シンガー『ナターシャ』のブログ

関西・東京・名古屋・広島、そして台湾もグローバルに歌うシンガーソングライター、jazzシンガーナターシャのブログです

1.17

2007-01-17 | Weblog
早いもので震災から12年。関西に住んでいる人ならそれぞれの「1月17日」があるでしょう。12年前私は冬休みでアメリカから日本に帰っていました。でもお正月から風邪をこじらせ、なかなか向こうに戻ることができず、2回ほどフライトを延期した後、日本を発ったのが16日のお昼でした。

4時間ほどフライトが遅れたせいか、なんだか胸騒ぎというか変な感じがして、「なんなんだろう」と思いつつ乗った飛行機がびっくりするほど揺れ、「ああ、このせいで私は飛行機に乗る前に変な感じがしたんだ」と思って安心してました。

ロスに着いて、家から日本に電話しても全く通じず、テレビからは恐ろしい映像が流れるのですが、さっきまで自分が居たところがそんなことになっているとは信じられず、そして家族と連絡が取れたのは3日後でした。

なんと言っても、前日に日本を出ることになっていた運命に感謝しなければいけません。私の寝ていたベッドには大きな箪笥が倒れていましたから・・。

そう思うと、私は生かされているんだなと改めて思います。普段、自分の持ってないものを欲しい、これがやりたい、あれがやりたいと言う前に、まずは命をいただいていることに感謝し、あの時死なないで生かされていたということは、私は何をするために生かされることになったのか・・少なくとも不平不満や愚痴を言うためではないはず・・をしっかり考えて、生きていきたいなって思います。

そういう意味でも、1月17日は大事な日です。

怒りって・・

2007-01-15 | Weblog
今日は不思議な一日でした。久しぶりに「キレテ」しまいました。この「キレル」て言葉、誰が最初に使ったのか知りませんが、本当によくできた言葉です。「キレル」時って本当にブッチンって音がしたかのように、怒りの感情が止まらなくなって自分ではどうしようもないですからね。ただ、今までの経験でも怒ってしまった後は、自己嫌悪になる場合が多いですが、「キレ」た後は「なんやったんやろう。あれ。何かが宿ったようだった。」と不思議な感覚で後で笑えたりします。机に足はのせるわ、人の話はきかんとエロ話ばかりする中学生の学級崩壊もどきのクラスを教えていたときは、何ヶ月かに一回はキレてましたが、それもそんな感じでした。

今日は、前からあんまりいい感情をもってなかったおばさんに対して私は「キレ」てしまったのですが、その人は単に顔を知っていて時々しゃべるくらいで全くもって友達でもなく、友達にもなりたくない人です。

彼女はまず私の年をきいてきて、私が答えているのにまずは「きいてない」。そこで発火。その後自分の知り合いが39歳の女の人で一目ぼれをして3回目で結婚を決めて・・と言う話をされたのですが、全くもって知らない人の話で何の興味もなかったので「はあ」と答えていると「あなたはどうなの?いい人いるの?」と言ったその一言がどうも油を注いだようで、そこでプッチ~ンという音が聞こえました。

「放っておいてくれますか。私別に困ってないんです。」「そりゃ、今は色々な生き方あるしねえ」「あなたに関係にないでしょう。そうやって自分の価値観押し付けるのやめてください。」と私が言った辺りまでは覚えているのですが、その後はよく覚えていません。おそらく言いたかったのは、友達でもないあんたになんでそんな私のプライベートな話せなあかんねん。人に聞くなら自分の話からせえよ・・てことだったのでしょうが。

しかし、こんなおばちゃん日本にごまんといるし、今までだったら「そうですねえ」とか流していたんですよね、私。おそらく私の内側は大きな変化をしているようです。勿論、嫌だなと思っていないのなら別に流してもいいのですが、今までだって同じように嫌な感情を私は持っていたのに、誰からも(とくにおばさんたち)いいお嬢さん(ていう年でもないのだけど)と思われたいがため、「いいお嬢さん」を演じていたのですね。まぎれもなく母の教育の賜物・・というよりは、今になればもう「呪縛」になっていたのでしょう。

今は別に親しくなりたくない人に何思われてもいいやって思うし、もし大事な人に私がキレテしまったならば、後で反省して必要なら謝るし、相手も許せるなら許すだろうし・・ただそれだけのことなんだと思います。

しかし、怒りってなんなんでしょうね。去年の夏、信頼するヒーラーの方に、「これから怒りのエネルギーがでてくるかも」と言われました。実は、その前から「怒り」を出すというのが私にとってはかなり苦手なことであるというのはうすうす気づいていました。だからこそ、毛穴から、体中から感情を出すフランス人の間に住むことを選んでいたのかも・・と思ったりもしていました。日本に戻って初めの頃、人の側にいって「あれ?何も感じないや」と不思議に思いました。それだけ、フランス人は側に居たら感情が分かるくらい出していて、そして日本人はできるだけそれを抑えているのです。

怒りを表すことは大人気ないこととして、泣くことと同様、特に日本では抑えられている(禁じられている?)ことです。勿論、何でもかんでも怒ればいいというものでもないですが、怒りがあるのに納得したフリをすることは、それこそ火がくすぶったものがずっと残ってしまうのではないでしょうか。

私は去年の春火傷をしました。落ち着いてから「あれはどういう意味だったのか、何をそこから学ばないといけなかったのか」を問うてみて、自分なりの答えは見つけたのですが、別の見解もありました。またもや登場「こころを癒すとカラダが癒される」(チャックスペザーノ他著)の本によると「火傷は自分自身や他の人への解決していない怒りを示しています」とありました。この本なんでこんなによく解るの? 

実は、その火傷をする前の日、私はある人からひどいことを言われ、怒りの感情があったのにそれを表現しなかったのです。あの頃は人を受け容れることばかり考えていたので、「この人の嫌な部分も以前に私を傷つけた人の何かを投影しているだけかもしれない。」などという考え方をしたので、その場で、私は怒らなかったのですが、帰り道々頭が痛くなるし、次の日も胸が気持ち悪かったのです。

人間の感情、喜怒哀楽の「喜」や「楽」の部分ばかりフォーカスされますが、人間なら「怒」や「哀」があって当たり前だし、それでこそバランスが取れるのです。思い出せば思い出すほど、私は人生で「大人だから」「しょうがないから」という理由で「怒」を押さえ込んで生きていたように思います。でも、もうそういうのもやめにしたいなって思います。自分の心やプライド(誇りという意味)を傷つけられたりしたら、自然に湧き出る怒りは表していこうと思います。勿論、ちゃんと落ち着いて言葉で言えれば一番いいのでしょうが、うまく言えないからと言って炎をくすぶらせたまま生きていくくらいなら、ちゃんと表そうと思います。そして、それがよくなかったと思えばちゃんと謝る勇気を持ちたいし、そうやって大事な人間関係を作っていきたいなと思うのでした。

実は私は今「ホメオパシー(同種療法)」を試したり、勉強したりしているのですが(これについてはまたゆっくり書きます)現在使用しているレメディー(薬とは言わない)の一つが、「くすぶった怒りを出す」というものなのです。ホメオパシーを始めたときに出てきた好転反応が「怒り」でした。このおばちゃんではないのですが、「え、私この人に怒り持ってたとは思わなかった・・」という人に対しての怒りがでてきたのです。

なので、人生で溜め込んだ怒りを出すというのも今の私のテーマなのかもしれません。今日のおばちゃんは、餌食になってしまったのかもしれませんが、ま、彼女も世の中には違う価値観の人が居るということを知ったかもしれないので、ま、いいか。私は怒った為に今でも頭が痛いです。その代償ですね、これも ま、いいか。


クリスタルボウル

2007-01-14 | Weblog
今日は京都のお寺でクリスタルボウルを聞くイベントに参加してきました。去年末、初めてクリスタルボウルの生演奏を聞いて、是非またライブを聞きたいと探していたところ、ちょうど京都でこういうイベントがありました。

お寺のお坊さんの声明、ヘルマンハープの演奏、そしてクリスタルボウルの演奏を聞かせていただきましたが、音が人間の体に与える影響や、体のどういうところにどういう音を感じるかなど興味深い事がたくさん体験できました。クリスタルボウルも前回と全く違う感じでした。前回は柔らかい優しい感じでしたが、今回は男の人というのもあったのか、すごく力強いかんじでおなかにガンガンきました。どちらもふわふわと気持ちよくなるのは同じでしたが、演奏する人によって違うって本当に面白いです。普通の楽器でも勿論そうですが、クリスタルでできている楽器だから尚のことでしょう。

