出会いたかった本のひとつ。小野寺充太氏から、息子が借りて読んで、私に回ってきた。この経路は、深い意味がある、というふうにも思わせられる。
向谷地氏は精神医療分野のソーシャルワーカー、北海道医療大学看護福祉学部教授。大学で福祉を学び、北海道浦河町にある浦河赤十字病院にソーシャルワーカーとして勤務、その後、まちの教会堂において、精神に障害を持つひとびととともに暮らす「べてるの家」を創立することになる。
「べてるの家」は、昨今注目を浴びる“当事者研究”の始まった場所である。
まえがきはこう始まる。
「「べてるの家」をもっともわかりやすく言い表すことばは、“今日も、明日も、順調に問題だらけ”かもしれない。精神障害をかかえながら生きるということは、「暮らす」というあたりまえの現実に対して、人の何倍ものエネルギーを費やし、負荷をかかえて生きることを意味する。それは、チェーンのはずれた自転車を当てもなくこぎ続けるような徒労感と、“この世界は自分を必要としていない”という圧倒的な空虚さの渦に当事者を巻き込む。」(5ページ)
べてるの家は、“今日も、明日も、順調に問題だらけ”なのだという。“問題だらけ”ということばは、ふつう、”順調“という言葉に結び付かない。何か、大きく常識を踏み外した事態がそこに展開しているように見える。
常識を、というよりは、中井久夫が、「治療者というものは常識と社会通念とを区別して考えるべきであると私は思う。」(『世に棲む患者』ちくま学芸文庫 15ページ)と語っているのに倣えば、社会通念を踏み外している、というべきところか。
常識と言おうが、社会通念と言おうが、大した違いはないともいえるが、どちらかと言えば社会通念というのは、世の中のひとびとの思い込みであり、どこか間違った情報もずいぶんと忍び込んでいるというイメージであり、それに対して常識は、歴史の荒波をくぐり抜けた、理性による検証を経た、実践と学識に裏付けられた良識、といえばいいか。今風にいえば、社会通念とは、相当にフェイクを含みこんだものだということになる。常識は、相応にフェイクに対する検証を経たものとなる。
べてるの家は、精神障害というものに対する社会通念を越える試みであった、
「二十八年まえ、北海道浦河町にある病院の精神病棟「七病棟」専属の新米ソーシャルワーカーとして、私がはじめて現場に足を踏み入れたとき、脳裏に浮かんだのが「医学=“囲”学」「看護=“管”護」「福祉=“服”祉」ということばだった。私の目には、精神科への入院患者は、「囲い」込まれて、「管」理され、「服」従を余儀なくされる人として映った。」(13ページ)
精神障害者は、囲い込まれ、管理され、服従を強いられるべき人びとである、という社会通念が強固に存在していた。向谷地氏は、そこに戦いを挑んだ、ということになる。
「戦い」というと言葉が強いが、向谷地氏の実践は、実際、肚を据えた戦いであったと言っていい。
河崎君という障害を抱えた若者が、家族の中で爆発を繰り返し、藁にも縋る想いで、べてるの家にやってきて、そこでも爆発を起こしてしまった、その後に、向谷地氏はこんなことを言い始める。
「河崎君、大変だったね。川村先生の予想通り、順調に苦労が始まっているようだね……。」そう言うと、彼はむっとした表情で「これは、順調な苦労なんですか?」とにらむように聞いてきた。「そうだよ。決して予想外ではない。これが順調な苦労なんだよ。こんなはずじゃなかったと思っているかもしれないけれど、残念ながら、これは順調すぎるほど順調なんだよ。」(44ページ)
“順調な苦労”である!順調な苦労とは何ごとであろうか?
「河崎君が、君自身を助けたくても、今は、助け方がわからない状態だと思う。きょうのやり方は、河崎君自身に対してもっとも申し訳ないやり方だね。」(44ページ)
“自分自身に対してもっとも申し訳ないやり方”とはどういうことか?
