ないわけです。私のお役目は分かってくれようがくれまいが、左の人の感覚、右の人の感覚を伝えることなのです。

「仕事って一体なんなんだろう?」って考えたこともありました。そのときに来た答えは「仕事っていうのは、結果(この場合、理解してもらえるかどうか)ではなくって、目の前にあることに対してベストを尽くすということ」でした。

そして、「仲間」について。「仲間とは同じ考え方をする人の集まりではなくて、同じ方向を向いて歩いている人たちのこと。違う考え方をしている人がいる方がそのグループは健全だ」というメッセージもやってきました。

きっと私は人と何かを創りあげることなく、ずっと一人だったから仲間ができてすごく嬉しい反面、嫌われるのが怖かったのだと思います。でも、このメッセージを受け取ってとても嬉しくなりました。

「自分の言うことを分かって欲しい。分かってもらえないとがっくり」という低いレベルから、「いいものをつくるんだ」という高いところに絶えず意識を持っていくことは2人以上で何かを創るとき、プロジェクトにはとても大切なことですよね。

ついつい、グループになると「あの人がどうだ」とか「この人が・・」となりがちですが、いつも「素晴らしいものをつくる」ことに集中すれば、あの人が言うことも、この人が言うこともどうでもよくなります。

これが学べたことは、私のこれから・・誰かと何かを創っていくことにおいて、非常に大切なことだと思います。さすが宇宙がサポートするプロジェクトです。大きく感謝。



一人遊び

2008-02-17 | 近況・イベント
セーターがほとんど仕上がりましたが、ちょっと編み物やりすぎて気持ち悪くなってきたので、今日は切り上げます。

今日はお友達の主催する会に行って来ました。そこで、また素敵な人達、気持ちのいい人達と出会って面白い日になりました。「5歳の子供に戻ろう」という主旨で子供に戻ってシュタイナー教育の遊びなどを一緒にやったりする会なのですが、今日一番私が面白いなと思ったことは・・

ペアになって子供の時に何をして遊んでいたか、一番楽しかった遊びをペアの人と話していたときのことです。

「子供のころの遊び」で何を思い出すかと言えば、私の場合「一人遊び。」一人で歌ったり踊ったりするのがすごく楽しかったし、一人芝居・・いろんな役を決めて全部一人演じたり・・多かれ少なかれ子供は皆やっているとは思いますが、でもこれ以外に楽しい遊びが思い出せなかったなあ。

勿論、兄弟とも遊ぶし、家の前が公園だったので子供同士でよく遊んでいたのですが、きっと本当に楽しかったのは一人遊びだったのでしょう。そして、私のペアの人も「びっくりしました。全く一緒です。」と彼も一人遊びの事を語り始めました。しかし、彼はすごい。野球チームの9人x2の役割をグローブはめてやっていたっていうからウワテだわあ。

彼は仕事もその「一人遊び」の延長です・・とおっしゃっていたけど、私の場合もそんな感じでした。勿論、教える仕事は相手があってのものだけど、でも好きなところ、行きたいところに自由に行って、自分のまあまあ好きな仕事をしていけばいいと思っていたし、そういう人生を送るんだろうなと思っていました。どこでもなんとか自分が食べるくらいは稼げるだろうな・・という自信は歳をとるごとにでてくるし、「どこに行っても一人食べていける技術」というのは、20代で仕事を選ぶときに目標にしてきたことですし。

でも、今それが大きく変わろうとしています。人をたくさん巻き込んで店を作るなんて考えられない展開なのです。ひっそりと一人遊びをしていこうと思ってたら、大きな渦の中に入って、そしてその流され加減が気持ちよかったりする感じでしょうか。

私は占い類は自分の都合のいいところだけ、都合のいい様に解釈することにしているのですが数秘学で言うと私の数字は、

過去世からのクセ=つまり得意なこと 7 (誕生日の日)、
今生でのチャレンジ 1 (誕生月プラス誕生日)
になります。

7というのは、一人が大好き。一人で黙々、コツコツするのが得意。でも1はリーダーシップの番号。自分の人生にリーダーシップを持つということがテーマだそうです。これを考えたら私は今「7から1への転換期」を迎えているのかな・・と思ったりもします。とっても大事な時期なんだろうな・・だからイスラエル行くのかしらん。

これからも世界中でしたいことがいっぱいあるから、人生200年として60歳でこんなこと、80歳なったらこんなこと・・と一応の目安は作っていますが、でもあとは流れるがまま。

