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熟年男の歳時記

趣味のバイク、料理、DIYや旅行記を中心に日々の暮らしと感じた事など気ままに綴って行きます。

長崎の郷土料理 「卓袱料理」をいただきました

2014-10-19 15:19:03 | 国内旅行
今回の長崎旅行では卓袱(しっぽく)料理を初めていただきました。
海外交易で栄えた長崎には、中国、オランダなど海外から料理が紹介され、それらが和食と混ざり合い和華蘭の食文化に発展、和洋・中華・洋食がミックスされた献立を大皿に数人分盛られ出されたのが卓袱料理の始まりだそうです。
卓袱の本来の意味は、クロスが掛けられたテーブルのことで、今では朱塗りの円卓が使われるそうです。

訪れた店は、思案橋にほど近い卓袱料理専門店・浜勝。


最初に出てきたのは「おひれ」と呼ばれる吸い物。
来客に対して挨拶の前・料理の先に腹ごしらえをして貰うために出される物で普通の吸い物より具が多く入っているのが特徴です。


次に「小菜」と呼ばれる前菜のような物が出てきます。
菜とは小皿の意味だそうで、冷めても味が変わらない献立が幾つかの小皿に盛られて出てきます。


次は「中鉢」と呼ばれる献立で、冷たい小菜に対して、中鉢は暖かい物が出てきます。





ご飯と一緒に出てきたスープ、鶏出汁がきいていました。


コースの最後は「梅椀」と呼ばれるデザートが出てコースは終了です。


初めて卓袱料理なる物を体験しましたが、和・華・蘭が混在した献立はバラエティに富んでいました。ただ、メインに該当する「中鉢」は、種類が多い反面、一品毎量が少ないので何が美味かったか、印象薄な点が残念です。それが卓袱料理という物だとは思いますが。
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和・華・蘭文化を訪ねる長崎の旅(3)

2014-10-16 17:52:07 | 国内旅行
長崎滞在3日目の今日は中島川石橋群を皮切りに浦上方面まで足を伸ばしました。

長崎市出身の写真家・上野彦馬生誕の地に建つ記念碑。坂本竜馬や高杉晋作など著名人の肖像写真などを撮影した写真家です。


中島川に架かる石橋群の中でもひときわ目立つ「眼鏡橋」
日本最古のアーチ橋で興福寺の唐僧によって築造され江戸の日本橋、岩国の錦帯橋と共に日本三橋の一つといわれており、皇居・二重橋のモデルでもあるそうです。確かに二重橋とそっくりです。


次に訪れた先は、多くの寺院が並ぶ寺町通りの中ほどにある「興福寺」
インゲン豆を日本に伝えたことでも知られる隠元禅師が日本を初めて訪れ住持した唐寺で、350年前に創建されたものだそうです。
今は色があせてしまっていますが、元々は朱色に塗られていて「赤寺」とも称されているようです。

三門、長崎で一番の大きさだそうです。


大雄宝殿


特徴的なアーチ型天井と両脇にある組子の丸窓。
組子とは、釘を一切使わず組み上げる技法で、ここの物は氷を砕いたような文様に特徴があるそうです。




次に「シーボルト記念館」を訪れました。
中心部からやや離れた場所にあることからあまり観光ルートに登場しませんが、西洋医学を日本に伝えたシーボルトの功績など詳しく紹介されています。




シーボルト記念館を後に浦上方面に移動し平和公園、浦上天主堂、そして最後に原爆資料館を見学して本日の観光は終了、早めにホテルに戻りました。


被爆した石像群、原爆の破壊力のすさまじさを改めて認識させられました。


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和・華・蘭文化を訪ねる長崎の旅(2)

2014-10-15 18:57:10 | 国内旅行
長崎市滞在2日目は、グラバー園やオランダ坂など異国情緒あふれる風景が広がる山手方面を散策しました。

まずは、国宝に指定されている「大浦天主堂」を訪れました。
現存する日本最古のゴシック様式の教会。ヨーロッパの教会と言えば石造りが一般的ですが、大浦天主堂は木造で天井のアーチ形状が印象的です。




大浦天主堂の別棟の展示室には隠れキリシタンの迫害の歴史が展示物やパネルで紹介されています。
聖母マリアに代わる祈りの対象物とされた「慈母観音(マリア観音)」高さ20cmほど。
迫害の中、人目につかぬよう隠れながら、ひそかに祈りをささげていた隠れキリシタンの姿が目に浮かびます。


グラバー園の洋館の中でも一番の規模を誇る旧グラバー邸。
日本の近代化に貢献すると同時に大成功を収め、これほどの財をなしたグラバー氏、さぞかし商才に長けていたことでしょう。若干21歳でイギリスを飛び出し海外に活躍の場を見出したことも驚きです。


