mokoangelの青島日記

夫との7年間の中国留学を終え7月に帰国しました
これからの日本での生活を模索中です

龍門石窟~世界文化遺産

2009-10-31 22:13:50 | Weblog
Longmen Grottoes Pano.JPG
        対岸から望む石窟郡(拝借写真)
洛陽はBC770年に周の都が置かれて以来、北魏、隋、唐など9王朝の都が置かれ、「九朝古都」とも呼ばれる。広い盆地にあるが、山中や川沿いの狭い道からしか入れず、守備に適していたからだ。
とくに洛陽から南へ14km、伊河に石灰石の山塊、東からは香山、西からは竜門山が迫るあたりは、天然の”城門”になっていた。
北魏の洛陽遷都(AD494年)ころから、その石灰岩の山腹に石仏が彫られるようになった。
竜門石窟は、敦煌、大同と並んで中国三大石窟に数えられる。
宋代まで、歴代の皇帝、貴族、豪商らの寄進で造営された石窟は2354窟、仏塔40余基、仏像10万体に上る。


入場券に印刷された、竜門石窟の代表とされる竜門山中央の岩壁に彫られた
奉先寺洞の廬舎那大仏像

ここからバスに乗って石窟まで行きます。かなり広いです。

大きな石窟には名前が付けられていますが、不勉強でよく分かりません。



見物客はこんな階段を歩いて、岩壁の石仏をたどって行きます。



記念撮影用?の蓮台に座って、仏様気分?


とても悲しかったのは、顔の削り取られたものや頭のない石仏が沢山あった事です。 破壊が酷いのは長い歴史の中で、仏教を禁止した王朝があったり、1930年代に酷い盗掘があったりしたからだそうです。


私がカメラを向けているのは、伊河をはさんだ対岸の香山寺です。ここからは、石窟群が蜂の巣のように見え(最所の拝借写真)、霞んでいたので写真でははっきり分かりませんが川辺の風景は抜群で、則天武后は千騎を従えてここに登ったそうです。ここの素晴らしさは唐の詩人、杜甫や李白もこの地を訪れて詩を詠んでおり、白居易は晩年をこの寺ですごした事でも分かります。



いよいよ最後の「少林寺」です。

「華山 フアシャン」

2009-10-27 13:53:41 | Weblog

昨日は6時半にはホテルに着く予定が、バスの出発が遅れたのと途中で事故があったらしく、ひどい渋滞とでチェックインしたのは9時になっていました。


朝起きると雨が降っています。
ホテルでレインコートと軍手を買って、タクシーで崋山に向いました。
ところが、そのタクシーにはメーターが付いていませんでした。
目と鼻の先にある入山専用バス乗り場まで20元も請求されました。
初乗り運賃で十分行ける距離なのに・・・。 言い争っても勝ち目はありません。仕方なく20元を支払いましたが、メーターのないタクシーに乗るときは、先ず行き先を告げ運賃を聞いてから乗らなければいけませんね。

 Mt-hua-chess-pavilion.jpg(拝借写真)
華山(かざん)は、中国陝西省華陰市にある険しい道教の修道院があり、中国五名山の一つで、西岳と称されている。最高峰となる南峰の標高は2,160m。

小雨が降っていて、周囲の景色が全く見えませんでした。
写真もはっきりしたものが無く、崋山がどんな険しい山なのかを知っていただくためにPCから写真を拝借しました。 凄い山でしょう!!!
  


入山料と保険料5元を支払ってバスに乗りました。

歩いて登る人はここから登りますが、私たちはロープウエイで上ります。

ロープウエイを降りて、暫くこんな道を歩きます。

展望台のような所で、ロープウエイで乗り合わせた家族と再会しました。
娘さんは小学生のようでしたが、英語を勉強しているというので少し英語でおしゃべりをしました。 そのときに伝授した「アイラブユー」のサインで記念写真を撮りました。 

