チェインブレーカー及び関連領域の郵便史

ユーゴスラヴィア建国当時~1922年頃までの旧オーストリア・ハンガリー帝国地域のチェインブレーカーを中心とした郵便史

200630到着印

2008年11月01日 20時51分02秒 | 葉書
200630到着印

16-7-20*
BEYROUTH
到着印BEYROUTH局1920年7月16日

ベイルートの当時の政治状況
出典: 著者: THEO VAN DAM
A Century of War Dates 1859-1959、 1世紀の戦争日付け1859-1959
p.148, p.74

ベイルートは当時のシリアに属していました。
1918年10月1日 イギリス軍がダマスカスを占領
1918年10月7日 イギリス・フランス軍がベイルートを占領
1919年11月1日 フランス占領軍がイギリスからシリアを引き継いだ
1920年3月8日 シリア国会が独立宣言
1920年3月11日 Feisal(ファイサル)はSyrian Arab State(シリア・アラブ国)の国王を宣言したが、イギリスとフランスは承認しなかった
1920年7月25日 フランス軍がダマスカスを占領。ファイサル国王は逃亡。
1921年8月20日 イギリスはファイサル国王をメソポタミア(イラク)の支配者として承認。

この葉書の輸送ルートの解説
この葉書は、フランス軍がダマスカスを占領して、ファイサル国王が逃亡する9日前の1920年7月16日にベイルートに到着しています。
葉書の差出地のクロアチアのザグレブから、わざわざ宛先とは真反対のイギリスのロンドンに送られ、そこからシリアのベイルートに送られた非常に興味深い輸送ルートになっています。
1919年11月1日には、フランス占領軍がイギリスからシリアを引き継いでいました。
このため、この葉書がイギリスではなく、フランスに送られて、そこからシリアに送られた方が管轄権の上では自然だと思うのですが、そのようになっていない理由は分かりません。
いずれにせよ、第一次世界大戦後の混沌とした中東シリア宛ての、非常に珍しい宛先の使用例だと言えます。


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