シンガー『ナターシャ』のブログ

関西・東京・名古屋・広島、そして台湾もグローバルに歌うシンガーソングライター、jazzシンガーナターシャのブログです

お正月って何?

2006-12-28 | おもうこと
クリスマスが終わり、お正月の準備に街は忙しそう。しかし、この「お正月」、いまどきの子供、意味がわからない子が居るのですよ。

私が子供達に英語を教えていた頃に気づいたことです。New Yearを教えるときに「お正月のことよ」と日本語で言っても「なに?」て顔をしてよく分からない子達が居ました。そして、びっくりして他の先生にこの話をしたところ、そうそう最近の子はお正月分からない子いるのよね・・と国語の先生も同じ事を言うので、またびっくり。

私たちが小さい頃はお正月というのは特別の日でした。着物や晴れ着を着て初詣に行き、親戚の人たちが集まりお正月しか見ないおじさんやおばさんなんかがいたり、三が日は店が閉まっているので年末はおせち料理をお母さん達は作り、お正月にはおせち料理を食べ、子供達は凧揚げをして遊び・・

よく考えたら、今の世の中お正月から店って開いているのです。おせちもそんなに美味しいものでもないので、開いているファミレス行ったり、ピザも頼めるし、親戚づきあいなんかも都会ではどんどん少なくなっているのでしょう。お年玉をもらうより、サンタクロースがくれるプレゼントの方が断然子供の関心を引くし、お正月は単なる冬休みの一日になってしまっているのです。

親の世代は「お正月っていうのはね~」と説明を受けなくても、自然に学んだことなので子供も自然に分かっているだろうと思いがちですが、これからは説明しないといけない世の中になっているのですね。お正月がわからないのだから、勿論「おおみそか」もいまいち分かっていないようでした。

でも日本人にとって一番の大きなイベントはやっぱりお正月。何か特別な日だと区別をつけることは大切ですね。私もちゃんと着物きようっと。

パーティー

2006-12-24 | Weblog
昨日のお昼は神戸に10月にオープンしたエナジーセンターというところのパーティーに行って来ました。http://www.teoc.jp/ 普段はヨガ、ポラリティーセラピー、ダンス、ワークショップなどを行っているスペースなのですが、扉を開けた瞬間、木の香りに包まれる とても気持ちのよいスペースでした。あんまり気持ちがいいので、裸足になってしまいましたよ。

その出し物で私も歌を歌わせていただいたのですが、他の方の出し物がまたこれすごく面白い。まずは、お能を見せていただき、「高砂」をみんなで謡いました。「謡の言葉(言霊)を宇宙に発し、そして真我とつながる。能の題材の80%があの世のこと・・」などなど、全く知らなかったことをたくさん学ばせてもらいました。

「カポエラ」も初めて見せてもらいました。カポエラは元々ブラジルに連れて来られた黒人奴隷の格闘技ですが、カモフラージュの為ダンス、太鼓、歌などでダンスしているようにみせかけたものなので、回りの人間は太鼓や掛け声や手拍子などをして見ます。すごいかっこよかったあ。

そして、クリスタルボウルの演奏。CDは持っていますが、クリスタルボウルの生演奏は生まれて初めてでしたが、本当に不思議なくらい深~いリラックス状態になりました。みんな床にゴロンとなって聞いていたのですが、いつのまにかあまりの気持ちよさにウトウト・・というか、瞑想状態ですね。今思い出してもあの気持ちよさにトロ~ンとなりそうです。絶対、また生演奏聞きたい!そのうちやりたいって言い出すかもしれません。それくらい気持ちよかったのです。

演奏終了し、意識がもどってくる綺麗なベルで目覚めると5時半。ディナーショーに行かないといけない時間だったので、大急ぎでそこを後にしました。本来ならリラックス状態からゆっくり時間かけて戻ってくるべきところを、私は大急ぎで戻ってきてしまった為、ちょっと体が変な感じがしましたが、ディナーショー会場に着き、綺麗なクリスマスツリーを見たり、みんながすごく楽しみにしているウキウキ感が伝わってきて、いい感じになってきました。余談ですが、美輪明宏さんのディナーショー、2年前より客層がぐ~んと若くなっていました。やはりテレビの威力、「オーラの泉」パワーでしょうか。