一般道の他にこのような急な階段が何箇所かありました。
これは上から撮ったものですが、急なので全く下が見えません。

中国の華山にある恐ろしい階段
(拝借写真)
PCに「中国の崋山にある恐ろしい階段」として紹介されていました。
下から見るとこんなだったのですね! これを登る人が居るのですから驚きです。
普通の登山者は左端の階段を登って行くのだと思います。

大昔“山男”だった夫は意地を見せてここを登っていきました。
オレンジのジャケットの人の上が夫です。

登りきって満足げに手を振る夫です。

夫は一人で「北峰」迄登ってきました。 1600以上もあります。

私も一応登ったつもりで、降りてきた夫に写真をとってもらいました。



中国のテレビ劇 金庸作「射鷹英雄伝」の中でラストシーンとなった決闘の場所。
武術の好きなファンが記念写真を撮っていました。
お天気が悪く景色もよく見えないので、ここから引き返す事にしました。


入山センターの案内所で、夫が「洛陽」に行く方法を相談。
予定では高速バスを利用するつもりだったらしいのだが、汽車で行った方が便利だと言われ、変更する。
またまた、タクシーと「崋山駅」までの値段を交渉、「30元!」と言われ、朝のことを考えると「まあ、いいか!」と乗り込む。




12時に駅に到着、13時37分発の座席指定が取れ一安心。

汽車を待つ間に夫は隣に座っていた人とおしゃべりを始めました。
お二人は姉弟だそうで、山西省の省都「太原 タイユエン」から来ていました。
とても親切な方で、私たちの乗る汽車が「洛陽」着く時間を調べてくれたり、色んな情報を提供してくれました。
彼らはこれから10数時間かけて汽車で帰るのだそうです。
12時に私たちが駅に来た時にはもう居ましたから、駅の待合室で4時間は待つことになります。
旅行をしていていつも思うのですが、中国人は本当に忍耐強いです。
1時間も汽車が遅れていても誰一人文句を言う人は居ません。
早くから待合室に来て、汽車が来るまでじっと待って居るのです。

疲れ果てて眠り込んでいる人も居ます。

このような札が掲げられると、もう直ぐ列車が来るということで案内があり、乗客が並び始めます。 ところがここから30分も遅れ、結局は70分遅れとなりました。
西安が始発なのにどうしてこんなに遅れるのでしょう!?
3時前に乗った汽車は4時間かかってやっと洛陽に着きました。

「洛陽」に着いたときはもう暗くなっていました。
駅からホテルに電話をすると、乗るバスを教えてくれましたが、辺りの状況がつかめずどうしようかと思っているところにタクシーの客引きが声をかけてきました。
30元というので、「バスで行くからいい!」というと、直ぐに20元になりましたので、そのタクシーに乗りました。

ホテルに着くまでに話していると、案外良さそうな運転手さんなので明日の観光の交渉をしたところ、「ホテル→龍門石窟→少林寺→鄭州空港」を650元で交渉成立です。運転手さんの言う所では200kもあるそうです。

洛陽は最後の宿泊地です。
豪華に最後の晩餐をしましょうと、外に出てレストランを探しましたが見当たりません。  フロントに良い店を紹介して貰おうと行ったところ、ホテルのレストランを勧められました。
仕方なく行ったのですが、ここの料理はとても美味しくて感激でした。


メインはお肉と野菜のホイル焼き、その右の青く縁取られたお皿はもち米の上に色んなフルーツの入ったあんがかかっていました。その上はもやしを中心の野菜(甘酢味)をクレープのように巻いて食べるのですが・・・、中国にはこれに似た料理が各地に沢山あります。一番有名なのが「春餅 チュンビン」といいます。
夫と「料理の名前を控えておけばよかったね!」と、言ったことでした。
これにトマトと卵のスープを入れて88元(1200円弱)は大満足でした。
係りの女性が上手に巻いてくれました。

綺麗な女性のサービスにご満悦の夫です。


明日は「龍門石窟」と「少林寺」を巡ります。


西安③~市内観光「鐘楼」&「城壁」

2009-10-25 10:29:21 | Weblog

西安 鐘樓

「鐘楼」は西安の中心地、城壁内にある木造建築で、すでに600年の歴史がある。高さは36メートル。見た目は三階あるように見えるが、中に入って見ると二階しかない。釘を一切使わず、継ぎ目のない一本柱様式の珍しい建物である。上部には大きな鐘が一つ吊るされ、昔はは人々に時を知らせていたという。              

