チェインブレーカー及び関連領域の郵便史

ユーゴスラヴィア建国当時~1922年頃までの旧オーストリア・ハンガリー帝国地域のチェインブレーカーを中心とした郵便史

191203裏 ダルマチアIMOTSKI郵便局 オーストリア帝国普通切手との混貼り

2012年07月08日 17時05分07秒 | 郵便為替
191203裏 ダルマチアIMOTSKI郵便局 オーストリア帝国普通切手との混貼り

切手
オーストリア帝国普通切手
Mi.186, 5 heller
Mi.222, 20heller
スロヴェニア・チェインブレーカー
表側
Mi.109, 1 Krona、目打ち穴が糊で埋まっている
裏側
Mi.103, 20 vinar凸版、4辺がノコギリルレット目打ち, 2枚
合計 165 vinar

到着印
SPLIT SPALATO 7 12 19 a
クロアチア語名SPLIT、イタリア語名SPALATO郵便局、1919年12月7日、消印識別記号a
オーストリア帝国時代のクロアチア語・イタリア語二ヶ国語表示の消印 (この後しばらくするとユーゴ化されてイタリア語表記のSPALATOは削除されます)

受取人サイン日付: 9/12 919
1919年12月9日

191203ダルマチアIMOTSKI郵便局 オーストリア帝国普通切手との混貼り

2012年07月08日 17時03分48秒 | 郵便為替
191203ダルマチアIMOTSKI郵便局 オーストリア帝国普通切手との混貼り

郵便為替証書
オーストリア・ハンガリー帝国時代のダルマチア地方用のドイツ語とクロアチア語表記の額面印紙の印刷されていない郵便為替証書

切手
オーストリア帝国普通切手
Mi.186, 5 heller
Mi.222, 20heller
スロヴェニア・チェインブレーカー
表側
Mi.109, 1 Krona、目打ち穴が糊で埋まっている
裏側
Mi.103, 20 vinar凸版、4辺がノコギリルレット目打ち, 2枚
合計 165 vinar

郵便為替料金
全国統一料金: 国内郵便為替料金
全ての料金は郵便為替の発送者から徴収する。
1. 1919年7月1日~1920年5月15日
25 Kronen以下-----25 vinar
25 Kronenを越えて50 Kronen以下-----50 vinar
50 Kronenを越えて100 Kronen以下-----60 vinar
100 Kronenを越えて100 Kronen毎に-----10 vinarを加算
支払い(払い出し)料金、全ての為替金額に対して-----10 vinar

(2)料金計算
900 Kronenを越えて1000 Kronen以下-----150 vinar
支払い(払い出し)料金、全ての為替金額に対して-----10 vinar
合計 160 vinar
為替金額の記載は1000 Kroneとなっており、この金額に相当するのは160 vinar = 1.60 Kroneです。
これはスロヴェニア・チェインブレーカー1 Krona切手の右横の黒鉛筆の記載1.60と一致しています。

切手は165 vinar貼られているのに対して、為替金額1000 Kroneに相当する料金は160 vinarですから、この使用例では5 vinar分の切手が余分に貼られている計算になります。
このため、ダルマチアのこの使用例では、郵便為替証書の販売価格引き上げ分として5 vinarを切手で追加貼り付けしたと考えられます。

尚、郵便為替証書の販売価格引き上げ分を切手で追加貼り付けした使用例を研究した下記のドイツのユーゴスラビア研究会の研究論文には、郵便為替証書の販売価格引き上げ分として5 vinarを切手で追加貼り付けした使用例は報告されていませんので、この使用例は新発見の可能性もあります。
Nachrichtenblatt der Arbeitsgemeinschaft Jugoslawien und Nachfolgestaaten 97-98/2006, p.1931-1945 (2006)
Prof. Dr.-Ing. Klaus Wieland
SHS 1918 bis 1921: Fiskalische Zusatzfrankaturen auf Postanweisungs-Formularen
SHS 1918年-1921年: 郵便為替証書への収入印紙としての追加貼り付け

消印
IMOTSKI. XII. 19 *C*
ダルマチアのIMOTSKI郵便局1919年12月3日、消印識別記号C
オーストリア帝国時代の消印

為替記号
黒色の正方形の箱型の証示印VI 53
これはIMOTSKI郵便局を表すと考えられます