パーティー会場の手作りの食べ物もすごく優しい美味しいお料理でした。単なる野菜のサラダでも心に優しい野菜でした。きっと手間ひま、心をかけて作られた野菜、そして料理された野菜なのでしょう。お料理ってほんとに心がでますよね。土壁と木でできたそのスペースにぴったりのお料理の数々でした。

さて、今回のパーティーNPOワンネス(http://www.npo-oneness.com/)の主催でした。「住みよい世の中を創るために私に何かできないかなあ?」という人たちが集まってできたNPOで、その中に伝承文化活現運動(能楽と楽しむ活動)や、暮らしの無料相談、心身の健康創りのため、ヒーリングや代替医療の紹介をしたりするホリスティック・ケアセンターの開くことを目指した活動などなど・・をされているようです。

単純に「えらいなあ。すごいなあ。」と思いました。自分だけでなく世の中のために何かできることをしていこうと思うのは。そういえば、15年前にアメリカに暮らし始めたとき、普通にボランティアというのが生活の一部になっていたアメリカ人を見て「すごいなあ」と思ったことを思い出したりもしました。

私もそろそろ自分の経験や思うことが、誰かの役に立つかもしれないなら、表現していきたい・・と思う今日この頃だったので、こういう素敵なパーティーにも参加できたのかもしれません。来年は私は一体どこで何をするのでしょうか・・とても楽しみです。

花~すべての人の心に花を~

2006-12-23 | Weblog
今日はイベントが二つもあり、そしてどちらも濃厚だったため、とても一日とは思えない一日でした。

先ほど私の年末お楽しみイベント「美輪明宏ディナーショー」から帰って参りました。今回は黒にピカピカが入ったドレス、曲はシャンソン中心で、毒舌のおしゃべりも楽しゅうございました。今回は私は美輪さんの「強さ」を感じました。自己信頼力とも言えるかな。ああ、これは今の私のテーマだからでしょうね。面白いものです。2年前もディナーショーに行きましたが、そんな風には感じなかったから。

美輪さんの本には、今までの人生で大変だったことが色々書かれていますが、美輪さんがステージに立っているだけで、その大変なことから逃げずに堂々と向かってこられたその強さ、そこからくる自信、・・それが、あの世の話、天からのメッセージの話をされていても、ふわふわしていなくて地に足がしっかりついていて、大勢の人たちから慕われている理由なのだと思います。

最後の曲は「愛の賛歌」、そして、アンコールの曲は嬉しいことに「花~全ての人の心に花を~」でした。実はこの曲、お昼に私今日歌ったのですよ!!! すごい偶然(必然?)。ああ、嬉しかったあ。

美輪さんはこの曲を「輪廻転生」と同じだと言ってました。水が流れて海に行き、水が蒸発し天に昇り、雨になってまた川となって・・・水の流れのように、魂も転生を繰り返す・・と。歌もその解釈どおり壮大なスケールの歌でした。

私はこの曲を歌うと「ちゃんと泣きなさい」としかってくれた友人を思い出します。とっても辛かったとき、その話をしながら彼女の前で泣きかけた私に言ってくれた言葉です。今まで人の前で泣くと「泣かないで」って言われたことしかなかったので、私はびっくりし、そして同時に涙を止めようとしたことを恥じました。

それ以来、私は人前であろうが、涙を流すことを躊躇しなくなりました。そうして、涙が悲しい、辛いときだけに出るものではないことを知りました。怖いときも、幸せを感じるときも、愛があふれ出すときも涙が流れます。どんな感情でも心から流れるときに涙が出るのです。

私たちは小さい頃は自分を表現する為にわんわん泣いていたのに、泣くな泣くなと言われ泣くことを我慢してきました。みんなが涙を流すことが恥ずかしくない社会になればいいのになあって思います。「もっと泣きなさい、もっと笑いなさい」そんな思いで私はこの「花」という歌を歌っています。

