mokoangelの青島日記

夫との7年間の中国留学を終え7月に帰国しました
これからの日本での生活を模索中です

世界遺産~都江堰①

2011-06-18 07:15:34 | 旅行

今日はいよいよ最終日です。

駅前で配られていたチラシの中から「都江堰&青城山日帰りツアー」を申し込んでいました。

しかし、よく聞いて見ると成都に帰り着くのが18時過ぎだそうで、私たちは18:25の飛行機を予約してありましたし、飛行場までは時間がかかるので急遽キャンセルしました。
迎えのバスから降りるとすぐにタクシーの勧誘員が近寄ってきました。
二つの世界遺産を巡って成都に帰るまでで350元だそうで、ツアー料金より安い! すぐに申し込みました。
こういうシステムを中国では「包车baoche11」と言います。

 

  
連絡を受けてすぐにやって来た運転手さんは谢さん。 何とも縁起の良い名前です。
給油をしながら、夫と今日の相談をします。

成都も、台湾同様バイクに乗っている人がとても多いです。  
車だとどうしても渋滞するので、通勤はバイクを使うのだと運転手さんが言っていました。


成都を7:10に出発 50K離れた都江堰に約一時間で到着です

都江堰についての詳しくはこちらをご覧下さい。



入り口近くにある記念碑の前ではひっきりなしに記念撮影が行われていて、寄りつけませんでしたので
残念ながら私たちの記念写真はなしです。

 

1 2 3 4 
1;「都江堰」と書かれた入口(私たちはここから入ります)  
2;①のずっと右手に「南桥」と書かれた立派な門もありました。
3;中はやはり広~いです。 4;正面には面白い形をした噴水もあってとても気持ちが良い!    

 

 園内バスに乗って移動します。 乗り場は長蛇の列。

 岷江(川の名)を渡り「魚嘴」に至る吊り橋「安瀾橋」。
安瀾橋は宋代に建設された時は竹や木ででき長さ 500 m ほどの吊り橋であったが末期に戦火で焼失し、清代後期に再建された。 中国古代五大橋梁の一つと言われています。

 風があったせいか、中央付近に来るととても揺れます。
多分皆さんには想像ができない程の大きな揺れで、ロープに掴まっていないと転びそうです。
私は果敢にチャレンジしてみましたが、掴まらず最後まで渡ることはできませんでした。
乗り物酔いをする夫は帽子が風に飛ばされないように手で押さえて恐る恐る渡ります。

 

魚嘴付近の風景
1 2 3 4 
1;魚嘴の説明が書いてある碑 
2;碑には中国語、韓国語、日本語で説明が書かれています。一番下が日本語です。
3;「離堆」と呼ばれる付近
4;近くにある堰

 

宝瓶口は流入する水量を調節する堰で、口の形が瓶のネックのような形をしているのでこの名がついた。内江の水は宝瓶口から四川の西の平原に流入し、農業用に使用されている。玉塁山を切り開いた丘の部分は「離堆」と呼ばれる。


魚嘴は江心の分水堤防で、岷江を外江と内江に分けるもの。外江は排水用、内江は灌漑用に引水している。

飛沙堰は排沙と水量調節の役割を果たす。

 

生憎お天気が悪く写真がはっきりしませんが、ここに立って滔々と流れる水を見ていると、最近しょっちゅうテレビから流れてくる各地の「渇水のニュース」が嘘のように思われます。

 

魚嘴の説明を読むとこれを作るのには大変な年月と苦労が必要だったようです。

何時の世にも、人々をより幸せにするために懸命に働かれた人が居ます。


満ち足りた今の世でも、何か少しでも他の人の幸せの為にできることがあればいいなぁと思います。

 

 

次は公園内に整備されている古跡を順番に回る散策コースを回ります。

 


続・喜びと感謝の日!

