シンガー『ナターシャ』のブログ

関西・東京・名古屋・広島、そして台湾もグローバルに歌うシンガーソングライター、jazzシンガーナターシャのブログです

ミッチェルメイ

2008-06-28 | 映画、本、劇など
ミッチェルメイという人の本を友達が「すごくいいから読んで。しばらく持ってていいから」と貸してくれていました。その時はあまり読む気がしなかったのですが、出会いとはベストなタイミングで来るもので、これもまさに最高のタイミングで本棚から取り出し読みました。

彼の顔は一度見たら忘れられないほどユニークなお顔なんで、私も写真でよく見たことがありましたし、彼の会社の作っている完全無欠のオーガニックサプリ、ピュアエナジーは私が好んでお買い物をする会社のチラシにはよく出ているので、宣伝で彼のことはざっとは知っていましたが、知れば知るほどすごいなあと思いました。

彼は1972年に自動車事故で医者からは絶対絶望を宣告されました。砕けた骨が40箇所以上もあり、感染症がひどく命が助かりたいのなら足を切断するように毎日毎日言われるわけですが、彼はかたくなにそれを拒否します。何メートルか先の人が動いても体には痛みが走り、体液が目から、体から漏れている状態でした。その状態でナッシュビルからロサンジェルス、UCLAの病院に搬送されます。

そのときファーストクラスの座席を4つはずして彼のベッドを入れたので、乗客が飛行機に乗り込むたびに彼の横を通らなければいけません。彼は全身ギプスでロングヘアー、体重35キロの異様な状態・・多くの人にとって気味悪く恐ろしかったわけです。そうすると、彼はそれを感じたときに、痛みがさらにひどくなりました。

他の人に対して私達の想念、感情が相手の人に必ず影響を及ぼしているということを感じました。200人乗りの飛行機、乗り込む客、ひとりひとりのエネルギーを感じ、皆が自分を死神のように思っていることにとても耐えられないと思います。

そのとき、神父と修道女が通りました。

今まで通った人は一瞬彼を見て目をそらす。でも彼らは違ったのです。

「初めて、私を見て本当に私と繋がってくれた、そう思ったのです。すると私の痛みが和らいでいくのを感じました。私の恐れもしばらくのあいだ和らぎました。

それは彼らが私を見ているのでなく、彼らの目を通して、スピリットが私を見てくれているのが分かったからです。だから、彼らは私がこのように壊れていてる状態を見たと同時に、私の完全性、いわば魂の完全性をみてくれていたわけです。

それ以外の乗客は皆、私の壊れている状態だけをみていたわけです。そして、壊れている私を見たときに、彼ら自身の内側に眠っていた、ある恐れが触発されてしまったわけです。神父さんとシスターたちは慈愛の目で私を見てくれたのです。

誰かがその人の本当の姿を見てあげることができれば、その人の中にある「本当の自分」はその姿を現すわけです。そのときに、私が学んだことは、相手の人がたとえどんな状況にあろうとも、その人の本当の姿を見る、ということです。」

この本の中でいくつか感動した部分がありますが、ここはその一つ。

私自身、外国人ヒーラーの通訳をして感じていたことがあります。大きなイベントにもブースを出してセッションを行うこともあるのですが、やってくる人の中には私の目には いわゆる「わ、やばい」精神的に危ないという感じの人も居るわけです。

でも素晴らしいなと思えたヒーラーは必ず「彼は魂がピュアよね」とか「彼女はほんとにキュートだわ」とか言うのです。それを聞く度に「ああ、私は一体何をみているんだろう?」と思うことがしばしばでした。彼らと私は見ているものが違うなあと。

ミッチェルはその後、後に彼の師となる偉大なヒーラー「ジャック・グレイ」のあらゆる次元でのヒーリングにより奇跡的に回復し、無報酬で非常に質の高いヒーリングを彼自身がまわりの人々に施し、それを受けたい人が毎日列をなすようになります。

そこで、ヒーリングの代替物として完全無欠のオーガニック製品を出し、異例の販売を達成していきます。彼はまさにスピリチュアリティとビジネスを融合させ成功した新しいタイプの経営者です。読めば読むほどここまで徹底するとは・・と彼のビジネスへの態度に感動さえします。