「涙流れてどこどこ行くの。愛も流れてどこどこ行くの。」
愛が溢れて涙が出るとき、それは生きている中で最高に気持ちいい瞬間です。


月・つき・ツキ

2006-12-21 | Weblog
昨日は新月でした。私は新月のパワーを借りて、大きな決断をしました。自分の内なる声はきこえていても、世間の常識(何が常識かほんとのところはわからないけど)から外れることのようにも思えて、勇気が要ったので「今日は新月だ。今日中に決めるぞ」としたので、新月パワーをお借りしたということになります。

この秋、目に入るものが月ばかり・・という時期がありました。潮の満ち干の話を聞いたり、テレビをつければ名曲アルバム「ベートーベン月光」、本屋に行けば月に関する本が目に飛び込んでくるし、「おう、これは月について知りなさい・・というメッセージね」と何冊か本を読み、来年のスケジュール表も月の満ち欠けカレンダー付きを買いました。これは、裏スケジュール帳で自分の心や体の気づいたことをかいておきたいなと思って。

新月は新しいものが始まる暗示でもあり、今まで続いてきたものが終わる時期。満月は物事が成就する時期。というなら、満ちていく月の頃に栄養をとったりし、デトックスは欠けていく月の頃にすればより効果的なはずです。実際、この時期に部屋の片付けなんかは思ったより早くすみました。

月は体や心にすごく大きい影響を与えているはずで、太古の昔はもっと月のパワーと同調、自然・宇宙と調和して暮らしていました。そして、現代そういった自然を無視した結果が今の社会に現れているのでしょう。

私はもっと自然のリズムと同調した暮らしをしたい、そして自然からのインスピレーションからでてくる歌や踊りが生活に自然に溶け込んでいるところに行きたいなあと思うようになりました。だから、月のことを知るのはとっても面白い。大昔からのルールでワインのブドウは満月直前、乾燥用のブドウは月が欠けていく時期に摘み取ること、花は月が欠けていく時期に切れば長持ちするなどなど・・いろいろあるそうです。

これは「人生を癒す月の力」ドイツ月研究会著(主婦の友社)に載っていましたが(この本の表紙の写真キレイ!)誕生日の月の相と季節で16の性格分類もありましたが、これはなかなか当たっていて冬の下弦期生まれの私はまたしても「変わった人格の持ち主」なようです。最近目にする占い?関係はカバラ数秘学の33もそうですが、どうも「私は変人」というメッセージを受け取ることが多くなってきましたが、そういったメッセージのお陰ですご~く楽になりました。そのままでいいんだよ~と言ってくれているみたいで・・。

月のテンポ=116(月の一日は24.8時間というところから割り出した)が、アルファ波もでて仕事・勉強・潜在能力アップというのを以前本で読みました。(ツキを呼ぶ魔法の音楽、絶対テンポ116 片岡慎介著、ビジネス社)この頃全く落ち着きがなく、集中できないことにより人の話を聞かない、聞けない中学生を教えていて、私は自分のリズムを狂わされることによるストレスが大きかったので、「これでいい効果があったら・・」と月のテンポ116のCDをクラスで小さくBGMとしてかけてみました。

結果は・・・私が久々にキレてしまいました。一番影響したのが私だったのか、自然の自分になったのか、いつもは抑えていた怒りが爆発してしまいました。おかげでその日はストレスがなかったかも・・なかなか面白い実験ではありました。




鼻の穴

2006-12-17 | Weblog
前回のお話の続き・・というか、書くのを忘れてました。面白いことをきいたので、せっかく読んでくださるみなさんにもお知らせしますね。鼻の穴を見てみてください。左と右と大きさ違いますか?右は自分の中の男性性、左は女性性の自己信頼度を表すらしいですよ。

ちなみに私の場合、左が極端に小さかったです。これは、今まで自分の女性性を抑えてきた結果ですね。これからは大きくなるでしょう。中身が変わるとどんどん顔も変わりますね。ほんと面白い。

なんだかこれをきいてから人の鼻の穴が気になって、ちらちら見てしまいます。すんません。



大和撫子

2006-12-14 | おもうこと
今日は「プラダを着た悪魔」を見た。日本で映画を見るのは本当に久しぶりで、最近は映画館も指定席になっていたのを知らなかったのでびっくりした。これってかなり時代遅れ?しかし、大人1800円は高いなあ。

