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ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

肯定

2009-01-22 23:34:06 | 寓話集まで
ああ気仙沼という海の街は一旦森に入るんだと思ったんです。(注)

県境の向こうの水源地の森から流れ落ちて
国道と鉄路に沿ってもういちど
森を通過して
まちに至り
奥深い湾に注ぐ

森から海へ
無機質や有機質たちが
水によって交通する
水はさらに
海から空へそしてもういちど森へ
回帰する
この永遠の循環が
植物と動物
人間を育む

広葉樹はどんぐりを生産し
針葉樹はマツタケを隠蔽し
牡蠣は入り江に成長し
サケは太平洋から帰還して人工増殖され
山の民は沢水を飲み
市民は蛇口をひねる

数値のことは知らないが
川の水が枯れた記憶はない

取り返しのつかない苦い悔恨は
遠くフランスはパリの憂愁のダンディにまかせるとして
私たちは
日の出のテラスや星のテラスで休憩しながら安波山に登って
森に囲まれ海を囲い込んだ「千年の気仙沼」を眺望しよう
このまちを
この海を
この森を
この川を
肯定しよう

(注)伝説の珈琲館ガトーのミニ・ミニコミ紙「ジャスティンタイム」’91・11・6号によれば、ピアニスト加古隆は、鼎が浦高校を訪問した際、かれが作曲した「海の道」のテーマについて「現在の気仙沼とこんないい曲が結びつかない気がする」という女子生徒の質問に対し、「私がピアノを前にした時、4年前初めて気仙沼に来たとき、あの峠にかかった時、ああ、気仙沼という海の街は一旦森に入るんだ、と思ったんです。又安波山の頂上からみた風景はとても素晴らしく、この風景だけはずっと昔から変わりなく、これからもずっと変わらないであるんだなあ、そう考えた時、あの森と海に囲まれた『千年の気仙沼』がイメージ出来ました。」と答えたという。


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Unknown ()
2009-03-18 22:27:04
 加古隆は、気仙沼の海の道(ふるさと創生の一億円を使って整備した港の岸壁の遊歩道のような駐車場っていうか…)のテーマ曲を作曲したし、その後、鼎が浦高校のイメージソング「咲き競う花のあこがれ」を作曲、さらに、女子高であった鼎が浦高と、男子校の気仙沼高校と統合された、新気仙沼高校の校歌を作曲した。で、この校歌の作詞者が、森は海の恋人の言葉の生みの親、歌人熊谷龍子。
 この詩の背後には、当然、森は海の恋人の運動がある。

「数値のことは知らないが
 川の水が枯れた記憶はない」
という詩句は、市の職員としては、当時、非常に危ない発言であった。
 ま、今は、時代が変わったのでね。

 新高校発足時、息子が生徒会長で、私はPTA副会長だったが、新しい校歌の作曲者と作詞者が、この二人であった、ということは、感慨深かった。時代は変わった、と。

 
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