今・・幸せの中にいます。
本当に幸せです。
そりゃ もちろん 多少の問題はあります。。
結婚すれば・・独身時代とは違う。
それまでとは違う 結婚相手の家の流れを受ける という側面があります。
結婚する事で 多くを学ぶ事を決めて生まれる魂もあると思います。
私の母はそうでした。
<課題>=学びは 人それぞれ。
<時期>
これも 人によって違う。
母は親元を離れて・・結婚して・・厳しい課題をこなしました。
私は 親元にいる間にこなした。
母に話した事があります。
「親元で苦労?してラッキーだったと思うよ!」
本当にそう思います。
親の元でこなせた事は 本当に救いだったと思います。
だから・・親元を離れ・・一人戦った母は 本当に凄い。
<人間関係>
については・・。
他人が関わっていなかった・・。
身内の間 だけでした。それも 近い身内の間だけの問題でした。
他人が関わった課題・・これはまた色の違う{もの}があるでしょう。
<課題は個人のもの>
人とは比べられない。
人の事をとやかく言う事ではない。
とかく人は・・外を見ます(自分もです 汗)
自分・内側でなく・・人・外側を見る。で・・比較する・安心する・失望する。
それは無意味では?
課題は人それぞれだからです。
抱えている{もの}も 環境も 自分の器量も違う。
課題の内容・色・密度・濃さ・・全てが違う。
だから、他人と比べるなんて・・???
もちろん 他人の生き方を学ぶ・・のならば話しは別・・。
それは・・
例え 親子でも同じ。
親子でも、夫婦でも、どんなに愛する人でも・・
自分が代わりに その課題をこなす事はできない・・。
この世は<監獄のような学校>という人もいます。
けれど・・側にいてあげる事はできます。
気持ちを共有し 共感してあげる事はできる・・。
寄り添ってくれる人がいるだけで・・立ち上がれる。
人との繋がりとは そんなものかもしれません。
子供の悲しみに触れるとき・・代わりになれない自分を痛感します。
子供以上に 親は悲しいものです。
代わりになれたら・・どんなに楽でしょう。
母は・・どんなに辛かっただろう・・。
学校に行けない私を・・どんな気持ちで育ててくれたのだろう・・
言葉がありません。
だから 自分を責めてきた・・。
父も・・その気持ちは同じだった・・。
私は・・
多くの先生に助けてもらいました。
友達は・・久しぶりに登校する私を・・受け入れてくれました。
私についての噂話を聞いて・・涙してくれた友もいました。
祖父も・祖母も・叔母も・・心を砕いてくれました。
それが 痛いほど分かるから・・益々自分を責める気持ちが沸く・・。
そんな ジレンマをいつも抱えていました。
迷惑かけたくない・困らせたくない・・なのに困らせる自分。
ジレンマを抱え 葛藤していた自分。
それで・・否定の中にいた自分。
でも もう そのジレンマは捨てます。
感謝に変えます。
・・力をかしてくれた・・多くの存在がありました。
課題は個人にしか超えられないけれど・・側に救いの手があるはずです。
救いの手がない・・と感じるのであれば・・探してみませんか?
もしかしたら・・自分がその手を差し出していないだけで・・
本当は手をつかんでくれる存在がいるかもしれない・・。
ああ・・私は・・
自分から手を差し出してはいなかった・・。
こんな事にも気がつけませんでした・・。
全てを 一人で抱えて・・抱えたつもりになっていた。
抱えきれないくせに・・一人で無理をした・・。
どうか・・私のような失敗?独りよがりは・・止めて下さいね。
いいことはありません(笑)
私には 多くの救いの手が有りました。
その事を十分 いえ十二分に感じて・・
申し訳ない・・と自分を責めていた・・。
{否定}の中にいました。
責任感?
「・・・・・」
私の責任感は{否定}に繋がっていた?
心の使い方が違っていた。
間違った発想をしていた。
心の針の方向が違う。
「・・・・・」
<愛>の存在が側にいた?