2011-06-16 14:07:20 | 学校

学校で・・・・・・。

1時間目の休憩時間、隣の席のMちゃんが、「ばぁば、お誕生日おめでとう!」と、差し出したのは・・・

  

1箱のチョコレートとバースデーカードです。
このカードを読んで、私は感激で胸が熱くなりました。 
1時間目の授業で、彼女は宿題をしてきていなかったので、私は彼女を「どうしたの!?」と叱った?のです。
宿題そっちのけにして、このカードを書いていてくれたのですね。 ありがとうMちゃん!
彼女はとても日本語に興味があって、一生懸命に独学をしています。
日本人の同学に助けて貰ったと言っていましたが、これだけ書くのはどれだけ大変だったことか、想像ができます。

老師が来られて「どうしたの!」と聞かれたので、「今天我的生日!」と、彼女の書いたカードを見せました。
L老師は日本で交換教授として教鞭をとったことがあるので日本語が分かります。

 

そろそろ授業が始まろうかと言う時・・・・
同学のJ君とS君がこの箱を捧げて教室に入ってきました。

二人は下にある購買部でお菓子を買って、この様にデコレーションして「这是你的生日礼物!」 「これは誕生日のプレゼントです」と、私に渡してくれました。

「ひゃ~!」 余りの嬉しさに言葉もありません。

私は授業中なのを忘れて、「皆で食べよ!」 「記念に写真を撮ろう!」と、おおはしゃぎです!

L老師が「皆で歌を歌おう!」と言われ、「祝你生日快乐!」を皆で歌ってくれました。

「今天我是世界上最幸福的学生,谢谢!」 「今日、私は世界中で一番幸せな学生です! 有難う!」と、皆にお礼を言いました。

 

2時間目の休み時間には前学期の同学のC君が・・・・・・

「お花かケーキを買ってきたかったんだけど、時間が無くて済みません!」とお菓子を持って訪ねてくれました。

こんなに沢山のお菓子をどうしよう・・・・・・構わない! 幸せ太りになりましょう!

 

思いがけず、クラスのみんなに誕生日を祝ってもらえて、こんなに嬉しいことはありません。

お返しは・・・もっと一生懸命に勉強して・・・いや、少し落着いたら日本のお寿司でも作りましょうね!


喜びと感謝の日!

2011-06-16 07:50:28 | 日々の出来事

今日は私の65回目、55歳の誕生日!!!


今年も無事にこの日を迎えられてよろこんでいます。

でも、楽しみにしていた恒例の「京劇観劇」も豪華な食事(これは夫の希望)もお預けで・・・。

 

 

色んな方から寄せられた祝福のメッセージ・・・・・・有難うございます!

これからも新しい自分の誕生に向かって頑張って歩いて行きましょう!

私の青写真上では後55年残っているのだけど~(ふぅ)

 

毎日を喜んで、楽しんで、感謝して・・・過ごしましょう!

きっと素晴らしい最高の自分が待っているよ!

!!!は私の希望の印です。

 

 

     「いつも心はルンルン!!!」


  世の中がどんなに暗くなっても・・・
  いつも心はルンルン・・・

  誰かにどんなに言われようが・・・
  いつも心はルンルン・・・

  失敗しようが、挫折しようが・・・
  いつも心はルンルン・・・

  どんなに落ち込んでも・・・
  いつも心はルンルン・・・

  わたしたちの内側には、いつもいつもルンルンと輝いている
  存在がいます。

  この存在こそが本質のわたしなんです。

  だから・・・
  何があっても大丈夫!!!

  信じましょうね。
  自分の内なる力を・・・
  自分の内なる輝きを・・・

  楽しんで毎日の体験を味わいましょうね!!!

  今という時は今だけ・・・
  過去への思いや未来への思いは手放しましょうね。
  今ここ・・・を大切にね!!!

  ありがとうございます。

  ルンルン・・・

 

 

 

 

この詩は私の心友が紹介してくれた「自分と言う青い鳥」と言う詩集の中の1篇です。

私を愛していて下さる皆さま、私が愛する皆様に感謝のプレゼントとして捧げます



東日本大地震その後~T夫妻の奉仕

2011-06-14 20:59:45 | 日々の出来事

最近又、日本で震度3の地震が起こっているようですね。

東日本大震災が起こってもう(まだ?)3か月、あんなに大きな衝撃でしたのに、中国に居る私たちには遠い昔の出来事のように感じられるようになっています。

先週末に広島の友人Tさんからメールが届きました。

彼女も私たちの集っている教会の会員です。
地震が起こってすぐに教会では支援物資を集め、又、子どもたちに手作りのバックを作りました。

お二人は広島で集めた物資を持って、すぐに福島に向かわれました。
その時は、娘さんが福島で宣教師として働かれていたので心配で行かれたのだろう、私も彼らの立場だったらそうするだろうなと、思いました。