ヘルマンハープというのも初めて見て聞きました。触らせてももらいました。http://www.hermannharp.com/ ドイツでダウン症を持つ子供のお父さんが子供に音楽を体験させたいという一心で弾けそうな楽器を探したのですが全くなく、ついにお父さんが作り上げてしまったという楽器だそうです。弾かせてもらいましたがとっても簡単に演奏できる、誰にでも演奏できる素晴らしい楽器だと思いました。その優しい音色も素敵でしたが、私が心打たれたのはやはりお父さんの子供に対する思いです。こちらもまた聞いてみたい楽器です。

しかし、今日のイベントで一番インパクトがあったのは、「おもろい坊主」っていうおじさんでした。タイのお坊さんのオレンジの袈裟を着ているおじさんがいて、今日の主催のお寺のお坊さんと仲良しらしく、座ってらしたのです。ごっつい怖そうでありながら、なんだかよくわからない大きいものを私は感じて興味もっていたのですが、彼は「おもろい坊主藤川さん」という方でした。http://www.omoroibouzu.com/ 

彼は昔ホンマモンの悪でバブル時には地上げ屋をやって、そしてタイでショッピングセンターなど多角経営をしてたらしいのですが、一生に一度は出家するというタイ人に「社長は出家なんか無理」と言われたのが頭にきて、3ヶ月の出家をし、その後全ての財産を捨てて本格的に出家された方でした。そして15年タイで修行をしていたのですが、去年今の日本の問題を作った責任はワシにもある・・と日本に帰って修行、巡業をされているのでした。

この人、生き様がすごいだけあって、顔も「イカツイ」なんて言葉では表すことのできない、「この人にすごまれたら普通神経ちぎれるわ」というくらい怖そうなんですが、でもなんていうか物凄い大きいもので人を包み込みそうな空気があって・・。「誰か亡くなった方を想ってください」と彼が詠みあげた短いお経は、心に沁みてたようです。

しかし、世の中色んな人がいますね。色んな人生があって、ほんまに勉強になります。なんかそうそう出合えない人に出会えて今日は面白かったです。





50対50の法則

2007-01-12 | いいこと
前回このブログを書いた後、可視光線を当てていたら思い出したことがありました。(可視光線を当てている時間はひらめきや気づきがやってくるので今ではすごく貴重な時間になってます。)

50対50の法則です。

自分に賛成・賛同する人のエネルギーと反対、批判する人のエネルギーは全く同じ。例えば100人中、50人の人が「すご~い」と言ってくれても、50人の人は「しょうもな」て言う。でもエネルギーレベルなんで、99人の人がすご~いと言っても、たった一人がすごいエネルギーで批判することも有り得る・・

ということ、知っていたのですがすっかり忘れていました。だから、私と全く意見が違うお医者さんが居るのと同じくらい、私の意見に賛同してくれる人がいるんだ・・ということでした。

誰かに厳しくバッシングされたときには、この法則を思い出すと楽になれそうです。知っていると楽するたくさんの法則がありますね~世の中には。

やっと心穏やかに・・

2007-01-10 | カラダとこころ
なんとか「このステージクリヤーしたかな?」と思えるようになりました。というのも、実は新月の日に手術をやめることを決めたものの、ものすごい不安で不安でしかたない日々を送っていました。ついに、唇にヘルペスまでできるし、それが終わったら腰痛まで出てきてしまいました。

最近手元においている「こころを癒すと、カラダが癒される」チャックスペザーノ、ジェニーティスハースト著(VOICE出版)によると、「口唇ヘルペスは他の人たちから受けていると感じる感情的な冷淡さに対する文句。なんらかのレベルで引っ込んでいようとするネガティブさ。」とありました。う~ん、この本いつもながらすごい。

手術をしないと決めてから、回りの人たちにも、近くにいる人も遠くにいる人にも大きくサポートしてもらいました。「勇気が要ったでしょう。よく決めたね」って。本当に嬉しかったし、感謝しているのですが、きっと私の不安はあまりにも大きく「世界中の人が大丈夫って言ってくれるくらいじゃないといやだ。もっともっと・・」と求めていたのがヘルペスですかね。バンジージャンプで飛んだはいいけど、ブランブランと崖から命綱だけでぶらさがっていた状態が続いていました。

