ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

気仙沼図書館への糸井重里氏のことばと永井叔のことば

2018-04-01 00:26:22 | エッセイ

 今日、2018年3月31日、新しい気仙沼図書館がオープンした。

 一市民として、一般開館後、11時過ぎにお邪魔した。先日、図書館行事として実施された立教大学の河野先生の哲学カフェに参加した際に、見学させてもらっていたが、今日は改めて、市民でにぎわう館のなかにいて、じわじわとうれしさがこみ上げてくる思いだった。

 建設の検討委員会の委員長をしていただいた齊藤誠一先生や、委員の明治大学図書館の折戸晶子さん、宮城県図書館司書だった(いまは、他部局に異動中だが)熊谷真一郎氏など、当時お世話になった人々とお会いできた。設計担当の岡田新一事務所の柳瀬社長、進藤さんも当然お出でである。ただ、日本図書館協会の西野専務理事もお出でになっていたようだが、セレモニー部分が終わってすぐに帰京されたようでお会いできなかったのは残念だった。フェイスブックを見ると、アカデミック・リソース・ガイドの岡本真氏もお出でだったようでもあるが、現時点で定かではない。

 白幡勝美前教育長(私の前々任の図書館長でもある)とも、お会いすることができ、当時のことを労っていただいたのは有難いことだった。私の方こそ、ある意味では勝手なことを押しとおして、教育長にご迷惑をおかけした立場である。(私としては、無理を通せば道理が引っ込むということのないよう、素直な道筋を通して行こうとしただけのつもりであるが、なにか、世の中の常識を違えたこともあったのかもしれない。)

 写真は、気仙沼図書館と、併設の気仙沼児童センターのリーフレット。この図柄は、図書館の階段の手すりや、階段吹き抜けのところの仕切りガラスと一緒で、岡田事務所の進藤さんのデザインであるが、色違いで、並べておくとなおさらに美しさが感じられる。(ただ、私は館内ではこの二つが並べて置いてあるところは見つけかねた。)

 図書館の青は、当然、気仙沼の海の青だが、図書館外壁のタイルの色でもある。児童センターのピンクは、これは、図書館の敷地を取り巻く桜の色であるに違いない。(今日は、窓の外の桜の枝のつぼみも膨らみ始めていた。気仙沼としては、ずいぶんと早い。今年は開花も早まることだろう。)

 このリーフレットには、

 

 「行ク道ハ タノシミ。

  帰リ道ハ ヨロコビ。」

 

ということばと、

 

 「ナニカ ハ ココニ

  ココロノ ナカニ」

 

ということばが、印刷されている。

 

 どこにもクレジットがないが、これは糸井重里氏から気仙沼図書館に贈られた言葉である。コピーライター糸井重里氏のコピーである。

 ご存じの通り、糸井重里氏は「ほぼ日気仙沼支社」を置き、御手洗瑞子氏の「気仙沼ニッティング」など含め、震災以降、ずっと気仙沼を応援いただいている。菅原茂気仙沼市長が、糸井氏に特にお願いをして贈っていただいたことばなのだろうと思う。

 その言葉に触れて、私なりに読みとれたことを記してみたい。

 

 「行ク道ハ タノシミ。

  帰リ道ハ ヨロコビ。」

 

というのは、図書館に向かう道の途上で、期待しながら、わくわくしながら、充実した時間を過ごせることを予感しながら向かう楽しみと、図書館を出た後に、そこで過ごした時間、面白そうな本に出会ったり、調べものがうまく行ったりした喜びのことである。今回の図書館であれば、人と出会ったり、美味しいコーヒーが飲めた喜びも加わるのかもしれない。

 行く、帰るという対語を冒頭に、行末は、楽しみ、喜びという類義語を置いて対称をなす対句になっている。 

 

 「ナニカ ハ ココニ

  ココロノ ナカニ」

 

というのは、まさしく、ここ図書館で、本と出会う、資料の中の情報を得て役に立つということを含めて、ひとがいくばくかでも豊かになる、心豊かになる、そういう事態をあらわしている。正確なアナグラムではないが、ナニカとナカニ、ココニとココロという相似した語呂をあわせて置いた対句である。

 どちらも、とても糸井重里氏らしい優れたことばであると思う。気仙沼図書館として、また、気仙沼の地域にとって、震災以降の糸井氏の関わりの中でいただいた誇るべき財産、というものに、これからの歴史の中で磨かれていくに違いない言葉である。

 気仙沼図書館といえば、初代専任館長菅野青顔の、図書館、書物に関わる深い交友の中から得た素晴らしい言葉がある。

 

 「図書館へ行く道をきいている

あのおじさんはきっと

好い人にちがいない

   永井叔

気仙沼と全世界の図書館さまへ」

 

というものだ。

 まあ、酒飲みの青顔が、放浪詩人永井叔に気仙沼の美味いものでもたらふく食わせ、家に泊めて、そのお礼代わりにさらさらと書かせたものに違いないが、この詩は、気仙沼図書館にとって、というだけでなく、全国の、いや地球上のすべての図書館にとって貴重な財産である、とつねづね私は思っている。(注)

 もともと敷地内に立ててあったこの詩の石碑は、今は、どこかにとってあるはずだが、近いうち、外構工事の終わるまでには、目につくところに復元されるはずである。(と、書いたが、実はすでに、敷地入ってすぐ左側にすでに立っていたようだ。不覚であった。4月2日。)

 永井叔のことばにあわせて、糸井重里氏のことばも持つことができた気仙沼図書館は、大変に幸福な図書館であると、私は思う。気仙沼市民として誇らしいことであると思う。

 彫刻家高頭祥八氏の手になる眼光鋭い菅野青顔のブロンズ像も、このことについては、にやりとほくそ笑んだに違いない、とも思っている。

 

 ちなみに、永井叔の詩の石碑のことを書いた私の詩は、「坂道」と題したものだ。蛇足ではあるが、お暇なかたはどうぞご一読を。

 https://blog.goo.ne.jp/moto-c/e/92c095a1965e0a4eb85eb76496217816

 

(注)実はここ、永井淑について「酒飲みの放浪詩人永井叔をたらふく飲ませて」などと書いていたが、2019年8月19日のフェイスブックに木村文彦氏が下記のようなコメントを寄せられたので、少々修正した。

 

「以前、気仙沼図書館で借りた永井さんの書かれた本には本人は酒を拒む人だと記載されていた様に記憶しておりますが?高校生の頃、電話で話した記憶のある、様々なエピソードのある青顔さんのイメージが強すぎての勘違いかとおもいますが。それにしても永井さんの言葉は美しい。」

 

 気仙沼図書館には、永井叔の手書きガリ版刷りの分厚い著書が、そうだな、5~6巻所蔵ある。まがりなりにも館長を務めたものが、実は読んでいませんというのも迂闊な話ではあるが、ぱらぱらと手に取りつつも、なかなかチャレンジできずにいた。「図書館へ行く道を…」の、自筆の書自体は、額に入れて館長室に飾ってあった。ご本人は、小学生のころ、気仙沼小学校の校庭で、マンドリンを抱えた姿で話を聞いた記憶がある。

 木村氏のご指摘によれば、永井は酒を飲んではいないはずで、誤りであったことになる。(…に違いないと、断定は避けているわけではあるが…)

 木村氏には、感謝申し上げます。


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