鐘楼に着いた頃には雨は本降りになっていました。 それで申し訳ありませんが、上の写真はPCから拝借したものです。

  
           「鐘楼」「鼓楼」の共通入場券                        

これは今様に作られた鐘です。

鐘楼からは東西南北に延びる道路を見ることが出来ます。
北口から入った私たちは先ずは北の方を、雨で霞んでいるのが残念です。

西;右手に見える高い建物が「鼓楼」です。
この道をまっすぐに行くと、“シルクロード”に繋がります。

南;霞んで見えませんがこの道の先に「城壁の南門」があります。

東大通り;西安の繁華街です。 私たちはリムジンバスを降りてから暫くこの道を彷徨ったのでした。

雨が益々ひどくなってきたのと、時間が迫ってきましたので、私たちは「鼓楼」の前まで行って中に入らずに運転手さんの待つ「鐘楼」近くの待ち合わせ場所に急ぎまた。

予定では私たちが城壁の上を南門から東門まで歩き、東門からタクシーで西安駅まで行くことになっていました。
しかし、4時までという約束でしたので、ここで別かれることにしました。
交渉は8時から4時までで、350元でしたが、雨模様の中をとても気持ちよく観光できたのも運転手さんのお陰です。 気持で400元(5500円くらい)お渡ししました。


いよいよ西安最後の観光「城壁」です。
  
西安の城壁は隋唐の宮城を基盤にし、明の時代に拡大再建されたもので、総長13.9キロ、高さ12メートル、下幅18メートル、上幅15メートルもあります。東西南北四面には長楽門、安定門、永寧門、安遠門の四大大門が設けられており、どの城門でも三つの部分:望楼、箭楼(矢を射るところ)と正楼からなっています。西安城壁は中国現存唯一の完璧なもので、中国古代の厳密な冷兵器時代の防御体系の代表です。

城壁の南門から「鐘楼」を望む。「鐘楼」から見た反対の風景です。

現在は西門と南門が観光ポイントとなっていて、多くの観光客が城壁の上にのぼって市内を一望しているが、なぜか日本人は西門に集中し、西欧人は南門を見学することが多いそうです。
私たちは南門から上がりましたので、西門には行けませんでした。

 横幅は万里の長城の倍くらいはある。この上を4周すればマラソンができるそうです



 

「秋吉さん、また、可愛い子がいます!」 T君が叫ぶので、「早く行きなさい!写真を撮ってあげるから。」 今度はT君流暢な英語でお母さんと話しています。 スエーデンの可愛い坊やでした。

城壁の上には、昔の兵器や用具が展示してありました。
これは木でできたはしご車のようです。

晴れていれば、自転車で1周することもできるとか。
私たちは電気自動車で東門まで移動しました。
同じ車に乗り合わせたフィリッピン女性。 T君は直ぐに英語で話しかけ仲良しになりました。 「又ね!」「再見!」「ボンボヤージ!」「Have a nice trip!」
何処かで又会えるといいですね!

東門に着きました。3人で記念写真を撮りました。


東門を出て、タクシーを捜しましたが、丁度交代時で停まってくれません。
仕方なくバスで行くことにしましたが、結局城壁の北門近くでバスを降り、数10分歩くことになりました。

やっと到着したバスセンターの窓口では、「ここじゃない!あっち!」と、冷たく突き放され、「あっちとはどっち?」と、指先の向いた方へ・・・。

あっちには汽車の駅がありました。
広い駅前の広場は沢山の人でごった返し、何の案内も無いので、中国人のT君にもバスの発着場が何処にあるのか分からないようでした。
それでもT君は走り回り、「こっち、こっち!」と、バスを見つけてくれました。

中国に未だ慣れていないからかもしれませんが、“至れり尽くせり”のサービスに慣れている日本人の私たちには「中国とは何と不親切な!」と、思えて仕方がありません。

T君、3日間本当にお世話になりました。
また、必ずお会いしましょうね!