まずは、お医者さん。これから検査はちょくちょくしていこうとは思いますが、今まで通っていたお医者さんは手術をすること前提だったので、ここで手術をしないことになるともう行けないわけです。ホルモン治療の注射を3本も打ったのになんでここでやめるわけ~というのは、おそらく多くのお医者さんに言われることだと思うと、しゅ~ん・・となってしまいました。そして、このホルモン治療の注射は手術まで月1ペースで打っていたのですが、一般的にはこれをやめると筋腫がリバウンドして大きくなると言われています。

敏感な私は痛いわけではないのですが、「あ、止まっていた卵巣が動き出した」とかなんとなく分かるので、そうすると女性ホルモンが増える・・筋腫が大きくなる・・どうしよ~とまた不安になっていました。でも、実際もし大きくなって「やっぱり手術します」と言う結論になったとしても、するのは私、痛いのも私でお医者さんは関係ないし、検査だけしてもらうのなら別に理解してもらわなくても私の話をちゃんと聞いてくれる婦人科の先生くらい日本中探したら居るだろう・・なんて頭では分かっているんですけどね、びくびくしていたわけです。権威に弱い自分をまざまざと見せつけられました。

前回ココロとカラダのことをブログで書きコメントいただいて読んだり書いたりしていた日に通っているカイロプラティックの先生に言われました。そこでも筋反射テストで(キネシの1番OFF)メンタルストレスが出てきたので「どないしたん?」ときかれ、「たぶん、手術やめたことはいい決断だったと思うんですけど、怖いんですよ、まだ」と答えました。そこで、先生がお話してくれました。私はそこで勧められた可視光線というのを当てているのですが、「今のカラダっていうのは、過去の結果。今までの生活のリズムや食事や、考え方や色んなことが生んだわけで、筋腫を切ったとしても同じ生活、考え方をしていたらまたどっかに不調がやってくる。今までのよくなかったっていうことを改めて可視光線当ててたら大丈夫」と言われたのですが、この話私にはず~んと胸に響きました。

私はインスタント食品やコンビニ弁当なんかは嫌いだし、変なものを食べているとは思わないのですが、社会人になってからほとんどが夕方、夜の仕事だったため完璧な夜型人間なのです。そのせいで食事のリズムも確かに変。しかし、午前三時就寝生活よりは、太陽と一緒に活動するリズムになりたいなあと思うこの頃だったのでした。

食べ物も筋腫の治療を考えたときに何かした方がいいかな~とも思ったのですが、以前マクロビオティックのクラスを受講していたことを思い出しました。講義を聴いていると「そうだ。そうだ。ほんとだ。」と納得することばかりなのに、実習が終わって帰り道すがら私は狼のような目でケーキ屋を探しているのです。学校の側だと誰かに見つかったら怒られそうなんで、家の近くまで戻ってきて毎回ものすごい甘いものを食べていました。

マクロビオティックでは、お砂糖がよくない、お肉がよくない、そしてそのコンビネーションが非常によくないとしていて、説明を聞いていたら100%同意しています。しかし、駄目だ駄目だと言われたら何故か食べたくなる心理。普段はあっさり目のケーキを食べているのに、毎クラス後は生クリームたっぷりのお菓子を頬張っていました。これは、自分にとってよくないとクラスも途中で止めてしまったのですが、それを思い出したのであまり制限するのはやめようと思っていたわけです。

もう一つは玄米を食べている人と白米を食べている人の罹病率を調べると玄米を食べている人の方が高いというデータがあるそうで、これは体に良い悪いというのに神経質になるよりは、何も気にしない方がいいのかも・・ということになります。

そういったことを色々思い出し、無理のないように少しだけ生活を変えていこうと思いました。少しずつでいいから今より早く寝ること。(可視光線を当てだして不眠症が治ったので寝つきが最近は大変いい。) 冷えを改善するために毎日根菜を食べること。白いものをなるべく黒いものに変えること。白砂糖より黒砂糖、白い食パンより穀物パン。でも貧血があるため玄米は例外。そして、一番大事なことは「私の体は素晴らしいから、必要なものだけ受け取って、自分に必要ではないものは外にでるのだ」と決めること。

