『あば知りになろう』

2016-01-31 18:37:51 | Weblog
メトロの路線で東急電鉄の車両に乗った時、この編成の車内広告がすべて『あば知りになろう』という網走の宣伝だったのにビックリ!!
ドアの上のTVでは、砕氷船や漁港・建築・自然などが紹介されて、ついつい見入ってしまいました(笑)

JRや小田急の車両の観光広告は、たいていサッと眺める程度
なのに、この網走(網走市)の広告は、行ってみたいなぁ、と………
寒いのは苦手なのに、甚く旅心を刺激されました(笑)

宝くじでもあたらないかしら………って、買いもしないで何を言っているのやら┓( ̄∇ ̄;)┏

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7 コメント

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宝くじは買っても当たらない (メタボの白クマ)
2016-01-31 21:52:40
でも買わないと当たらない。
寒いところは嫌なので行かない。
しかし行かないと旅心が湧く。

せめて宝くじで10万円位当たって、雪見の温泉に行きたや。
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網走といえば思い出すのは (大納言)
2016-01-31 22:31:05
我々の世代なら網走番外地のあのメロディー。
行ってみたいなぁ、などとはとてもとても……。
ま、そういうイメージを払拭すべく作られたCMなんでしょうが、隔世
の感がありますね。ディスカバージャパンもやらなかった暴挙です。
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北の街へのひとめぼれ (アマデオ)
2016-02-01 09:21:27
仕事の関係で北の街をあちこち「調査」してあるきました。もちろんあばしりも。
ぼくの場合はとても惚れっぽくて、一つの街に1週間もいると、不思議と愛着を感じてします。たいてい2、3日目頃から「好き」になって、「あゝこの町に住んでみたいなあ」と思う。網走というより稚内に近いけど、天塩町というところがあります。道北を流れる最北の清流、天塩川の河口に広がる小さな町。日本海に沈む夕日が美しい。その町たたずまいのなんと素敵なこと。少し北に目を転じると紋別市がある。今流氷で有名な観光地になっていますが、ここの森林に囲まれたたたずまいもいいなあ、と思います。とても落ち着いている。


 わが愛するピアにスト館野泉がかって小樽のことを「この街でひっそりと暮らしたいと思う」と書いたことがある。(音楽の友社「ショパン」で連載された「貨物列車の中のピアニスト」)。

たかだか100年足らずの歴史しかない北海道の町ですが、人々を惹きつけるさまざまな魅力と個性がある。観光地ではなく、人々がひっそりと暮らす「空間」を見にどうぞお出かけください。ご案内しますよ!
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追伸 (メタボの白クマ)
2016-02-01 10:44:30
北海道と云えば、管理人様に教えてもらい一昨年私が見た宮崎進の1950年代の作品は北海道の釧路の都市風景が描かれていました。シベリヤ抑留から帰還して北陸・東北・北海道を放浪しながら描いた作品群ですね。シベリアが画家の原点とすれば、この年代は第二の原点、第三の原点は浅草の旅芸人に混じった放浪生活。
宮崎進という画家の作品を知ってからもう二年近く経ったんですね。展覧会を見た感動は昨日のように記憶しています。【http://blog.goo.ne.jp/shysweeper/e/fbf572b4bc54d98fa125285a7233e24e
私は冬の釧路までは行ったことがありますが、根室・網走・知床はまだ。いつか長期で行きたいですね。
管理人様だけでなく、どこか人は北の地に惹かれるようですね。歌謡曲の世界でも‥。
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白クマ様 (管理人)
2016-02-01 23:28:12
ギャンブルのなかで、最も還元率が悪いのが宝くじだそうですね
おまけに、宝くじだけは未成年が購入しても罪に問われない…苦笑


それはともかく、網走からの連想で宮崎進が登場するとは思ってもみませんでした(笑)
初期の作品の中では、墨東を描いたものが好みでしたし…
ま、時期的には、墨東も釧路もさほど違いはなかったはずですよね
この先、あそこまで強烈な作品群と出逢うことはないだろう、と反芻する度に思っています

2014年は、ハンナ・アーレンと宮崎進とに出逢った、とんでもない年でした
そこで足踏みしているだけの我が身が、何とも…
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大納言様 (管理人)
2016-02-02 00:49:50
♪その名も網走番外地~って………ようつべで最後まで聴いちゃいましたよ(笑)
私の世代の“健さん”は、『幸福の黄色いハンカチ』かしら…そう言えば、あれも網走刑務所が絡んでいましたっけ(^^;


ディスカバージャパンの頃は小学生でしたから、何が何やら…
今どきの「観光立国」なんぞより、よほどマシに見えますが、似たようなものでしょうか




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アマデオ様 (管理人)
2016-02-02 10:09:05
北海道に行ったのは三昔前の神無月末の一度きり、岩見沢へ一寸用事があってのことでした
上野から寝台特急~青函連絡船を乗り継いで函館、札幌へ行き…
観光らしい観光はせず、国鉄(当時は“JR”ではなかった!!)車窓からの景色に驚嘆しただただ見惚れていました

その数年後、大阪・千里の民博で北海道~北方の先住民族の文化に触れ、別の意味でショックを受けて………
今思えば、単に物知らずな小娘のタワゴトでしかなかったのでしょうが、あのカルチャーショックは色々な意味で大きかったですね

内地の人々の視点・価値観からは「たかだか100年足らずの歴史」かもしれませんが、別の時間軸で脈々と受け継がれてきた歴史文化があり(あった)、今は途絶えつつある………
各地で繰り広げられている事柄の一つでしかない、と言ってしまえばそれまでなのですが、ね

今や博物館として観光名所となっている旧網走刑務所の建物にしても、その背景に思いを馳せなければ「エキゾチックジャパン」のひとこまで終わってしまいます
これをきっかけにどこまで踏み込めるか、訪れる側が意識しなければいけないのでしょう


それでも、例えば画面上のサンゴ草の群生は美しかったし、北の大地の自然が見せてくれる美しさは果てしなく、また奥深いものがある、と想像します
いつかぜひ、と念じています
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