どんな展開になるか分からないから人生って本当に面白いですよね。

イスラエル

2008-02-15 | 
今日は取り寄せ中だった毛糸が手に入り編む編む。後ろ身ごろ、前身ごろと袖一つできた~。今は毛糸安くなっているから、お買い得ですよ~。でも、早く編まなくっちゃ春になっちゃいますよ~。

来年の冬はカフェで皆で編み物しましょう。

イベントとして編み物をやっているカフェの情報もチェックしているのですが、先生を呼んで材料費払って変なもの(ごめんなさい。短時間でできるものって限られるからでしょうけど・・)作ったりしていましたが、そんなにかしこまらなくても、編み物好きが集まって自分の好きなもの作って分からないところは教えあいっこした方がよっぽど楽しいと思うので、私はそうします。

このアイディアはどこから来たかというと、ススというハリウッド映画の衣装を担当したりしている北欧出身のニットデザイナーが居るのですが、彼女は作品や毛糸を売ったりしているブティックをビバリーヒルズに持っていて、そこではワインやスイーツ片手に編み物好きが集まっているというのを知ったからでした。「わたしもいきたい!」でもこの辺にはないので、自分で作ります。

彼女の作品はとっても可愛くてセンスがいい。編み物の小物の本ってだいたいダサいのしかないのですが、この冬彼女の本をゲットできたおかげで、たくさん可愛いかばんがつくれました。写真も一つ。これはここに毛糸いれて編み物しにいこうよ~というかばんです。私は日常で使ってますけどね。どこでも大人気ですよん。

さて、人生は不思議なもので春にイスラエルに行くことになりました。流れです流れ。ペルーは確かに「いつかいってみたいところ」でしたが、イスラエルなんて「ややこしそうなところ」くらいしか思ってなかったのに、本当に不思議です。

ちょっと躊躇していたのは、物騒かしら?ということよりも、ペルーであれだけのエネルギーチェンジが起こったので、エネルギーの濃いイスラエルなんかに行ったら私は一体どうなるのかしら?と思っていたからですが、一旦決心するとただただワクワク。

1月末の締め切りには決められなかったから、「今回はパスね。まだタイミングが来ていないのね」と思ってたのに、また別口から「一人キャンセルでて2月14日締め切りだけどどう?」と言われ、決心したのでした。しかし、1月末から昨日までで私はイスラエルに行く準備ができたということでしょうか?う~ん面白い。

深~いところからの癒しが起こりそうな予感・・ほんと、どこに流れていくんですかね、私。「花」の歌詞みたいで嬉しいな。

感動したこと

2008-02-13 | 4分の1の奇跡
面白いなって思うことの一つに、「2人から電話が全く同じ瞬間にかかってくる」ということがあります。結構多くて三日に一回くらいあるのですが、これって面白いと思いません?

誰かが私の事を考えて「電話しよ」と思うわけです。全く同じ瞬間に遠く離れた人も私の事を考えて「電話しよ」って思うのです。で、私はキャッチフォンがないので、どちらかが留守電に入っていたりするのですが、あとで着信記録を見ると全く同じ時間なのでいつも面白いなって思います。

その二人は家族同士であることも多いし、今日の場合はどちらも今回の映画関係の人。でも、二人は面識なし。あと、私の中で「この人とこの人って似ているよな」と思う人からも同じ瞬間にメールが来ていたりすることもあって・・あ~みんな繋がっているのね・・と思うのでした。

さて、11日に私が感動したことをあの場にいらっしゃらなかった人たちにもシェアーしたいとおもいま~す。

まずは小林さんというかっこちゃんの付き人をされている方。彼は普段は会計士のお仕事をされています。かっこちゃんが握力が極端に弱く荷物を持てなかったり、極度の方向音痴な為、彼女の日本中を回る週末講演会のマネージャーを買ってでた方でした。頼まれたわけでもなく、自然にそうなったと映画の中でもおっしゃってたのですが、彼がスピーチについて打ち合わせをした時、私におっしゃったこと・・

「山元加津子っていうのは、もう人間としての修行は要らないから人間として生まれてこなくてもよかったんじゃないかっていう人なんだよ。でも僕ら凡人に教えるため、すくう為に生まれてきたんだと思うな。」

それを聞いてほんとにすごいなって思いました。身近な人にそう言われるって本当にすごいことですよね。一緒に居る時間が長ければ、人間甘えや色々な人間的?なことがでてきますもん。


そして、もう一つの感動。
ふ~ちゃん監督の第二作目は寺田のりこさんという方を主人公にしています。彼女は右目が失明、左目もほとんど見えなくて、お医者さんにあと一年半の命と宣告されていました。そして、彼女は雪絵ちゃんの詩と出会うことにより、勇気付けられ残りの命を人に捧げる、人の役にたつことがしたいと思うようになります。そして、目がほとんど見えなくなってから絵を描き始めるのでした。