たったこれだけですが、生活態度も変わりました。今までだったら美味しいレストランに行く前はおなかぺこぺこにしなくっちゃと2時間くらい前におなかがぐるぐる鳴っても我慢していましたが、今は食べたかったら食べる。レストランであまり食べれなくても悔しくないのです。

自然治療はこれからも続けていきますが、もっと自分でできることが色々あるんではないかということに気づいたことによって、本当に「自分の体を創ろう」という意思が大きくなってきました。今、自分の体、細胞の一つ一つを愛しく思うし、それに根ざしたものだから、今までの「これ体にいいらしい」と他人から聞いたものをやってみても続かなかったものとは明らかに違うような気がします。

そして、この「自分の体を愛おしく思う」ようになり、「自分の体を創る」ことを始めたら、この前まであった不安がすっかりなくなりました。何かストンと腹に来た、腑に落ちるというのでしょうか、「もう怖くない」状態になりました。バンジージャンプで飛んで、命綱でぶらさがっていたのが、崖のところまで這い上がれた感じです。今ならどんなお医者さんの前でも自分の考えを述べられそうです。そして、「注射やめたらリバウンドするぞ」という洗脳も解けてきました。そういう統計があったとしても私が100%そうなるとは限らないのです。

この筋腫、無くなったら無くなったで嬉しい。でも、今くらい自分の体を私が愛おしく思っていたら、無くならなくても以前のように大きくなって子宮を圧迫して貧血問題を起こすことはないんじゃないかなと思うようになりました。なぜなら、筋腫が大きくても何も症状が無ければ問題ないわけで、もしこの筋腫が発見されても大きくても問題なければ、危機感が無かっただろうし、私はここまでいろいろな事に気づけなかったはずです。私に「自分を愛する」という大事なことを気づかせてくれるために、症状を出したんじゃないかしら。それなら、私が自分をないがしろにせず、大事に思って生きている限り大丈夫なはずです。

という境地になって、心穏やかになりました。いまさらですが、バンジージャンプで飛んだときにサポートをしてくれたたくさんの人たちに感謝しています。みなさんのおかげです。そして、長くなってしまったのに読んでくださったあなたにも感謝です。

「悪」ですか?

2007-01-07 | カラダとこころ
筋腫が発見されてからのことです。私は自分の体にとって良いと思われるものを取り入れているので、一緒にやっている人から「(体にいいことやっているのに)なんでそんなん、なったんだろうね?」とか「効かなかったってことかな?」と言われる度に違和感を感じていました。体にでてくる症状というのは「悪」なんだろうか・・と。

私は症状というのは、長年の心と体のクセ、偏りが表面化したもので、それに気づく必要があるベストなタイミングで出てくるものなので、本当は有り難いものではないかと思うのです。何をやっていても出てくる必要があるときは出てくると。私の場合、お医者さんが筋腫を見つけ、手術やどうやこうや・・と言っている時、ショックでおろおろしている自分と「来るべきときがついに来たな」という自分が居ました。なぜかと言うと私は自分でも不思議だったのですが、子供がこれだけ好きなのに、子供を生み育てることに対しての大きな大きな恐れがあったからです。でも、自分のしたいことが色々あるし、まあいいかと過ごしてきましたが、フランスに行き「ああ、自分のしたいことは全部した。次は誰かと創る生活がしたい」と初めて私にとっての家庭を持つ真の適齢期が来たのでした。

そうなると、私の子供を生み育てる恐怖が邪魔をして進めないわけです。だから、このベストなタイミングで筋腫が発見され、もっと女性ということ、何を怖がっているのかに向きあいなさいというメッセージが送られてきたのだと思うのです。フランスに行く前にも検査をしていますが、その時は市のがん検診だけでエコーの検査がなかったので、筋腫のことは何も言われませんでした。その時点で筋腫はあったのは明らかですが、もしその時点でお医者さんに言われていたらフランスに行くことはできなかったでしょう。ちゃんと自分のやりたいことをやりとげて、次のステージに行くことになり、そのステージに上がるには今もっている恐れを手放しなさいよというメッセージに他ならないと思っています。

ただ、この恐れは何十年も奥深くしまっておいた恐れなので本当に怖かった。でも、何ヶ月も子宮や卵巣や妊娠やなんやかんやとずっと共に居たことにより(それまではいい大人になっても話を聞くだけでも怖かった)、恐れが少なくなり、そしてその恐れの元となったトラウマも分かって解放できたから今は子供を生み育てる恐れがすっかりなくなりました。

