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ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

あそぶひと

2014-12-15 21:51:38 | 詩集湾Ⅱ(1993年5月20日)

人間は知能人であったり工作人であったり道具の使い手であったり

ことばを用いる動物であったりするが

笑うものでもあり

あそびを知るものでもある

ひとがひとたる由縁はあそびを知るにあるともいわれる

 

もっとも人間だけがあそびをするわけではない

子猫たちや子犬たちはいつもじゃれあいあそんでいる

このあそびは同時にまなびである

じゃれあってあそびながらかれらは自らえさをとらえるべき青年期にむけて学習しているあそびはまなびとして未だ来たらざる将に来るべきときへの準備である

 

しかしあそびはまなびにつきない

まなびは基本的に未来への準備だが

あそびは現在の輝きである

現在の輝きである

現在の輝きとしてのあそびが同時に将来への準備たりうるというわけだ

現在の輝きとしてのあそびを知るものが実に人間である

 

遊人(ゆうじん) あそぶひと

おまえの生きる全ての瞬間はおまえにとって輝きでなければならない

現在の輝きであって同時に青年期・壮年期・老年期の輝きの準備でなければならない

全人類の救済をその一身に担おうとするジーザスクライストスーパースターみたいな厳しい使命をおまえに背負わせる

というわけでもなくて

まあそのあたりは適当にちゃらんぽらんな遊び人であってもいい

 

あそびはおおきい

そしてひろい

 

遊星の遊

自由の遊

勇気の遊

親友の遊

浮遊の遊

誘惑の遊

悠々の遊

ゆめの遊

有の遊

空無の遊

現在の遊

無限の遊

ことばの遊び

こころの遊び

からだの遊び

あたまの遊び

目の遊び

鼻の遊び

口の遊び

耳の遊び

手の遊び

腕の遊び

脚の遊び

足の遊び

かんけり

いしけり

なわとび

じゃんけん

ほかほか北海道のじゃがいも九州のさつまいも沖縄のサトウキビ・パイナップル南洋のタロイモ日本古来の里イモ山イモ…

 

我が家の太郎遊人

鼻は大きく瞳も大きく頭髪は濃く指は長く

一九八七年十一月十三日午後四時二一分

二三七〇グラムで生まれた男

 

2015年の注;1987(昭和62年)12月20日発行の霧笛第13号に発表して、93年5月の詩集・湾Ⅱに掲載した詩。遊人とはホモ・ルーデンスである、という宣命。祝詞。言祝ぎ。でも、決して義務ではない。好きなように生きればいい。


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