映画は、ケラケラ笑えて綺麗なものをたくさん見せてもらって目の保養になりました。メリルストリープはかっこよかったな。私は殺し合いの場面は目を閉じてしまうので、見に行ってもあんまり意味がないので、こういう笑える映画がいいや。

殺し合いの映画が見れないくらいだから勿論ホラー映画なんて、「なんでお金を払って怖い思いをしに行くの?」私にはさっぱり分からない。ま、それを言うならジェットコースターも私にとっては同じ。よくスリルを味わいに行くっていうけど、自慢じゃないが私がロサンジェルスで車を運転するほうがよっぽどスリルを味わえます・・て別に味わいたくないんですが。しかし、ロスの6車線もあるハイウェイをよく通勤していたもんだ。今から考えても「私は神様に護られていた」のだと思う。ああ、感謝してます。

映画の話に戻ると、フランスでびっくりしたのが翻訳された日本の小説がたくさん売られていたように、日本の映画がたくさん上映されていたこと。パリならわかるが、エクスのような小さな街でも結構やっていた。

最近の映画だけでなく、ふる~い映画もよくやっていた。印象に残ったのは若尾文子と岸田今日子の「卍」。あと、日本で昔は普通に使われていがが、現在では差別用語と認められた言葉が使われている映画も上映されていて、「日本では上映できないからこうやって海外に流されているのか」と思ったりもした。

しかし、昔の映画を見ているとなんて日本女性は美しいんだろうって感じる。肌もきれいで、着物を着ている女性のうなじなんて上品な色気があって・・。こういうのを見ると、日本女性に生まれて本当にラッキーだなって思う。

勿体無いことに今の日本女性は私も含めそれを活かしきれていないように思える。昔の日本女性にあって今の女性にないもの・・なんだろうと考えると、「強さ」ではないだろうか。大地に根をはったような強さ。自分自身であることへの誇り。自分の信念・・勿論これは男性にも言えることだが、溢れる情報に翻弄されて自分自身を見失っている人がとても多いと思う。それにプラスして、現代社会では働いている多くの女性は、多かれ少なかれ無意識のうちに自分の女性性というものを抑えて生きていると思う。

本来女性というのは、女性であるというだけで美しく強いものなのだ。それをしっかり認めて生きるのと認めないで生きるのでは大きな違いだ。私もなが~い間、自分の女性性をすごいエネルギーで抑えて生きてきた人間だから、自分の女性性をしっかり認めるということにすごく抵抗があったが、人生はうまくできているもんでそういうことを気づかせてくれる出来事がちゃ~んと起こってくれる。今は自分が女性であるということを受け容れつつある段階で、それが大きくなれば本来持っている女性としての強さや優しさがでてくるのだろうと思う。目標は強く美しい大和撫子です。

正観さんの本

2006-12-13 | Weblog
日本に帰ってびっくりしたことのひとつが、「スピリチュアルというか目に見えないものに対する関心がずいぶんアップしたんだなあ」ということだった。毎日、メディアがいじめ、自殺、うつ病などを話題にしない日がないくらいだから、心や見えないものへの関心が高まるのもうなずける。

本屋でもびっくりした。小林正観さんの本が入り口の一番目に入るところにたくさん置かれていた。以前、私の大好きな日本一のお金持ち斉藤一人さんの講演会でお勧め本としてお名前をきいてから本を探したのだが、その本屋さんにはなかったし、ネットでも今ほど簡単にみつからなかったのに、変わったもんだ。

ということで最近は彼の本が簡単に本屋で手に入るからとっても嬉しくって何冊も読んでいる。好きになったら読みまくります、私。一人さんもいいと思った本は7回読めと言われているが、それくらい読まないと自分のものにならないものね。

今日購入した小林正観さんの本は「釈迦の教えは『感謝』だった」(風雲舎)。これはほんとにすごい。「ありがとう」という言葉の語源がお釈迦様の言葉だったことも初めて知った。「ありがとう」という言葉がものすごいパワーのある言葉だというのは、唱えれば唱えるほどわかってきたが、お釈迦様が初めて「ありがたし」という言葉を使った人だとは・・そりゃ、すごい言葉なんだと改めて思った。

