あはゆきを 玉となしては 月をすひ ちひさき飴を こころみしかな
*これはスピカの歌です。なかなかに幻想的でかわいらしい。彼はこういうのが得意です。その世界はかのじょのつむぐ世界にも似ていて、それゆえにか、かのじょをなつかしむ人には、スピカが好きな人も多いようですよ。
淡雪を玉にまるめては、それに月光を吸い込んで、小さな救いの飴を作ることを、試みたことだ。
「こころみる」などの文字数の多い動詞は難しいが、みごとにこなしています。
詩的で意味がつかみにくいが、要するに、淡雪のようにはかないとも思える方法で、甘い救いを打ち出し、それを月光のようなやさしさで表現したということでしょう。なかなかにうがっている。確かにそのとおりのことをあの人はした。人類の全部を救うのだという甘い夢を見て、そのためにあらゆる試みをしていた。
その夢はついえたかに見えるが。しかし本当はそうではない。ただその救いが、永遠にちかいほど遠い未来にのびただけなのです。
かのじょがこの世界で表現したあの日記には、ほんとうに、全ての生類を救える秘密が書かれているからです。あれを一度でも読んだことがある人は、たとえ今は認めたくなくても、自分自身の救いの種を自分の中に孕んだことになるのです。
本当の自分というものがどういうものであるか、あれをよめばわかるからです。
本当に、あまりにも大変なことをしてくれた。かのじょはただ、人を救いたいという思いだけで、あの日記を書いたのだが。それはわたしたちの予想すら超えて広がっている。もう永遠に会えなくなったということの現実の意味が、より濃くなってあなた方の前に落とされる。
かのじょが救ったのは人間だけではない。あの日記がこの世界に生まれただけで、地球上のすべての存在を救ったことになったのです。実際、それができるということが、わかったのです。
人類は悪に迷い、あまりにも長い闇の日々を送ったが。これから自己存在として伸びてくる存在は、今の人類ほどには悪に苦しまずに済むでしょう。過ちの実例が実にたくさんできましたし、かのじょのなした日記がすべてを教えてくれているからです。
ここまでのことをしてくれたら、もうかのじょは地球にいることはできない。なぜならかのじょがここにいたら、地球上のすべての存在がかのじょにお礼をしなければならないからです。そんなことになったら大変なことになる。
ゆえにかのじょは、もう二度とここには来れない。
こんなことにならずにすむ方法はあったのではないかと、思ってもせんないのだが、思わずにいられません。