今日は・・
あいにくの天候。
ここのところ、天気がよく雨が降っていませんでしたが、
今日は久しぶりの雨。
私は、なぜか雨の日に落ち着きます。
洗濯物は乾かないし、靴も汚れて、うっと~し~けれど・・
雨の日は落ち着く。。
そして・・
紀元節
今から2670年前の今日・・
日本で最初の天皇である神武天皇が即位されました。
即位される七年前に、高千穂を出発され・・
以下 <教科書が教えない 神武天皇 著・出雲井 晶>より、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
神武天皇御一行は、想像を絶するあらゆる困難苦しみを乗り越えて大和へ進まれました。
荒々しく刃向かってくる 八十健(やそたける)達に、
使いを出し、話し合い、手なずけ、仲良くするようにしました。
しかし、どこまでも反抗し里の人々を困らす者は仕方なく征伐しました。
とうとう大和(日本)は平和になり、伊波礼毗古命(いわれびこのみこと)は
大業をなしとげられたのでありました。
※伊波礼毗古命(いわれびこのみこと)= 神武天皇の長じられてからの名
ちなみに・・神武天皇=なくなられて後の{おくりな}です。
分かりよく書くと・・
昭和天皇の本名は「裕仁」(ひとひと)といわれます。
昭和天皇という呼び方は 亡くなられて後の「追号(ついごう)」
(住まいなどの呼び名に由来する呼び方)です。
なので・・
今の天皇陛下のことを、平成天皇とは呼びません。
正確には・・御存命の間は「今上天皇(きんじょうてんのう)」と呼びます。
神武天皇・・という呼び方もこれらと同じです。
著書に戻ります。。
日向からお供をし、命(みこと)と苦しみを共にしてきた人々も、
地元に住んでいた人々も、みな{いわれびこのみこと}をおしたいして、お住まいいただく宮居を建てました。
それは、畝火(うねび)(今の畝傍山)の東南の(今の)橿原(かしはら)の地でありました。
{いわれびこのみこと}はここに三種の神器をおまつりしおおせられました。
「日向をたち東行、大和の国をしずめる大変な大仕事をなしえたのは、
すべて天照大神(あまてらすおおみかみ)をはじめ
御先祖の神々がお守り下さったおかげです。
そして、皆が大変な苦しみを乗り越えてくれたおかげです。
このうえは、天照大神のお心に添うように、
大和の国のいしずえをしっかりしたものにするように、
お互いに豊かな心をやしないましょう。
人々がみな幸せに仲良く暮らせるようにつとめましょう。
天地四方、八紘(あめのした)にすむものすべてが、
一つ屋根の下の大家族のように仲良くくらそうではないか。
なんと、楽しくうれしいことだろうか」
と、国民のことを「おおみたから」とおおせになられ、
{みことのり}をくだされました。
そして、{いわれびこのみこと}はここに我が国第一代の天皇のみ位におつきになりました。
辛酉(しんゆう)の年 正月一日
今の太陽暦になおすと、二月十一日のことでありました。
(※今から2670年前の、2月11日・旧暦の元旦・・)
即位ののち、大業をなしとげるのに尽くした人々を{国造縣主(くにのみやっこあがたぬし)}
などにして、国民にいつくしみのお心をそそがれました。
国家統一の基礎が定まったので、鳥見の山(とみのやま)に、霊のにわ(まつりのにわ)
をたて、天照大神をお祀りになられました。
お住まいになった橿原のみやこは・・
大和平野の西にあり、飛鳥川が流れ、耳無山(みみなしやま)があり、
左に天の香山(あまのかぐやま)がそばだち、前方とおく吉野連山がのぞめます。
右方には葛城山脈(かつらぎさんみゃく)がつらなり、越えれば河内、淀川の大平野、
灘波津に出て瀬戸内海に通じています。
まさしく四方を青山にかこまれた美しい理想郷でありました。
第一代天皇は・・始くに天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)と申し、
おかくれののち神武天皇とおくりな申しあげました。
御陵は・・
畝傍山(うねびさん)の北の方、かしの尾上(かしのおのえ)にあり
と、古事記に記されています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
長くなりましたが・・出雲井さんの著書より転載。。
今日、二月十一日は・・
高千穂を出発し、七年の歳月をかけての東行を終え・・
今から2670年前に、
初代天皇、神武天皇が即位された日。
つまり、日本がひとつにまとまった日なのです。
今日は、日本にとってそのような歴史と意味のある日。。
紀元節の日。。
神社では、この日に年中行事として紀元祭が行われる神社があります。
(行われない神社もあります。行われる神社とそうでない神社は・・
どうしてこのような差があるのでしょう?)
今年の初めに、宇佐神宮にお参りした際・・
紀元祭にお参りしよう!!と決めていました(自分の中で!!笑!)
そして・・
引っ越してきてからというもの、我が家で形だけになっている神棚に・・
ご神体?(大袈裟ですね^^!)をお迎えしたい!!
と、思っていました^^!!
台所と和室に、神棚を設置しているものの・・
どのように御祭してよいものか・・分からず。
教えてくれる人もおらず、こちらから調べもせず、3年が経過していました。
台所の神棚には・・御荒神さま=火の神様、台所の神様
和室の神棚には・・天照大神・氏神神社・崇敬神社の神さまをおまつりします。
建国記念の日で祝日の今日・・
宇佐神宮では、紀元祭が行われました。
紀元祭への参加?見学?お参り?
