シンガー『ナターシャ』のブログ

関西・東京・名古屋・広島、そして台湾もグローバルに歌うシンガーソングライター、jazzシンガーナターシャのブログです

履歴書その2

2007-07-31 | おもうこと
前回の「履歴書その1」の続きです。

日本に帰って、変な、今なら一日でやめるような仕事をいくつかしました。その当時私は自分自身のセンターに全く居れなかった時代なので当たり前の結果ですが・・。そのうちやっぱり教える仕事がしたいと思うようになりました。

あるとき、本屋で「七田式バイリンガル教育」という本に出合います。本当に興奮したのを覚えています。私たちが大学院で学んだこともたくさん出ていますが、脳のこと・・それは、私には全く未知の世界・・を知り、今まではこれをカバーしてなかったな・・と思ったのでした。それから七田式の本部に電話して、英語を教えたい旨伝えると紹介してくれたので、初めて本当に小さい子供たちと触れることになりました。

昼は子供、夜は大人を教えていましたが、何年かしてから昼間に調理師学校に行くことにしたので、夜の大人一本にしぼり、その後も料亭で板さんのお手伝いの仕事をするようになり、昼は板さん、夜は英会話の先生の二足のわらじ状態を経験し、最後には体がついてこなかったので、また英会話の先生に。

ということで、私は2歳から、幼稚園、小学生、中高、大学生、大人・・と全ての世代に接したことになります。

幼稚園、がんばっても小学生低学年までには、私は絶大な人気をほこります。「僕先生とずっとここに居たい」「せんせいの怒った顔も好き(この時は照れた自分もちょっと情けなかったが・・)」など、口説かれまくりでした。「ああ、これがあと20年してから、あるいは君がせめて20歳プラスだったら私はどれだけ嬉しいだろうか・・。」と何度思ったことでしょう。マジに年の差を計算しました。

これが中学生になると私はどうやって彼らと接していいのかわからないのでした。小さい子らにはちゃんと褒めてあげられるし、ハグもいっぱいしてあげれるし、だ~いすきって言ってあげられるし・・。しかし、あるとき私は気がついたのです。自分の中学生の時代を許せないものを彼らに投影しているんではないかと。

私はすごくいやな中学生でした。女子高という自分に馴染まない環境だったこともありましたが、自分より英語のできない先生を馬鹿にするような、人を傷つけてもその人の痛みなんてこれっぽっちも分からない中学生でした。

その許せない時代の自分を目の前に居る中学生に投影しているから、彼らを認め、愛を与えることができないというのを、2ヶ月の入院中に思い出したのです。全ては鏡なのです。少しずつ中学生時代の自分を許すようになって、彼らとの距離も近づいてきたような気がします。

しかし、何度言っても授業中机に足をのせて、私の話を聞かない生徒を前に「自分で蒔いた種は自分で刈る」という言葉を何度も思い出しました。ここまで態度は悪くなかったけど、先生の話している間によくおしゃべりして怒られていました・・私。

さて、私があらゆる世代を通して一番学んだことはなんだったでしょう。それは、「人間は人に認められたいんだ」ということでした。

先生というのは特殊な存在です。私も自分が生徒の立場に立つとよく分かるのですが、先生に名前を覚えてもらえないと結構ショックだったりします。外国でクラスを取ると語学力だけでなくアピール力というか、「私が私が・・」という文化の中で育っていない日本人はややもすれば影が薄くなるような気がするのです。

実際自分が教えているときは、アピール力があろうがなかろうが存在感にはあまり関係ないのですが、とにかく先生に名前や顔を覚えてもらえないと、いい年してもガックリくることを考えても、先生には認めて欲しいのです。

子供は素直だから、「せんせい、せんせい」「こっちむいて」と必死になって注意をひこうとします。それが素直だからこっちも「かわいいなあ~」と思えるのですが、これが年をとってくると反抗して、反発して先生の気を引こうとするわけです。傍から見てたらかわいいな~とも思えますが、実際自分がその場に居ると私も許容範囲の小さい人間なんで「き~っ」となってました。

大人になるともっと複雑です。きっと褒められたら嬉しいだろうけど、それを顔に出すことすら禁じている人もいます。もっと愛を注いだら殻がはずれて心と心からのキャッチボールができたのでしょうが、そのときの私は自分がカラカラだったから人に流す愛の持ち合わせがなかったのです。

しかしどの世代も欲求は一緒。「認められたい。」

これを深く深く見てみると、誰に一体認められたいのか・・行き着くところは「親」じゃないかなって思います。私たちが一番最初に出会う人。

子供は大好きな大好きなお母さんやお父さんから認めてもらうために、愛されるために、どんなことだってするのです。でも、それが認めてもらえなかった、愛されなかった・・と子供の頭で勘違いしている場合が多いですが、その分を周りの人から認めてもらえることで埋め合わせしようとします。

こんなことは心理学の本に山ほど書いていることだろうけど、全ての世代と接することができたお陰で「人間の認められたい欲求」がどの世代でもあることを実際学ばせてもらいました。

実際自分の心の玉ねぎの皮むきをしていると、出てくる不安や恐れに「なぜそう思うの?」「誰がそれ言ったの?」と自問自答していくと深~い深~いところで「親がそう言ってた」というのがでてきます。子供の親への愛ってすごいですよね。親に認められたいために勝手にプログラム組んじゃうんですから。

人から認められたい~という欲求をなくすことは超人技でなかなかできないし、なくす必要もないんだろうけど、でも自分で自分を認める・・こんな私でいいんだよ~と認めることができたら、不必要に人から認めてもらわないでもよくなりますよね。そして不必要に頑張ることも、必死になることも(必ず死ぬっていやや・・)。

それが語学を教えることを通して私がいただいた最大のギフトです。