暗き世を あをきこてふを たよりつつ 犬をかぶりて 生きむとぞする
*これは一年前のツイートから持ってきました。すぴかの絵付き短歌ですが、ジェームス・C・クリステンセンの絵につけたものです。風変わりなかっこうをした妖精めいた男が、青い蝶を明りのように下げ持ちながら、歩いているという図です。
クリステンセンは本物の画家ですが、それゆえにきついことがあったらしい。画家の作品からそういう心が漏れ見えていました。それですぴかがこんなのを詠んでみたのですが。
暗い世の中を、青い蝶のようなはかない希望をたよりつつ、犬のような顔をかぶって、生きようとする。
吹きすさぶ馬鹿の嵐の中で、犬のように生きて来た。何気ないことにも馬鹿にされて、ひどい仕打ちを受けたこともあった。だが犬のように引き下がり、尻尾を振って生きて来た。それが苦しいなどというものではなかった。まるでかのじょの人生そのもののようだ。
青いという色は悲しみを帯びている。まるで黄昏の空のように暗い。それはほの暗い希望だ。何もないわけではないが、あまりにもささやかで苦しい。そんな小さな希望とは何だろう。希望とも見えない希望なのだ。ここを通り抜ければ何かがあるという、さして根拠のない願望かもしれない。
人生というのには、長い忍耐が必要です。ほんとうの愛のために生きようとすれば、この世界では特に長い忍耐が必要です。全部が絶望ばかりで、希望など何にも見えないような暗闇の中でも、未来に何かがあると信じて、忍耐し、努力を重ねていかねばならない。
それはもう、徒労のような仕事を積み重ねていかねばならない。
徒労の丘、なんて歌を前に詠みましたが、わたしたちのこの仕事も、まるで徒労のように思える時がある。どんなにがんばっても、あなたがたは飛ぼうとしない。どんなに叫んでも、表向き何も答えようとしない。
忍耐が必要だ。青い蝶のようにはかない希望をたのんで、今を耐えるしかない。犬のような顔をかぶりながら。
犬とはなんでしょう? それは馬鹿だという意味だ。馬鹿になってでも、やらねばならない。やりつづけねばならない。
本当の幸福とは何なのかを、知るために、長い忍耐というのはあるのでしょう。そしてすべてが終わった時、やってきた年月のすべてが幸福だったと、人は知ることになるのです。