彼女のスピーチの中でびっくりしたのは、ほとんど目が見えない状態なのに、絵を描くときだけ見える。自分に本当に必要な本を読もうとすると見える・・ということでした。

実は、皆さんからスピーチの原稿というものをいただいていましたが、皆さん90%アドリブでした。なので、これも私初めて知ったことだったのでびっくりしたと同時に感動しました。そんなことってあるんですね。

お医者さんに宣告された通りになるならあと何ヶ月かの命ですが、以前よりずっと体調もよくなってきているということでした。

「人の役に立ちたい」というのは、どの魂にとっても目的地のような気がします。現在、どんだけ悪どいことをしてても、その魂は「人の役に立ちたい」無条件の愛に近づくという目標に近づくため、何度も転生を繰り返しそのゴールへ向かっていくのだと思います。

でも、普段生活をしていたらすっかりそのことを忘れてしまうことが多い・・だから、寺田先生の言葉、生き方に私達は「はっ」とし、そのことを思い出すのでしょう。

かっこちゃんにしろ、寺田先生にしろ、それを体で実行している人が近くに居るってなんて幸せなことなのかって思います。

3月はかっこちゃんの講演会も行こうっと。本当に自然体で素敵ですよ~。そういえば2月24日東京でかっこちゃんの講演会と映画の上映会というのがありますよ。東京方面の方是非チェックです!! http://www.yonbunnoichi.net/








カフェ

2008-02-13 | 近況・イベント
昨日は大勢の人前に立つのに全く緊張しませんでした。

それは、イベントをお手伝いするボランティアスタッフと共に9時に集合したときに、ふ~ちゃん監督が「今日は来る人が『ありのままでいいんだ』ていう場にしたいと思う。だから、私達がもし何か失敗しても『どうしよ~』ってなるのでなく、失敗した自分もOKて思うようにしよな」という言葉から始まったからだろうと思います。

次に私がすることは、そういった場を創ること。それがこれからするカフェづくりです。

普通のお茶を飲んだりするだけの場所とはちょと違います。

人と人が出会える場。
老若男女、多国籍のいろんな人に出会うことにより、自分の世界が広がる楽しみが感じられる場。
安心できる場。
淋しいときに「あそこに行こうかな」って思える場。
近所の人がお店に入らなくても、外から手を振ってくれる場。

具体的には、毎日食べても安心な低、無農薬のエネルギーがいっぱいの野菜がたっぷりはいったお料理を提供したり、

フェアトレード(北半球が南、中南米やアフリカなどから搾取している現状から脱するために、生産者と消費者両方がフェアに取引する商品)のコーヒー(例えば)を楽しむことで豊かさが生産者に流れていくようにしたり・・

イベントもたくさんしますよ。

勿論自分のコンサートも。お友達をつれてくるパーティー。映画の上映会やワークショップ。子育てのお母さんの情報交換の場や、食事療法、健康法の講座も開いたり、英会話もそこで教えます。

私は去年一年ヒーラーたちの通訳をするという素晴らしい機会を得ました。そして、彼らが言うことは共通していました。「今までは自己犠牲のパラダイムだったけれど、これからの新しいパラダイムは自分が本当に楽しいことをして、豊かさを引き寄せて、それを地球の豊かさの足りないところに流していくこと」と。それを何度も聞いて自分の口から出していたら、「私もやってみたい。体験してみたい。」て思うようになりました。

去年一年で「成功法則。幸福法則」その理論は彼らから骨の髄まで学ばせてもらいました。これからは、それを目にみえる形にしていくこと・・それがこれからの私のすることです。そう考えたら去年の通訳を通して学んだことは、宇宙からのすごいプレゼントだったのだと思います。勿論、本に書いてあることと同じだけれど、本を読んだり、ワークショップに参加する以上に自分の口からそれを発すると脳や体にしみこんでいくのだと思います。

だから巷の経営とは違うと思います。
競合店とか客層ターゲットなんてありません。人(他店)と比べてもしょうがないし、いろんな人に来て欲しいし。どんなお客さんも私が引き寄せた人だし。

ちゃんと自分が地球と宇宙に繋がっていること。そして、現実問題としてお金の数字をあげていくこと。このバランスをとること、ほんとやってみたい。

このカフェ計画を回りに話してから、いろんな人がいろんな形で助けようと、サポートしようとしてくれることに本当にびっくりしました。私はただただ感謝するだけだけど、でもそれを感じられただけでも決心してよかったって思うくらいです。