 

「皆さんの善意の物資を眠らせておくことができないと毎週、光ワードの駐車場に積み上げられた物資を見ながら考えていた私たちですが、昨日朝、残りの救援物資(不要と断られた物や、前回届けることが出来なかった物)を積んで、夫は単身、車で再び福島に行きました。私は前回の時の車のシートの角度のせいかぎっくり腰になり、先週から再発したために諦めました。(正確には夫に諦めてもらいました。)

今回は救援物資が行き渡らない老人福祉施設や自宅で生活しておられる沿岸部の被災者に配って回ることになっていました。
今日一日、夫の友人が毎週奉仕で行かれている地域に一緒に出向き、福島の沿岸
部を走ったようです。・・・・・・。」


このメールを読んで、私は少なからず衝撃を受け、突然「言うは易し行うは難し」と言う言葉が浮かんできました。

お二人は教会の指導者の立場にあるとは言いながら、2度までも福島に足を運ばれたのです。

思いはあっても実行に移すのはなかなか困難です。
本当に被災地の方々のことを想い、集まった支援物資を無駄にしたくないと言う、お二人の愛と奉仕の心に感動を覚え、感謝しました。

 

 

加えて、添付されていた写真を見て、被災者の方々はまだこんな状態の中に居るのだと胸がふさがれる思いがしました。

 

Tご夫妻、本当に有難うございます。

実践の模範を頂き、どんな思いも行って初めて価値があるのだと改めて思いました。

これから、私たちのなすべきことを見つけていきたいと思います。


今、一つだけはっきり分かっていることは、「被災地や被災された方々に関心を持ち続けていく」と言うことです。


とても嬉しい来訪者

2011-06-13 06:40:16 | 日々の出来事

この土日に、広島時代の友人Nさんがわが家を訪ねて下さいました。

彼は広島の大学で英語を教えていらっしゃって、授業でsign yanguage(手話)について触れる機会が会った時に私は依頼を受けて彼のサポートととして何回か大学に伺って「日本の手話」について学生さんにお話をしたことがあります。

退官後、ハルピンの大学で日本語教師をしていらっしゃったのですが、今年の7月で日本に帰られることになったのです。
大連時代も1度我が家を訪ねて下さり楽しい時間を過ごしたこともあり、帰国される前にもう1度お会いして色んなお話を伺いたいと思っていたのです。

彼が時間を都合して下さり、思いがけず早く実現しました。

土曜日の午後は夫が市内を少し案内し、夕食を食べながら楽しい時間を過ごすことができました。

 

翌日曜日は安息日(私たちは同じ教会に集っていて、彼は敬愛する大先輩)ですので、我が家で3人の聖餐会をします。
彼は英語が堪能なので北京とも密に連絡を取っておられ、中国の教会の事情にも詳しいのです。

 有料のスカイプで中国の支部の聖餐会が繋がります。
 私のPCでもスカイプはできますが、有料には登録していないので彼のスカイプをログインし使用します。

 ログインが無事終了し使用できることを確認後、状況の説明をして頂きました。

聖餐 いつもは二人だけの申し訳無いほど簡単な聖餐会なのですが、今日は二人の神権者によって執り行われる聖餐を頂きます。

PCから流れてくる声はみな英語です、ところどころ「あっ、解かる!」と言うこともありましたが、全て単語レベルの理解力です。
学生時代は英語は大好きで得意な教科でしたのに・・・やはり、英語はもう1度学び直す必要があると実感(何度決心したことか)しました。

久しぶりに伴奏付きで讃美歌も気持ちよく歌えました。

 大連時代はPbに大変お世話になり、青島に来て一切事情が分かりませんでしたので、Nbに色んなお話を伺いとても嬉しく思いました。
彼が北京に青島で二人で聖餐会を行っていることを報告して下さるとおっしゃっていましたので、これから少し情報が入って来るかもしれません。



もう少しゆっくりして頂きたかったのですが、お昼の便でハルピンに帰られるNbと名残を惜しみ、また日本での再会をお約束しました。


お忙しい中、わざわざのご来訪有難うございました。

いずれ必ず大阪をお訪ねします!  

それまでお元気にお過ごし下さいね!


成都観光~文殊坊

2011-06-12 16:33:59 | 旅行

文殊院の周辺一帯は歴史文化保護区として再開発がなされ「文殊坊」と呼ばれています。ここは、成都の古い建築様式の街並みが再現されていて、そこには土産物屋や食べ物屋が立ち並び、伝統工芸品の作成実演や縁日などの催し物も行われています。
さらに「麻雀と茶文化博物館」も作られ、観光名所となっています。

 

     

文殊坊の昔の街並みの建物

 

 

 ここ「龍抄手」の担担麺はとても美味しいので有名なのだそうです。

「陳麻婆豆腐」は麻婆豆腐の元祖と言われているらしいのですが、私は別の説を聞いたことがあります。

 

右の壁に貼られた説明を読むと、明朝末に建築されたもので、「四川歴史上一番早い尼さんの十方密林となる」と書かれてあります。
「十方密林」とは仏教用語みたいですが、どういう意味なのか・・・?

 

とても大きなレストラン。  外からでも魚が泳いでいる水槽が見えます。

 

「麻雀と茶文化博物館」があるそうなのですが、見落としていたようです。

 

石に刻まれた文殊坊の案内図

     
街の所々に石で作った工芸品が置かれています。 多分新しいものでしょうが、なかなか面白い!

 

一通り古い街並みを見物し終えた後、土産物屋や食べ物屋が並ぶ筋にきました。

歩き回って喉が渇いてきました。 ちょうど美味しそうな果物をパック詰めにして売っている人が居ました。
グレープフルーツを試食するととても甘くて美味しい! 1パック10元は高いと思いましたが買って食べました。

ここで残念ながら私のカメラのバッテリーが切れて撮影が不可能になりました。

 


【おまけの話】

観光が終り、まだ陽が高いのもあって、ホテルまで歩いて帰ることにしました。
夫のカメラを借りて街の風景を納めながら歩いていると、素敵なご婦人が歩いています。
よく見ると素敵な中国服を着ています。

思わず近寄って、「お洋服が素敵なので写真を撮らせて頂けますか?」(今から思うととても失礼な言い方です)とお願いします。
快くOKして下さいましたので、慌ててシャッターを切った一枚です。 
その時は気づきませんでしたが、写真を見るとお子さんもなかなか素敵ですね。

 


明日はいよいよ最終日です。
世界遺産の都江堰と青城山を観光します。


成都観光~文殊院

2011-06-10 11:08:04 | 旅行

文殊院は南北朝時代に創建された仏教寺院です。四川省はもともと仏教が盛んでしたが文化大革命の時に成都市内の仏教寺院は徹底的に破壊されてしまい昔の姿が残っているのはここだけなっています。境内には200 体あまりの仏像があり、中でも説法堂に安置されている鉄製仏は宋代に鋳造されたものとして非常に貴重なものとなっています。  [出所:] 中国総合情報サイト
   

 

中国に来てこの色彩の組み合わせがとても好きになりました。  
文殊院と書かれた表札ともマッチして落着いた素敵な門標です。

 

 入場券を売って居る所は見当たらず入口付近には人が憩っています。
どうすればよいのか聞くと、やはり「あっち!」 指さす門を潜ると賽銭箱のようなものが置かれていて、係員の方か「5元!」とそこを指さします。 



入ると正面にこの長廊があり石碑や書が沢山並んで居ます

 

 小山門を入ると右手に見えた钟搂(鐘撞堂)


     

左手にこのここのシンボル的な千仏和平塔が見えます。  

 

   

   

ここは四大修行道場の一つで、現在も80人以上の出家僧が在籍しているそうです。
それで居住部分の他に、沢山の名前の付けられた部屋があちこちにあります。 

       