しかし、本当に人生ってよくできているって感心します。歌を歌えることになって表現するという恐れがなくなり一回り大きくなった私は、次のもっと深い恐れを直面できるくらい強くなったということでしょう。自分の目の前の問題は、自分に解決できる問題しか来ませんからね。何段も上の階段ではなく、一段だけ高い階段ですから。

筋腫が発見されてこの何ヶ月か、本当にたくさんのことを学んだし、ほんとに成長させてもらいました。病気は大きな、たくさんの気づきをもたらしてくれます。人間は生まれたときは本来の輝く自分であっても、大人になるにつれ要らないものをたくさん身にまとっていきます。本来の輝く自分を取り戻すというのは、要らない玉ねぎの皮をむいていく作業でしょう。一枚剥けたらまた一枚・・でも、今回は5枚くらい剥けました。すごろくで言うと一気に5つくらい進めたことになります。これを「悪」とするには、あまりにも失礼な話ではないかと私は思うんです。だから、出てきてくれた筋腫には「ありがとうございます」です。


完了形

2007-01-06 | おもうこと
年賀メッセージの中に私が書いた「たくさんいいことが起こります」「素晴らしい年になります」などの言い切り形について色々コメントをいただいたので、それについて。

言葉というのは、その言葉を言った状況をまた引き寄せると言われています。例えば「わああ幸せ。」と言うと、また「わああ幸せ。」と言わざるを得ない状況がやってくる。「嫌だ嫌だ」と言えばまた「嫌だ嫌だ」と言わざるを得ない状況がやってくる。

ということは、「良いことが起こりますように」と言うとまた「良いことが起こりますように」とまた言わないといけない状況がやってきて、一向に良い事を実感できない状況が続きます。なので、「よいことが起こります」と言い切っちゃった方がいいそうです。もっといいのは、完了形。「ああ、良い事がおこりました。」ついでに「ありがとうございました」までつけちゃうと尚いいですね。

というのは、偉人たちが口をそろえて言っていることなんで取り入れない手はないです。ちなみに私は今年から・・と言ってもまだ3日目ですが「ありがとうございます運動」を実施。とりあえず年齢掛ける1万回目標です。結構数えてみるのも面白いです。満員電車の中である程度の声でこれがぶつぶつ言えるようになったら、どんな満員電車でも人がさ~っと引いてくれるので人ごみを経験しなくなっていいなとは思いますが、まだ私にはその勇気はありません。


執着の「執」

2007-01-05 | Weblog
11月の終わり、私はフランス時代のお友達と久しぶりに会い、楽しくおしゃべりしていました。その中で、「執着を手放す」という話題になり、「あれ、執着の執って幸せに丸なんだ。なんでだろう?」と誰かが言い、誰も語源を知らなかったのでその話は流れたのですが、「幸せと丸っていいような字なのになんでだろう?」と私もなんか気になってはいたのですが、その後も特に調べることもせずそのままにしていました。

しかし、なんと、今日分かったのです。面白いのでお友達だけに伝えるのはもったいないので、ここでお話します。これまた小林正観さんの新しい本「この世の悩みがゼロになる」(大和書房)に書かれていたのですが、「幸」という文字はもともと「手かせ」の象形文字でした。「丸」というのは人間が膝をついているところの象形文字で「人間」という意味です。ということは、「手かせにつながれた人」が執着の「執」という字で、その右半分(人間)が「手かせ」から放たれたことが「幸」。つまり、「幸」の本質は手かせがない「自由」となるのです。だから、執着から逃れるには手を放しさえすればいい、努力してつかんでいる手を放しさえすればいい・・・と続くので、続きは本を読んでください。

この本も目が覚めるようなことがたくさん書いてあり、「こんな人になりたいなあ」というモデルを示してくれる有難い本です。とっても嬉しいことに、私今月この小林正観さんにお会いできるのです。今からわくわくドキドキ。なので、今日この本を見つけたので買ったのですが、すごいですよね。

必要だったら自分からがんばって調べなくてもちゃ~んと宇宙が答えを教えてくれる。ありがたいことです。

カラダに感謝。

2007-01-04 | Weblog
このお正月、本当に久しぶりにワインを飲みました。グラス1杯ですが、本当に美味しかった。そして、この美味しいと思えるこのカラダにとても感謝しています。