コンサルタントしてくれたり、不動産屋、建築家、カフェのオーナー、有機農家etcを紹介してくれたり、ペンキ塗りにいくよって言ってくれたり。不動産屋さんも本当に一生懸命に探してくれたり・・その想いを感じるだけで涙がでそうになるくらい。

そして、私と一緒にやってみたいと遠くから引越しまでしてやってきてくれる料理人。私のこれからの大事な大事なビジネスパートナーです。

そんな人たちの想いを実現できる場を創ります(宣言)

今は物件引き寄せ中。最高最善の物件がベストなタイミングでやってきます

おわっちゃった

2008-02-12 | 4分の1の奇跡
お祭りが終わりました。すごく楽しかった。
ちょっと休憩して、また次のお祭りに向かって歩いていきます。

昨日、お越しいただいた方には大きな感謝を送ります。ありがとう。
あの映画、あの場を共にすることができて私はとても嬉しいです。

約220人もの方に来ていただき、立ち見や体育座りの人達もいました。

昨日の早朝の夢もまた不思議な夢でした。
20年くらいお会いしていないカップルに、私には女の子の子供が憑いていると言われ、「なにそれ?怖いやん」と思っていたら次の瞬間には、その子供を出産していました。その続きは忘れちゃったのですが、寝ぼけ眼ですかさずベッドの脇においてある夢辞典を開けると・・

「新しい可能性が芽生えるとき。それまで気づかなかった面の才能なので、日々の献身的な世話が必要です・・・大変なものを背負いこんだと一瞬後悔するかもしれません。しかし、その気持ちはすぐに生んでよかった、新しいことを始めてよかったという気持ちに変わります。あなたはそれを愛していると気づくからです」
(PHP エドガーケーシーが教える「夢のメッセージ」板内慶子著。夢関係の本の中ではこれが一番の私のお気に入り)


わお~嬉しいな・・とすっかり目が覚めました。

自分の中でもこのプロジェクトが完了することは、私にとって大きな成長、ステップアップになるだろうなとはずっと思っていたことですが、今日の日がそうなるんだ・・と、がんばって着物を着てでかけました。

昨日も素敵な出会いが山ほどありました。

イベントのお手伝いに来たボランティアさんたち、お客さんともお話したり、そして応援に来てくれた、見に来てくれた友達、家族、久しくあってなかった友人、そしてスピーチをしてくださったかっこちゃんの付き人の小林さんや、監督二作目の主人公である寺田のりこさん・・一つ一つの出会いが私の細胞に新しいエネルギーを吹き込んでくれるようでした。

人生って結局、人と人との出会いなんだと最近つくづく思います。

人との出会いによって新しい世界を見せてもらい、出会いが出会いをつなげて自分のお役目、お仕事にたどりつく。

「仕事」という言葉は生きている言葉に思えないかもしれないけど、そこにつなげてくれるのは人。そして、人相手でなく、いくらコンピューターを使う仕事であっても、その向こうに人がいるから仕事になる。

私自身もこの一年、人との出会いの流れに身を任せてここまで来ました。それがそれまでの人生と大きく変わったことでした。流れをコントロールしようとしないこと。

どこにいくのか分からないけど、流れに身を任せるのは本当に気持ちがいいなと思います。美空ひばりの歌じゃないけど、川の流れに身をまかせること。ここから次の岸へ連れて行ってくれるのは、人との出会い。

そんなことを感じた一日でした。

ちょっと休憩ということで、毛糸を買いに行ってセーター編みます。また至福の時間がやってくるわ。


いよいよ

2008-02-10 | 4分の1の奇跡
いよいよ明日です。

お友達からの応援メッセージを次々といただき、有り難くって涙がでそう。

ふ~ちゃん監督の「宇宙に感謝の量を増やす」映画を創るという一念が、1000人の上映会になり(去年の2月11日)そして、一年後の明日、英語の字幕が完成し世界に飛び立とうとしています。

たった一人の気持ちから、こんなに波がどんどん広がる・・それを間近で見せてもらったことは、私にとって何ものにも変えがたい宝となりました。

たった一人の始まりでも、世界が変わっていく・・人から人へメッセージが伝わっていく・・人間っていいよね、素敵だよね。

明日は一日通訳です。
私ができるお役目をやってきます。

最後の宣伝。当日でもOKなので、お時間のある方は是非いらしてください。
http://www.yonbunnoichi.net/

見にいらっしゃった方は是非お声をかけてくださいね。バタバタしていると思いますが、少しでもお話できたら嬉しいので。