mokoangelの青島日記

夫との7年間の中国留学を終え7月に帰国しました
これからの日本での生活を模索中です

明日帰国します!

2009-01-27 23:32:17 | Weblog
今夜は春節最大のイベント、星海公園の「花火大会」見物に出掛けました。
初めてのことで様子が分からず、早々と出掛け待つこと1時間半。
「福岡ドーム」の4,5倍はあろうかという公園にはいっぱいの人です。
寒くて待ちきれなくなった人が、あちこちで持参の花火を始めました。
公園内には整理の為に公安が沢山出ていましたが、誰も咎める人は居ません。
此処が中国の大らかなところでしょうか!

始まりました!!!
驚いた事に、私達の目の前の浜辺で上げているのです。
是も日本ではありえないことです。
こんなに近くで打ち上げ花火が見れるとは・・・・・。
近すぎて上を向いて見ていると、目に花火の粉が入ってきました。

日本の花火はとても素晴らしいので、比べようがありませんが、中国の花火もとても繊細で夜空に花火で絵を描いているようでした。
息つく暇も無く、30分あっという間に終わりました。
花火好きで、一時は「花火大会」の追っかけまでした娘も大満足の様子でした。

興味の在る方は、来年の除夕から「中国春節体験ツアー」に、いらっしゃいませ!!!
宿泊は我が家で大歓迎ですよ。  ご注意! 春節は旧歴ですので、毎年日にちが違います。  
大抵2月なのですが、今年は早くて1月だったので私にとっては好都合でした。 

それで・・・いよいよ明日帰国です。
たった5ヶ月なのに、随分経ったような気がします。
皆様方にお会いできるのを楽しみにしています。

パソコンは持参しますので、時々覘いて見て下さい。




驚きの新年幕開け!!!

2009-01-27 00:44:36 | Weblog
新年快楽!!!

昨日は日本で言う大晦日(除夕)で、早朝からあちこちで爆竹が鳴り響き、夕方からはあちこちで花火が上がり始めました。
中国では大きな建物が各自で花火を上げるらしいのです。
我が家の前の宿舎兼ホテルでも打ち上げ始めました。  此処かと思えば又あちらで、花火の競演会です。  個人が上げるからといって、小さなものではありませんよ。 かなり本格的な花火で見ごたえがありましたが、これが夜中の12時過ぎまで続くのですから凄いです。
音だけ聞いていると、市街戦でも始まっているのかと思えるくらいです。
終わりに近づいた頃、遠くの方で火の手が上がりました。
花火の火の粉で火事が起きたのでしょうか!

そんな中、大半の中国の家庭では、8時から始まる日本の「紅白歌合戦」のようなテレビを見ながら12時になると、「餃子」を食べて年を越すようです。

中国では元旦は家庭で静かに餃子を食べて過ごすらしいです。
お店も三が日はお休みの所が多いようです。  
銀行でも土日営業しているのを考えると、中国人にとって春節は特別のようです。
私達も友人が送ってくれたお餅で雑煮を食べ、今日は何処へも出掛けず、家でゆっくり過ごしました。

因みに、中国でもお年玉があります。 「圧歳銭(ヤースイチェン)」(漢字は少々違いますが意味的にあった漢字をあてました)と言い、赤い色の袋に入れて渡します。  相場は100元らしいです。

会ってきました~! 熱情的中国人! 「氷祭り」③

2009-01-24 01:29:26 | Weblog
昼食を済ませ、「買い物をしたいか?」と聞かれるので、「買い物はもう、いいのでゆっくりしたい」と言うと、陸さんのお宅に案内してくれました。
中国の建物は、外観は普通でも中はとても綺麗な家が多いのですが、彼女の家もとても素敵でした。  全く中国の雰囲気ではなく、やはり西洋風なインテリア、特にレースのカーテンがセンス良く、家具も統一されていて落ち着いた感じです。

感激したのは、夫が送った家族の写真を大切にファイルしてあって、20数年前の私達に出会えた事です。
列車から降りたとき、彼女が直ぐに私の手を握ってきたので、どうしたのかと不審に思ったのです。  と言う事は、20年前の写真で直ぐに私と分かったと言う事で・・・・・。

彼女の若い頃の写真、結婚式の写真、新婚旅行の写真・・・沢山見せていただきました。
その最中も、熱情な中国人は次から次へと食べ物を勧めてきます。
御菓子、みかん、木の実・・・私達はお茶は頂かないと言ってあったので、「これはどうか? 是も飲めるか?」と聞いてきて、中国式にお茶を入れてくれました。