カラダは本当にすごいです。私の極度の貧血(ヘモグロビンが普通の半分。このままでは心不全になると脅されました)が発覚したのが9月だったのですが、その前からお酒がほとんど飲めなくなっていました。

普段は「あああ、これ以上飲むと酔っちゃうよなあ。あかんあかん」とカラダが言うのが聞こえるのですが(たいがい無視してしまう私)しかし、この夏は「これ以上飲んだら死ぬ」とカラダが言うのです。その頃はそれほどひどい貧血が進行しているとは知るよしも無かったのですが、確かにあの頃お酒を普段どおり飲んでいたら死んでいたかもしれません。

その後、貧血の治療のため、シャブ中の様に毎日増血剤の注射を打っていた頃も勿論お酒は飲めないし、欲しくないのです。食事をするだけでもその後、横にならないとやってられないのですから、お酒なんてとんでもない。食事をしたら消化器系に血液がいくのか、食事後は頭がふらふらしたり、気分が悪くなったりしていました。

そう思うと本当に普通に食事が美味しいと思えて、お酒も飲めるということがいかに健康で感謝すべきことかということかがわかりました。そして、カラダから発するメッセージって本当にすごいです。

去年春にガスの小さい爆発で顔に火傷をするアクシデントがありました。周りのみんながサポートしてくれたおかげで跡形もなくなりましたが、その火傷の後、急に毎日生野菜をガツガツ食べるようになりました。

普段、私は体が冷えているので火を通した野菜果物は好きですが、生野菜や果物は滅多に食べません。でも、この時期、狂ったように毎日サラダばかり食べていました。そして、1ヶ月も経った頃、ぴたっと止み、また茹で野菜を食べるようになりました。

あの時期、おそらく火を浴びた私の体は冷やしたかったのでしょう。そして、その熱がおさまったらカラダがまた冷やすものを欲しなくなったのです。カラダは本当にすごいです。

ちょうどその時期、私が生野菜を食べなくなった時期に、スターオヴベツレヘムのフラワーエッセンスのビンが床に落ちて割れました。ガスが爆発したあたりにエッセンスの中身がこぼれました。

スターオブベツレヘムはトラウマを癒す助けをするフラワーエッセンスです。火傷は私にとってものすごいショックだったようで、他人が吸っているタバコを見ただけでも怖くなっていました。なので、このエッセンスを取ってショックを和らげようとしていたのですが、ちょうど生野菜を欲しなくなったとき、つまりカラダが火傷による熱を冷ます必要がなくなったとき、私の心のショックを癒すボトルが落ちて割れて私から必要なくなったのです。その時「ああ、私は心も体ももう大丈夫だな」と思ったのでした。

世の中の、自分の回りの一つ一つの出来事は小さく見えても全てはつながっている。小さく見えても一つ一つの出来事を丁寧に見ていくことはとても大切だなと改めて感じた出来事でした。そして、しっかりカラダの声を聞くということも。



抱負

2007-01-03 | Weblog
あけましておめでとうございます。

今年は日本のお正月を堪能しました。やっぱりお正月は日本で過ごすのが一番です、私には。海外に暮らしている時にもお正月は日本の家族やお正月が恋しくなったものです。

以前はお正月の度に「今年の抱負」を決めたりしてました。でもだいたい3日坊主になるようなものばっかりでした。よっぽど嫌なものだったんでしょうね。そんな嫌なこと無理してやることないのに・・。

今年限定でなく、「これからの抱負」は「魂と細胞が喜ぶことをもっともっとするぞ。」です。魂は心、細胞は体。周りの人間や見たこともない人たち(世間の人たち)が認めてくれること、喜ぶことをするのではなく、本当の自分の体と心がウキウキわくわくすることをもっとすること。

そして、「自分のパワーを抑えず生きていくこと。」

今回表面化した筋腫のメッセージを探るうちに出てきたことの一つに、私がどれだけ自分のパワーを抑えて今まで生きてきたか・・というのがありました。もう、絶対嫌、自分のパワーを抑えるのは。 だから、これからは何も抑えず、地球にしっかり足をつけて、生きていきます!!

自分を幸せにするのは自分。他人や周りの状況ではないから。もっともっと自分を幸せにして生きていこうと思います。