mokoangelの青島日記

夫との7年間の中国留学を終え7月に帰国しました
これからの日本での生活を模索中です

世界遺産~都江堰①

2011-06-18 07:15:34 | 旅行

今日はいよいよ最終日です。

駅前で配られていたチラシの中から「都江堰&青城山日帰りツアー」を申し込んでいました。

しかし、よく聞いて見ると成都に帰り着くのが18時過ぎだそうで、私たちは18:25の飛行機を予約してありましたし、飛行場までは時間がかかるので急遽キャンセルしました。
迎えのバスから降りるとすぐにタクシーの勧誘員が近寄ってきました。
二つの世界遺産を巡って成都に帰るまでで350元だそうで、ツアー料金より安い! すぐに申し込みました。
こういうシステムを中国では「包车baoche11」と言います。

 

  
連絡を受けてすぐにやって来た運転手さんは谢さん。 何とも縁起の良い名前です。
給油をしながら、夫と今日の相談をします。

成都も、台湾同様バイクに乗っている人がとても多いです。  
車だとどうしても渋滞するので、通勤はバイクを使うのだと運転手さんが言っていました。


成都を7:10に出発 50K離れた都江堰に約一時間で到着です

都江堰についての詳しくはこちらをご覧下さい。



入り口近くにある記念碑の前ではひっきりなしに記念撮影が行われていて、寄りつけませんでしたので
残念ながら私たちの記念写真はなしです。

 

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1;「都江堰」と書かれた入口(私たちはここから入ります)  
2;①のずっと右手に「南桥」と書かれた立派な門もありました。
3;中はやはり広~いです。 4;正面には面白い形をした噴水もあってとても気持ちが良い!    

 

 園内バスに乗って移動します。 乗り場は長蛇の列。

 岷江(川の名)を渡り「魚嘴」に至る吊り橋「安瀾橋」。
安瀾橋は宋代に建設された時は竹や木ででき長さ 500 m ほどの吊り橋であったが末期に戦火で焼失し、清代後期に再建された。 中国古代五大橋梁の一つと言われています。

 風があったせいか、中央付近に来るととても揺れます。
多分皆さんには想像ができない程の大きな揺れで、ロープに掴まっていないと転びそうです。
私は果敢にチャレンジしてみましたが、掴まらず最後まで渡ることはできませんでした。
乗り物酔いをする夫は帽子が風に飛ばされないように手で押さえて恐る恐る渡ります。

 

魚嘴付近の風景
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1;魚嘴の説明が書いてある碑 
2;碑には中国語、韓国語、日本語で説明が書かれています。一番下が日本語です。
3;「離堆」と呼ばれる付近
4;近くにある堰

 

宝瓶口は流入する水量を調節する堰で、口の形が瓶のネックのような形をしているのでこの名がついた。内江の水は宝瓶口から四川の西の平原に流入し、農業用に使用されている。玉塁山を切り開いた丘の部分は「離堆」と呼ばれる。


魚嘴は江心の分水堤防で、岷江を外江と内江に分けるもの。外江は排水用、内江は灌漑用に引水している。

飛沙堰は排沙と水量調節の役割を果たす。

 

生憎お天気が悪く写真がはっきりしませんが、ここに立って滔々と流れる水を見ていると、最近しょっちゅうテレビから流れてくる各地の「渇水のニュース」が嘘のように思われます。

 

魚嘴の説明を読むとこれを作るのには大変な年月と苦労が必要だったようです。

何時の世にも、人々をより幸せにするために懸命に働かれた人が居ます。


満ち足りた今の世でも、何か少しでも他の人の幸せの為にできることがあればいいなぁと思います。

 

 

次は公園内に整備されている古跡を順番に回る散策コースを回ります。

 


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
行ってみたい場所 (ノエル)
2011-06-20 13:27:55
こんにちは。
「都江堰」は中国の歴史のすばらしさを思わせてくれるものですね。現在も使われていて、四川盆地を中国の穀倉地帯にした水利施設。現在のようにコンクリートや鉄をわず、重機などない時代に、自然の力を利用したこういうものを考え、作り出したということは本当に偉大だと思います。モーターなどで水をくみ上げたりするのでなく、広大な土地を灌漑することは今の時代には考えつかないえしょう。原子力発電をはじめ電気エネルギーがなければ生活が成り立たないと思い込んでいる私たちは、この、2000年以上も前の人が考え出したこういう水利施設をどう考えたらよいのでしょうか。
行ってみたい場所のひとつです。
                  ノエル        
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ノエル様 (モコポリ)
2011-06-20 20:41:42
中国は何処に行っても歴史を感じて感動しますが、魚嘴の前に立った時には「これなんだろう!?」と説明は読んでいたものの感慨深いものがありました。
今でも世界中の研究者たちが訪れているのも不思議ではありません。
これからも単に観光するのではなく、こういう先人の英知に学んでいきたいと思っています。
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