チェインブレーカー及び関連領域の郵便史

ユーゴスラヴィア建国当時~1922年頃までの旧オーストリア・ハンガリー帝国地域のチェインブレーカーを中心とした郵便史

200201裏 ハンガリー切手との混貼り

2013年01月13日 17時00分34秒 | 郵便為替
200201裏 ハンガリー切手との混貼り

切手
裏側 ハンガリー王国切手
Mi216. 25 filler 国王カール4世
1920年に入ってハンガリー王国の切手が使用された例は稀と考えられる。

到着印
ZOMBOR

Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%AB
ソンボル(セルビア語: Sombor /Сомбор,ハンガリー語: Zombor))はセルビア北西部、ヴォイヴォディナ自治州の都市および基礎自治体である。2002年の国勢調査による人口はソンボル市街で51,471人、基礎自治体全域では97,263人であった。ソンボルは西バチュカ郡の行政的な中心都市である。

19世紀から20世紀まで
1843年の統計によれば、ソンボルの人口は21,086人でそのうち11,897人は正教に属し、9,082人はカトリックで、ユダヤ教徒が56人、プロテスタントは51人であった。この当時の町の主要な言語はセルビア語でその次を占めていたのはドイツ語であった。1848年と1849年にソンボルはオーストリア帝国内のセルビア人自治による地域であるセルビア・ヴォイボディナに属していた。1849年から1860年にかけてはオーストリアからは分離されたセルビアヴォイヴォディシップ・タミシュバナト(Woiwodschaft Serbien und Temescher Banat,Војводство Србија и Тамишки Банат)に属していた。後に廃止されると再びソンボルはバチュ・ボドログ郡の郡都に戻っている。
1910年の統計によればソンボルの人口は30,593人で11,881人がセルビア語、10,078人がハンガリー語、6,289人はブニェヴァツ方言、2,181人はドイツ語やその他の言語の話者であったとされる。
1918年からソンボルは後のユーゴスラビア王国となるスロベニア人・クロアチア人・セルビア人国となる。 1918年から1922年にかけてはバチュカ郡の一部で、1922年から1929年にかけてはバチュカ・オブラスト、1929年から1941年にかけてはドナウ自治州(Danube Banovina)の一部であった。
1941年には枢軸国によって占領されハンガリーに併合されている。
1944年、ユーゴスラビアのパルチザンとソビエトの赤軍はソンボルから枢軸国の軍を撤退させた。1944年よりソンボルは新たにユーゴスラビア社会主義連邦共和国、セルビア社会主義共和国のヴォイヴォディナ自治州の一部となった。今日では西バチュカ郡の郡都となっている。


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