グラバー氏の銅像


グラバー邸の内部、廊下天井に設けられた隠し部屋。肩入れしていた幕末の志士たちが出入りし、この隠し部屋で密談を重ねていたとか。


グラバー邸の食堂、壁側ディスプレイボードの鏡はかなり高い位置にありますが、姿を映すための鏡ではなく、室内を照らすための鏡だったそうです。


グラバー邸前庭に植えられた樹齢300年、国内最大級のソテツ。薩摩藩主から贈られたものだそうです。


前庭から望む光景。湾の向こうには三菱重工・長崎造船所が見えます。
1939年当時、グラバー氏の息子、倉場富三郎家族が居住していましたが、戦艦武蔵の建造を秘匿する目的で三菱重工に買収され、所有が三菱重工に移ったそうです。
因みに、倉場は”グラバー”をもじってつけた苗字だそうです。


グラバー園を後にオランダ坂経由で「孔子廟・中国歴史博物館」を訪れました。
急勾配のオランダ坂、歳をとると上り下りが大変そうです。


オランダ坂通りに沿って所々洋館が保存されています。


本日最後の観光スポット「孔子廟・中国歴代博物館」にやって来ました。
孔子廟は孔子を祀る施設で、ここは中国人が海外で建造した唯一の孔子廟だそうです。

孔子廟の内大門「儀門」


屋根には、想像上の神獣である鳳凰、龍、麒麟の彫刻が掲げられています。


偽門を抜けると前庭には、孔子の高弟72賢人の等身大の石像が並んでいます。全て大理石で重さは一体約1.5トン、中国で彫刻されたものだそうです。


孔子像を祀る「大成殿」と孔子坐像




大成殿に入って直ぐの両脇には、聖人が世に出ると現れるといわれる中国古来の端獣「麒麟」の像が2体置かれています。
右が麒(雄)


左が麟(雌)


大成殿の裏にある「中国歴代博物館」では、孔子に関する資料や中国の貴重な文化財など見ることが出来ます。中には国宝級の展示物もあり、見ごたえ十分でした。(内部は撮影禁止)








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和・華・蘭文化を訪ねる長崎の旅(1)

2014-10-14 23:48:28 | 国内旅行
台風19号の影響で一時はどうなるかと思われた長崎旅行でしたが、関東通過が早まったことから無事長崎に降り立つことができ、今日から3泊で長崎市観光の予定です。

宿が新地中華街の近くだったので、お昼は中華街でいただくことに。長崎で中華といえば、まず思い浮かぶのは長崎ちゃんぽん、ということでやって来たのは「江山楼」食べログで高評価の店です。


この店のおすすめは「特上ちゃんぽん」、鶏100%のスープにフカヒレ(かなり小さめですが)、ホタテ、肉団子、エビ、イカなど20種類の具が入っているそうで1500円(+税)とちゃんぽんにしてはちょっと高めですが、麺と同じくらいの具が入っていてボリューム満点、鶏スープはまろやかでさっぱりしており、美味しくいただきました。


腹を満たした後は、中華街から徒歩10分ほどの場所にある「崇福時(そうふくじ)」を訪れました。
1629年に長崎在住の中国福建省の人達によって創建されたもので、ここには長崎市にある3つの国宝のうち2つがあります。

まずは最初の門「三門」です。竜宮城に似ていることから竜宮門とも呼ばれているそうです。


次の門が国宝の「第一峰門」


見所は軒下の複雑な木組、わざわざ中国で作り唐船で運び組み上げたものだそうです。


門扉に描かれているコウモリと牡丹の花、中国では縁起物だそうです。


大一峰門をくぐると崇福寺の本堂「大雄宝殿」(国宝)があります。
中には釈迦三尊が祀られており、長崎市に現存する最古の建物だそうです。




大雄宝殿の裏手に建つ「媽姐堂(まそどう)」
唐船の船主たちが海上安全の守護神・媽姐を祀ったお堂で、来航する唐船に祀られた守護神像を在港中このお堂に移していたそうです。


崇福寺では、2つの国宝や多くの重要文化財があるとのことで期待して訪れましたが、塗料が剥がれ落ちていたり、木材の一部がムシに喰われていたりとあまりメンテされておらずお世辞にも綺麗とは言えない状態、価値ある歴史遺産として勿体無い気がしました。

次に訪れたのは、「長崎歴史文化博物館」
海外交易で栄えた長崎の歴史や混在する”和・華・蘭”文化を分かり易く紹介する施設で、歴史資料や美術工芸品などが豊富に展示されていて、おすすめの施設です。


美術工芸品展示室には、当時輸出されていた漆器や青貝細工などを始め沢山の漆器類や小物が展示されており、日本の工芸品の素晴らしさを実感しました。


唐船に祀られていた海上の守護神・媽姐像(まそぞう)


