明日は雨模様

2016-04-02 01:07:12 | Weblog
青空に桜が映えるぽかぽか陽気の昼下がりから、夕方以降は冷たい風が吹き付け気温は急降下
先ほどまでは、雨が降っていました
桜の頃は、お天気が安定しませんね



前回の通院は交通渋滞でヒヤヒヤしましたが、今回は往復ともタクシーはスムーズに
予想外に早く到着し、幸いなことに、検査(今回はCT)も診察もさほど待たずに済みました
病院での疲労度は待ち時間に比例している、と思い知らされた次第です

父のほうは、年齢を考慮すればまずまずの回復でしょうか
ステロイド剤が更に減り、通院間隔が三週間おきになったのはめでたいこと
次回の外来は私の入院期間と重なるので、弟に付き添いを依頼
これで、心置きなく入院準備にかかれます



昨日(この時間では一昨日)の収穫
*ベトナム戦記(開高健/朝日文庫)

日野啓三が解説で、「私たちの世代は空襲や飢えや引揚げなどの戦争体験はあるが、戦場体験はない。」と書いていました
飢えはともかく、空襲は戦場体験とは分けて考えるもの?
原爆投下は?
沖縄は戦場ではなかったの?
引揚げだって、敗戦の前にソ連軍の侵攻によるものもあったわけで、それでも戦場体験はないと言えるのかしら…

重箱の隅をつつくつもりも、揚げ足をとるつもりもありません
ただ、昭和一桁生まれの感覚ってこうなのかなぁと思っただけのこと(日野啓三は引揚げ者のようですね)
心覚えとして、記しておきます

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5 コメント

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4月1日 (メタボの白クマ)
2016-04-02 01:27:28
3月には沖縄本島への空襲や艦砲射撃、慶良間諸島への上陸もありますが、4月1日から沖縄本島への上陸作戦が開始されましたたね。

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文庫の解説なら (大納言)
2016-04-02 21:42:37
斎藤美奈子ちゃんに判断していただくのがいいかと……。
今月号の『図書』の、曾野綾子(『小公女』解説)など美奈子の手
に掛かればケチョンケチョンです。美奈子でなくてもひどいと思う
けどね。

つまり「私たち」の多くはドンパチを経験したいないと言いたかっ
たのではないかと思いますが、その後に続く文章によっても意味
は大きく違ってきますね。山姥さんの文の感触ではあまりよろし
くなさそうに見えます。
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訂正 (大納言)
2016-04-02 21:43:35
経験したいない

経験していない
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白クマ様 (管理人)
2016-04-03 11:00:18
ありがとうございます
日付については、意識にありませんでした

日野啓三は開高健と同世代ですし、同時期に新聞記者としてベトナムに派遣されています
文庫化された時点での(1990年)解説者としては、適任だったろうと思います
あくまでも、今読んだ私がモヤモヤしているだけのことなのですよね


今日は多磨霊園へ墓参とのこと
微妙な空模様ですが、春休み最後の日曜日はどこも賑わいそうですね
熟女御一行様を引率してのツアコンさん、くれぐれもお気をつけて<(_ _)>
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大納言様 (管理人)
2016-04-03 11:37:45
斎藤美奈子サンも良いし、書評家としては豊崎由美サンも好き………
そうか、斎藤美奈子サンの連載があるなら、『図書』を久しぶりに定期講読しようかな(笑)
いや、ま、それはともかく…苦笑

文意としては、大納言様が仰有る通りだと思いますよ
新聞記者(読売新聞だから仕方ない!?)だった小説家が、1990年(開高健の訃報の半年後と書いているから1989年かも)にサラリとこのようなことを書いてしまうんだなぁと、しらけただけのことです
結局は、揚げ足取りになってしまうのかも

前後も含めて改めて書き写すと、
………日毎夜毎に実際に兵士も民衆も殺され傷つき、農民は村を焼かれ、サイゴン市内のテロで子供たちの腕が吹きとび、貧しい戦争未亡人たちは身を売る以外に生きる術のない事実を、否応なく見続けなければならなかったからである。
私たちの世代は空襲や飢えや引揚げなどの戦争体験はあるが、戦場体験はない。1964年は東京オリンピックの年である。高度成長中の東京からいきなり、全土全市が最前線ともいえるゲリラ戦争の戦場に来たのだった。
戦場はもちろん血まみれのテロ現場も公開銃殺も、私たちの神経を震え上がらせ、戦後ヒューマニズム的感性を戦慄させた。これが政治の、歴史の、世界の裸形なのか、と連日、私たちの魂はうめき続けた。………


開高健自身のルポは、これから読みます
入院の際に持ち込んでもいいかなぁと思っていますが…
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