他にも「おう、すごい」と思うことはたくさんあるけれど、なんだか最近人と話していて違和感を感じたり、なんだかしっくり来なかったことが、「ああ、そういうことだったのか」と本を読んで納得することがたくさんある。そのうちの一つが・・・

私がフランスに行くと決まった時、たくさんの人が「何年行くの?」ときいてきた。その時、答えに困ってしまった。15年位前アメリカに行ったとき、私は親と1年の約束をして行ったが結局5年いた。アメリカのときも「そろそろビザが切れる」「貯金が少なくなってきた」と思った時期もあったが、そこに居る必要があったから仕事がやってきたのだ。だから「向こうに行けば何が起こるかわからないから答えられない」というのが私の本音だった。

そして今それをもっと強く思う。最近会う人会う人に「どうするのこれから。向こう戻るの?日本に居るの?」ときかれる。日本って言われればう~ん、フランスって言われてもう~ん、スペイン?イタリア?理想は「色々なところに住みたい」だが、しかし「こうしたい」って思ってもそうなるもんでもないんじゃなと最近思い出した。

今回、日本に帰ってきたのも大きな力が働いてたから。私の個人の力なんかではないもの。その時々で自分が一番学べるところに流されるだけなのだ。今まで、自分で決めてきたと思ってきたけれど、そういう大きな流れに乗せてもらっているだけなのだ。だから「わたしはこれが欲しい。ここに行きたい。これがしたい。」なんて強く願うこともないのだ。そういうのが肩に力が入った生き方のように感じてきた。

去年フランスに行ってしばらくしてこう思った。「あ、私一人でできること全部した。やりたかったこと全部した。」二十歳の頃からやりたかった仕事、学ぶこと、住みたかったところ全部したって。勿論、今もやりたいことはあるけれど、どちらかというと「やりたい事」というより、どうやって生きて生きたいか。だから、方向さえそっちを向いていたら後は流れに乗ればいい。なんとなくそんな感覚だから「これをやりたい、あれが欲しい」って言わないでよくなったのだ。だから「何が欲しいの?どうしたいの?」ときかれると困っちゃうのだ。

正観さんによると「夢や希望を持つということは、今おかれている状況が気に入らない、不満だ」ということでつまり「今の状態を作ってくれている宇宙や神様への宣戦布告。何かを求めるより今目の前にあることに感謝できれば宇宙、神様は味方してくれる。」

要するに執着を手放せということなんだけど、これをすごくわかりやすく書いてあるので何度読んでも感動してしまう。私も今目の前に居る人、あるものにもっと感謝を示すだけでいい。それがつながってどっかに連れて行ってくれるだろう。


奇跡

2006-12-09 | おもうこと
私は「奇跡」っていう言葉にずっと違和感を覚えてた。昨日ばあちゃんと奇跡について話し合うことがあった。「あんたは奇跡って信じんの?」と訊かれて自分の意見を言っているうちに今までぼんやりしていたことが、クリヤーになった。

私たちは育っていく過程で世間・社会から「世間、社会で起こることとはこういうこと」という枠組みをもらう。そして、その枠組みから外れたことが起こったら「奇跡」と騒ぐ。そんなこと有り得ないって決めているからだ。

私は「この世の中どんなことでも有り得る、なんでもあり」だと思っている。そして、ただ可能性の低いものをみんなが「奇跡」と呼んでいるのだと思っている。でも、「なんで可能性が低いか?」というと、みんなが「できない、有り得ない」と思っているからだ。「どんなことでもありえる」とみんなが思い始めると、どんどん「有り得ない」と思っていたことが有り得て、しまいに奇跡っていうものがなくなるだろう。

ちなみに最初の質問に対する私の答えは、「信じるも信じないも奇跡って事じたいがないと思う。この宇宙の中、な~んでもありだと思うし、これは有り得る、これは有り得ないって分けない、なんでもありって考える方がぜ~ったい人生楽しいと思うな。」だ。