「「僕は、先生や親にあやまるまえに、本当に土下座しても謝るべきは、君自身だと思うよ。自分にあやまる。自分を助け、励ますことをしないうちに自分をおろそかにして、まわりの人間にあやまるのは順序が違うと思うけど……」
河崎君は、数々言われてきたことが、ようやく飲み込めたという表情をして「わかった」といって唇をかんだ。「河崎君、この爆発のテーマは、君自身の欠点や弱さをいかに克服すべきかという問題ではない。極端に言えば、世界中の爆発に悩む仲間をいかに救出するかというテーマでもあるし、河崎君自身がこのテーマを通じて多くの人たちとつながるチャンスでもある。そこで提案したいのだけど、仲間といっしょに爆発をテーマにした研究をしてみないかい……」「え、研究ですか。それはおもしろそうだね。僕は実は研究者にもなりたかったからね。」」(45ページ)
“当事者研究”への道が開けた瞬間である。
冗談のような、少しばかりとぼけたような、思わず笑いがこぼれるコントのような始まり方である。
真正面から主体的に欠点や弱点を見つめ、それを克服しようとすることは、ずいぶんと堅苦しく困難なことに違いない。ちょっと斜めから、気持ちをほぐしながら入りこんでいく。専門の学者が行う研究のパロディとしての、素人の行う研究。どこまでも冗談であるかのような研究。ユーモアに溢れた研究。自分の病状について、そんな“研究”を行うことによって、自分自身のことでありながら、どこか距離をとって客観的に眺められる。
「従来、研究とは科学的な視点から専門家が問題解決の方法を探り、様々な事象の真理に迫ろうとする方法である。常識的に考えて、統合失調症の患者が、研究対象になることはあっても研究の主体となることは想像もつかないことであった。この出来事を通じて、「当事者研究」というおそらく世界ではじめての試みがはじまったのである。」(46ページ)
「(当事者研究の)キャッチフレーズは「自分自身で、共に」である。統合失調症などをかかえながら暮らすという生きづらさのメカニズムや意味を公開しあい、生活に役立てようという試みである。」(63ページ)
これは“ふざけた研究”ではないし“研究のふり”でもない。真面目な、役に立つ研究である。しかし、ここにはユーモアがあり、じぶんとの距離感があり、そこに客観性のようなものが立ち現れている。だからこそ、役に立つものになっているということが言えるのではないか。
「べてるの家」は、注目を集めてもう何十年にもなるわけだが、私は、ここ数年、斎藤環氏らの「オープン・ダイアローグ」の紹介からさかのぼって、熊谷晋一郎氏らの当事者研究の紹介から、その源流の「べてるの家」を知ったという流れになる。
このあたりに、これからの精神医学の方向は示されているに違いない。一方で、これまでの精神医学の大多数の流れみたいなものに対する違和感は、厳然とある。たとえば、この本で、次のようなエピソードが語られている。
「私は講演先などで、統合失調症をかかえる当事者に、「主治医との関係で、一番大切にしていることは何ですか」とたずねるようにしている。答えのなかに、当事者が置かれている状況がよく見えるからである。
一番多いのが「決して本当のことを言わないこと」という答えである。その理由は、「自分に起こっていることを正直に話すと、病状が悪いと思われて、必ずといってよいほど薬を増やされる」のと、「入院させられる」という不安があるからである。」(172ページ)
このあと、悩みを打ち明けたある当事者が、主治医から抗うつ剤を新たに処方され、だまってごみ箱に捨てたという実例が語られる。
このところ読書してこのブログにも紹介を挙げている、中井久夫氏や斎藤環氏らの著作に述べられている方向と、この上の引用で語られるような精神科医の在り方とのギャップ。目の前にいる人間と向かい会うのではなく、極論ではあろうが、精神薬の処方にのみ注意関心を払う精神科医というイメージ。このあたりは、現時点でどうなっているのだろうか。地域地域の精神科の病院で日々行われていることはどんなふうなのだろうか?
この気仙沼では、いったいどんなことが行われているのか。病を持つ人々、障害を持つ人々がどんなふうに過ごしているのか。私が、そこに対して、どう振る舞うのか。
ものの本を読んで、考えを巡らせ、思いついたことを書きとめるという、いまの私の根本の暮らし方と、食べて寝て稼いで人の親であるという私の日々の暮らしと交わるところで、どう振る舞っていくのか。
いま、この時点では、結論はない。プラスとマイナスの1本の直線で評価しうる事態ではない。少なくとも縦と横の二つの座標軸は必要で、4つの象限で整理すると考えやすくはなるかもしれない。でも、今はまだ整理を始めない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます