昭和十三年九月十八日各寮は応援団を組織した。習学寮は木造二階建てで第四寮まであった。
今までの対抗マッチが寂寞な試合状況に寮生は無関心であったので「対寮マッチであれば全寮生一致して努力するだろうという見地から団結のみを全うして「寮生相互の親善のために最適であり、対寮対抗マッチに活気あらしめんことを趣旨としたもの」で二年の委員の提案を入れて組織されたものである。
内容は寮生は全て応援団員とし、二年生より団長一名,一年より副団長一名、幹事二名を寮生の選挙によって選ぶことになった。
応援団最初の活動は二十二日の水泳の対寮マッチで例年にない活況を呈した。これまで七高のように各寮を全然独立の四ヶ寮として対抗意識を起さんと熱心に主張されたこともあった。しかしこの思想の実現、しかも有利無弊の好い実現であった。
これと共に各寮別の一寮、赤、二寮,黄、三寮、白、四寮、青の中に寮名を染め抜き型は国旗と同じであった、昭和十九年頃まで伝わっていたが以後は所在不明になっている。
一寮の赤旗だけは終戦の年にもボロボロになって伝えられたがその後これも所在不明になった各寮応援歌も作られ対寮マッチ毎に感激と協力一致は寮生の力強い叫びを胸に刻んだ。