それから・・我が家へ、御神体をお迎えする。
雨など関係ありません(+o+)
車を走らせること、一時間半・・
妄想しながら進みました。
長くなったので、続きはまた。。
あいにくの天候。
ここのところ、天気がよく雨が降っていませんでしたが、
今日は久しぶりの雨。
私は、なぜか雨の日に落ち着きます。
洗濯物は乾かないし、靴も汚れて、うっと~し~けれど・・
雨の日は落ち着く。。
そして・・
紀元節
今から2670年前の今日・・
日本で最初の天皇である神武天皇が即位されました。
即位される七年前に、高千穂を出発され・・
以下 <教科書が教えない 神武天皇 著・出雲井 晶>より、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
神武天皇御一行は、想像を絶するあらゆる困難苦しみを乗り越えて大和へ進まれました。
荒々しく刃向かってくる 八十健(やそたける)達に、
使いを出し、話し合い、手なずけ、仲良くするようにしました。
しかし、どこまでも反抗し里の人々を困らす者は仕方なく征伐しました。
とうとう大和(日本)は平和になり、伊波礼毗古命(いわれびこのみこと)は
大業をなしとげられたのでありました。
※伊波礼毗古命(いわれびこのみこと)= 神武天皇の長じられてからの名
ちなみに・・神武天皇=なくなられて後の{おくりな}です。
分かりよく書くと・・
昭和天皇の本名は「裕仁」(ひとひと)といわれます。
昭和天皇という呼び方は 亡くなられて後の「追号(ついごう)」
(住まいなどの呼び名に由来する呼び方)です。
なので・・
今の天皇陛下のことを、平成天皇とは呼びません。
正確には・・御存命の間は「今上天皇(きんじょうてんのう)」と呼びます。
神武天皇・・という呼び方もこれらと同じです。
著書に戻ります。。
日向からお供をし、命(みこと)と苦しみを共にしてきた人々も、
地元に住んでいた人々も、みな{いわれびこのみこと}をおしたいして、お住まいいただく宮居を建てました。
それは、畝火(うねび)(今の畝傍山)の東南の(今の)橿原(かしはら)の地でありました。
{いわれびこのみこと}はここに三種の神器をおまつりしおおせられました。
「日向をたち東行、大和の国をしずめる大変な大仕事をなしえたのは、
すべて天照大神(あまてらすおおみかみ)をはじめ
御先祖の神々がお守り下さったおかげです。
そして、皆が大変な苦しみを乗り越えてくれたおかげです。
このうえは、天照大神のお心に添うように、
大和の国のいしずえをしっかりしたものにするように、
お互いに豊かな心をやしないましょう。
人々がみな幸せに仲良く暮らせるようにつとめましょう。
天地四方、八紘(あめのした)にすむものすべてが、
一つ屋根の下の大家族のように仲良くくらそうではないか。
なんと、楽しくうれしいことだろうか」
と、国民のことを「おおみたから」とおおせになられ、
{みことのり}をくだされました。
そして、{いわれびこのみこと}はここに我が国第一代の天皇のみ位におつきになりました。
辛酉(しんゆう)の年 正月一日
今の太陽暦になおすと、二月十一日のことでありました。
(※今から2670年前の、2月11日・旧暦の元旦・・)
即位ののち、大業をなしとげるのに尽くした人々を{国造縣主(くにのみやっこあがたぬし)}
などにして、国民にいつくしみのお心をそそがれました。
国家統一の基礎が定まったので、鳥見の山(とみのやま)に、霊のにわ(まつりのにわ)
をたて、天照大神をお祀りになられました。
お住まいになった橿原のみやこは・・
大和平野の西にあり、飛鳥川が流れ、耳無山(みみなしやま)があり、
左に天の香山(あまのかぐやま)がそばだち、前方とおく吉野連山がのぞめます。
右方には葛城山脈(かつらぎさんみゃく)がつらなり、越えれば河内、淀川の大平野、
灘波津に出て瀬戸内海に通じています。
まさしく四方を青山にかこまれた美しい理想郷でありました。
第一代天皇は・・始くに天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)と申し、
おかくれののち神武天皇とおくりな申しあげました。
御陵は・・
畝傍山(うねびさん)の北の方、かしの尾上(かしのおのえ)にあり
と、古事記に記されています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
長くなりましたが・・出雲井さんの著書より転載。。
今日、二月十一日は・・
高千穂を出発し、七年の歳月をかけての東行を終え・・
今から2670年前に、
初代天皇、神武天皇が即位された日。
つまり、日本がひとつにまとまった日なのです。
今日は、日本にとってそのような歴史と意味のある日。。
紀元節の日。。
神社では、この日に年中行事として紀元祭が行われる神社があります。
(行われない神社もあります。行われる神社とそうでない神社は・・
どうしてこのような差があるのでしょう?)
今年の初めに、宇佐神宮にお参りした際・・
紀元祭にお参りしよう!!と決めていました(自分の中で!!笑!)
そして・・
引っ越してきてからというもの、我が家で形だけになっている神棚に・・
ご神体?(大袈裟ですね^^!)をお迎えしたい!!
と、思っていました^^!!
台所と和室に、神棚を設置しているものの・・
どのように御祭してよいものか・・分からず。
教えてくれる人もおらず、こちらから調べもせず、3年が経過していました。
台所の神棚には・・御荒神さま=火の神様、台所の神様
和室の神棚には・・天照大神・氏神神社・崇敬神社の神さまをおまつりします。
建国記念の日で祝日の今日・・
宇佐神宮では、紀元祭が行われました。
紀元祭への参加?見学?お参り?
それから・・我が家へ、御神体をお迎えする。
雨など関係ありません(+o+)
車を走らせること、一時間半・・
妄想しながら進みました。
長くなったので、続きはまた。。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます