
さて、青本である。
著者は、畠山重篤、画・パトリック・ルイ・ヴィトンとクレジットがある。
畠山重篤と言えば、あの畠山重篤であり、それ以上、何を言う必要もない。というところでもあるが、少し書いておこうか。
1943年上海生まれ、間もなく父祖の地である、唐桑に戻り、気仙沼水産高等学校を卒業後、家業の牡蠣の養殖業に携わる。水山養殖場の代表である。
「1989年、「森は海の恋人」を合言葉に植林活動を始める。漁民による森づくりの活動は大きな反響をよび、1994年朝日森林文化賞をはじめ表彰多数。2004年より京都大学フィールド科学教育センター社会連携教授。2012年国連より世界で5組の「フォレストヒーローズ」に選出。2015年「KYOTO地球環境の殿堂」で殿堂入り。」(著者紹介より。
地元の水産高校を出たのみで、京都大学教授である、などということをあえて言い立てる必要もないわけであるが、ずっと地域で地道に家業を継いで担ってきた人間が、そこを突き詰めることにより、ある時期から世界への拡がりを生きているわけだ。ただし、かれは、視点はちょっと変えてみた、視野はちょっと拡げてみた。
実際に牡蠣が育つ海、その狭いリアス式の湾だけを見るのでなく、上流域の山、広大な緑の森、そしてその間をつなぐ川、そこを流れ下る水と養分をまで、かれは見た。海面の下をのみ見ていた漁民が、ふと顔をあげて遠景の山を見た。
そして、岩手県室根村矢越の山の民と繋がり、気仙沼市西部の新月二十一地区の歌人熊谷龍子とも繋がった。
「森は海の恋人」とは、内海の漁民畠山重篤と、里山の歌人熊谷龍子の魂の交わりからしずくが育ち膨らんで生まれ落ちた美しい珠玉の言葉である。
熊谷龍子さんのあの歌から。
「森は海を海は森を恋いながら/悠久よりの愛紡ぎゆく」(74ページ)
その、まずは河口の入り江の人間と上流域の人々との交わりが、どんどんその輪を広げていく。全国へ、そして、世界へ。
さて、この本の青いカバーをめくると「フランスの海の風景1」と題されたカラー刷りのスケッチが現れる。画家は、パトリック‐ルイ・ヴィトン。ルイ・ヴィトン家の第5代。
朝靄の静謐な水面に小さなボートが描かれている。ページをめくるとその「2」であり、別のアングルからの海面とボート。次は、前景の高台の2本の松の向こう、ずっと低いところに細長い湾の静かな海面、対岸の低いところに建物が描かれ、よく見ると海面には木材を組んだいかだが一つ浮かんでいる。タイトルは「舞根湾の風景1」
フランスの広葉樹の森にひそむ鹿の絵と、ルイ・ヴィトンの邸宅の正面の絵のあとに、舞根湾の風景、気仙沼の見慣れたあの舞根湾の眺めである。そして同じタイトルがあと2枚描かれる。
パトリック‐ルイ・ヴィトン氏の手になる、フランスの海と森、そして、日本の舞根湾の美しい風景。
以前に、ヴィトン氏ではないが、舞根湾を訪れたフランス人の牡蠣養殖業者に「あなたは天国のような海で仕事をしているね」(28ページ)と言われたことがあるそうだ。
実は、「森は海の恋人」の運動を始めるきっかけには、若い頃のフランス訪問の経験がある。ロワール川の河口、ブルターニュの入り江、そしてその上流の広葉樹の森を見て回る。そして、フランスの牡蠣が絶滅の危機に瀕した時に、宮城の牡蠣種を送って救った話。
宮城とフランスの牡蠣にまつわる長い交わり。
畠山氏自身も、フランスガキの養殖に取り組んだことがある。(フランスガキは、氏からご馳走になったことがあるが、ちょっと渋みのある大人の味の牡蠣である。ワインにはよく合うということになる。)
このあたりのことは、畠山氏はこれまでも著書に書かれてきたし、今回のこの図書でもあらためて詳しく触れられている。
そして、震災以降のルイ・ヴィトン家との関りに通じる。
ヴィトン家の初代ルイは、ドイツとスイスの国境に近いジュラ山地の深い森の中のアンシェ村に生まれたという。
「ヴィトン家の人々はこの村で五世代前から農業のかたわら、指物師、大工、粉挽きなどの仕事をしていた。」(32ページ)
「初代ルイがその地を離れて百七十年後、パトリック氏は、今では廃墟と化した森にのみ込まれそうになっている水車小屋の前に立ち、祖先が最初に選んだ職業が木材を使う仕事であったことを思い出していた。/ルイ・ヴィトンの原点は森にあることを、パトリック氏はあらためて心にきざんだのである。」(36ページ)
森との深いかかわりの中で、職人としての仕事を極めてきたルイ・ヴィトン家である。
日本の気仙沼舞根湾の「森は海の恋人」、水山養殖場の畠山重篤を見出したのは、当然のことである、とすら言って構わないだろう。
「私が森は海の恋人運動を主宰していたことから、フランスのルイ・ヴィトン社からも支援があった。木箱をつくることからビジネスを始めたルーツから、森を大切にする理念に共感してくれたのだ。/ルイ・ヴィトン五代目当主のパトリック‐ルイ・ヴィトン氏は大の牡蠣好きでもあり、ここでも牡蠣は親善大使役を果たしてくれた。パトリック氏は、森は海の恋人運動の提示する「地球のデザイン」という見方をすぐに感じ取ってくれた。」(あとがき151ページ)
この本も、赤線を引いたところはもっともっとある。いちいちうなづきながら読み進めた。私自身の気仙沼で生きてきた人生を振り返りながら、ということでもあった。
私も、河口と里山の中間の町に暮らして、「森は海の恋人」の運動を支えるマッチ棒一本くらいの働きはした、とは自負している。この運動はとても素晴らしいものだ、と地元にいて語り続けることによって。マッチ棒一本くらいのことではある。ただ、市役所の職員でありながらこの運動が素晴らしいと語り続けたことは、(そろそろ定年も近いので)言っておいてもいいかもしれない、とは思う。
ということで、「赤本」と「青本」である。
この2冊並べてみて、単に今年出版された気仙沼関係の本だ、というだけではない共通点が多いとは思わないだろうか?
全く違うエピソードで成り立っている本でありながら、ある意味では、全く同じことを述べている本だ、とは見えないだろうか。
フランスの、片やはエルメス、片やはルイ・ヴィトンが、重要な役回りで登場する。どちらも職人仕事の話である。それぞれの手法で、気仙沼の風土に深く根差しながら、イギリスだったり、フランスだったり海外の職人仕事も深くかかわってくる。
(一方は東大卒で、一方は京大教授だとかは、置いておくが)
ローカルに深く徹することによって、グローバルに通じて行ってしまう。
ローカルを無視して、ふわふわと軽薄に飛び回るグローバルではない。小さな技術仕事、職人仕事を究めて行くこと、その先に、グローバルへの展開も生み出されてくる、みたいなこと。
もちろん、グローバルを無視したローカルでもない。きちんとしたデザインのことも大切にしていく。世界への視野を保持する。世界に通用する仕事のレベルを保持していく。
気仙沼という場所が、このふたつの運動を生んだ。小さいものではあれ企業体を生んだ。そして、今年2冊の書物に結晶した。
これらは、これからの気仙沼が持続的に展開し、生きのびていくうえで、もっとも重要な出来事であるというべきなのだろう、と思う。
気仙沼とは、こういう場所である。
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