「最後の食事は私の家で・・・。」と言っていたので、彼女の家で頂くものとばかり思っていました。
「時間になりましたので」と、又車に乗って移動です。
着いた所は大きな中華料理店です。  通された所には陸さんのご主人と息子さんが、彼はまだ休みに入っていないのでご主人が学校まで迎えに行かれたとか。
史さんの可愛いお嬢さんも加わって。思いがけず、三家族と私達11名の宴会となりました。
徐さん(運転手さん。失礼!)の奥様は本当にキャリアで仕事が忙しく抜けられないとかで欠席です。

またまた沢山の料理が並びました。 そのお店は牛の骨の煮物で有名らしく、先ずは人のコブシ1個ほどの骨の回りに付いた肉をビニールの手袋をして、むしって食べます。そして切ってある骨にストローを突っ込み中の髄を吸うのです。コラーゲンたっぷりな素晴らしい一品です。
お酒の飲めない夫に合わせて下さったのか、皆さんお酒を飲まずに楽しくおしゃべりを。
本当に申し訳ないくらいの歓待を受け、恐縮しきっている夫に、皆さん「何を言っている、我々は『好朋友!』(親友)だ!」と言って下さいました。
本当に心からそう思っていて下さるようでした。

時間が過ぎ、そろそろ駅に向わねばと、皆で記念写真を撮りました。
すると陸さんが「一寸待って!」と大きな荷物を取り出しました。
私達家族一人一人への贈り物です。夫へのプレゼントは『何れ「三国志」を中国語で読みたい』と言っていたのを覚えていらして、高価な三国志の本でした。
それにハルピン名物の大きなパン、ソーセージ・・・。
私はプレゼントの品よりも彼女の愛を感じました。

日本から来た一人の友をこれほどの「熱情」で、もてなして下さるのです。
たまたま、彼女達が裕福な中国人だったから、有り余る美味しい食事や高価なプレゼントを頂きました。
でも、そんな物が無くても、中国人は「熱情」な人々です。
私達も中国人の「熱情」をありがたく受け留め、何かでお返しできるように、頑張って行きたいと思います。

私の文章力では表現できませんでしたが、この度の旅行は単なる「氷祭り」見物ではなく、「中国人の熱情劇場」を感じる旅だった様に思います。
いつも良い人々に出会え、喜び、楽しんで生活できる事に感謝しています。
 
                                 終わり
付録;帰りは李さんは瀋陽で降りる事になっていました。
瀋陽着は02:20と連絡をし、ご両親が駅まで出迎えてくれる事になっていたのですが、最後まで何が起こるか分からない中国では、汽車は2時間も遅れて瀋陽に到着しました。 その間ご両親はずっと駅で待っていて下さったのです。手には私達へのお礼の品を携えて・・・。やっと李さんをご両親にお渡しし、ゆっくり休む事ができました。





行って来ました! ハルピン!! 「氷祭り」!!!  ②

2009-01-23 23:36:41 | Weblog
二日目、「大世界会場」で頭を強打し頭痛がするのと、喘息の小発作が起こったので、市内観光はパスしてホテルで一人で休みます。
夫も少し疲れたからと、早々に帰ってきて一緒に夕方に備えて一休み。
順子は李さんと意気投合し、二人で見物、ショッピングを楽しんだみたいです。

夕方から皆で「兆麟公園」の会場に出掛けます。
此処は小規模ですが、氷で作った滑り台が何台もあり、沢山の遊具が全て無料で楽しめます。
私達も観覧車に乗り、高い所から氷のオブジェを楽しみました。

夕飯はホテル直営のレストランで。  中国に来て正直あまり「美味しい!」と思うものに出会えなかったのですが、ハルピンの味は私の好みの味で、皆美味しく感じました。 特にロシアの影響か、サラダのドレッシングがサワークリームを使っていてとても新鮮でした。
二日目は穏やかに終わりました。

三日目はとても寒く、お腹と背中に「ホッカイロ」を貼りました。
チェックアウトをし、迎えの車を待ちます。
到着した車には又あの男性が・・・・。 談笑しながら(夫と陸さんと李さんのみ)着いた所は、あの大きな河のほとり。 今から「氷中水泳」が在るので、見物していくのだそうで、震えながら開始を待ちます。

やがて出てきたのはかなり歳を取った男女数人、勿論水着姿です!!!
私は日頃より多く、5枚の服を着てホッカイロ貼ってもまだ寒いのです。
「寒中水泳」は『心頭滅却すれば、火もまた涼し』の範疇かと・・・。

厚くはった氷をくりぬいたプールの中に次々に飛び込んでスイスイと泳いでいきます。
次は少し若い人たち、やはり勢いが違います。
飛び込み台の上でパフォーマンスをしてから飛び込む人も居ます。
最後はロシア人、是には驚きです。 聞こえてきたところによると、一番張り切っている女性は82歳だとか!!! 囲って在る柵の周りを見物人と握手をしながら回るのです。  初めの老人達は1度泳ぐと直ぐに上がってしまいましたが、彼女達は何度も飛び込み、果ては雪の上を転がって回ります。
どうなってるの?!?!?!