そして、これからみんなが有り得ないって思っているような、面白いことがたくさん起きて、早くそんな枠組みがぐちょんぐちょんにつぶれたらいいのになって思う。


久しぶりのお仕事

2006-12-06 | Weblog
今日は一日中翻訳のお仕事をしました。翻訳って一体何年ぶりだろう・・うわ~6年、いやもっとかな。私が見積もっていた時間の4倍くらいかかったのも当たり前だ。出だしは「もう私英語無理(って他の言語でできるわけではないが)」と絶望状態。どうしても自分の昔のピーク時と比べちゃうし、落ち込みそうになったけれど、進みだした途端、内容も面白かったこともあって意外と楽しめました。

昔の様に早く訳せないけれど、一つの言葉でどれがいいか吟味するのも楽しく、調べているとフランス語との語源が同じだったりすると「おおお」と感動したり、そしてなんといっても昔は持ってなかった電子辞書やインターネットを使えるのが嬉しくって・・。(いつの時代の人間や)

私は以前は翻訳が好きではありませんでした。その昔、アメリカに行くまでは「日本語を英語に訳して」いたのが、アメリカで生活するうちに「英語で考えれるように」なったのに、それをまた日本語に置き換えるといのは私にはしんどい行為だったので、和訳はきらい~でした。

通訳は色んな人に会えるし、テンポがいいので好きなお仕事でしたが、翻訳はじっと座って一人でする作業なので苦手だったのかもしれません。だから、会社で翻訳する仕事はしましたが、じっと家でする翻訳は滅多にしませんでした。

でも久しぶりにした今日のお仕事は、勿論時間に余裕があったこともあり、内容も面白いものだったからだけれど、翻訳という作業を初めて楽しめたような気がします。ちょっとは落ち着いて座ってられる時間が長くなったからかもしれません。人間歳をとると変わるのね・・面白い。お仕事をくれた人には感謝です。

このところ、私はじっとしているのに色々な人が色々なことを運んできてくれます。嬉しい限りです。

おせち料理 1

2006-12-03 | Weblog
12月があっという間に過ぎるのは、クリスマスやお正月のものが私たちの背中を押しているように感じるからかもしれない。おせち料理の予約受付も年々早くなるようで、私が帰国したときには既に開始していてびっくりした。

そういえば、あれは何年前のことだっけ?料亭のバイトをしていた私は30日から31日にかけて徹夜でおせちを作りました・・ではなく、おせちを詰めました。考えてみると「おせち料理」は私が料理に関心を向けるきっかけとなり、新しい分野、世界をみせてくれたきっかけにもなっている。

私はアメリカに行くまでまともに料理をしたことがなかった。カリフォルニアの大学院に通うことになり学校のそばに間借りをし、生まれてはじめての自炊生活が始まった。その年まで経験無しに等しいのでカレーライス、お好みやき、スパゲッティーイタリアン、ハンバーグに限られる私の料理では、さすがに飽きるので日本から料理の本など送ってもらったりしていた。しかし、今から考えると人生で一番勉強したあの時期、トイレ、お風呂、睡眠以外はずっと勉強していたのによく料理する時間があったものだ。料理する時間が気分転換になっていたのかもしれない。

しかし、アメリカ人はサンクスギビングやクリスマスに伝統料理を作る、メキシコ人もお祭りのときは作ってた、しかし私は日本のお正月という一番のイベントの料理、おせち料理も作れない。もし、ここで結婚して子供ができても、私は自分の子供に日本の伝統、そして私が親からもらった味覚というものを伝えることはできない。これって恥ずかしいことではないだろうか・・とぐるぐる考えが回り、その頃「日本に帰ったらちゃんとした日本料理やおせち料理を作る人になりたい」と思ったのだった。そして、これからも世界の色んな所に住みたいと思う私にとって、世界中どこに住んでも美味しいものを自分で作って食べられる「料理の腕」はどうしても欲しいものだった。

そして、久しぶりに日本で落ち着くことになったとき、お料理学校というものに行ってみたが、それでは満足できず全日制の調理師学校へ行くことにした。今までとは違った新しい世界に入るときの高揚感は忘れられない。生徒のほとんどは20歳以下で、コンビニ前に座りこむ若者達とのコミュニケーションをとるのはなかなか難しかったが、日本、中国、フランス、イタリアなど料理の実習は勿論、講義やデモを見るだけでもその国に旅をしているように楽しかった。

つづく