なのに・・{否定}の中にいた。
なんて 不心得者でしょう・・。
ここまで書いて・・
今までと違う涙がこぼれます。
なんて ことでしょう。
こんなことにも気が付けなかったなんて・・。
本当に恥ずかしい・・。
また 大きな<気付き>を授かりました。
本当に幸せです。
そりゃ もちろん 多少の問題はあります。。
結婚すれば・・独身時代とは違う。
それまでとは違う 結婚相手の家の流れを受ける という側面があります。
結婚する事で 多くを学ぶ事を決めて生まれる魂もあると思います。
私の母はそうでした。
<課題>=学びは 人それぞれ。
<時期>
これも 人によって違う。
母は親元を離れて・・結婚して・・厳しい課題をこなしました。
私は 親元にいる間にこなした。
母に話した事があります。
「親元で苦労?してラッキーだったと思うよ!」
本当にそう思います。
親の元でこなせた事は 本当に救いだったと思います。
だから・・親元を離れ・・一人戦った母は 本当に凄い。
<人間関係>
については・・。
他人が関わっていなかった・・。
身内の間 だけでした。それも 近い身内の間だけの問題でした。
他人が関わった課題・・これはまた色の違う{もの}があるでしょう。
<課題は個人のもの>
人とは比べられない。
人の事をとやかく言う事ではない。
とかく人は・・外を見ます(自分もです 汗)
自分・内側でなく・・人・外側を見る。で・・比較する・安心する・失望する。
それは無意味では?
課題は人それぞれだからです。
抱えている{もの}も 環境も 自分の器量も違う。
課題の内容・色・密度・濃さ・・全てが違う。
だから、他人と比べるなんて・・???
もちろん 他人の生き方を学ぶ・・のならば話しは別・・。
それは・・
例え 親子でも同じ。
親子でも、夫婦でも、どんなに愛する人でも・・
自分が代わりに その課題をこなす事はできない・・。
この世は<監獄のような学校>という人もいます。
けれど・・側にいてあげる事はできます。
気持ちを共有し 共感してあげる事はできる・・。
寄り添ってくれる人がいるだけで・・立ち上がれる。
人との繋がりとは そんなものかもしれません。
子供の悲しみに触れるとき・・代わりになれない自分を痛感します。
子供以上に 親は悲しいものです。
代わりになれたら・・どんなに楽でしょう。
母は・・どんなに辛かっただろう・・。
学校に行けない私を・・どんな気持ちで育ててくれたのだろう・・
言葉がありません。
だから 自分を責めてきた・・。
父も・・その気持ちは同じだった・・。
私は・・
多くの先生に助けてもらいました。
友達は・・久しぶりに登校する私を・・受け入れてくれました。
私についての噂話を聞いて・・涙してくれた友もいました。
祖父も・祖母も・叔母も・・心を砕いてくれました。
それが 痛いほど分かるから・・益々自分を責める気持ちが沸く・・。
そんな ジレンマをいつも抱えていました。
迷惑かけたくない・困らせたくない・・なのに困らせる自分。
ジレンマを抱え 葛藤していた自分。
それで・・否定の中にいた自分。
でも もう そのジレンマは捨てます。
感謝に変えます。
・・力をかしてくれた・・多くの存在がありました。
課題は個人にしか超えられないけれど・・側に救いの手があるはずです。
救いの手がない・・と感じるのであれば・・探してみませんか?
もしかしたら・・自分がその手を差し出していないだけで・・
本当は手をつかんでくれる存在がいるかもしれない・・。
ああ・・私は・・
自分から手を差し出してはいなかった・・。
こんな事にも気がつけませんでした・・。
全てを 一人で抱えて・・抱えたつもりになっていた。
抱えきれないくせに・・一人で無理をした・・。
どうか・・私のような失敗?独りよがりは・・止めて下さいね。
いいことはありません(笑)
私には 多くの救いの手が有りました。
その事を十分 いえ十二分に感じて・・
申し訳ない・・と自分を責めていた・・。
{否定}の中にいました。
責任感?
「・・・・・」
私の責任感は{否定}に繋がっていた?
心の使い方が違っていた。
間違った発想をしていた。
心の針の方向が違う。
「・・・・・」
<愛>の存在が側にいた?
なのに・・{否定}の中にいた。
なんて 不心得者でしょう・・。
ここまで書いて・・
今までと違う涙がこぼれます。
なんて ことでしょう。
こんなことにも気が付けなかったなんて・・。
本当に恥ずかしい・・。
また 大きな<気付き>を授かりました。