彼女達の事を案じながら、車は街へ・・・。
ハルピンの大きな雑貨デパートで下り、春節用品満載の店内をウインドウショッピング。 縁起物の置物がずらりと並ぶお店で可愛い白菜の置物を見つけました。
どうして白菜なのか?「白菜」菜=財(cai)、白=百(bai)で、『百財』に繋がるからなのです。  中国人は本当に縁起をかつぎます。

ハルピンには、欧風建築物が沢山ありますが、「ソフィスカヤ寺院」「ウクライナ寺院」は是非見ておくべきと、案内していただきました。
とても重厚なおごそかな感じのする建物でした。

昼食を、と言う事になり、かの運転手さんが誰であるか判明しました。
市中の美味しくて安いと言う「春餅」のお店に行きました。
その際、大きな建物の駐車場に駐車したのです。そしてその建物を通り抜ける際、「此処は私の勤務先です」「えっ?皆さん働いていらっしゃるのですが・・・?」
陸さん曰く、「彼は偉い人だから働かなくて良いのよ!」またしても「えっ?」
そんな方が二日間も私達の運転手を! そこは中国でも大手の銀行でした。

食事をしながら彼の話を聞きました。  娘さんが一人居て、以前、大阪で働いていたことがあり、今は上海にいるのだそうです。
それまでは何も言わず黙々と運転をしているだけだったのですが、お話しすると、とても気さくな楽しい方でした。  私達とは何の縁も所縁もないはずなのに、どうして? 多分昼食は彼の奢りでした。(何度も私達が支払うと言ったのですよ)

「春餅」とはクレープのように焼いた餅生地に調理した肉や野菜を巻いて食べるのです。 春巻きかクレープかと言う感じですが、とても美味しかったです。

いよいよクライマックスへ!





行って来ました~! ハルピン!! 「氷祭り」!!!  ①

2009-01-23 20:25:21 | Weblog
中国は本当に何が起こるか、分からない国です。
旅行を計画しても、切符が手に入るかどうかも分からないのです。
今回は特に「春節」と重なり、大移動が始まった時でしたから尚更でした。
ともかく、色んな人の助けにより往復の切符が手に入りました。

19日20:48発の夜行寝台車で出発、「ハルピン」には翌朝6時過ぎに到着しました。夫が身体を気遣って一等寝台にしてくれましたので、ゆっくり休む事ができました。
驚いた事に、プラットホームまで夫のペンフレンドだった中国人二人が出迎えてくれていたのです。 20年ほど前にほんの少しの間文通をしただけの友達です。

是がこの後の劇的なドラマの幕開けでした。
薄暗い中、まず、お二人の友人が運転する車で朝食を食べに行きます。(勿論支払いは彼等)
そして、午後1時にまた迎えに来るのでゆっくりホテルで休んで居て下さいと、ホテルまで送り届けて下さいます。

訳が分からぬまま、一休みし、昼前にホテルの近辺を散策します。
ハルピンは大連とは又違った感じの街です。ロシアとの国境沿いに在る所為でロシアの影響を強く受けている感じです。(「地球の歩き方」によると『東方のモスクワ』、『東方のパリ』と呼ばれているそうです)

近くに大きな河(川幅が広島の大田川の何倍もあろうかと思える)が在るので行ってみると、何と河は全て凍っていて、大勢の人が橇やスケートで興じています。
土手の周りには露天が出ており、色んな商品を手にした中国人が来る人来る人に物を売りつけようと試みています。 中国ではどこに行っても同じ事が起こります。
ですから「不要!(ブゥヤオ)=要らない」と言う言葉は覚えておく必要があります。

軽く昼食を済ませ、迎えの車で何処かへ向います。
夫と同行の中国人学生の李さんとで計画を立てて来ていたのですが・・・・・。
私達夫婦と順子、李さんは今から何処へ行くのかしら???
あまり小さなことは気にしない夫、「まぁ、良いじゃないか!」と、暢気顔で座っています。
車を降りて行った男性がなかなか帰って来ないので、「ねぇ、あなたちょっと行ってみたら?」と促しました。
帰ってきた夫は「丁度良いところに行ったよ!氷祭りの入場券の交渉中だったので、申し訳ないので私が直ぐに払った。行ってよかった!」と言います。
今から氷祭りの会場に向う所だったのです。

