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気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

西部邁 保守の真髄 老酔狂で語る文明の紊乱 講談社現代新書

2018-05-05 19:44:16 | エッセイ

 遺書である。著者の自死のニュースを見たあとに購入した。あからさまな遺書である。

 

「自分にとっての最後となるはずの著述を娘を相手にしての口述筆記で行わなければならない…」(10ページ 解題――序にかえて)

 

「…と認めて本著述は完了と行くはずだったのに、その直後に、述者のある私的な振る舞いの予定日に衆議院総選挙が行われると判明した。」(264ページ あとがき)

 

 最後の著書であるというこの本を口述し完成させて、その後に「ある私的な振る舞い」をとり行う予定であったと。それは、恐らく、自死、ということにほかならない。総選挙のおかげでそれが少々延期となったと。

 西部邁は、これまで数冊の著書を読み、軍備をせよ、核兵器を保有せよ、原発は必要であると論ずるその姿勢に関わらず、唱える保守の思想に肯ぜさるをえない思いは抱いてきた。現時点で生きている人々のなかでの民主主義ではなく、これまで生きてきたすべてのひとびと(つまりは膨大な数の死んでしまったひとびとを含む)による民主主義こそが必要であるという論は、まったくそのとおりであると思う。死んでしまった人を含めた多数決など取りようがない、不可能なことであることは言うまでもないが。だが、しかし、現にいま生きているひとびとのなかの多数決ということの危うさ、そういうものはどこか感じざるを得ない。

 上の引用中の述者とは西部自身のことである。通常自分で筆を執り、あるいは、キーボードを叩いて書く場合には筆者と己を称するのであろうが、ここでは、口述するものとして、そう自称しているものとのことである。

 さて、第一章「文明に霜が降り雪が降るとき」において、西部は「現代文明が没落期に入っているということを強く感じているのは事実である」という。(16ページ)

 

「かつてK・マルクスは「労働力の商品化」という点に資本主義的市場経済における最大の弱点を見出した。…(中略)…/今進んでいるのは労働力の商品化にとどまらない。労働者及びその家族のすべてが商品化のプロセスにさらされているのである。勤労生活のみならず消費生活にあっても余暇活動にあっても商品世界のシステムと技術と産物がそれらの全領域を覆いつつある。」(26ページ)

 

 お金でやり取りされる商品が、全世界を、人間の生活のすべてを覆い尽くしている。

 

「こうした商品という名の帝王の独裁から逃れるにはどうすればよいのか。そう簡単に妙案が浮かぶわけもないが、今世界各地で起こりつつあるのは、スモール・コミュニティ(家族や地域などの小共同体)のゲマインシャフト(日常生活)を安定化させるべく新商品に安易に飛びつくという生活態度を改める、というやり方である。」(30ページ)

 

 このあたり、直前に読んだ内田樹の「ローカリズム宣言」などの行論と軌を一にするものである。嵐のような金融資本主義のグローバリズムに対抗していくには、小さな地域に根差したローカリズムに拠って立つほかない。さらには、改めて「国家」という単位を大切に保持していかなくてはならない。

 

「ナショナリズムを指してショーヴィニズム(排外主義)と難じることは許されない。それらのナショナリズムは単に国家の国際関係と国内(の域際)関係の双方に長期的な安定性をもたらそうとする企てにすぎないのである。まだナショナリズムの大切さに気づいていない「沈黙の帝国」我が日本も、遠からずこのいわば伸縮的。開放的なナショナリズムへと移行していかざるをえないものと思われる。」(30ページ)

 

 われわれが地方分権を唱えるとき、行きすぎた中央集権にアンチを立てるために、ともするとグローバルとローカルを直結して、国家の意味を軽視しがちになっていたときもあったかもしれない。しかし、ローカルを守っていくためにも、ナショナルという単位を守っていく必要があるのだ、ということになるのだろう。

 

 ところで、第九節「日本人論の数々――概観と雑感」に、落合直文の名も取り上げられている。

 

「明治、大正、昭和の近代を総じていえば、その日本人論は「百家争鳴」というか「様々なる意匠」(小林秀雄)というか色々な思想実験が入れ替わり立ち替わり現れたにすぎない。自然主義(田山花袋、葛西善蔵、島崎藤村)も試みられたし浪漫主義(落合直文、高山樗牛)も求められた。大正期にはまず民本主義(大正デモクラシー)が唱えられ、また教養主義(武者小路実篤、志賀直哉)の看板の下に西洋近代の新しい動きが紹介され、それに応じて「教養ある人格」が理想とされた。」(69ページ)

 