明日は「華山」です。


西安③~「碑林博物館」&昼食

2009-10-25 07:52:30 | Weblog

宋の時代に建てられた孔子廟を利用した博物館で、歴代書家の石碑を数多く収集、展示している。館内は「西安碑林」「歴史陳列」「石刻芸術」に分かれている。漢代から清代にかけての石碑のコレクションは「西安碑林」と呼ばれ、この博物館の展示物のなかで最も有名。王義之、欧陽詢、顔真卿、虞世南など、書道の大家の作品が立ち並んでいるほか、玄宗皇帝の書もあり、中国最大の書道芸術の宝庫といえる。また、キリスト教の伝来を伝える「大秦景教流行中国碑」も見逃せない。


タクシーを下ろされた所はこんな感じの場所でした。
とてもいい感じです!
   
         入館チケット 45元(600円くらい)です。

          博物館正門

入るとすぐ大きな碑がありました。
誰の書いた物なのか???

あまり期待していなかったのですが、部屋に入って碑のあまりの多さに圧倒されました。 流石、「碑林」は頷けます。    

西安 碑林

 
見上げるような大きな碑からこのような小さな碑まで数え切れないほどの沢山の碑の林でした。

 
夫とT君がなかなか出てきません。  
誰かの有名な碑文をT君に読んで貰っているのかな?

私は可愛い警備の警察官が3人で話しているのを見かけました。
早速「写真を取らせて頂いて構いませんか?」
何と、私と一緒の写真もOKでした。  3人の内一人は逃げていきましたので、後でこの二人、上司に叱られてなければよいのですが・・・。
他の場所では、カメラを向けただけで睨まれてしまうのです。

以前は「孔子廟」だっただけあって、とても落ち着いた静かな雰囲気の所でした。
見学を終えて行った売店には沢山の拓本が置いてあって、とても良い墨の香りが漂っていました。



いよいよ、昼食です。
場所は運転手さんにお任せしました。  ホテルの2階にある「西安飯荘」というレストランに案内されました。



ずっと後ろからしか見ていなかった運転手さんは”内山くん”より精悍な顔立ちでした。 注文もお二人にお任せしました。 運転手さんは「ぜひこの2品は食べて帰ってください」と、注文してくれたのが下の写真です。  思いがけず美味しかったので写真を撮り忘れ、終わる頃にT君が「写真は撮らないでいいのですか?」
お皿に少し残ったものを寄せ集めて、慌ててパチリ!

麺は日本蕎麦のようでした。
味の説明は難しいのですが、日本の冷麺のような感じで、わさびがとても効いていました。 これは私にも作れそうです。

麺は多分“ジャガイモ麺”ではないかと思います。 中国に来て初めて食べましたが、鍋に入れて長く煮ても煮崩れず、食感がいいので私は気に入っています。
お味は正に中華、ラー油が効いて、ゴマダレの味がしました。
写真は貧弱ですが、野菜がたっぷり入っていてとても美味しくいただきました。

店内の写真を撮りたかったのですが、大概注意されますので、帰り際にこっそり撮りました。 雰囲気もなかなか良かったです。

それに料理もスープや他に何品かあって、90元(1200円くらい)もしなかったのです。  日本だと1品でこれ位しますね!
運転手さんが気を遣って安いものをたのんでくれなのかなぁ?

西安は概して物価が安いようです。
タクシーも初乗り6元です。(大連は8元・北京は10元)


次はいよいよ「鐘楼」、「城壁」に登ります。





西安③~市内観光「大雁塔」「小雁塔」

2009-10-24 21:24:48 | Weblog

「大雁塔」は唐の三代目の高宗李治が皇太子のとき、生母文徳皇后の冥福を祈り648年に建てた慈恩寺の境内に立つ塔で、西安のシンボルである。当時の規模はかなり大きかったが、唐代末期に戦乱のため焼き払われ、現存するのは当時の十分の一に過ぎない。
652年にインドから帰った玄奘三蔵法師の願いにより、境内に大雁塔を建て経典を保存することにした。塔は煉瓦でできており、当初は五層の塔であったが、則天武后の時代に大改造を行い十層になった。しかし、戦乱などで上部が崩壊し、現在は七層で、高さは64メートルしかない。内部の木製のらせん階段を登ると、最上部まで行くことができる。
塔の入口の両側には、玄奘三蔵法師の功徳をたたえるために、太宗と高宗の筆による「大唐三蔵聖教序」と「大唐三蔵聖教序記」と書かれた石碑が納められている。


   
                  入場券



        慈恩寺のご本尊

ここで燈されるロウソクは皆、赤いものばかりでした。
下から見上げるととても高いです。
 
上まで登れるそうですが、ここでも時間が無いのでと下で記念撮影。

人がとても多いのに関わらず、何故か落ち着いた感じがするのはお寺のせいでしょうか?

三蔵法師の立像の前で。
中国人の素朴な疑問。 『日本では何故三蔵法師を女性が演じるのでしょうか?』
そう言えば、「西遊記」では亡くなった夏目雅子さんが演じていましたね。


次は「小雁塔」を見物する予定でしたが、時間が無いのと天気がおかしくなってきたので、車の中から見るだけになりました。

長安のほぼ中心に位置する高さ43.3メートルの塔で、薦福寺の境内に建っている。大雁塔と比べて小さいことからこの名がついた。薦福寺は、684年、則天武后が高宗の崩御百日忌に、その冥福を祈るために、創建した寺であるが、現在は寺院建築は残されていない。当時の塔は15階建てであったが、地震で二階部分が崩れ、現在では13階建てになっている。


次は「碑林博物館」です。



 


西安③~市内観光「陝西歴史博物館」

2009-10-22 20:12:20 | Weblog

中国は朝が早く、8時前には全てが動き出しています。
今日の「市内観光」も8時出発です。
T君も、バスで40分もかかる寮から8時前にはホテルに来てくれました。

運転手さんもなかなか良さそうな人で安心しました。
T君が助手席に座って、運転手さんと今日の観光の道順を相談してくれました。

後ろから運転手さんを見ていると、「この人何処かで見た事のあるような・・・!?」
誰だったかなぁ?・・・そうだ!内山だ!」 小学生の時から、さんまさんの番組によく出ていた彼です。  ひとしきり、中国と日本の芸能界の話に花が咲きました。中国もお笑いブームで、お笑いタレントに大金持ちが多いとか・・・。


先ずメインの「陝西歴史博物館」に。
唐代の建築様式を取り入れた大規模な博物館で、収蔵点数37万点。そのうちの六千点が常時展示されている。原始社会から明の時代までの長い歴史を代表する貴重な文化財がここにまとまって収蔵されているので、中国の五千年の歴史を一度に巡ることができる。特に注目を集めているのは唐代の壁画展示で、300平方メートルの唐代の壁画から34枚を厳選し公開している。いずれも中国では最高級のレベルに達している。これらの壁画には宮廷生活や楽隊、儀仗隊、狩猟風景などが多彩に描かれている。これらは、中国古代絵画の最も重要な遺産である。

ここでは感動する出来事がありました。

タクシーで博物館に着くと、外の道路にまで及ぶ長蛇の列です。
何事?  「切符を買うのに並んでいる人たちですよ!」
「あら、大変! 私たちは時間が無いのよ! ここは無理かもね!」

後姿は夫とT君。 隣は警察官です。
暫くどうしようかと話していると、T君が「ちょっと待ってて下さい。」と走っていきました。 K君は私たちが外国人で、高齢である事、今日の夕方には西安を発たなければならないことを説明してくれ、係員を連れて戻ってきました。
係員は私たちのパスポートで年齢を確かめた上で、高齢者用の窓口に案内してくれました。 後で分かったのですが、中国の高齢者割引は65歳からなのです。
係員の方に感謝です。

お陰で並ばずに、チケットを手にすることが出来ました。
料金を払おうとすると、「免費(メンフェイ)!」
高齢者は無料だったのです!
ところが、T君の分は買う事が出来ませんでした。
仕方なく、T君には外で待っててもらうしかないかと思っていると、「大丈夫です!ちょっと待ってて下さい」と言って走っていきました。 帰ってきたときにはT君の手にはチケットがありました。 事情を言って前の方に並んでいる人(勿論知らない人)に一緒に買ってもらったのだそうです。 
T君の機転の良さには驚かされてばかりです。


日本語の案内を聞きながら、館内を回りました。

面白い形をした壷です。

色んな顔をした仏像?

