ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

木野花は津軽弁をしゃべらない

2013-06-05 23:42:06 | エッセイ
 ドラマ「あまちゃん」のなかでも、女優渡辺えりと女優木野花とのからみを楽しみにしている。言うまでもなく、どちらも優れた女優であると同時に、ネイティブな東北人である。ほんものの東北弁による掛け合いが聴ける。
 舞台は、岩手県北、旧南部地域、設定は北三陸市という架空の町だが、実際のところは久慈である。宮本信子さんをはじめとする海女さんたちは、久慈ネイティブという設定なので、東北弁というなかでも、久慈弁、広くいって南部弁であるはずである。
 宮本信子さんについては、東北人ではないので、東北弁をうまくしゃべれないのは止むをえないところだ。どうも歯切れが良くない。非東北人の役者が、東北弁をしゃべろうとすると、どこか、口の中にもぐもぐと歯切れ悪く留めておくような、聞いていてすっきりとしない、そうだ、曖昧な発音にしてしまう傾向があるようだ。口をはっきり開けないで、曖昧な発音をする、というのが東北弁であると勘違いしているみたいな。それで、単語の中で、本来は濁音にすべきでない個所を濁音にしてしまう。
 でも、まあ、そういう曖昧な発音の部分を差し引いても、あの役は、宮本信子さんしかいないし、漁村の海女であっても品がある、あの上品さが見事だと思う。
 ところで、渡辺えりさんだが、彼女がしゃべっているのは、南部弁ではなく、山形弁だという説がある。私自身は、もうひとつ明確には分からないが、あれだけ、リアルに、自在にしゃべっていることばは、まさに彼女の言葉だと思うし、生まれながらに染みついた言葉ということで間違いはなさそうだ。自由闊達で素晴らしいなと思う。
 舞台設定から外れた山形弁だとしても全く問題がない。リアルな東北弁だ。
 で、いま、問題にしたいのが木野花さん。
 彼女は、弘前出身らしく、つまり津軽のひと。
 皆さんご存じのとおり、青森県は、津軽と南部の確執がある。久慈は、青森県ではないが、八戸の近くの南部である。気仙沼と、岩手県の気仙地方(陸前高田や大船渡)が隣接して、旧伊達藩で一体といってもいい地域であるように、八戸と久慈も、もともと南部であり、ごく近しい関係にあるはずである。 
 つまり、言いたいのはこういうことだ。
 木野花さんは、青森県の津軽と南部の確執から自由ではないのではないか?
 芝居として、舞台は南部久慈でありながら、渡辺えりの山形弁と、木野花の津軽弁が炸裂する、というシーンは相当に面白いはずだ、と思う。
 しかし、どうも、木野花さんが、津軽弁をしゃべっていない。というか、地元の人間として、津軽弁ではなく、より正確な南部弁をしゃべろうと、演技しているのではないか? いや、役者としてはそれは当り前のことである。だが、しかし。
 実は、数日前、木野花さんが、東北弁としては正確でなく、濁音にすべきでない個所を濁音にして発音している、ように聞こえた個所があったのである。これは大問題である。
 木野花は、体に染みついていない南部弁を、無理に演技してしゃべろうとしているのではないか?疑惑。
 津軽という場所は、東北弁の中でも最右翼である津軽弁をしゃべる、ど田舎であるというふうに思われるだろうが、実は、大変文化的で、上品な地域なのである。作家太宰治や佐々木中を輩出している。
 長内美那子という、色白のとても上品な美しい女優をご存じだろうか?彼女は弘前市出身である。その女優生活において、津軽弁をしゃべったことはほとんどないはずだ。(一、二度の例はあるのだろうが…)
 木野花さんも、女優として長内美那子の後裔と言って過言でない。上品な女優である。女子高の後輩である可能性もあるが、定かではない。実際に舞台を見たことがあるわけではないので、推量で言うのだが、木野花さんは津軽弁を売りにした女優ではないはずだ。東京に出て、標準語、共通語の女優としてキャリアを積み重ねてきた。母語である弘前の言葉を、体の奥深くに封印して舞台に立ってきた。
 それで、彼女は、今回、演技として、南部弁をしゃべっているのだ、と私は推測する。彼女が生まれ育った弘前の津軽弁を封印して。
 生まれ育った土地の言葉を封印するというのは、大多数の東北出身で東京に暮らす人間の類型ではある。彼女の場合、そのうえに、さらに、問題が重なる。
 南部と津軽の確執である。
 南部の人間は、決して津軽弁をしゃべらない、という、青森県内部では、常識であり、アイデンティティーにもかかわる大問題、それに、木野花さんも足をすくわれているのだ。
 そういう地域的な正確さに足をすくわれず、もっと大きく、日本の中で、東北弁を堂々と主張するという大義に目覚めてほしい、と私は思う。
 木野花さんは、南部の久慈が舞台のドラマであるにかかわらず、津軽弁を炸裂させてほしい。肉体と精神の奥深く染みついた津軽の言葉を吐き出してほしい。そして、渡辺えりの山形弁と張り合って、壮大なバトルを見せてほしい。
 まあ、ほんとの津軽弁では、他の地域に通じないこともあるだろうから、語彙などは、もちろん、通じるものに変換しつつ、そうだ、津軽弁というよりは、津軽なまりといった方が良いかもしれない、渡辺えりさんも、山形弁というより、山形なまり。
 南部を舞台に、木野花の津軽なまりと、渡辺えりの山形なまりが、壮絶なバトルを演じる、そういう場面を見せてほしいものだ、というのが、わたしの切なる願いである。表面的には、不条理であってもよい。そこには、深層におけるリアリティが確かに存在するはずである。
 我が見果てぬ夢。
 昔であれば、そこに荘内出身のあの男優が絡んだり、盛岡出身の女優、えーと宮沢賢治の朗読でも有名なあの方、あとは、あ、そうそう宮城県出身の由利徹が絡んだりということになるが、現在であれば、福島の西田敏行とか、佐藤B作(どちらも八重の桜出演中)が絡むということであれば、最高、ということになるだろう。
 わが気仙沼高校の同級生、陸前高田出身の村上弘明は、こういうラインには、当面なかなか乗れないだろうな。(あ、弘明も、八重の桜出演中か。)
 ところで、この文章中、語る、言うというところ、「しゃべる」ということばを多用しているのは、実は、東北弁的な使用法である。

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