建物の屋根の上には全てこのような「戒」と言う字の書かれた飾り?が付いていました。
どういう訳で付けられているのか定かではありませんが、今まで回ったお寺にはありませんでした。

 



 

     

 

「書画院」の看板が掛かっていますが、「琴館」の看板もあります。
看板の字に惹かれてシャッターを切りましたが、中に入って見ませんでした。 これも後悔しました。

   

中国の精進料理食べられるお店もです。  私はとても興味があるので一度食べてみたいのですが、夫が全く興味が無いのでいつも素通りです。

 中国茶を出しているお店。 私たちは緑茶を頂けないのでここも素通りしましたが、花茶などカフェインの入っていないお茶も飲めたのかなぁと、後で気づきました。

 

  

園林に続く道はとても静かで趣があります。


不思議?
   

何処の建物の前だったでしょうか、沢山の白猫が憩っていました。 ここにだけ、何故でしょう?
珍しく線香立ての前に、何かの木で作られたアーチがありました。
また、ここには綺麗な擬宝珠が一株だけ。

 

      阿弥陀仏と後ろに安置されていた仏像

 

  三叉路に来ました。 
↑文殊院上客旅館 ↖文殊閣 ←園林 の立看板があります。 これから園林に入ります。

園内の東屋では沢山のお年寄りが楽しそうにおしゃべりをしています。

 

 

 

下が講堂で上が図書館になっています。 

葉で覆われた面白い灯篭がありました

 

出入口付近にある钟楼(鐘撞堂)

 

 サムネイルのままにしておきますので興味のある方は拡大してご覧下さい。

下調べをせずに行きましたが、敷地が驚くほど広く色んな建物が建っていて、実際に修行僧が生活をしているせいが、単なる観光地のお寺という感じがなく、とても興味深いものがありました。
特に園林内はとても落ち着いた雰囲気で、身も心もゆったりできる場所でした。

 

次は文殊坊に行きます                                                     


バスで成都へ~四川大地震の爪痕

2011-06-10 09:36:40 | 旅行

6時発の成都行の長距離バス(私たちは6時半にホテルの近くで乗ります。中国のバスは席さえ空いていればどこででも乗せてくれます)に乗るために5時起きです。 
フロントの女性が心配したのか6時前に部屋をノックしてくれました。  
すぐに下りて行き精算を済ませ、バスを止めて私たちを乗せてくれると言う男性に連れられてホテルを後にします。

 フロントの女性;いろいろお心遣い頂いて、有難うございました。

  

早朝なので周りの店はまだシャッターを下ろしたままです。(チベット族のお店のシャッターは特徴があります)
私たちの他にも何人もバスを待っている人たちが居ましたが、おじさんはずっとバスに乗るまで一緒に居てくれました。
何時か(秋に)もう一度必ず来ますから、その時はよろしくお願いします。

少し遅れてバスが来ましたが、見ると満席状態です。フロントから電話を入れて貰っていたおかげで席はありました。
予約入れてなくて乗れなかった人たちがいたんじゃないかな?

 

暫くはこの様な長閑な風景の中をバスは走ります。

. 

約2時間ほど走って小さな集落があり、お店も開店し始めていました。

 

更に30分走ると、建物の様子が少し変わってきました。 
石垣が特徴的で家々の傍には沢山の木材が積み上げられています。(燃料でしょうか?)

 

 更に30分走った、この集落で2度目のトイレ休憩です。ここの建物は全て煉瓦造りです。



これ白いヤクに乗って歩かないかとおじさんが誘ってきます? 
黒いヤクしか見たことが無いのですが・・・こんなに肥っていて人を乗せて動けるのかな?

