足を傷めている私は未だ外出が出来ないで居ます。
いまだに春節を祝って爆竹や花火が賑やかに打ち上げられ、「落ち着いて勉強!」という気にもなれないで居ます。
「DVDでも観たら!?」 「今観てるけど、これ面白いよ! 泣けるよ!」
夫が声をかけてくれました。 私と夫は趣味が違うのですが、その時夫が観ていたのは「大地の子」でした。
随分前の「NHK70週年記念番組」日中共同制作ドラマです。私も観たいみたいと願っていたのですが、なかなか機会に恵まれずまだ観ていませんでした。
早速観始めましたが途中で止められなくなった私は第1部から第11部まで(DVD6枚)を二日で観終わってしまいました。
悲惨な戦争を生き抜いた人々の苦しみと
戦火の中でも消えなかった大地の人々の恩愛を
永く心に刻み
日中友好の証として捧げます
ドラマは作者山崎豊子さんのこの言葉で始まります。
敗戦直後に祖父と母を喪い、妹と生き別れになった日本人残留孤児で、中国人の教師に養われて成長した青年(陸一心)のたどる苦難の旅路を文化大革命下の中国を舞台に描く大河ドラマです。
観つづけて居るうちに、私はこれは単に「戦争孤児の苦難を描いたドラマ」ではないと感じていました。
辛い日々の中で一心を支えたのは、養父・陸徳志の温情と、重病の自分を助けてくれた看護婦・江月梅への思いでした。
他にも逃避行の際に出会った力本、日本語を学ぶように勧めた黄書海。
どんなに辛い時でも、彼は諦めず自分を信じ彼らを信頼したからこそ新しい道が開けて行ったのです。
私も彼らの中にある資質を身につけたいと思いました。
最後に、二人の父への愛情に一心の心は揺れ動くが、彼は苦悩の末、
涙ながらに「私はこの大地の子です。 ...」と、
日本に帰ってくるように誘う実父に伝えます。
私はこの決心に拍手を送りました。 自分を育ててくれた養父母の恩愛に応え、自分を鍛え育んでくれた中国の地に感謝して生きると言う彼の気持を感じたのです。
今、私たちも遠く中国の地に居て、違った思いで愛する家族や友人を思っています。 いつも会う事はできませんが、思いは以前より強いのです。
彼らの存在が慰めや励ましになっていることを強く感じています。
これからもどんな状況下に居ようとも、諦めずに懸命に生きていかなければならないと思っています。
そうすることが今まで私を愛し助けてくださった方々への感謝御礼になると思うのです。
「大地の子」を観ている内に、ずっと以前に読んだ「流れる雲は生きている」と言う小説を思い出していました。
読んでいる時は感動し、涙を流していました。
今、「大地の子」を観て感動し涙した私が居ます。
この間どれだけの時間があったでしょうか。
私は何に感動し、涙をながしたのでしょうか。
そんな私を内省しています。
「引揚者」・「残留孤児」・「戦争責任」・「二つの中国」・・・
中国の地にいて、今まではどれも真剣に考えていなかった自分を恥じています。
これからは関心を持って、よく知るように努めます。
何が出来るか分かりませんが、そうする事でふとした時にお役に立てることがあ
るかもしれないと思えるのです。
未だ読んでいない方に「流れる雲は生きている」の内容を少し紹介します。
お勧めの一冊です。
昭和二十年八月九日、ソ連参戦の夜、満州新京の観象台官舎—。夫と引き裂かれた妻と愛児三人の、言語に絶する脱出行がここから始まった。敗戦下の悲運に耐えて生き抜いた一人の女性の、苦難と愛情の厳粛な記録です。
作者の“藤原 てい”さんの紹介
1918年、長野県生まれ。県立諏訪高女卒業。1939年、のちに作家となる新田次郎氏と結婚。43年に新京(現在の長春)の観象台に赴任する夫とともに満州に渡る。敗戦後の45年、新京から愛児を連れた決死の引き揚げを敢行、辛うじて帰国に成功する。その体験を記した『流れる星は生きている』は、敗戦下の苦難の脱出行を活写したすぐれた記録として、戦後空前の大ベストセラーになる
因みに陸一心が進学した大学の舞台は大連でした。
彼が初恋の女性と語らうシーン“老虎灘”は私たちも何度も足を運んだ大きな虎の彫刻がある公園で有名な観光地です。 観ていて懐かしく嬉しくなりました。
“長春”も“内蒙古”も未だ行っていないので「大地の子」のロケ地を巡る旅を夫に計画して貰おうかと考えています。