眼鏡橋の建築作業の風景(模型)、建築工程が分かります。


真鍮製の「踏み絵」十字架上のキリスト


歴史文化博物館には長崎奉行所関連の資料も展示されていて、全て回りきるのに2時間以上掛かりましたが、大変充実した施設でした。
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「日光東照宮」を散策

2014-09-26 09:52:22 | 国内旅行
日光観光と言えば何はさておき、やはり日光東照宮でしょうか。
過去数回訪れていますが、今回何十年かぶりに訪れ、日光東照宮の素晴らしさを改めて実感しました。年齢と共に神社仏閣を中心に日本の古い建物や歴史に対する興味が強くなって来たこともありそうです。

表参道を進んで行くと「石鳥居」があります。
京都八坂神社、鎌倉八幡宮の鳥居と合わせて日本三大石鳥居と呼ばれ、江戸時代に建てられた石造りの鳥居としては日本最大だそうです。
1618年に九州筑前藩主・黒田長政公(NHK大河ドラマ、軍師・官兵衛の息子)によって奉納されたもので、石材は九州から運ばれたそうです。人力でよくぞ九州から運んできたものです。


石鳥居をくぐると紅色に塗られた「五重塔」が目を引きます。
1650年に建立されたものの1815年に焼失、1818年に再建されたもので、高さは約36メートル、内部は吹き抜けになっているそうです。


東照宮最初の門「表門」、左右に仏教の守り神、仁王像が安置されています。


表門をくぐると3つの建物から構成される「三神庫」(さんじんこ)、各種行事に使用される馬具や装束類が収められています。


表門を入って左側には神様に仕える馬が詰める「神厩舎」(しんきゅうしゃ)、いわゆる馬屋があり、正面と右外壁の上部には馬を病気から守るとされた猿の彫刻が8面掲げられています。

中でも一番有名なのが言わずと知れた「見ザル、聞かザル、言わザル」の3猿です。
影響を受け易い子供には、悪いことは見聞きさせず、悪い言葉も使わせず良いものだけを与えるようにすれば、将来、悪いものに左右されることなく正しい判断・行動が出来る人間に育つ、と言う意味が込められています。


陽明門の左には鳴龍で有名な「薬師堂」、別名「本地堂」があります。
天井に描かれている龍の頭の下で拍子木を打つと、天井と床が共鳴して鈴のような音が響き渡ります。大勢の人がこの音を聞こうと列をなしていました。
  

陽明門(国宝)の両脇に伸びる「廻廊」、国宝です。
外壁には一枚板の透かし彫りの花や鳥が飾られています。右側は全面修復が終わり色鮮やかでした。


一枚一枚間近に眺めると、その素晴らしさが伝わってきます。




一日中見ていても飽きないほど素晴らしい建築装飾が施されていることから「日暮の門」とも呼ばれる陽明門、一番楽しみにしていたのですが残念ながら修復工事中で覆いが被され、見ることはできませんでした。工事完了は平成31年、大分先です。

陽明門をくぐると正面にはひときわ目立つ「唐門」(国宝)があります。
全体が白い胡粉で塗られ、各所に細かい見事な彫刻が施されています。


唐門の向こうには「御本社」(国宝)があります。(屋根だけ見える建物、唐門の向こうは写真撮影禁止)
本殿・石の間・拝殿から構成され、東照宮で最も重要なところで例祭など執り行われる建物になっています。中では説明を聞くことが出来ます。


坂下門から続く廻廊のらんまに施された彫刻「眠り猫」
左甚五郎作と伝えられていて日の光を浴び、うたたねしている猫の彫刻で国宝です。


そしてその裏には竹林で遊ぶ2羽の雀の彫刻があります。


うたたねする猫とその猫を気にすることなく遊ぶ雀。戦乱が治まり平和がもたらされた事を表しているそうで、その平和は家康公によってもたらされたと言うことだそうです。
ついつい左甚五郎作と言うことに関心が行ってしまいがちですが、そのような意味が込められていたとは、初めて知りました。

眠り猫のある廻廊を抜け長い石段を登って行くと御祭神の墓所となる奥宮があります。
奥宮・拝殿裏に設けられた「御宝塔」、奥宮の一番奥、東照宮で一番高い場所になります。
この塔の下には、久能山東照宮から改葬された徳川家康の遺骸が葬られています。


日光東照宮を後に「宝物館」を訪れましたが、時代を忍ばせる展示物は僅かで期待外れでした。現在、新館が建築中なので将来展示物が充実されることを期待しています。
東照宮の他には二荒山神社と輪王寺も世界遺産ですが、今回東照宮だけで歩き疲れたので次回訪れることにしました。

戦場ヶ原では既に草紅葉が始まっていました。
熊が出没しているとのことで注意看板が立っていました。





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