明日本を返すので、その前に皆さんにもシェアーしたかったのでした。
「ミッチェル・メイ・モデル」VOICE出版

ことぢから

2008-06-27 | おもうこと
今日は京都に用事があって行ったのですがサミット外相会合の為、厳戒態勢らしく駅のゴミ箱も閉鎖されていてゴミ箱探すのに「面倒くせえなあ、平和な世の中なろうぜ~」とぶつぶつ言いながら歩きまわってました。

時間があったので夕方、鴨川のほとりで少しぼ~っっとしてました。川床でなく本物の川の側ですが、そういえば最近は川の側で一息つくことが多いです。森林公園とか山の中に行きたくても行く時間とパワーがないときが多いから、夙川のほとりのベンチや武庫川のほとりでぼ~っと水の流れを見ていますが、しばしの間、思考がストップしてくれるようです。何より寒くもなく暑くもなく気持ちいいし。

そういえば今年は皆が「湿気が・・」と嫌そうな顔をしているのに私は「え?そう?」とあんまり感じません。今までの私はなんせ湿気が大大大嫌い!梅雨時は体に鉛が入ったようで気分の悪い日々を過ごしていました。そこで、何が変わったのだろう?と分析を始めたら一つ思い当たるふしが・・。

天気の悪口を言うのをやめたのでした。

勿論「あっつう~」と暑い日は言ってしまうけど、その後「太陽さん、エネルギーくれてありがとう」と付け加え、雨の日は「恵みの雨だわ」。或いは最近買った「かわいい長靴をはけるのでありがとう」。湿気の日はなかなか思い浮かばなかったけど、「この湿気で肌が潤うわ、ありがとう」。だってこの湿気のお陰で日本女性の肌は美しいですもん。乾燥した国のおばあちゃんの肌って地割れしてるけど、日本人のおばあちゃんはそんなことない。

ま、なんでもこじつけでいいのですが、思って無くてもいいから言葉にするようにしました。おそらくその結果、去年までは「げええ、気狂いそう・・」とギャーギャー言ってた湿気があまり気にならなくなりました。

もうひとつ。
先週、私は皆に「げ、目の下のクマすごい」といわれてました。確かに疲れてはいるけれど、あんまり目の下にクマできる体質でないし、先月の方がもっともっと疲れていたはず・・なんで?

そこでまた思い当たるふしひとつ。

暑くなってきたからそれまでつけていたクリームをつけるのをやめたのでした。私の勝手な解釈では、クリームをつけなかったというのが原因ではないのです。実はクリームをつけるときは「ありがとう、ありがとう」といいながら目の下につけていたので、この「ありがとう」を消滅させてしまったということ。

また「ありがとう」言いながら目の下にだけクリームを付け出したら、クマも消えてしまいました。今週はクマなし。

女性の皆さんは「ありがとう」攻撃でお化粧しましょうね。ぜ~ったい違います。高い化粧品買うよりは「ありがとう」「美しくしてくれてありがとう」この言葉の方が絶対コストパーフォーマンス高し。思っていようがいまいが言うのです。

言葉の力「ことぢから」(相撲取りの名前みたいですが)はすごい。「最初に言葉ありき」です。


おとこまえ

2008-06-26 | おもうこと
そういえば、昨日のコンサートのメインでないほうのギタリストのお兄さんはとってもオトコマエでした。かっこいいわあ・・と思ってたら、彼が紹介されたとき前の方の観客のノリノリのおじいさんが、「よっ、おとこまえ」と叫びました。

「へえ、私がかっこいいと思う人が他の人と一緒なんだ。」とそのおじいさんと私の趣味は同じなのね・・と不思議な感じでした。

しかし、男の人を見て「いやあん、かっこいい」って思うこと・・むちゃくちゃ久しぶり。そういえば日本に帰ってからなくなってしまったような気がする・・と悲しいことに気がつきました。

フランスでは3日に1回くらいは「いいわああ」というルックスの人が街角やカフェやバスやいろんなところに居て、友達と「ああいうのがいい、こういうのがいい・・」とカフェでよく話していたもんだけど、日本でそんな会話しているのなんて、マクドナルドでだべっている高校生くらい? 大人は忙しすぎるのかもしれないし、街角にそうそう自分が素敵!と思える人がいないから、テレビのタレントの話になるのかも。

