蟷螂の 斧はおのれの 生き方の あかしとぞ見て 蟷螂を生く
*「蟷螂の」を「おのれ」を導く序詞のように使った例ですね。ここではよくやっていますが、枕詞的に使ってると、やがてこれも枕詞になってくるでしょう。「おのれ」「われ」「おのが身」「わが身」「身」と、自分を表すことばはたくさんあるが、文字数によって使い分け、いろいろ作ってみましょう。
この時代の最も重要なテーマは、なにより「自分」ですから。いくらも詠んでいるうちにこういう枕詞ができても不思議ではありません。歌は生きている。新しいものはいつでも生み出せます。
「にきしねの」は「ゑのこ」とか「ゑぬ」にかかる枕詞だと、設定しましたが、かなり使っている人はいるようだ。犬に対する情愛などを詠みたいとき、便利らしい。「にきしね」というのが実にやわらかくて、犬の毛並みのようですから、歌の情感も深まります。
「白飴の」も「月」とか「甘き」にかかる枕詞になっていきそうですね。いくらでもよいものが生まれそうだ。この時代は、人類の自分が目覚めて、爆発的に進歩する時代です。いくらでもおもしろいことはやってみましょう。
蟷螂の斧は、自分自身の生き方の証と見て、蟷螂は蟷螂を生きるのだ。
自分には歌を詠む心がある。これは自分の生き方の証と見て、わたしはわたしらしい自分を生きるのだ。
いいですね。ぜひやってみましょう。歌を詠むのは楽しいでしょう。自分の感じ方、自分の人生、恋、切なさ、苦しさ、美しく詠むことができる。ひとくさりの歌がよければ、永遠に伝わっていく可能性もある。
その歌が、後々の人の人生を照らすこともある。わが身というものは、なんといいものだろう。
いろいろなことをやってみてください。楽しいでしょう。自分で、本当の自分を生きるということの楽しさを、存分にやってみましょう。