 明治~戦前までの日本の文化を概観するこの人名中に、落合直文の名も取り上げられているということは、気仙沼の人間として、改めて留意しておきたいところである。

 第二章「民主主義は白魔術」のなかに、マニフェスト選挙のことが取り上げられている。

 

「今風の事柄になぞらえていうと、政策の数値、期限、工程について選挙民が審判を下すといういわゆるマニフェスト選挙なんかは、机上の空論であるという以上に、直接民主制によって間接民主制の機関たる議会を有名無実と化し、さらには代表者を選ぶ選挙をすら無意味のものにするという意味で、度し難い暴論だったのであり、流言蜚語の一種であったとしかいいようがない。」(88ページ)

 

 なんでも事前に数値化した成果目標を立てて、それがどれだけ満たされたかを検証し評価しようとする政策評価、また、最近流行りの組織の人事評価も同じことであるが、その弊害は、これも、また内田樹が教育についてなど論じる際に述べていることと軌を一にするものである。

 事前にあまりにも透明に、明晰に、数値化した目標を立て、それから外れたものはいっさい評価の俎上に載せることかなわず、あらかじめ想定し得なかった豊かな実りを切り捨て、どんどんと人間の存在をやせ細ったものにしていく数値評価の悪夢。政治家は、一目瞭然に比較可能な単純化されたいくつかの数値のセットでのみ評価されるべきものではない。さらには、どんな個人も、単純化されたいくつかの数値のセットのみで評価されるべきものではない。むしろもっとトータルな全体の印象のほうが、正しい評価たりえているとも言われる。

 と、書いても、なんのことかうまく伝えられていないと思うが、このあたりは、この本の前後の記述をよく読みとってもらうなり、内田樹の、なんでもいいので著書を一冊読んでもらえれば得心は行くものと思う。

 役人、官僚、公務員のことについて、こんなことを書いている。

 

「誰も指摘しないことだが、公務に従事するという意味で役人は半ば政治家なのである。ポリティックス(政治)とはポリス(国家)の運営についてポリティック(賢明)な態度を持すことにほかならない。その意味において役人の実質の半ばは政治家なのである。――だから、抗弁の権利をあまり持たない役人にバッシングを加える近年の風潮ほど有害なものもない――。…(中略)…選挙によって言動を過度に左右され難い役人がいればこそ、国策における一貫性が可能となるわけだ。」(91ページ)

 

 実は、私も、こういう思いで地方公務員生活を送ってきた。観光課にいても、図書館にいても。半ば政治家である、これは思い上がりとも取られかねないが、使命としてそう心してきたつもりである。

 中央省庁の官僚は、まさしく典型的にそうなのであって、その弊害もあったに違いないが、その効用の大きさは計り知れないものである。広い意味での政治の少なくとも半分は官僚が支えている。そこに中央の官僚の責任はある、昨今の状況において、官僚の矜持はいかにあるべきか、自問あるべきところであろう。

 

 

 第3章「貨幣は『戦の女神』」の第2節は「市場はダンス・マカーブルの踊り場なのか」と題される。ダンス・マカーブルは死の舞踏。死ぬまで踊り続けることを強制されている。現今の世界経済のありようである。第一節の「経世済民を忘れた経済『学』」のタイトル通り、経済とは本来経世済民のはずである。世のしくみを整えて、ひとびとに生活に必要なものをいきわたらせ、生活を安定させることこそが経済なのである。その意味で経済と政治は一致していなくてはならないはずである。実際別ではないのである。

 いま、経済に国家は不要だなどというたわごとがまかり通ろうとすることを、西部も危機感をもって警鐘をならそうとしている。

 と、この本で語られていることはすべて、私から見て、的を射た正論であるといっていい。

 ただし、「軍備をせよ、核兵器を保有せよ、原発は必要である」と唱えるところは、そのまま、鵜呑みにするということでなく、別の行論も参照しつつ勉強していきたいところである。詳らかな論は別にするが、私は、その三点については別の議論がありうるし、そちらに筋があると観じている。

 ただ、今の日本国が米国の属州である、参政権をもたない統治領のようなものであるという主張は、恐らくまさしくそういうことなのだろうと考えている。このあたりも、内田樹の言っているとおりのことである。

 あ、そうそう、だから、現在私は、世界の観方、捉え方については、内田樹のいうところがもっとも正しいのだろう、というふうに考えている。

 しかし、このひとの、予定していてその後実行された「私的振る舞い」、そういう選択もありうる、そういう思いが、確かに私の内にもある、ということは言ってしまっていいように思う。老いさらばえた身をさらす前に。


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