きのうからの続きです。
Oさんからのメールはとても腹が立ちましたが、
Yちゃんはわたし以上に怒っていました。
いつもならわたしのなだめ役のYちゃんですが、
今回は立場が逆転、わたしが「まぁ、まぁ」と言っていました。
その日はふたりとも気が立っていていたので、
一晩気持ちを寝かせてから返事をしようということにして、
翌日、お詫びと旅行をやめるメールを送りました。
言いたいことはたくさんありましたが、
もうこれ以上Oさんとやり取りするのはイヤでした。
Yちゃんもわたしのあとに旅行をやめる旨のメールを送りました。
すると、またOさんからメールが来ました。
今度は実に丁寧に、「今後のふたりの人生が充実しますように。」
と結んでありました。
はぁ~ん!!! 何言ってんの!!! これって絶縁状じゃないの???
ここまでしなければならない心理はなんなのでしょうか。
Oさんの詳しい健康状態は分かりませんが、
片耳が聞こえなくなって電話をしなくなって、
手紙やメールは自己主張の重要な手段だったと思います。
手紙は投函するまで時間のフィルターがありますが、
その点メールは感情の熱は冷めないまま送るような気がします。
それと、老化現象が気持ちの高ぶりを押さえきれなくなるとも思います。
そして、いつも自分の思うとおりにならないと気が済まなくなる。
わたし自身、すごく感情的になることが多くなりました。
手が滑って物を落した、マンションであいさつの返事がない、
雨の日の犬散歩で犬たちがなかなかトイレをしてくれない、
そんな些細なことにとてもイライラします。
いずれ歯止めが利かなくなって、自分以外の人にぶつかるかもしれません。
そうなってはならないと、やさしい高齢者を目指して、
人との付き合いには気をつけるようにはしています。
でも、どうなることでしょうか。
今回のOさんからのメールは、腹も立ち、情けなくなり、悲しくもなりました。
でも、親しい付き合いの高齢者の歳をとっていく姿を見られたことは、
とてもいい経験だと思いました。
思いもよらないほど感情が押し寄せて、
やがてそれを制することができなくなる日が来るのだということを、
知ることができました。
そうならずに穏やかなまま暮らしていける人もたくさんいることでしょう。
できることなら、わたしもそうありたい、でも、それは自分では分からない。
歳をとるということは、そういうことなのだと感じました。
来年はたくさん花を見に行きたいと思います。