 

     
 

出発から3時間経過する頃から、四川大地震の跡と思える光景が見え始めました。
橋が崩れたのでしょうか、架橋工事があちこちで行われています。
山肌に地崩れの跡らしきものが残っています。
山に植えられた木がまだ細くて小さい所が何か所もみられました。

反対側の窓でしたので写真は取れませんでしたが、言葉は定かではありませんが「四川大地震記念」と書いた看板が立っていたのを目にしました。

  

 車窓から面白い陸橋が見えました。

 

汶川(wenchuan41)と言う所で車は停まり小休止です。
夫が気付いてシャッターを切って置いた標識には震源映秀と書いてあります。
映秀と言う所が四川地震の震源地なのですね。

ここに来る手前に、地震で小学校が潰れて児童に大きな被害が出て、日本でも大きなニュースになった小学校があったそうで、「新しくなってたよ! 良かったね!」と言っていました

震源映秀の上には大禹故里と書いてあります。

大禹
中国古代、夏(か)王朝の始祖とされる伝説上の帝王。姓は姒(じ)、名を文命ともいう。父鯀(こん)の業を継いで治水に成功。舜(しゅん)から帝位を譲られた。



この像は大禹の像です。 中国では有名な人らしく皆記念写真を撮っています。
周りには特産のサクランボ売りのおばさんやお姉さんが沢山いました。 500g20元は中国の果物としては高め。

 

 もう5時間以上走った地点でもこの様な状態の所が残っています。
架橋工事も行われています。  この辺も地震の影響が大きかったのでしょうか?

  

この川の付近では川砂を採ったり、山から採石したりしているようでしたから地震の痕跡と見誤ったところもあるかもしれません。
これは明らかに採石の後ですね。



ずっとうつらうつらしていて気付くと外の様子が全く違っていました。  もうすぐ終点です。


手元不如意で節約の為バスで成都まで帰ることにしましたが、思いがけず四川地震の傷跡を見ることができました。
四川地震からはもう3年の年月が経っているのですが、まだ完全に復興したとは言い切れないようでした。

日本も東北大震災で被災された方々のこれからのご苦労も計り知れない物があると思います。
まして放射能の問題を考えると心が滅入ってきますが、出来る限りの応援をしていかなければならないと改めて感じました。

 

8時間以上かかってやっと成都のバス終点に到着です。

ホテルに戻り、文殊院観光に出かけます。


辛くて嬉しい日

2011-06-09 23:08:43 | 日々の出来事

6月6日(月)は中国は端午節で学校はお休みでした。

火曜日の早朝、中国人の友人Lさんが「昨日、持ってこようと思っていたのだけど、帰宅が遅くなって来られなくて・・・。」と、粽を持って訪ねてくれました。

 

そうです、去年の端午節も 一昨年の端午節も 楽しい嬉しい端午節でした。

今年は・・・・・・骨折して動けない! 粽も食べてな~い!  ちょっと淋しい端午節を過ごしたのでした。

Lさん有難う! 授業の前にわざわざ寄ってくれて嬉しかったよ!

 

後々のことを考えて1週間は安静にしていようと学校を休んでいる私にはとても辛い日!

痛いのは足だけだし、溜まっている旅行記をブログにアップできるぞ!と張り切ってみたものの、皆、今頃なにやってるのかなぁ?

そうだ、一人でも勉強しよう・・・なんて、殊勝な心がけ!・・・でも、楽しくない! 学校に行きたいな!

 

時間は過ぎていき、授業が終わる時間がきました。

帰ってきた夫に粽を一つチンして貰いお昼ご飯に食べました。  美味し~い!

 

私の携帯が鳴り、隣の席のMちゃんが「今から行っていいですか? すぐ帰りますから!」との事。

すぐに彼女は大きな西瓜を抱えてやって来ました。

「バァバが居ないとつまらないよ、面白くない!」と言って少し涙ぐんだように見えました。

何と嬉しいことでしょう! 

私は一人でつまらないと思っていたのですが、同学も私が居なくてつまらないと言ってくれています。

 

足が痛くて、学校に行けない辛い日は、粽と西瓜でとても嬉しい日になりました!


