あまのかは そそぐ木立に 影を見て 友を呼びつつ おふ月夜かな
*これは、宮沢賢治のこの歌に、返歌として詠ってみたものです。
口笛に 応ふるをやめ 鳥はいま 葉をひるがへす 木立に入りぬ
口笛に答えるのをやめ、鳥は今はを翻る木立に入ってしまった。こういう情景を、詠み手は賢治が木立の中に何かを求めて入っていったと解したらしい。それに表題のような歌で答えたのです。
銀河のそそぐ木立の中にあなたの影を見て、名を呼びながら、追う月夜であることよ。
もちろん月夜ならば天の川はあまりはっきりと見えるはずはありませんから、この「月夜」は月の明るい夜のことではなく、かのじょ自身のことを現します。
あの人はこういう傾向のある人です。知っているでしょうが、愛している人を、小犬のように無心に追いかけてしまうようなところがある。
かのじょがシリウスに送った手紙の中で、何度も彼に「愛している」と書き送ったことは覚えているでしょう。あんなきれいな人が自分から、男性に愛しているなんてことを言うなんて、信じられなかったでしょう。でも、あの人は、ああいう人なのです。信じられないくらい軽い気持ちで、愛しているというのですよ。
I love you は外国では挨拶みたいなものだが、日本語では重い。言われたシリウスも困ったことでしょう。
ですが、そういうことを平気でする人なのだ。まるで小犬のような目で、わたしたちを見る。みんなの中で、自分だけなぜか、大人の男になれないからです。
美しい人なのですがね、やはり男ですから、男らしい姿になりたいのですよ。だがなぜか自分だけそうはなれない。想像してごらんなさい、やはりつらいでしょう。
わたしたちはかのじょのあの美しさを深く愛しているのだが、かのじょ自身は苦いのだ。それであの眼差しなのだ。まるで子供のように無垢な目でわたしたちを見る。小犬のように慕ってくれる。かわいいと言ったらない。自分がそういうものだから、あんな感じになってしまうということが、あまりよくわかってはいないようだ。
あなたがたも見て知っているでしょう。盗み撮りした写真の中のかのじょは、まさにそんな感じだ。とてもかわいい。
失ってしまったことの後悔が、もうそろそろ、凍りつく寒さになってきたでしょう。