着いた所は「太陽島公園」、「氷祭り」の会場の一つです。
此処は「札幌雪祭り」(行った事はありませんが)と同じように、雪を固めて彫刻を施した物が広大な公園の中に沢山あります。色んなサンタさんや広大な建物、可愛い子ども達や、綺麗な女性・・・。 各国から来て作るらしく、フィンランドの物が一番多かったように思います。
日本の様に至れり尽くせりの案内やパンフレットはありませんので、詳しい事は分かりませんが、小雪がちらつく零下10数度の中、3時間以上散策します。

その後一行は夕飯へ・・・。  そこで初めて分かりました。
駅に迎えに来てくださったお二人は男性は史さん、女性は陸さんと言われ、史さんは弁護士さんだそうです。
まだ不思議な男性が一人居るのですが、友人とだけで詳しく紹介もされず、黙々と私達の運転手を引き受けてくれています。

多分此処は史さんのお馴染みの店らしく、店のことを色々説明をしてくれます。
お店の中に沢山の植木があって、ジャングルの中のお店のようです。
食事が続々と運ばれてきます。夫が「私達日本人は少食ですので・・・。」と言っても、「是が此処のもてなし方なので」と、凄い量のお皿が並びます。
ここでも料理のトウモロコシがとても美味しかったので、「ハオチー!」を連発!
すると直ぐにお店に頼んでお土産にと、一箱お持ち帰りです!!!

夕食後、男性二人は用があったのか、陸さん一人でメインの「大世界会場」を案内して下さいます。
一歩会場に足を踏み入れて「わぁ~!!!!!!!!!」これ以上の言葉はありません。
広い会場一面に氷の建造物が並んでいます。しかも色取り取りに輝いているのです。
しばし現実を離れて幻想の世界を彷徨いました。
しかし、時折現実に引き戻される重大な事が・・・・!!!
足腰の弱っている私は足を滑らせ転んでしまうのです。 どんなに注意をして歩いても私だけが「ステンコロリン」 最後には後ろ頭を強く打ち、こぶが出来ました。
会場を出るまで誰もが私を気遣って手を差し伸べて助けてくれます。
十分に堪能した所に迎えの車です。

長い道のり、ホテル迄送り届けてくださり、「明日は自由に市内を観光して下さい。
明後日の朝、又迎えに来ます。」と帰って行かれます。

只、「ハルピンに遊びに行きます」と、お知らせしていただけなのです。
そう、帰りの切符の手配を厚かましくも御願いしました。
それなのに、早朝から迎えてくださり、車で案内して頂き、お食事までご馳走になりました。
授業で学んだ中国人の「熱情(ルァチン」を肌で感じる事の出来た素晴らしい一日でした。

「熱情劇場」一幕の終わりです。






病は気から? 気は病から?

2009-01-17 00:41:04 | Weblog
9日に「閉講式」を終えて、あっという間に1週間!!!
私は何をしていたのでしょうか?
家事をする以外は、ずっと机について予習、復習に追われていた時が懐かしい・・・。
時間はたっぷり在るというのに何をやって良いのか分かりません。

夫がヒヤリングのためにと買い込んで来た中国のDVDを観ても全く面白くありません。
思えばやりたいことは沢山あったはずなのに・・・・。

そうこうしている内に、最悪の事態に!  喘息が起こってしまいました。
寝たり起きたり・・・是ではいけない!と、机に付いてみたり・・・。
段々気が滅入って、危うい状態に・・・。

夫が買ってきたDVDの中にNHKの「篤姫」がありました。
日本で唯一楽しみに観ていたものです。  もう中国でDVDになっているのです。
途中までしか観れなくてとても残念に思っていましたので、夫が一緒に観ようと買ってきていたのです。

「懐かし~い!」「この女優さん何と言ったっけ?」「この台詞良いな!」
観ているうちに、段々気力が漲ってきました。

後期に向けて総復習や「点訳」、やることは沢山ありました。
夫は私を気遣って、毎朝薬膳粥を作ってくれています。
18日には順子が遊びに来ます。
元気に久し振りの再会を楽しみたいものです。

篤姫が母親に言われてずっと大事にしてきた言葉、書き留めました
   一つ、己の役割を果たす事。
   一つ、一方聞いて沙汰するな。
   一つ、考えても答えが出なければ、感じるままにせよ。



やっとお正月モードです!!!