チベット族の民族芸能を鑑賞

2011-06-09 08:32:57 | 旅行

運転手さんに「素晴らしいので是非観て帰るように!」と言われていたチベット族の歌や踊りを観たいと、九寨沟からの帰りに彼に教えて貰った劇場に足を運びますが、何とも不親切な対応でどうしたらよいのか分かりません。

ホテルに帰って夫が明日の手配の相談にフロントに出向いたところ、フロントの女性が全部段取りを付けてくれ無事チケットも手に入りました。

 

中国には沢山の少数民族が居て中国の少数民族、それぞれ独自の文化を形成し生活しています。
チベット族もその一つですが、私にはダライラマくらいの知識しかなく、これを機会に詳しく調てみました。
興味のある方はこちらからご覧下さい。 チベット族について。 チベットの風俗・習慣について。 

以前、丹東を旅行した時満州族の芸能を観に行きました。  
それは無料で見物できたのですが、今回は一人150元です。 どんなものなのか期待が湧いてきます。

入場券

 

 2 3 4
1;九寨沟藏谜大剧院の正面 2;時間が来るまで大きな柱に腰かけて休みます
3;7時きっかりに扉が開きました。 4;結構大きな劇場です。 受付には色んな出し物のポスターが貼ってあります。

 

 
私たちの席は1区の前から6列目の35号です。  
傍に素敵な衣装のに可愛い案内嬢が立っています。 

そう悪い席でもなさそうですが、中央の席はがら空きなのでいくらするのかと聞くと大きなホテルが押さえているようで、知らないと言います。
開演の7時半を過ぎたころには満席になりました。

 

 
会場から開演まで、舞台上では静かな音楽に乗って数人の男女が歩きながら中央の筒状の物を手で回しています。
時折男性が登場して、ほら貝のようなものを吹きました。(右)

 

日本で言う狂言回しのおばあさんが出てきて何か話し出しました。 よく分かれませんでしたが、これから演じるものの説明でしょうか?

 

 

おばあさんの話が終わると、突然客席の通路から音楽に乗って大勢の人たちが登場です。

そして皆さんもご存知の五体投地の方法で礼拝をしながら去っていきました。
お婆さんが連れているのは本物の山羊です。 これが所々でとても良い演技をして皆を湧かせました。

 



皮きりはギターのような楽器を弾きながらの若い男性の歌。 服装も決まっていて・・・思わずカッコイイ~!

    

長袖舞 長袖の衣装はチベット族の民族衣装です。  華麗な舞にうっとりです!


  

 裸麦(青稞)の刈り入れの踊り

 

 ハスの花の母(仏様のことでしょうか)

 
とても幻想てきな歌でした。

 

 
 牦牛(ヤク)の踊り  先ず男性が民族楽器の伴奏で歌を歌います

 
沢山のヤクが登場し踊り回ります。 多分色んな意味があったのでしょうが残念ながら分からず・・・。
写真右は1頭だけ外れて隅の方ですねています。  皆大笑い!

     



辞書で調べても電光掲示板の中国語の意味がよく理解できませんが、「打」が付いていることから推察して、皆で道普請か石壁を作っているのではないかと思います。

 

 電光掲示板には被っている帽子の説明が出ています

白い帽子
;甘粛甘南のもの  弓矢の帽子;チベットの日喀则のもの  三角の帽子;チベットの那曲のもの 
円盤型帽子;チベットの山南のもの  赤い帽子;青海康巴のもの  銀の器型の白い帽子;四川康巴のもの



最初に若い女性が舞台の下で機織りをしていました。  織り上がった反物を若者の腰に巻きながら二人で舞います。



赤い帽子の写真が見当たりませんね。  どれがどの地方の物かお分かりになりましたか?

 夏拉舞(寨塔地区民間舞)

余り意味のよく分からない踊りでした。

 

     

pageantoryでお分かりのように、上から舞い降りてくる雪の中で色んな服装をした男女が歌いながら舞います。

 

 輪廻の夢   

狂言回しのお婆さんが極寒の中を彷徨いながら連れている山羊をかばって自分は凍死してしまう。
周りの者は彼女を手厚く葬り、仏様は彼女を優しく天国へ迎え入れる。

 

彼女の死でこの物語は終わりです。 チベット族の宗教、芸能、風俗、習慣などが全て織り込まれた素晴らしいエンターテイメントだったと思います。

 

フィナーレ

彼らは観客が席を立ち、去っていくまで舞台の上からに送っていてくれました。

とても感動的な藏谜でした!

 


明日は早朝のバスで成都へ移動します。