発掘された西漢時代のお金。

本当に沢山の貴重な展示物ばかりでした。 
写真を撮り損ねたり、ピンボケだったりで、アップできるのがあまりありません。 お許しを!

夕方には西安を発たなければならないので、私たちには時間がありませんでした。それでも夫は予定通りに観光したいと言い、この博物館も駆け足で回りました。
説明にもあったように中国の5000年の歴史が展示されてあるのです。
もっと「ゆっくり見学したい!」いつも時間に追われて心残りが一杯です。
特にここでは『壁画』の展示室を見落としてしまいました。 残念でなりません。


次は大雁塔です。






 


西安②~夕食は~「陜西歌舞劇院」で・・・。

2009-10-22 16:35:18 | Weblog

西安は大連と時差が40分位あるようです。夕方6時を過ぎると薄暗くなってきました。
夕食は、夫が8年前に会社の研修旅行で西安に来た時、現地の会社に接待されてとても楽しかったのでと、唐代の歌や踊りを観ながら食事をするという提案をしてくれました。
しかし、場所をはっきりと覚えていないとのこと、ガイドさんに紹介して貰う事にしました。
ガイドさんの友人が居るという、「陜西歌舞劇院」に案内されました。
一人330元(4300円くらい)は高いのか、安いのか・・・?
後でPCで検索すると、日本のオプショナルツアーで“8500円”でしたから、現地で自分で行った方が随分お得のようです!


         
渡されたパンフレットには、演じられるものの写真や、食事の写真が載っていました。

私たちが着いた時にはほぼ満席で、もう食事が始まっていました。
担当の可愛い給仕さんが次から次へと料理を運んできます。
彼女の説明では料理は18品だったようですが、
名物の小さな餃子(上の写真)以外はあまり覚えていません。  
この餃子はここの名物だけあって、珍しくてとても美味しかったです。

他の料理はパンフの左の方は食べた記憶はありますが、右の方は無かったように思います。  時間が無いので省かれたのでしょうか?

食べるのに夢中で、写真を撮るのを忘れていました。 パンフのものでお許し下さい。


いよいよ始まります。
食事が終わると帰る客がいたり、ショーを観るだけの客が来たりして少しざわつきました。 私たちの直ぐ後ろのテーブルに座った観客は、ショーを観るだけの人たちで、中に一人北京に留学している日本人男性がいました。



古楽器を中心とした演奏で、みやびな楽曲が唐王朝の様々な歴史記録と古代芸術にのっとって再現されます。

一つ一つの踊りにテーマがあるのですが、よく分かりませんでした。





フィナーレ;1時間ほどでショーは終わりました。

北京で「京劇」を観た時ほどの感激はありませんでしたが、華やかな衣装をまとい、優雅に舞う美しい女性の姿は一時の平安を与えてくれました。
踊りの内容や、楽器や歌の説明があると、もっと違った感じを受けたのでしょうが・・・。


T君、今日も1日ありがとうございました。

この夕食はT君にとっても忘れがたいものになったようです。
観客の中に家族連れが何組かいました。  その中にとても可愛い女の子が居たのです。 フランス語にも興味を持っているT君はフランス人形のようなその子を見て「可愛い!」「可愛い!」を連発していました。
「じゃぁ、一緒に写真を撮ってもらったらどう!?」と勧めましたが、何にでも積極的なT君は恥ずかしがって動きませんでした。


明日は、ホテル前に停まっていたタクシーをチャーターしてありますので、3人で市内の観光をします。




ヘチマを頂きました!

2009-10-17 21:20:39 | Weblog

夫がSさんからヘチマを頂いてきました。

 
 上は抜け殻です。
    
今でも、先日アップしたこの写真のままの風景が残っています。
早めに切り取って室内で乾燥させたのでしょうか?



私の知識では、弦の上でこの様になるまで待つのだと思っていましたが・・・。



少し細めのこのヘチマは半分に切って、皮膚を鍛える為に浴室でマッサージ用として使おうかと思っています。



子どもの頃は、何故か長いままのヘチマを使っていましたので、今から思うととても使い勝手が悪かったのです。


残念ながら、食用にしたり、化粧水を作ったりはしていないようです。
もう少し、おしゃべりが上手くなったら作り方を教えてあげて一緒に作れたらと願っています。


西安②~「華清池」

2009-10-12 21:47:22 | Weblog

「華清池」は市内から東へ30キロ行った郊外の驪山のふもとにある有名な温泉池である。周代から三千年以上の歴史を持つ。歴代の皇帝も、ここを行楽地として大掛かりな造営をした。
唐代の玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスがこの地を最も有名にしている。   湯泉は、現在でも入浴でき、リューマチや関節炎に効果があるという。
華清池は、1936年に西安事件が起きた場所としても有名である。

      

玄宗皇帝と楊貴妃よろしく、アイラブ湯!

楊貴妃の美貌にあやかりたい?と群れる人々

T君の左手はどこを目指しているのかな!?

楊貴妃が入浴したとされる「海棠湯」
玄宗が入ったといわれている「蓮花湯」

暖かいお湯が吹き出ている泉の側では、商魂逞しい中国人が楊貴妃のタオルを売っています。

西安事件の際、周恩来もここで温泉に入ったのでしょう。

ここで、会談が行われたそうです。

ゆっくり観ることはできなかったのですが、何やら演劇が行われていました。
玄宗皇帝と楊貴妃の恋物語でしょうか?



バスの運転手さんはとても優しい方でした。
これから待望の「兵馬俑」を見学に行きます。





西安②~「兵馬俑」

2009-10-09 22:38:43 | Weblog

バスは一路「兵馬俑博物館」へと思っていましたら、案の定、“玉(ぎょく)”の製造販売所に案内されました。

中国の玉彫は中国最古の彫刻のひとつで、新石器時代の晩期にはすでに玉制の工具が使われていました。昔から玉石は珍宝とされ、古代中国で玉は高級品のしるしであり君子の象徴でした。
玉とは良質の石の事で、白玉・黄玉・碧玉・ヒスイ・メノウ・等等種類も豊富です。
中国の玉彫は世界でも高い評価を得ている、魅力的な伝統手工芸品の一つです。


前途洋々のT君、豪華な玉彫の船の前で記念写真を。 お値段は?


1時間以上も玉工場で時間をつぶし、やっと「兵馬俑博物館」に到着。はやる心を抑えて、レストランで昼食をとります。



この2品とスープがきました。
私はあまり食欲が無かったので二人に任せましたが、食べてみるととても美味しいのです。
思わず箸が進んでしまいました。



食事が終わって、やっとガイドさんに入場券を渡されました。





「兵馬俑」は中国・西安市より東へ35キロメートル、驪山(りざん)の北に秦始皇帝陵がある。この陵墓より更に東へ1.5キロメートルの所で1974年、集団農場の井戸掘削りで偶然発見された。世界の考古学史上、20世紀最大の発見とされています。その発掘数は八千数百体にものぼり、世界の考古学者達をおおいに驚かせました。
傭の軍隊
(拝借写真) 兵馬俑の中で一番有名な1号坑のものです。
私たちが撮影したものは、ピンボケばかりですので、1枚だけPCから拝借しました。
後はピンボケですが、お許し下さい。

1号坑は東西に伸びる長方形で長さ230㍍幅62㍍深さ5㍍総面積は1万4260平方㍍、3つの俑坑の中で最大である。
1号坑では陶俑、陶馬あわせて約6,000体が発掘された。

この日だけではないと思いますが、本当に沢山の人でゆっくり見ることもできません。 しかし、私は小さな体が幸いして、しっかり隙間に潜り込みました。
一人ひとりの顔をじっくり見たかったのです。  説明によると、一体も同じ顔のものは無いと言います。
じっと見ていると、降りて行ってお話してみたいような気がしてきました。


2号坑の軍陣は1号坑の東端北側で1号坑との距離は20メートルで、発掘調査から戦車の引き馬350余頭、騎兵用に馬100余頭、その他各種武士俑が900余、合計1300件の陶俑、木製戦車89台で、これらは歩兵、騎馬兵、軽車等で混編された一種の曲形陣である。

3号坑は【凹】字型をしていて発掘された三つの兵馬俑坑の中で一番小さい。兵俑66体、馬俑4体、戦車1台と兵馬俑の数も少ないが三つの兵馬俑坑の中で一番重要な役目をしていた。それはこの3号坑が全軍の指揮の中枢である軍幕(司令部)であった為だ。

2号坑、3号坑は1号坑のようにきちんとしておらず、まだ発掘の途中です。
そしてとても深いところにあるので、思わず「お~い!」と呼びかけたくなりました。
未だ復元されてないままに、置かれてあるものも多く胸が痛みます。
「早く頭を探して、つけてあげて下さい!」

銅車馬 兵馬俑博物館には兵馬俑の他にもう一つ世界に誇る宝物が展示されている。それは銅車馬である。銅車馬は秦始皇帝陵墓よりわずか西へ20㍍の所で発掘された。銅車馬は秦始皇帝が巡行するさいに使用された車馬(馬車と馬)を銅で製作したものです。
       
この大きな兵俑はオリンピックを記念して作られたものだそうです。
銅車馬の展示されてある館のロビーに置かれて?(吊るされて)ありました。
中国は本当に“大きいもの”が好きです。


1号坑館の出口近くの売店に、「あのおじさん」がいました。
「兵馬俑」の写真集を買った人の本にサインをしているのです。
ここで又、「どうして、このおじさんだけなの!?」 こんなことが気になる私は変なのでしょうか?
夫は中国にしてはとても高い150元を払って、サイン入りの本を手に入れました。


見学を終わって・・・・・。
ここに来て見るまでは、「凄い歴史的大発見!」というだけの認識でしたが、歴史的背景や秦の始皇帝の圧制を映像で見たり、パネルの説明を読んだりしていると不思議な矛盾を感じました。
「万里の長城」や「兵馬俑」に、現代の私たちが感動している陰には、当時の人々の苦しみがあったのです。 自分達が凄い物を作っているのだという気持などは無かったように思えます。 その途中で命を失った人も沢山いるのだとか・・・。
どういう過程でできた物にせよ、今、当時を偲べるものがあることはありがたいことです。 私たちに出来る事は、昔の人々が苦労して作り上げ、残されたものをできるだけ大切に保存していく事ではないでしょうか。 感謝の心を忘れずに・・・。


嬉しい出来事・・・・・!

あら!この男の子は? お気づきでしょうか。
昨日の夕食の時、合席になった男の子です。

「兵馬俑」に着いて、直ぐに向こうからニコニコしながら近づいてくる男の子が居ます。
「見たような子だな? 何処で会ったっけ?」考えているうちに、目の前で止まりました。 「あっ、昨日の子だ!」 『偶然ね、あなた達も来ていたの?』 
『再見!』・・・ 「しまった! 名前と住所を聞いておけばよかった!」  

ところが、偶然が何度も重なれば、もう偶然ではなくなります。
しばっらく見学して、疲れたのでベンチで一休みしていると、また、にこやかな顔が現れました。  『あっ、よかった! お名前と住所を教えて下さい。 私たち近々海南に旅行したいと思っているのですよ。 また、会えると良いですね!』 食事をしながら海南から旅行にきているとだけ聞いていました。
お母さんが住所と名前と電話番号を書いたメモを渡してくれました。


「待ってて下さいね! きっと会いに行きますから・・・。」
私はこのにこやかな顔がどのように成長していくのか、見ていきたい思いがしています。