2009-01-07 23:41:54 | Weblog
今日はフーシャンの学生さんを招いてお昼に食事会をしました。
昨日、クラスメートと先生のお宅でお別れパーティーをした時に天婦羅とカレーを作りました。
皆が美味しいと言って食べてくれたので、今日も簡単に天婦羅にしました。
こちらではとても食材が安いので、食べきれないほどの天婦羅を揚げましたが、若い人たちは「初めて食べました!美味しいです!」と喜んで食べてくれました。
夜も、昼に来れなかった学生さんを一人招き、残しておいた天婦羅を食べて貰いました。
暫く試験勉強で食事もそこそこにしていましたので、久し振りにおしゃべりをしながら楽しい食事会でした。

新年と言えば、今年の抱負を語らなくてはなりません。
去年までは「喜んで、楽しんで、感謝して、柔和に日々を過ごす」でした。
何と長い!とお思いでしょうが、最初は「喜んで毎日を過ごす」だったのが、毎年、一言づつ増えていったのです。

今年は・・・ジャジャ~ン!「柔和に」の後に「笑って」を入れます。
『喜んで、楽しんで、感謝して、柔和に、笑って日々を過ごす』となります。
読んだだけで、何と素晴らしい日々だろうと思えますね!
是が実行できれば、本当に幸せな生活が送れるだろうと、人事のように感心しています。

去年の11月の総大会号で亡くなられたワースリンEのお話を読みました。

若い頃にお母様に頂いたと言う助言「どんな出来事も愛しなさい」と言う言葉がタイトルでした。 
お母様の模範を通して『人生には山も谷もあるし、何もかも上手くいかないと感じることはだれにでもある。でも、落胆や逆境にもめげず幸福な人たちは、困難から学ぶ方法を知っているので、彼らは、さらに強く、賢く、幸福になっていく。』『逆境に遭ったときの対処の仕方が、幸福で満ち足りた人生を送れるかどうかを大きく左右する』と言う事を長老は学ばれています。

そして、私達に試しや試練に遭った時のアドバイスを下さっています。
『笑う習慣を身に付ける』ことを勧められています。
「嫌な事があって、不満の声を上げたくなったら、笑って見てください。そうすれば皆さんの寿命も延び、周りの人の生活ももっと明るくなります。」とおっしゃっています。

寿命が延びるのはどうでも良いのですが、「周りの人の生活をもっと明るくする為に・・・」私は笑っている必要があると、決心したのです。
ワースリンEが最後に残して下さった戒めを、謙遜に受け止めて生活し、これからは私の周りに笑いの花が咲く事を祈っています。







 

ご無沙汰しました!

2009-01-06 21:18:26 | Weblog
試験が終わりました!!!

最後の日にスピーチのテストがあったので、スピーチのテーマが発表されてからずっと頭に重石というか、胸の痞えというか、毎日重~い気分で練習に励んでいました。
出題のテーマは「私の理想の生活」「私の大連生活」「私の最も好きな物」「私の始めての経験」の四つ中から自由に選ぶと言う事で、私は「私の理想の生活」をテーマに選びました。
今回は前回と違い、「内容があるもの、正しい文法で、正しい発音で、原稿を見ないで、流暢に話す」と言う要求がありました。

何とか読み書きが出来るように成ったとは言うものの、流暢に喋るなんて・・・!
寝ても覚めても、お風呂の中でもベットの中でも、ブツブツ、ブツブツ・・・・。
中級5班の夫は、試験当日にテーマを与えられ話さなければならないそうで、「勉強の仕様が無い!」とゆとりで過ごしているのが少々腹立たしくも思えました。(勝手ですよね!)

お陰で前回は1分足らずのスピーチでしたが、3分の話を暗記する事ができました。
後はいかに閊えずに流暢に話すかが問題です。
夫は「日本語の文章を思い出しながら話せば良い」と言うのですが、私は手話を学んだ経験から、「日本語を捨て無ければ中国語は上達しない!」と大先輩に反論しました。

ところがとても面白い経験をしました。
一生懸命に練習しているうちに、頭の片隅に中国語(漢字)が出てくるのです。
とても難しい熟語があって、そこに来ると必ず閊えていたのですが、それからは文章を考えるのではなく、漢字をイメージしていきました。
不思議な事にスラスラ話せるようになりました。

「我的理想生活就是現在大連的留学生活」 (読み方が分からなくても内容はお分かりですね)
是が私の話の終わりの一節です。