別に後つけてナンパする積極性はないけれど、異性を見て素敵だわあと思うことって自然なことだと思うし、だから恋愛テロワール(土壌)指数の高いかの地ではいくつになっても男であり女であるのだと思います。

20代の頃、ヨーロッパで真面目にナンパするおじいさんに本当にびっくりしたけれど、今冷静に考えるとそういうじいさんたちって話題も豊富で女の子を褒めちぎる言葉をいっぱい持っていて、愛の詩や文学作品を教えてくれたり、年季はいっている分なかなか面白い人間だったよなと思います。日本ではそういうおじいさんは、ただの「えろじじい」とか言われちゃうんだろうけど。

カップル年齢差たかだか20歳くらいで大騒ぎするし日本は恋愛するのにとっても不自由、頭の中の手かせ、足かせがいっぱい。恋愛に限らず日本では「何歳でどんな感じ」というモデルがかなり強固にあるようですね。そして、そのモデルに自分はならなければならないし、他人もそうあって当たり前だというのが潜在意識としてあるのでしょう。ま、ある種の洗脳ですけれど・・それが、日本ではひじょう~に強い。

日本で面白いと思うことの一つに、知らない人と話すときの歳のさぐりあいがあります。特に同性同士だとあるのかな。私が独身であり、子供がいない・・という状況だと分かった途端、すごい若い人かと思われて急に若僧扱いされたり(おそらく相手の方が年下)面白いなあって思います。人は色々やっちゅうねん・・と心で思いながら、その人のその「xxはxxであるべき」という思考パターンを言葉の端々から探ってふ~んと分析するのは結構面白い。時には、自分はもうおさらばしたと思っていても、まだ持っている不必要な思考パターンも見つけたりできるし、そうなれば若僧扱いしてくれた人にも「ありがとう」と感謝できるし、人間観察は面白いですな。




ジプシー

2008-06-25 | 映画、本、劇など
今日はジプシー・スウイングのコンサートにいってきました。
「チャボロ・シュミットのジプシー・スイングナイト」

春頃、やたら夢にギターやバイオリンなどの弦楽器が出てきた時期に、ちょうどおじさんが一人ギターを弾いているチラシを見てつかさず予約したのですが、実際ステージではバイオリン、ベース、ギター2本と「ああ、私が夢に見た感じに似ているわ」と始まる前からテンション上がる上がる。

チラシにあったジプシースイングの説明、映画「ギター弾きの恋」の音楽・・というのだけを読んで「ああ、あの映画のね、いい感じだったわ」という程度しか知らなかったのですが、と~ってもよかった。

どれくらいよかったかと言うと、私の手のひらから金粉でてました。世の中では「金粉」というけれど、金粉っていうのはちょっと言いすぎで私の言葉では「ラメ」あるいは「きらきら」。

去年の12月ごろから食べ物に気をつけ、野菜を大量に摂り出してからよくこのラメが手のひらから出るようになりました。友達といい話をしていると(だいたい魂の話)キラキラが出て、そういうときはほとんどの場合、一緒に居る人も同じように出ているからキャアキャア言いながら楽しんでいたのですが、最近は心身ともに疲れていたから今日のキラキラは久しぶり。なんと、爪からもでていた・・マニキュア塗らなくても天然のラメだ~い!!

今日のコンサートはホールだったけれど「踊りたいなあ。これ、踊るところがあったらむちゃくちゃ楽しいだろうなあ」と、私の空想、イメージはヨーロッパの踊れる街角のカフェやバー、あるいはリゾート地の高級ホテルで人々がくるくる楽しく踊る図。あ、それからフランスの「音楽の日、fete de la musique」も思い出したなあ。街中が通り夜中じゅう音楽やっている日で飲んだり踊ったり。

とにかくコンサートが始まってからずっと「ああ、いいわああ」と思っていたのですが、どうも会場の人もすごく感動していたようで、終わっても総立ちで盛り上がってアンコールも二回。人と感じ方が違うことに最近は慣れているので「へえ、私がいいと思ったもの、みんなもいいって思うんだ」と妙な感動がありました。

体が変わってくると音楽の楽しみ方も変わってきて、体のどこにエネルギーあるいは響きを感じるか、自分の体がどういう反応するかが面白くって、今日はコンサートの間じゅう、足の裏がビンビン、じりじり一番エネルギー感じていました。考えたらジプシーだから地のエネルギーというのもなんとなく分かるような気がする。そのうち体が深呼吸を求めだし、深く空気を入れるともっと地球に繋がる感じ。今もまだこの感覚は残っているわ・・おお、これぞグラウンディング。

チラシによるとこのジプシースイングってジプシーの音楽とアメリカのスイングジャズをミックスさせたとような音楽とあるのですが、私が驚いたのは会場で買ったCDについていた説明。

「フランスアルザス地方は多くのジプシーたちの通過地点だったが、ここに定住する人々(マヌーシュ)も多く居た。彼らはオリエンタルなリズム、ハンガリー風な哀歌、ミュゼット、ジャズ、ボサノバなどを絡み合わせて独自の音楽を発展させた・・・」

何がびっくりしたって、私はアルザス地方がそんな場所だとは全く知らなかったのでした。フランスの中で南仏と同じくらい好きなのがアルザス(ドイツとの国境近く)。もともとアルザスワインがだ~いすきで、あそこに住むならアル中覚悟というくらい好きなのですがアルザスの中心地ストラスブールに降り立った瞬間に「この空気、この土地大好き」と一目ぼれした場所であり、そのまま住もか?!とまで思ったくらいでした。

そんなアルザスが私の手のひらからキラキラを出してくれるジプシー音楽と深く関係しているなんて、なんだか繋がっていて嬉しい。基本的に「ジプシー」とか「ノマド」とかいう言葉があると飛びついてしまう私でありますが、そうはいいつつ、ヨーロッパを旅していてジプシーたちがお金をせびりに集団でやってくると「くるなあああ」光線をしっかり出しますが・・・・だってきりないからね。

というわけで夢のメッセージをヒントに行動すると面白いことに繋がるということが体験できました。ちなみにケーシーによる夢解釈では、弦楽器は女性を表すらしいのですが、う~んこれからどう繋がるのでしょうかねえ。

しかし、人の体からキラキラだす音楽するってすごいよなあ・・とだいぶ少なくなってきた手のひらのキラキラを見ながら思うのでした。


ありがとうの反対は。

2008-06-20 | いいこと
先日、初めて伊勢神宮の正式参拝をさせていただきました。

イスラエルの旅の同窓会としての集いでしたが、早朝参拝のため前日夜から集まりました。正式参拝なので正装、スカートは膝下といわれていたのですがこれが結構大変で、スーツは膝ぎりぎりくらいのものしかなく、結局お葬式にも着れる本物の礼服で参りました。

伊勢神宮は本当に素晴らしい場所ですね。本当に「気」もちがいいところです。森の木々の色の緑が目から体に流れていくエネルギーを感じます。ゴテゴテと装飾のある外国の教会と比べるとすっきりしていて、シンプルな美しさを感じると共に日本人の美意識は素晴らしいなと感心してしまいます。

この正式参拝のお世話をしてくださったのが、伊勢修養団の中山先生。(「4分の1の奇跡」映画にも出てらっしゃいます。http://www.yonbunnoichi.net/ 修養団はこちら http://www.syd.or.jp/index.html)

当日はお体の調子がお悪いとのことで奥様が引率してくださったのですが、参拝後先生も出てきてくださってお話をしてくださいました。

その時、一番強く言われていたこと。

「ありがとう」の反対は?

「あたりまえ」。

そして、今「あたりまえ」崩しの時代になってきている・・当たり前だと思ってたきれいな空気がなくなりつつあり、きれいな水が飲めるのも当たり前ではなくなってきている。

「あたりまえ」だと思っていたら感謝の言葉「有難う」が出てこない。


実は世の中に何一つ「あたりまえ」のものはなく、全てのもの、ひとは「ありがとう」の対象なんですよね。

私にとって(おそらくほとんどの人にとってもそうだろうけど)身近な人になればなるほど感謝の気持ちを常に持つのが難しくなっちゃう。自分の調子がイマイチのときなんかは、感謝の気持ちなんてふっとんでしまい、後で後悔することしきり。まあだから、いつもあらわせない感謝を伝える為、父の日、母の日、誕生日やいろんな記念日があるのかもしれません。

読んでくださってありがとうございます。