この間、面白い人に会いました。その人は「神様を絶対に信じない」て言ってました。そこまで断言する人に会うことはそうそうなく、興味深かったので根ほり葉ほり聞いてしまいました。
彼は「占いも信じない」と言ってました。
ふ~ん、占いと神様は同じなのかい?と突っ込みを入れたくなりましたが、それでも色々話を聞いていると結構面白いのです。
最近、彼に起こること、私の観点からすると「目に見えないことに気づきなさい」というメッセージに思えるんですけどねえ・・・
もう少しのところで事故に巻き込まれるところだったのに、忘れ物をしたり、誰かに引き止められたりして助かった・・それが何度か頻繁に起こっているようなのです。
勿論、人間はどんな考えを持っても自由だし、あまりにも自分と違う考え方なんで面白かったのですが、現在の日本で起きている事、人を簡単に殺しちゃったり、いじめであったりってやっぱり神様、大いなる存在、宇宙・・呼び名は何でもいいのですが、そういった存在を消し去って人間が育った結果ではないかと私は思うのです。
この間テレビで中井貴一が言ってたことを思い出しました。
彼はシルクロードの果てで、かなり長丁場のロケを行った話をしていました。
「今の日本とあそこの人達の違いっていうのは、日本人が『自分は生きている』て思うのと、あそこの人達が『生かされている』って思う違いだと思う」と。
なかなかいい事を言うなあ~と思いました。
長々と説明することもなかったのではっきりとは分かりませんが、きっとそのシルクロードの果ての地は自然環境も厳しく(政治的なこともあるのかもしれません)皆が当たり前のように生きている環境ではないと思うのです。だから人は自分の力で生きているのではなく「生かされている」と感じるのでしょう。
「生かされている」というのは、自分の力の及ばない何か、神様か宇宙かサムシンググレートか・・そんな存在を感じているのではないでしょうか。何事も全て人間ができる、人間にできないことはない・・確かに人間は優秀な生き物だけれど、それはあまりにも傲慢すぎると思う。
近くの駅の「自転車をとめるな」ゾーンにたくさん自転車が止められます。そのせいで車椅子やベビーカーは勿論通れないし、ひどいときは私一人でも通るのが大変なときもあります。その為、市がおそらく多額の税金をかけてチェックするおじさんを配置させています。
さすがにその間は自転車駐車の量も少ないのですが、おじさんが消えるや否や自転車の洪水。そこを通る人やベビーカー、車椅子の人のことなどこれっぽちも考えていません。根本的になんでそこに自転車が溢れたらいけないのかがまったく理解できてないんだろうし、おじさんに見つからなかったらいいのです。(ちなみに近くには何百円か払ったらとめられる場所があります)
その様子を見る度に「神様は見てるで」と張り紙したろうかなって思います。おじさんに注意されなくても、神様は見ています。人に思いやりのある行動をしたら、ちゃんと自分に返ってくるのです。それって小さいときに習うことだろう。
目に見える算数のテストのいい点を取ることよりも、神様からいい点をもらう「いいぞ~」て言われる方が大事だろう、どう考えても。 目に見えない存在がいるっていうのは、人間を謙虚にさせてくれるし、魂の進むべき道・・「人に優しくする」とか「弱いものいじめをしない」とかの道を示してくれると思うのですが。
ま、自分のしたことは自分に返ってくる。
蒔いた種は自分で刈らなければならない・・それは勉強よりもも~っと大事なことだから大人になるまでに知っておこうよね。といいつつ、この言葉を知ったのは私も大人になってからでした・・とオチまでついてしまいましたが、できるだけ早く知っておいた方がお得です。
彼は「占いも信じない」と言ってました。
ふ~ん、占いと神様は同じなのかい?と突っ込みを入れたくなりましたが、それでも色々話を聞いていると結構面白いのです。
最近、彼に起こること、私の観点からすると「目に見えないことに気づきなさい」というメッセージに思えるんですけどねえ・・・
もう少しのところで事故に巻き込まれるところだったのに、忘れ物をしたり、誰かに引き止められたりして助かった・・それが何度か頻繁に起こっているようなのです。
勿論、人間はどんな考えを持っても自由だし、あまりにも自分と違う考え方なんで面白かったのですが、現在の日本で起きている事、人を簡単に殺しちゃったり、いじめであったりってやっぱり神様、大いなる存在、宇宙・・呼び名は何でもいいのですが、そういった存在を消し去って人間が育った結果ではないかと私は思うのです。
この間テレビで中井貴一が言ってたことを思い出しました。
彼はシルクロードの果てで、かなり長丁場のロケを行った話をしていました。
「今の日本とあそこの人達の違いっていうのは、日本人が『自分は生きている』て思うのと、あそこの人達が『生かされている』って思う違いだと思う」と。
なかなかいい事を言うなあ~と思いました。
長々と説明することもなかったのではっきりとは分かりませんが、きっとそのシルクロードの果ての地は自然環境も厳しく(政治的なこともあるのかもしれません)皆が当たり前のように生きている環境ではないと思うのです。だから人は自分の力で生きているのではなく「生かされている」と感じるのでしょう。
「生かされている」というのは、自分の力の及ばない何か、神様か宇宙かサムシンググレートか・・そんな存在を感じているのではないでしょうか。何事も全て人間ができる、人間にできないことはない・・確かに人間は優秀な生き物だけれど、それはあまりにも傲慢すぎると思う。
近くの駅の「自転車をとめるな」ゾーンにたくさん自転車が止められます。そのせいで車椅子やベビーカーは勿論通れないし、ひどいときは私一人でも通るのが大変なときもあります。その為、市がおそらく多額の税金をかけてチェックするおじさんを配置させています。
さすがにその間は自転車駐車の量も少ないのですが、おじさんが消えるや否や自転車の洪水。そこを通る人やベビーカー、車椅子の人のことなどこれっぽちも考えていません。根本的になんでそこに自転車が溢れたらいけないのかがまったく理解できてないんだろうし、おじさんに見つからなかったらいいのです。(ちなみに近くには何百円か払ったらとめられる場所があります)
その様子を見る度に「神様は見てるで」と張り紙したろうかなって思います。おじさんに注意されなくても、神様は見ています。人に思いやりのある行動をしたら、ちゃんと自分に返ってくるのです。それって小さいときに習うことだろう。
目に見える算数のテストのいい点を取ることよりも、神様からいい点をもらう「いいぞ~」て言われる方が大事だろう、どう考えても。 目に見えない存在がいるっていうのは、人間を謙虚にさせてくれるし、魂の進むべき道・・「人に優しくする」とか「弱いものいじめをしない」とかの道を示してくれると思うのですが。
ま、自分のしたことは自分に返ってくる。
蒔いた種は自分で刈らなければならない・・それは勉強よりもも~っと大事なことだから大人になるまでに知っておこうよね。といいつつ、この言葉を知ったのは私も大人になってからでした・・とオチまでついてしまいましたが、できるだけ早く知っておいた方がお得です。